恋はしない


教科のテストが終わったその帰り。出水は紅葉に先ほどの続き、とでも言いたげに突っ掛かりに行ったが、覇気のない姿に目を丸くした。テスト前とはまるで別人だ。
米屋が自分もその気持ちは分かると声をかけたが、聞こえていないかのように荷物を纏め立ち上がり、何も言わずに教室を出て行ってしまった。
尋常ではないくらいに落ち込む紅葉に、出水も声をかけられず、見送ることしか出来なかった。

◇◆◇

最初のテストでの動揺がなくならず、残りの2教科もボロボロだった。問題を解かなければと思うのに、思い浮かぶのは二宮のことばかりで。


「今日の3教科は負けたな…」


明日の残り2教科に力を入れても、二宮との賭けは負けが確定している。


「……でも、1教科も公平に勝ったことないんだし……折角教えてもらったんだし……明日、もう1回頑張ろう」


二宮に教えてもらって0勝というのは気が引ける。だからせめて残りの2教科は勝とうと拳を握り締めた。


「…気持ちを切り替えろ!やってやる!」


1人明日のテストに意気込み、紅葉は家へと帰った。

◇◆◇

そして翌日、いつも通りに戻っていた紅葉に、出水たちは安堵の息を吐いた。今日は出水が先に家を出てしまったのだが、紅葉は何も言わず、いつも通りに挨拶をする。


「今日は大丈夫そうだな」
「…今日の2教科は絶対勝つから」
「望むところだ」


いつの間にかこちらの仲もいつも通りで。2人は真剣に机に向かった。テスト最終日だ。

◇◆◇

昨日のようにまた問題に目を通し、紅葉は問題を解き始めた。やはり難しいものはない。しかし、問題を解いていくうちに、昨日と同じように二宮のことを思い浮かべた。


( …そういえば、賭けはわたしの負けってことになるよね… )


勝つと信じてくれていた二宮だが、負けた条件は紅葉が射手をやるということだったのを思い出す。


( 射手にポジション変更、か……二宮さんも、わたしに公平と同じもの求めてるのかな…)


今までも何人にも言われてきたことだ。射手をやらないか、と。
それは出水が天才射手だからだ。だから紅葉も同じだろうと薦められる。
双子なんだから、出水と同じように出来るだろう、と。


( …なんか、やだな )


スラスラと進んでいた手を止めた。二宮は、自分を見てくれていると思った。けれどやはり、見ているのは自分を通した先にいる兄の方なのかと。しかしそれも慣れっこだった。小さく息をついて気持ちを切り替える。


( ……でも、約束だし…仕方ないか。……それに… )


紅葉は口元に手を当てた。


( また二宮さんと一緒にいられる、かな… )


射手をやるのは確かに嫌だが、どこかに喜んでいる自分がいるのも事実だ。射手にポジション変更すれば、そのことで二宮に会いに行ける。たくさん話せる。上手くいけばアドバイスも貰えるかもしれない。紅葉は口元を隠しながら小さく嬉しそうに笑った。

最早、自分が二宮のことしか考えていないのに気付いていない。二宮と一緒にいたいと思っているのに、疑問を抱いていない。
ただただ、少し楽しみだと思っている。


( と、とりあえずテストは頑張ろう。…負けたって言ったら呆れられるだろうけど……射手をやるのは、喜んでくれるのかな… )


テストへ戻りかけた思考がまた二宮へ向く。


( わたしが射手やるの楽しみって言ってたし……やっぱ喜んでくれるよね… )


紅葉は机に突っ伏した。腕に埋めた顔はうっすらと赤くて。


( やばい、射手やるの楽しみかも…!)


1番憧れて、1番嫌いだった射手がこんなにも楽しみになっている。紅葉が腕の中で小さく笑うと、小さな声が耳に入った。その声の方へ顔を向ける。


「おい…おい、紅葉」
「……なに」
「寝てんなよ」
「寝てない」
「全部解けたなら良いけどどうせまだだろ」
「うるさい、今から解くよ」
「もう時間ねぇぞ」
「なに言って…」


時計を確認して驚愕した。残りあと5分しかない。


「やば…!」
「おーおー頑張れよー」


出水の茶化す声を無視し、紅葉は問題に向かった。少し二宮のことを考えていただけだと思っていたのに、予想以上に時間は過ぎていた。これでは昨日の二の舞になってしまう。
二宮という文字書いていないか確認し、紅葉は急いで問題を解いた。

◇◆◇

結局最後まで辿り着くことは出来ず、かなり空欄が出来てしまい項垂れる。一体自分は何をしているのかと。そして最後の教科もやはり邪念が渦巻き、集中出来ずに終わってしまった。
あとは、テストを返されるのを待つだけだが、紅葉は溜息をつくことしか出来なかった。
明日、全てのテストが返ってくる。そうしたらそれを持って二宮の所へ報告に行かなければならない。

この2日間会わずにいたせいか、会えるのは嬉しいが、憂鬱なのに変わりはない。


( ……二宮さん、怒るかな… )


折角教えたのに何だこのザマは、と。期待してくれたのに、自分はその期待に答えられなかった。いつも、自分は兄のように期待には答えられない。


( ……二宮さんの期待にくらいは、答えたかったな)


悲しげに笑みを浮かべると、その頭をガシガシと撫でられた。驚いて顔を上げる。


「…公平」
「テスト終わったし、帰るぞ。それとも本部行くか?仁礼とお祝いすんだろ?」
「…今日は帰る。お祝いする気分じゃないからまた今度かな。光もたぶんそれどころじゃないだろうし」
「…そっか」
「公平は?陽介と本部行くの?」
「…おれも帰る」
「そっか」
「帰るぞ」
「うん」


2人は米屋に別れを告げ、教室を出た。しばらく無言で歩き続け、人通りがなくなったところで出水が口を開く。


「……テストの結果、二宮さんに報告しに行くのか?」
「…うん、教えてもらったしね」
「……どうだったんだよ」
「もう結果は散々だね。返ってこなくても分かるよ」
「二宮さんの教え方悪かったんだろ?あの人絶対人に物教えるとか向いてねーと思うし」
「そんなことないよ」


静かに呟いた紅葉に、出水はチラッと視線を向けた。


「教え方、凄く分かりやすかった。ポイントも押さえてたし」
「じゃあ何で散々な結果になってんだよ。今までそんなことなかったろ?」
「……最近の公平はなんでが多いね」
「……最近の紅葉が分かんねーからだよ」


二宮のことを話すときに、自分の知らない顔をしている。

何故そんな顔をしているのか。
何故二宮なのか。
何故自分を頼らないのか。
まだまだ聞きたいことはたくさんあるが、あまりしつこく全て聞くとまた喧嘩になることは目に見えている。


「…最近の、わたし…か。うん、わたし自身もよく分からないんだよね」
「は?」
「…知らない間に、自分以外のことに必死になって考えてる。嫌なことが、良いかもしれないって思えてる」
「紅葉…?」
「その理由が、分からない」
「…………」


いつも苦しそうな表情をする紅葉に気付いていた。理由は分かっていないが、数年前からそうだった。けれど、最近はそれをあまり見ていない。二宮と話し出してから、その表情が減った気がしていた。
現に今も、紅葉はどこか嬉しそうで。
こんな表情を、前にも見たことがある。そのときの紅葉は…こんなふうに、嬉しそうに笑っていた。


「………好き、なのか」
「え…?」


立ち止まった出水に、紅葉は振り返る。


「二宮さんのこと……好きになったのか」


出水の言葉にきょとんとしたあと、少し思案して答える。


「まあ、嫌いではないよ。二宮さん優しいし」
「そうじゃなくて!…恋愛対象として、好きかって聞いてんだよ」


真剣な出水の言葉に驚いた。
二宮が、好きなのかと。
しかし驚きはしたが、紅葉はそれを笑って否定する。


「ないない」
「は……?」
「……恋愛対象として好きになんて、ならないよ」
「でもお前…」
「二宮さんへの気持ちは、憧憬…かな」


紅葉が歩き出したのを追うように出水も足を進める。そしてその背中を見つめて言葉を待った。


「…夢だとか希望だとか願いだとか。そういうのが叶わない辛さは知ってる」


紅葉の表情は見えない。しかし出水は黙ってそれを聞き続ける。


「恋だって同じでしょ?叶わないことばかりだよ。…だから、もう最初からそんなこと思わないようにしてるから」
「何言ってんだよ…」
「叶わなくて辛いなら、最初から願わないのが1番ってことだよ」
「そんなの分かんねぇだろ。夢も希望も願いも恋も、叶う可能性だってある」
「………公平なら、そうなのかもね」
「紅葉…?」


今まで全て手に入れてきた出水ならば、そうなのかもしれない。
紅葉には手に入れられないものを、全て手に入れてきた天才の兄なら。


「わたしは諦めが悪いからさ、いつかなんとかなるって信じてやってることがある………でも、やっぱりダメで…。だから、そういうのがずっと叶わない辛さは分かってるんだよ」


紅葉は笑みを浮かべて振り返った。何かを諦めたような、悲しげな笑み。


「わたしはもうこれ以上、叶わないものは増やしたくない」


だから、恋なんてしないよ。

そう言った紅葉の笑みは、悲しげで儚くて。出水は思わず手を伸ばして紅葉の手を掴んだ。


「公平…?」
「………変なこと聞いて、悪かった」
「なに謝ってるの。らしくないよ」


そう言って笑った紅葉はいつも通りで。出水は内心でほっと息をつき、その手を引いて歩き出した。


「帰ろうぜ。今日の昼はコロッケだって」
「やったね。……って、手離してよ」
「……良いから帰るぞ」
「なんで手繋いだままなの、は、恥ずかしいんだけど…」
「おれだって恥ずかしいっての!」
「じゃあ離してよ!」


ぎゃーぎゃーと騒ぎながら帰るその姿を目撃した米屋は、呆れたように溜息をついた。


「……高校生の兄妹の距離感じゃねーだろ、あれ…」


手を繋ぎ、お互いに喚きながらも2人で歩いて行く。出水は手を離さず、紅葉は手を振り払わず。しっかりと握り合うその手を見て、米屋はまた溜息をついた。


「明日学校で言ってやんないとな」


色々誤解が生まれそうな2人の距離感に、米屋は困ったように笑い、本部へと向かった。


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