ペナルティ


紅葉は二宮隊の隊室前で大きく深呼吸をした。勉強を見てやると言われ、早速次の日に隊室を訪れた紅葉だが、緊張で隊室へ入れずにいる。


「や、やばい…なんで緊張してるんだろう…」


二宮隊の隊室へ訪れることは初めてではない。全員とも面識はある。
教材の入った鞄をぎゅっと握り、紅葉は再び深呼吸をした。


「おい」
「っ!!」


突然後ろから声をかけられてびくりと肩を跳ねさせた。そしてゆっくりと振り返る。


「に、二宮さん…」
「こんなとこで突っ立って何してんだ」
「…いや、心の準備を…」
「何?」
「な、なんでもありません!勉強教えてくれるんですよね!お願いします!」


何を素直に答えようとしているのかと焦り、紅葉はぺこりと二宮に頭を下げた。その頭を乱暴に撫でられる。


「行くぞ」
「は、はい!」


先に隊室へ入った二宮を追い、紅葉も隊室へと入る。そこには誰もいない。


「あれ…犬飼先輩たちはいないんですね」
「今日から丁度休みだろ」
「?」


分かっていない紅葉に、二宮は呆れた視線を向けた。


「お前は何しにここへ来た」
「…勉強を教えてもらうため」
「何で勉強を教えてもらう」
「……テスト対策………あ」


そこでようやく気付いた。今日からテスト期間だったということに。テストが近くなると、ボーダーでの任務はテストがない隊員中心となる。
つまり、今は高校生組がテスト期間のため休みになり、本部にいるのはほとんど大学生たちなのだ。


「そっか。通りで人が少ないと思った…」
「普通にランク戦してるバカもいるがな」
「…ですね。うちのクラスのばか2人もランク戦してます」


ランク戦しようと普通に話していた2人を思い浮かべ、紅葉は溜息をついた。そして思う。


「…テスト勉強もしないばかに負けられない…!」


今までテストでも兄より良い点数をとったことがない。良くて同点だ。だから今回は絶対にテストで勝ってやると意気込む紅葉に、今度は二宮が溜息ついた。


「何をしても出水に繋がるのか」
「う……」
「まあ良い。だったら出水より良い点数が取れるようにしてやるまでだ」
「二宮さん…!」


有難い言葉に顔を輝かせる。とても心強い味方だ。これならば今回は兄に勝てると希望が見えてきた。


「時間が惜しい。さっさと始めるぞ」
「はい!よろしくお願いします!」

◇◆◇

そして勉強を始めてから1時間が経過した。


「…頭は悪くないんだな」
「それは悪いと思ってたってことですか…」


教えたことをどんどん理解し吸収していく紅葉に、二宮は感心したように呟いた。しかしその言い方が気に入らずに紅葉は眉を寄せた。


「テストでも勝ったことがないと言うからどれだけバカなのかと思っていたが……普通に出来るじゃねぇか」
「っ、そ、そりゃ普通よりは出来ますよ」


二宮なりに褒めているのが分かり、紅葉は頬を薄く染めた。そして視線をそらす。


「公平は本当になんでも人並み以上には出来るんです」
「だから何でそこで出水の話が出る」
「………つい」


出水が人並み以上に出来るせいで、紅葉も人並み以上に出来るように努力した。そのお陰で平均よりは確実にレベルは高い。


「…これなら特に対策する必要もねぇだろ」
「で、でも普通じゃ公平には勝てない…!」
「………」
「……あ」


また出水の名前を出してしまったことに頭を抱えた。


「……そこまで出水の話から離れられないなら、ペナルティでも与えるか」
「え?」


呆れながら言う二宮に、紅葉は首を傾げる。


「出水に関する話が出る度にペナルティ出すかって言ってんだよ。そうすれば多少は意識して気をつけるだろ」
「……確かに」


出水の話を出したくないのは紅葉だ。二宮がその提案をしてくれたのには驚いたが、それならば、確かに話をしなくなるかも知れないと思った。


「でも、ペナルティってなんですか?わたしそんなにポイントないんであげられませんよ」
「お前のはしたポイントなんざいらねぇよ」
「ひっど…!」


唇を尖らせる紅葉に二宮は笑った。


「ペナルティとなると、紅葉が嫌がること、か。…なら出水の話が出る度に、射手をやるか」
「は!?ちょ、ちょっとペナルティのレベル高すぎませんか!?下げて下さい!」
「下げたら気を抜くだろ」
「いや、そ、そうですけど!でも流石にいきなり公平の話をしないとか自信ないんでそのペナルティは嫌です!」
「嫌なら好都合だな」
「二宮さん今すっごい悪い顔してますよ!?ていうかこんな楽しそうな二宮さん初めて見ました!」
「まあ、楽しいな」
「なにこのいじめっ子!」


眉を寄せて二宮を睨むと、にやりと笑みを浮かべた瞳と目が合った。その瞬間に、またどくりと心臓が跳ねる。紅葉は頭を振り、再び二宮をじとっと睨んだ。


「…他のでお願いします」
「じゃあ他に何か良いのがあるのか?」
「………」
「決まりだな」
「二宮さん良い人だと思ってたのに…」
「出水の話をしないように協力してやってんだ。良い人だろ」
「………」
「ほら、次の問題だ」
「…………はい」


楽しそうな二宮に、紅葉は渋々そのペナルティを受け入れた。

そして、更に数十分後。
今度は二宮の方が顔をしかめていた。


「てめぇ卑怯な手段に出やがったな」
「…………」


ペナルティが決められてから、紅葉は「はい」以外の言葉を発さなくなった。ペナルティを受けないために喋らないという作戦に出たのだ。


「それじゃ克服出来ねぇだろ」
「…………」
「普通に話して出水の話から離れなくてどうする」
「…………」
「ちっ」


不機嫌そうに舌打ちをした二宮に、紅葉は申し訳ない気持ちになっている。折角勉強を教えてもらっているのに、話さないなど。


しかし射手をやりたくない思いから口が開けない。


「………」
「こんな話さない奴に勉強教えてやっても楽しくもなんともないな」
「え……?」


紅葉は思わず声をあげた。


「わたしに勉強教えるの…楽しかったんですか…?」
「あ?……まあ、つまらなくはない」
「そ、そうだったんだ…」
「勉強というより、紅葉といるのは割と楽しいと思っているつもりだが?」
「へ!?」


突然の告白に一気に全身の体温が上がった。真っ赤になった顔で二宮に視線を向けると、また意地の悪い笑みを浮かべている。

からかわれた。

そうは思っても上がった体温は下がらない。紅葉は赤くなった頬を隠すように机へ突っ伏した。


「……性格悪…!」
「嘘は言ってねぇよ」
「性格悪い…っ!!」
「つまらなかったら一緒にいるわけねぇだろ」
「……っ」


からかわれて腹が立っているはずなのに、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、嬉しい言葉をかけられ、怒りがどこかへ消えていく。
そのことに困惑したが、二宮らしい少し乱暴な心地良い撫で方に、気持ちが落ち着いていく。紅葉は二宮に頭を撫でられるのが好きなのかと冷静になってきた頭で納得した。そして突っ伏したまま視線だけを二宮へ向ける。


「……二宮さんって、よくわたしの頭撫でますよね」
「…そうだな。見てるとなんか撫でたくなる」
「いつも撫で方が動物撫でてるみたいですよ」
「お前の髪、ふわふわしてるからな」
「そうですね、公平と同じで猫っ毛で……」


にやりと笑った二宮に、紅葉は勢いよく目をそらした。


「言ったな」
「…言ってません」
「言い逃れ出来ないくらいはっきり言ってたろ」
「…言ってません…!」
「まあ、テスト終わるまでは保留にしといてやる」
「……い、言ってないですってば!」


ばっと起き上がった必死な紅葉に、二宮は面白そうに笑みを浮かべていた。


「紅葉が射手やるの楽しみにしてるぞ」
「…っ!きょ、今日はもう帰ります!さようなら!」


急いで荷物を纏めて紅葉は隊室の扉へ向かった。
「紅葉」


しかし呼び止められて足が止まる。振り向きはしないが、無視して行くことは出来なかった。そんな紅葉の背中に、二宮は小さく笑ったまま声をかけた。


「また明日な」


その優しい声音に鼓動が激しくなる。ドキドキと高鳴る胸に困惑しながら、紅葉は何も言わずに隊室を逃げるように飛び出した。


( もうもうもうもう…!なんなのあの人は…!! )


紅葉といるのを楽しいと言った。
紅葉が射手をやるのを楽しみだと言った。
紅葉に、また明日と、会う約束をしてくれた。
自分があれだけ面倒な態度をとったというのに、二宮はあんなにも優しい声音で声をかけてくれた。

嬉しい、嬉しい、嬉しい。

嬉しさに心臓がドキドキと鼓動する。けれど、嬉しさだけではない暖かい気持ちに困惑し、紅葉は走り続けた。
二宮の言葉を思い出し、顔を赤く染めながら。


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