梅雨の出来事@

薄暗い空からぽつぽつと降ってきた雨に、紅葉は溜息をついた。


「…雨降るなんて言ってなかった…」


先日に出水と梅雨入りしたと話していたことを思い出し、折り畳み傘すらないことに再び溜息をつく。
日頃の疲れが溜まり、最後の授業終わりから爆睡していたせいでもうほとんど周りに生徒は残っていなかった。


「…公平も陽介も秀次も招集で先に行っちゃったし…光たちも先に帰ってる…どうしよう…。ていうか起こしてくれれば良いのに…!」


自分のためを思って起こさなかったのは嬉しいことではあるが、そのせいで結局帰れずにいる。今日が二宮との訓練ならば意地でも急いで本部へ向かったが、生憎今日は二宮に予定があるとのことで訓練はない。


「……雨止むまで待とうかな。…あ、そうだ」


紅葉は携帯を取り出し、双子の兄への通話ボタンを押す。
用事が終わっていないならそれまで待ち、終わっているなら迎えに来てもらおう。そう思い立って。そしてツーコール後。


『…なんだよ?』
「わ、出ないかと思ったのに」
『出ないと思ったのにかけんな』
「出たらラッキーぐらいに思ってたんだから良いでしょ」
『へーへー。そんで?どうした?』
「あ、もう本部の用事終わった?」
『おう』
「学校まで迎え来て」
『は?』
「雨降ってる。傘ない」
『…何で傘持ってねぇんだよ…』
「雨降るなんて言ってなかったもん」
『梅雨なんだから折り畳みぐらい持っとけっての。つーかまだ学校にいたのかよ』
「…寝てた」
『こんな時間まで?』
「うん」
『疲れ溜まってんじゃ………』


そこまで言って思い浮かぶのは、双子の妹の彼氏。思わず力が入り、携帯がミシリと音を立てた。


『疲れて…?トリオン体なのに…?……トリオン体じゃないときに…!?』
「なに?」
『おっまえふざけんな!』
「はあ!?なにが!意味分かんない!」
『そんな理由で寝てたやつのことなんか迎えに行けるか!勝手に帰れバカ!』
「なに怒ってるわけ!?ていうか帰れないから言ってるんだけど!ちょ、公平!公平!?」


ツーツーと通話終了を知らせる音を聞き、今度は紅葉の携帯がミシリと音を立てた。


「あの弾バカ…!なんなの!?迎えに来れないだけなら別に仕方ないけどなんか意味分かんないし!ばーか!公平のばかー!」
「………何してるんすか、紅葉先輩」
「!」


繋がっていない携帯に向かって暴言を吐く紅葉に、呆れたような声がかけられた。


「あ、京介」
「どうも」


相変わらずの無表情で烏丸は小さく会釈した。その手にはしっかりと傘を持っている。紅葉はじっとそれを見つめた。


「こんなとこで大声で何を喧嘩してるのかと思えば、やっぱり紅葉先輩でしたか」
「やっぱりってなに」
「そのまんまの意味す」
「なに」
「先輩たちいつもくだらない喧嘩してて騒がしいので」
「うるさいばか」


ジトっと睨むと涼しい顔で返された。そして烏丸は何事もなかったかのように傘をさす。


「あ、京介!本部行く?」
「行きませんよ。バイトがあるので」
「じゃあ途中までで良いから傘入れて?」
「………」
「ちょっと、なんで無言なの」
「…いえ。出水先輩か二宮さんに迎え来てもらえば良いじゃないすか」
「公平に断られたの!意味分かんない理由で!…二宮さんは、今日は用事があるらしいから…」


出水のことに不機嫌そうに怒ったかと思えば、二宮の話をするときは薄っすらと頬を染める。とても分かりやすくコロコロと変わる表情に小さく笑った。


「……いいすよ。本部まで送ります」
「え、それはいいよ。バイト遅れるでしょ」
「けど雨の中に先輩を1人残して行くなんて出来ませんよ」
「……性格もイケメンか。亜季が惚れるのも仕方ないね…」
「紅葉先輩?」
「ん、なんでもない。途中までで良いから入れて。後は心配しないでバイト行って良いから」


そう言いながら烏丸の傘に入る。ぴったりくっついてくる辺り、やはり元々距離感がおかしい人なのだと理解した。


「じゃあ途中まで行ったら傘使って下さい」
「だからいいってば。自分で使いなさい」


お互いに譲り合いながら足を進めた。


「紅葉先輩を雨の中に放り出して風邪なんか引かせでもしたら出水先輩と二宮さんに殺されます」
「黙っておけばいいよ。ていうか殺されるって…わたしが濡れて帰っただけでそんな物騒じゃないでしょ」
「そうすね。たぶん放り出すよりも今の状況の方が危険な気がします」
「今の状況?」


こてんと首を傾げて見上げてくる紅葉に小さく溜息をついた。これでは出水や二宮が心配しすぎるのも無理はない。


「紅葉先輩はもう少し自覚した方がいいすよ」
「なにを」
「自分が愛されていることです」
「は、はぁ!?な、なにいきなり…!」
「いつまでも兄妹や仲良い友達とベタベタしすぎてると二宮さんが妬きますよ」
「べ、ベタベタなんかしてないし…」
「その考えをまず改めて下さい」
「……ていうか、二宮さんが妬くなんてある…?二宮さんだよ?」
「俺は妬いてるのしかほとんど見ないすけど」


いつも紅葉の距離感がおかしいせいで二宮が嫉妬し、そのせいで二宮の紅葉に対する行動が過激になっていると気付いていないのかと溜息をつく。
無意識に双子とイチャつく紅葉と、言葉ではなく行動で示す二宮。改善するのはなかなかに難しい。


「…まあ、改善しなくても今のままで充分成り立ってるから凄いすね」
「京介、さっきからなに?」
「何でもないすよ。ただ、俺だから良いすけど、誰でも彼でもこういうことしない方が良いってことです」
「誰でも彼でもなんてしないよ。傘だって京介だから一緒に入れてって頼んだんだし」
「どうも」
「どうでも!良さそうだね」
「まあ」
「このイケメン…!」
「それは貶してるんすか?」
「うるさいばか!」


テンプレと化した台詞に小さく笑う。出会ってから今までに一体何度この台詞を言われただろうか。


「先輩、本当にボキャブラリー増えないすね」
「う、うるさい!」
「うるさい、ばか、むかつく。それしか暴言聞かないすよ」
「うるさ……っ、…こ、の、イケメン…!」
「だからそれ貶してません」
「むかつ……〜〜〜っ!!もう!」
「…逆にそこまでボキャブラリーなさ過ぎて驚きました」


ぐっと不機嫌そうに口を閉ざした紅葉にからかい過ぎたかと少し反省する。あまりからかうと後が怖い。本人ではなく、セコムの2人が。


「京介、ここでいい。ありがと」
「まだ本部遠いすよ」
「いい」
「怒ってます?」
「怒ってない」
「まだバイトまで時間あるんで近くまで行きますよ」
「いいってば」
「濡れるからもう少し寄って下さい」
「話聞いてる?」
「すみません、聞いてませんでした」
「いや聞いてるよね!?」


1つの傘の下で一方的に噛み付く紅葉と、それに対して落ち着いて対応する烏丸。どちらが年上か分かったものではない。あしらいつつ宥めつつ、烏丸は本部へと向かっていく。


(誰か本部に行く人がいるなら先輩を送ってもらうけど、誰もいないんじゃ送っていくしかないな)


今日の遅刻した分は紅葉の双子の兄にでも奢ってもらおうと心に決めて。


「あれ?」
「どうしました?」
「………二宮さん…?」
「……本当すね」
「…なにしてるのかな…?」
「…………」


雨の中で真っ黒な傘をさし、電柱の近くで立ち止まっている二宮。微動だにしないその姿に紅葉と烏丸は顔を見合わせた。自然と曲がり角に隠れ、そっと様子を伺う。
すると、二宮はそのまま静かにその場にしゃがみ込んだ。


「え、なに?なに?これ見てて大丈夫なやつ…?」
「紅葉先輩は彼女なんだから大丈夫すよ」
「か、彼女って言わないで…!」
「何で照れてるんすか」
「うるさい…!」
「あ、二宮さんが動きましたよ」


2人で真剣に二宮を見つめていると、二宮は手を伸ばし、何かを持ち上げた。


「あれ…は……猫…?」
「…そうすね」


ダンボールに入っていた濡れた子猫を抱き上げる二宮の姿は異様だった。その子猫をじっと見つめたまま再び動かなくなる。


「………」
「………なんで猫と見つめ合ってるの…」
「猫に妬かないで下さい」
「妬いてない!!」


二宮の抱き上げている大人しい子猫とは違い、しゃーっと鳴いた紅葉。それを見て烏丸は二宮の行動を理解した。


「……もしかして、あの人…」
「京介?」
「先輩、今日は二宮さんのとこに行く予定だったんすか?」
「え?いや、二宮さん予定あるって言うから今日は本部行かないって連絡したよ。公平に文句言うために行くことにしたけど…」
「………」


二宮の抱き上げている子猫はどこか紅葉のようだった。自分がそう思うのだから、二宮はよりあの子猫が紅葉に見えているのだろうと小さく溜息をつく。熱い視線で見つめるその瞳は子猫を通して紅葉を見ていた。

大方、予定が早く終わってしまったけれど、紅葉が来ないことに物足りなさを感じているのだろうと簡単に予想出来る。けれど。


(…それを捨て猫に重ねるってどうなんだ)


付き合っているのだから連絡をすれば良いのに。
二宮も紅葉も変な所で気を使い合っている姿に溜息を吐かずにはいられなかった。


「……京介、行こ」
「いいんすか?」
「…なにが」
「二宮さんが本部に行くなら一緒に…」
「に、二宮さんと一緒に傘入るとか無理!」
「………」
「な、なに…!仕方ないでしょばか!」
「…?紅葉…?」


無言の烏丸に一方的に吠えると、その声を聞きつけた二宮が紅葉たちの方へ視線を向けた。
その視線に思わず烏丸の背中へ隠れる。


「………何してんだ」


一気に不機嫌になった二宮の言葉は烏丸に向いている。巻き込まないでくれと頭を抱えたくなった。


「…どうも」
「………」
「おい紅葉」
「にゃー」
「お前じゃない」


紅葉の名前に反応して鳴いた子猫にかける声は優しかった。そのことに紅葉はムッと眉を寄せ、ぐいぐいと烏丸の背中を押して本部へと向かわせる。


「行こう、京介」
「ちょ、先輩…」
「おい」
「二宮さんは猫と遊んでれば良いじゃないですか!大事な予定ですもんね!」
「あ?何言ってんだ」
「べっつになんでもありません!さようなら!」


二宮の方を一切見ることなく、烏丸の背を押して通り過ぎようとすると、すぐに横からその腕を取られた。そして二宮の傘の下へ引き込まれる。


「わ、ちょ…」
「にゃー」


片手で傘を持ち、その腕に猫を抱く。更に反対の空いている腕で紅葉を胸に抱いた。


(猫を2匹抱えてる…)


その感想しか浮かばなかった。


「ちょ、っと、離して下さい…!」
「二宮さん、先輩は本部行くらしいすけど、俺はこれからバイトなのでよろしくお願いします」
「……ああ」
「京介!」
「それじゃ紅葉先輩、頑張って下さい」
「京介!!」


烏丸の方へ行こうとした紅葉をぐっと強く引き寄せる。不満気な瞳を不満気な瞳で見つめ返した。


「本部行くなら俺と来い」
「………」
「それじゃ失礼します」


小さく会釈して来た道を引き返した。この時間ならバイトはまだ間に合うだろう。


「きょ、京介!」
「…?」
「…こ、ここまで入れてくれて、あ、ありが、とう…」
「!…いえ、どういたしまして」


視線を合わせようとせず、薄く頬を染める紅葉に小さく微笑み、烏丸は再び会釈して足早に去って行った。

残されたのは二宮と、2匹の猫。
雨が降り続ける中、腕に抱かれたた子猫が小さく「にゃー」と鳴いた。



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