お・泊・ま・り

出水が遠征に行ってしまい、二宮と訓練をし、終わったあとは流れるように紅葉は二宮の車に乗っていた。


「………ん?」


走り出してしばらくして、やっと違和感を感じる。


「…二宮さん?」
「なんだ」
「あの、ウチこっちじゃないですけど…」
「ああ」
「ああって…どこか行くんですか?」
「俺の家だ」
「……………え?」
「俺の家だ」
「ちょ、え、な…っ!」


平然と運転をする二宮に、紅葉は言葉にならない声を発する。二宮の表情は変わらない。


「え、に、に、に、二宮さんの家って、な、なんで…!」
「出水が遠征に行ったからな。うるさく言うやつもいない」
「確かに公平はうるさいけど…じゃ、じゃなくて!こんな時間に二宮さんの家行っても、す、すぐに帰らないといけない時間だし…!」
「何言ってんだ。泊まりに決まってんだろ」
「はぁ!?」


何が決まっているんだ!
そう思っても頭が追いつかない。


「と、とま、泊まりって…!わ、わわわたし、泊まる準備なんかしてないですよ!」
「当然だろ。さっき決めたからな」
「何で勝手に決めてるんですか!」
「ぎゃーぎゃーうるせぇ。嫌なわけじゃねぇだろ」
「!、そ、それは、まあ、その…そう、です、けど…」
「だったら文句言ってんな」
「で、でも1回家に帰らないと…」
「必要ない」
「いや着替えとか!」
「明日も学校なんだからそのままで良いだろ」
「制服はともかく、その…!」


下着がない。けれどそう口にするのは恥ずかしく、口ごもると二宮はすぐに察した。


「乾燥機もある。それを使えば問題ない」
「………」
「どうしても嫌ならやめてもいい」


その聞き方はずるい。嫌ではないのだから。
すーっと顔が熱くなるのが自分でも分かった。文句を言いつつも、どこか楽しみにしている自分がいることも。
けれどそれを口にするのはやはり癪で。
無言でふいっと窓の外に視線を向けた。

隣で小さく笑う声が聞こえたのは、きっと気のせいだ。


◇◆◇


緊張感しすぎて辺りを見ることも出来ず、促されるままに部屋に入った。途端に香る、二宮の香り。いつもよりその香りを強く感じ、ばくんっと心臓が跳ねた。

ここが二宮の生活をしている場所、ボーダーと関係ない普段の生活をしている場所。その事実だけで鼓動は早くなっていく。
何も言われていないのに顔が熱くなるのを感じた。


「何ぼさっとしてんだ。中入れ」
「あ、は、はい…!」


ガチャっと鍵を閉める音にびくりと反応し、思わず振り向いた。そんな紅葉の反応に一瞬驚きつつ、二宮はすぐに口角を上げた。


「何て顔してやがる」
「へ!?」
「とって食いやしねぇから安心しろ」
「〜〜〜っ」


全て気付かれていた。どこまでも余裕な二宮と、いつまでも慣れない紅葉。自分ばかりが緊張していることに少し不満を感じるが、恥ずかしい上に緊張してしまうのだから仕方ない。


「とりあえず座ってろ」
「………はい」


促されて中へ足を進める。大学生が1人で住むには広すぎる部屋だと思ったが、二宮が住んでいると思うと納得出来てしまう。

控えめに辺りを見回しつつ、高そうなソファに腰掛けた。


「ウチのソファと全然違う…」


いつも双子の兄と一緒に寝ているソファとは別物だった。座り心地が良い。ここで寝たら気持ち良さそうだと、想像して頬が緩む。


「なにニヤニヤしてんだ」


そこへ二宮が飲み物を持ってきた。目の前のテーブルにコップを置き、どんっと紅葉の真横に座る。その際に触れた肩にまた心臓が跳ねた。思わず距離をあける。


「…おい」
「…あ、の、飲み物!ありがとうございます!」
「……ああ」


仕方ないと諦めたようにコップを口につけた。紅葉もコップを手に取り、中を覗くと黄色の液体が入っている。


「あ、れ…」
「好きだろ?」
「オレンジジュース…?」
「それ以外なにがあると思ってんだ」
「だ、だって、二宮さんの家にオレンジジュースがあるなんて思わなくて…」
「…お前のために買ったからな」
「え…?」


隣を見上げた紅葉に視線を向けることなく、二宮はずずっと飲み物を飲む。


「今日はお前を連れ込むつもりだったからな。そのための準備はしている」
「へ!?つ、つつつつ、連れ込む…!?じゅ、準備って、え、な、なんの…!?」


反射的に立ち上がりかけた紅葉の反応を察知し、先に腰に手を回してそれを防ぐ。更にぐっと引き寄せた。


「っ、に、二宮さ…!」
「だからとって食いやしねぇって言ってんだろ。一々逃げんな」
「だ、だって…!!」
「良いからここにいろ」
「………はい」


大人しくなっても手はそのままに。
そっとコップに口を付けた紅葉を確認し、自分もコップに口を付けた。ごくっと喉を鳴らした二宮に、紅葉はちらりと隣を見上げる。


「どうした?」
「あ、いえ…なに飲んでるのかな…って」
「飲んでみるか?」
「お酒じゃないですよね…?」
「未成年に進めるわけねぇだろ」
「…じゃあ」


冗談で言ったつもりだった。飲んでみるかと問うて、その反応を楽しむつもりだった。しかし紅葉は恥ずかしがる素振りなど一切見せず、自分のコップを置いて二宮のコップを受け取った。
その行動にぱちぱちと数回瞬きをする。

そして、紅葉は二宮が飲んでいたコップに口を付けた。不覚にもその仕草に鼓動が早くなる。

そんな二宮に気付くはずもなく、こくんっと飲み込んだ紅葉は驚いたようにコップの中を見つめた。


「これ、ジンジャエールですか…?」
「………ああ」
「…意外です…二宮さんこういうの飲むんですね」
「………好きだからな」
「意外です」


けど、好きなものを知れて良かった。
その言葉は飲み込んで小さく笑う。


「……意外なのはこっちだ」
「?」
「…普通に俺のを飲むとは思わなかった」
「え?何でですか?」
「何でって…普通のキスは慣れねぇくせに間接キスは平気なのか…」
「………あ、そっか…。いつも公平とやってたんで気にしてなかったです」
「…………」


その言葉にすぐさま二宮の眉間にシワが寄った。出水がいない間に連れ込んだのに、何故ここにきてまでその名前を紅葉の口から聞かなければいけないんだ、と。


「二宮さん?」
「……紅葉」
「はい」
「…今日は出水の名前は出すな」
「…?公平の名前を…?」
「出すな」


きょとんと二宮を見つめるが、二宮は何も言わずにテレビをつけた。ふと、前のことを思い出す。


「…前と、逆ですね」
「あ?」
「公平の名前を出すなって」


前に二宮が紅葉に勉強を教えていたとき、確かにそんな話をしていた気がする。くすくす笑った紅葉に、二宮の表情は和らいだ。その頃よりも、遥かに笑う回数も増え、表情が柔らかくなった。気持ちも、前とはだいぶ違うのだ。


「…なら、名前を出したらペナルティか」
「望むところです。今回は勝ちますよ」
「えらく乗り気だな」
「負けたままじゃ終われませんから」


単純な負けず嫌いに二宮は小さく笑う。これは楽しくなりそうだ、と。


「でもペナルティどうしますか?もうわたし射手ですし…」
「それならもう決まっている」
「なんですか?」
「出水の名前を出すたびに、キスする」
「な…!?」


予想外の言葉に驚き二宮を見つめるが、楽しそうに見つめ返された。途端に顔に熱が集まる。


「そんな期待してんなら態と出しても…」
「き、ききき期待なんてしてません!!」
「ほう?」
「な、なんですか…!」


真っ赤な顔で言われても説得力がない。

二宮はにやりと口角をあげ、紅葉を逃さないようにソファの背もたれに追い込むように手をつく。


「…っ」
「期待、してねぇのか?」
「〜〜〜っ」


瞳を潤ませて睨んできた紅葉に、さすがに苛めすぎたかと小さく笑い、その頭に口づけを落とした。

そのまま香りを嗅ぐ二宮に気づき、紅葉は慌てて二宮の身体を押した。


「…なんだ」
「か、か、嗅がないで下さい…!!」
「何でだ。いつも嗅いでるだろ」
「い、や、だ、って……お、お風呂、入ってない、から…」


語尾が小さくなり、俯いてしまった紅葉。可愛くて仕方がない。今すぐにでも顔を上げさせてキスをしたい。けれど、慣れない場所にただでさえ緊張している紅葉にこれ以上刺激を与えるのはさすがに可哀想だ。

だからと言ってそんな理由で傍に寄れないのは困る。

二宮はすっと離れて紅葉の頭をぽんっと叩いた。


「俺は気にしないが、どうしても気になるなら先に風呂入ってこい」
「……え…?」
「さっき溜めたばかりだ。服もタオルもお前が出るまでに用意しといてやる。洗濯の仕方は分かるな。シャンプーは新品のがある。紅葉専用のだからそれを使え。それから…」
「ちょ、ちょっと待って下さい!そんな一気に言われても…」
「なら、一緒に入るか?」
「へ!?」


にやりと口角を上げた二宮はすっと紅葉の頬に手を当てた。
からかっていると分かっていても、身体は勝手に反応してしまう。触れられた場所からカァっと熱くなった。


「ひ、ひひひ1人で入れます!!」


ぱしんっと手を振り払い、真っ赤な顔のまま浴室へ向かった。その後ろ姿を見送り、小さく微笑む。自分の家に大切な恋人がいる。いつも自分が過ごす場所で、同じ時間を共有出来る。
いつもは一緒にいられない時間に、一緒にいられる。その事実が胸を満たした。


バタバタと暴れるような音が聞こえ、しばらくしてから浴室の扉を開く音が聞こえた。聞こえる水音にどくりと心臓が鼓動する。


「……今日は、何もしないって決めただろうが。変な気は起こすなよ」


自分にそう言い聞かせ、二宮は準備をするために立ち上がった。

◇◆◇

湯船に浸かり、紅葉は大きく息を吐いた。

マンションなのに広い浴室。足も余裕で伸ばせる。ゆっくりと全体を見渡した。


(……確かにこの広さなら、一緒に入っても大丈…)


ばしゃんっと勢いよく潜った。


(ばか…!!ばかばかばか…!!な、なに考えてるのばか…!ばかぁ!!)


恥ずかしさに涙が出そうになりお湯の中でばたばたと暴れる。暴れて息が続かなくなり、慌てて顔を出した。


「おい」
「!?」


扉越しに声がかかり、大袈裟にびくりと跳ねた。


「何暴れてんだ」
「……す、すみま、せん…」
「はしゃぐのは良いが逆上せるなよ」
「べっつにはしゃいでた訳じゃないんですけど!」
「そうか。着替えとタオル置いておくぞ」
「…ありがとうございます」


去っていく足音を聞き、ぶくぶくと顔を半分お湯に埋めた。
その際ふと、二宮が使うには違和感のあるシャンプーが目に入る。


「そういえば…さっき…」


『シャンプーは新品のがある。紅葉専用のだからそれを使え』


色々言われて気に留めていなかったが、改めて考えてその言葉の意味を理解する。

新品のシャンプー。紅葉専用と、確かにそう言っていた。


「わ、わたし…専用…?」


お湯から上がり、そのシャンプーを手に取った。確かに新品だ。


「…わたしの、ために…買ってくれたんだ…」


本当に連れ込む準備は万端だったわけか、と思わず笑みが溢れた。二宮が選んだものなら間違いはない。きっとまた、自分も気に入る

出たら改めてお礼を言わなければと、はにかんだ。


◇◆◇


浴室を出ると、真っ白なタオルが用意されていた。そのふわふわなタオルを手に取り、思わず顔を埋める。


(……やばい…二宮さんの香りがする…)


顔をつけたまま動けなくなった。
二宮が自分のために用意してくれたシャンプーも良い香りだった。髪との相性も良い。そしてこのタオルの香り。お風呂上がりの身体が熱くなった。


「…か、風邪引く前に、早くしないと…」


何とか邪念を払って身体を拭き始めた。

そして二宮が用意した着替えを手に取り、再び固まる。


大きなYシャツ1枚だった。


「……こ、これ、だけ…?」


確かにこの部屋は暖かい。これだけでも風邪を引くことはないだろう。けれど本当にこれだけしかないのかと辺りを探すが、他に着替えらしきものは見つからない。もう一度大きなYシャツを見つめた。


「二宮さんの……服…着て、良いんだ…」


少しだけ胸が高鳴った。
前に二宮のトリガーを起動したときよりもドキドキしている。恐る恐る、そのYシャツに手を通した。

もちろん紅葉の手は出ない。改めて体格の差を実感した。まるでワンピースのようになったそれに、鏡の前で自分の姿を確認する。これが所謂、彼シャツというものかと鼓動が早くなった。恥ずかしいが、それ以上に嬉しい気持ちだ。


「…二宮さんの、服…二宮さんの…」


手が隠れたままの袖で口元に手を当てた。この嬉しさをどうして良いか分からずにはにかむことしか出来ない。


「……嬉しい、かも…」


包まれている気持ちに気分が良くなり、タオルを首にかけて紅葉はリビングへ戻った。早く二宮に会いたくなってしまったから。



「二宮さん、お風呂、ありがとうございました」
「ああ、ちゃんと………」


ソファに座ったまま振り向いた二宮と視線が交わると、二宮は固まった。紅葉を凝視したまま動かない。
そんな二宮に紅葉は首を傾げた。


「…二宮さん…?」
「………」
「あ、の…どうしました…?」
「………いや、何でもない」
「……?」


すっと視線を外してまた前を向いてしまった二宮の行動は、紅葉には分からなかった。
自分の恋人が、自分の姿にときめいていることなど、分かるはずもなかった。


(……確かにこれを狙ったつもりだが、自分の首を絞めるだけだったな…)


お風呂上がりで雰囲気の変わった紅葉、自分の服を羽織る紅葉、Yシャツ1枚といういつもより無防備な姿の紅葉。予想以上の破壊力だった。はぁっと小さく溜息をつき、額を押さえた。

ここから自分は理性と戦わなければいけない。自分で上げたハードルを超えて。



紅葉はゆっくりとソファに近付き、二宮と距離を空けて腰を下ろした。まだ乾ききってきない髪をタオルでやわやわ拭いている。

それを見た二宮は溜息をついた。


「…紅葉、来い」
「え?」
「拭いてやる」
「え!?い、いや!いいです!大丈夫です!」
「いいから来い」


そう言いながら二宮は紅葉の腕を引いた。紅葉は激しく抵抗することもなく、すんなりと立ち上がり、促されるままに二宮の足の間に再び腰を下ろした。

二宮は目の前の髪をわしゃわしゃと拭き始める。少し乱暴だが、頭を触られ、たまに撫でるように拭かれ、気持ち良くなってきた。眠気も襲ってきて思わず頬が緩む。


「…あ、そうだ…シャンプー、ありがとうございます」
「思った通り、紅葉に合ってる香りだったな」
「…わたしに合うの、選んでくれたんですか…?」
「ああ。良い香りだ」


拭いてる最中に何度も鼻を掠めた香りは、やはり良い香りだった。後ろからすっと直接紅葉の香り嗅ぐ。
これは買った甲斐があったと頬が緩んだ。


「……わたしもこれ、好きです…」
「……紅葉?」
「……いい香りで…」
「…おい、紅葉」
「……はい」
「どうかしたか?」
「……なにが、ですか…?」


こてんっと二宮にもたれるように寄りかかり、そのまま二宮を見上げる。甘えるよう仕草に動揺したが、その声と瞳に納得する。

とろんとした瞳と、間延びした声。
これは明らかに…


「眠いのか…」
「……はい…」


くぁっと出た欠伸を袖で隠し、そのまま二宮に擦り寄るようにくっつく。とろんとした瞳は閉じられた。寝る気満々だ。


「眠いとこんな風になるのか…」


そういえば出水や米屋から話を聞いた気がする。実際に見るのは初めてだ。とても心臓に悪い。

擦り寄る紅葉の頭を優しく撫でた。


「寝るならベッドに行ってろ」
「………はい」
「俺は風呂に入ってくる」
「………は、い」


Yシャツ1枚越しの体温。表面上では冷静を保っていても、心臓はばくばくと激しく鼓動していた。ここで離れなければどうにかなりそうで。

体温を求めてくっついてくる紅葉を優しく引き剥がし、そっと抜け出す。もう一度その頭を撫でた。


「ベッドへ行け。分かったか?」
「……ふぁい」


閉じてしまいそうな瞳で頷いた紅葉の頭に口付けを落とし、二宮は浴室へ向かった。


◇◆◇


「…まあ、そうだろうな」


風呂から出て戻ってきてみれば、紅葉はソファの上で眠っていた。その無防備な姿に大きく溜息をつく。


「…緊張して眠れないってのも困るが、ここまで無防備に寝るのもどうなんだ」


気持ち良さそうに眠る紅葉の顔を覗き込んだ。入ってきたときの異常な緊張がウソのような穏やかな表情。優しくその頬を撫でた。


「おい、紅葉」


返事はなく、ただ、頬に触れた手に擦り寄ってくる。


「…いつもこれじゃ、俺の方が保たねぇな」


苦笑しつつ、寝ている紅葉の背中と膝裏に手を回し、抱き上げた。そのままベッドへと連れていく。
起きる気配のない紅葉は体温を求めて抱き上げた二宮の胸に擦り寄る。


「寝てるときは随分素直だな」


擦り寄ってきた紅葉の額に口付けを落とす。ふにゃっと緩んだ笑顔に思わず視線を逸らした。流石に寝ている相手を襲うのはダメだ、自分にそう言い聞かせる。

ゆっくりと紅葉をベッドの上に下ろし離れようとするが、服を掴まれていて離れることが出来ない。離れないで、と、そう言われているようで、表情を和らげた。


「……こー…へい…」
「…………」


むにゃむにゃと呟かれた一言。
穏やかな表情から一変、眉間に深くシワが刻まれた。

普段は見られないような表情で呼ぶのは出水の名前だ。その夢に自分は出ていないのかと寝ている相手に文句を言いたくなる。

小さく溜息をつき、紅葉の顔の両側に手をついた。
ぐっと距離を詰める。


「…名前を出したらペナルティ、だったな」


寝ているからと無効にはならない。二宮はそっと、紅葉の唇に口付けを落とした。


◇◆◇


カーテンの隙間から漏れる光に、紅葉は小さく身じろいだ。包まれる温もりが心地良く、もう一度眠ろうとその温もりに擦り寄る。
しかし、いつもと違うことに気が付いた。
感じる香りも違う。もう一度ゆっくりと目を開いた。


「………起きたか」


低く掠れた艶のある声。
そっと顔をあげると、目を細めて穏やかな表情をしている二宮と視線が交わった。


「………」


どうして目の前に二宮がいるのか。
寝起きで働かない頭をフル回転させた。
そして自分が泊まりにきていたことを思い出す。途端に紅葉の顔はぶわっと赤く染まった。
反射的に離れようとしたが、二宮の片手は紅葉の腰に回っていて逃げることが出来ない。


「朝から暴れんな」
「だ、だって…!なんで…!?」
「まだ学校行くには早い。もう少し寝てろ」
「ね、ねれ、寝れるわけないじゃないですか…!」
「散々寝てたやつが何言ってやがる」
「え、わ、わたし…いつ寝ちゃったんだろう…」
「さあな」


そう答えて再びぎゅっと紅葉を抱き締めた。紅葉の身体はピシリと固まる。寝ているときの無防備さがウソのようだ。


「…人の気も知らねぇで爆睡しやがって。お陰でこっちは一睡も…」


そこまで言って口を閉じた。気まずそうに眉を寄せる。


「え、一睡も…してないんですか…?わ、わたし…、寝相とか…酷かったですか…?」
「……ある意味酷かったな」


こちらは必死に理性と戦って我慢しているのに、ぎゅーぎゅー抱きついてきたり絡まれたり、名前を呼ばれたり、更には脱げそうになった服にどれだけ焦ったことか。こんな拷問は初めてだった。

思い出して深い溜息をつく。


「す、すみません…!やっぱり…わたし寝相悪いんだ…」


しゅんっとなってしまった紅葉の髪を優しく撫でた。梳くように何度も何度も。


「俺は大丈夫だが、他のやつとは寝るなよ」
「ね、寝ませんよ!一緒に寝ても公平だから別に…」
「………」


撫でていた手を止めた。そして紅葉と目を合わせる。


「…二宮さん…?」
「名前を出したら、ペナルティだろ?」
「………え!?あ、それ、き、昨日のですよね…?」
「期限なんか決めてねぇよ。ペナルティはペナルティだ」
「そんなの…っ」


楽しそうに笑みを浮かべた二宮に、優しく唇を塞がれた。やはり、もう一度眠るのは無理そうだ。


◇◆◇


ベッドの中でしばらく戯れ、時間になって2人は起き上がった。結構ギリギリの時間になってしまい、紅葉は慌てて着替える。制服に着替えるために二宮の服を脱ぐのに、少し名残惜しさを感じつつ。


「そ、それじゃ、いってきます!」
「ああ、また本部でな」
「はい!今日もよろしくお願いします!」
「紅葉」


ぺこりと頭を下げて出ていこうとする紅葉を、二宮はソファに座ったままもう一度引き止めた。
振り返った紅葉は首を傾げる。


「本部に来る前に、ちゃんと泊まる準備してこい」
「へ!?」
「出水が帰ってくるまではウチにいろ」
「ず、ずっと…泊まり…ですか…!?」
「嫌なら構わん」


視線を戻し、ずずっとコーヒーを飲んだ二宮にむっと眉を寄せた。その言い方はやはりずるい、と。
いつもやられっぱなしでは気が済まない。大きく息を吸い込み、拳を握り締めた。

紅葉はそっと二宮に近付き、ソファの背もたれに手をついた。そしてぐっと顔を寄せ、一瞬だけ、二宮の頬に口付けた。

二宮は目を見開き、紅葉を見つめて固まる。そんな姿に少しだけ勝った気持ちになり、頬を染めてはにかんだ。


「…名前を出したら、ペナルティですから」


何も言えずに固まる二宮に、もう一度「いってきます」と告げ、紅葉は家を飛び出した。

あの二宮の表情が頭から離れない。
緩む頬が抑えられない。

泊まりに行くのに何を持っていこうかと、胸を弾ませた。

−−−−−−−−

〜おまけ〜

頬にキスをされ、いってきますと逃げるように出て行った紅葉。
扉が閉まった後も、しばらくぽかんとそちらを見つめた。


「………これは、いつまでも油断してられねぇな」


熱くなった顔を隠すように口元に手を当てた。

とりあえず、本部で会ったらどうにか出水の名前を呼ばせて仕返しをしたい。頬ではなく、唇に。

その作戦でも練ろうかと思ったが、ふいに襲ってきた睡魔に大きな欠伸が出る。
紅葉のせいで一睡も出来なかったのは事実だ。紅葉がいなくなり、緊張が解けたのか一気に眠気が押し寄せてきた。


「…俺も緊張してたのか」


苦笑気味に呟き、腕を組んで目を閉じた。

今日は3限からだ。だから少し寝てから大学へ行こう。
そして、終わったら本部で紅葉の特訓をして、またここに連れ込む。少し早めに切り上げて夕飯を食べに行っても良い。

もれなく犬飼たちがついてくる気がするが、まあそれも良いだろう。どうせ夜はまた2人きりになれるのだから。

紅葉の双子の兄が遠征から帰ってくるまで、邪魔が入らないうちに思う存分に紅葉を構う。

小さく微笑み、二宮はそのまま眠りに落ちた。


休みの日はどこへ出かけようかと、思いを馳せながら。




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