キスの日

家を出る直前からずっと難しい顔をしている紅葉に、出水はついに痺れを切らした。昼休みにずいっと詰め寄る。


「お前今朝から何ずっと険しい顔してんだよ」
「……別に、何でもないけど」
「何でもねーのにそんな顔してんな」


そう言いながら紅葉の眉間に寄るシワを人差し指でつつく。更に顔をしかめられた。


「やめてよ」
「じゃあ何でそんな顔してんだよ」
「…ちょっと考え事してただけ」
「考え事?悩みか?ならお兄ちゃんが聞いてやるぜ?」
「ばか」
「おい」


にやりと口角をあげた出水に一言。
しかし悩んでいるのは事実だ。それに、もしかしたら出水は答えを持っている可能性もある。紅葉は渋々と出水を見上げた。


「どーした?」
「…………………公平は、さ」
「おう」
「…………………………………………彼女とどうやってキスするの?」
「ぶふぉっ!」


固まる出水の代わりに反応したのは近くにいた米屋だった。盛大にジュースを吹き出してむせている。


「ちょ、盗み聞きしないでよ!」
「げほっ、げほっ、いや、お前…今のは不可抗力だろ…ごほっ」
「…………」
「あー、死ぬかと思った。んで?お兄ちゃん固まってっけど、今の質問の意図は?」
「……そのままの意味、だけど…」
「いや何でそんな質問よ?」
「………………」


今朝家を出る前に犬飼からきたLINEを思い出す。

『紅葉ちゃんおはよー。今日なんの日か知ってる?』
『まあ知らないよねー。じゃあ教えてあげる』
『今日は、キスの日、らしいよ!』
『だから紅葉ちゃんから二宮さんにキスしたら二宮さん喜ぶだろうね?』
『あ、今どーでもいいとか思ったでしょ?』
『ダメだよ、いつもそんな受け身じゃ。たまには自分から攻めていかないと二宮さんみたいな人には飽きられちゃうんじゃないかなー?』
『まあ紅葉ちゃんがそんな勇気ないヘタレなら仕方ないけどね?』
『ちなみに今日は二宮隊防衛任務ないから俺と辻ちゃんもひゃみちゃんも隊室には行かないから』
『二宮さんはいるだろうけどね?』
『それじゃ頑張ってねー!』


返信する間もなく嵐のように送られてきた文章に、紅葉は朝から携帯を壊す勢いで握り締めることしか出来なかった。そしてその言葉がずっと頭の中でぐるぐると巡っているのだ。


(キ、キス……わたしから、二宮さんに、キ、ス…………!?し、しないと、飽きられる…?む、無理…!ヘタレじゃないけど絶対無理……!!)
「おーい、どーした紅葉」
「な、何でもない!」
「つーか弾バカはいい加減しっかりしろよ」
「お、おう…」
「そんでお兄ちゃん、妹の悩み聞いてやるだけじゃなくて解決してやらないとな?」
「か、解決って…」
「公平くんはぁ、彼女とぉ、どーやってキスするのぉー?」
「「きもい」」
「ひでーなおい」


米屋の裏声に2人して冷たい視線と声で答える。しかし気にした様子もなく更に出水に答えを促した。


「どうやってって…なんだよ…」
「だ、から…その……ど、どのタイミングでするのか、とか……場所、とか…」
「…タイミングなんて…そんなの雰囲気、だろ…」
「雰囲気…?」
「だから、なんか、そういうキスする雰囲気っつーか……。あとはもうしたいからする、とか…」
「し、したいからするって、それで良いの?」
「知らねーよ!おれがしたいからすんだよ!相手も嫌がったこととか、ねーし………好きならいきなりしたって引かねーだろ……ってあああああなんかくっそ恥ずかしいんだけど!」


ガシガシと頭をかく出水に、紅葉は腕を組んで真剣な表情で考え込む。


「したい、から……雰囲気…タイミング…」


ボソボソと呟く紅葉の言葉に、米屋は苦笑した。もしかしなくても、あの人関係だろう、と。幸い恥ずかしさに悶えている出水には聞こえていないため、大事にはならなさそうだとそっとその場を離れた。


◇◆◇


本部で出水たちと別れ、いつも通りに二宮隊の隊室へ向かう。扉を開ける直前、犬飼からの文章を思い出して一瞬固まった。


「二宮さん以外、いない……ふ、2人、きり…」


2人きりなどよくあることだ。それなのに早鐘を打ち出した鼓動は治まりそうもない。
紅葉は大きく深呼吸をして隊室の扉を開けた。


「お、お疲れさま、です」
「来たか」


そう出迎えたのはやはり二宮だった。一言紡いだその唇に視線が向いてしまい、慌てて頭を振った。


(犬飼先輩が変なこと言うから…!)
「どうした?」
「な、何でもないです!訓練お願いします!」


何やら怒っているような紅葉に首を傾げつつ、2人はトリオン体になって訓練室へ入る。そしていつも通りに訓練……など、出来るはずもなかった。


「………」
「お前何余計なこと考えてんだ」
「……すみません」


二宮が喋る度に唇に視線を奪われ、集中出来ずに悲惨な状態だ。分かってはいても意識せずにはいられない。初めてキスをされたときも意識してしまったことを思い出し、カァっと顔に熱が集まった。


(は、初めての、キス……そういえば二宮さんとだ…!)


まだ気持ちが通じ合っていないときにした初めてキス。未だにあのときのことを、感覚を忘れたことはない。


(……ど、しよ…)


二宮が何か喋っているのは分かる。恐らく紅葉の集中力について文句を言っているのだろう。けれど、それすら聞こえなくなるくらいに紅葉の頭の中はいっぱいになってしまっていた。


(…どう、しよ…!)


身体が熱くなっていく。


(キス、したくなっちゃった…っ)


こんな感覚初めてだった。いつも二宮からされるばかりで自分からなどしたことはない。同意を得られる間も無くいきなり唇を奪われるのだから、そんなことを考えることもなかった。したいと思う前に、いつも二宮がしてくる。いつも、愛をくれる。そんな相手に、初めて今、自分からキスしたいという気持ちになってしまった。


「おい紅葉、体調でも悪いのか?」
「……タイミングも雰囲気も、絶対違うんだけど…」
「紅葉?」
「……でも、したいからするって、言ってたし…」
「さっきから何をぶつぶつ言ってんだ」
「…………好きなら、引かれないって…」


兄の言葉を思い出し、ぐっと拳を握りしめた。犬飼にヘタレ認定されるのも腹が立つ。

紅葉は意を決して二宮を見上げた。


「本当に大丈夫か?さっきから様子がおかしいぞ」
「………に、二宮、さん」
「?」
「……………っ」


きょとんとした表情にときめいてしまう。それ以上動揺する前にと、二宮の服とネクタイを掴み引き寄せた。突然のことに簡単に引っ張られ前のめりになった二宮に唇を合わせる。


ふにっ、と。
子供のような触れるだけの柔らかい感触。いつも二宮がしてくれるのとは明らかに違ったが、紅葉にはこれが精一杯だった。

震える手を離し、そっと離れて二宮を見つめると、二宮は大きく目を開いて固まっていた。


「……………す、みませ、ん」
「……………」
「…………したく、なっちゃった…から…」
「……………」
「〜〜〜っ、に、二宮さんだっていつも同意なく勝手にするじゃないですか!お互い様ですよばか!」
「……………」



涙目で顔を真っ赤に染めて喚く紅葉に、二宮の思考はやっと動き出した。状況を理解した途端に鼓動が早鐘を打つ。


「…………」
「わ、わたし、今日はもう帰ります…!ご指導ありがとうございました!」


何も言葉を発さない二宮に不安が胸を埋め尽くし、すぐにこの場を離れようと踵を返した。しかしすぐに腕を掴まれる。振り向く間も無く引き寄せられた。


「わっ」


ぼぶんっと胸に抱きとめられ、流れるように顎を救われる。


「何勝手に帰ろうとしてやがる」
「……は、離して、下さい…!」
「誰が離すか」
「帰ります…!」
「帰さねぇよ」
「っ!」
「あんだけ挑発しといて、帰れると思うなよ、紅葉」
「っ、に、にのみやさ……っ!!」


最後まで言葉を紡ぐことなく、紅葉の唇は塞がれた。やられっぱなしで良いわけがない。あんな可愛いことをされて黙っていられるわけがない。可愛い恋人の可愛い行動に抑えが利かなくなる。愛しさが溢れる。
それを全て伝えるために、言葉ではなく行動で示した。

少しだけ荒く、けれど優しく。先ほどとはまるで違う、大人のキスで。


End

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