ありがとう、ごめんなさい、さようなら…

部屋を飛び出して廊下を走り続ける。
先ほどのことを考えないように全速力で。


「おう、出水妹じゃねーか。そんな全力で走ってどうし…」


諏訪に声をかけられたが、止まらずに走り抜ける。
出水妹。その言葉がいつもより辛かった。今は何も聞きたくなかった。


「ちょ、オイ!」
「諏訪さん嫌われてるねー」
「はあ?別に嫌われてねーだろ!」
「嫌われてるのはいつも通りだとして、出水ちゃん、何か様子がおかしかったですね…」
「オイこら」
「何かあったんでしょうか?」
「さあな。それより、俺たちは早く持ち場に行くぞ。何かでけーことが起こるみたいだしな」


先ほど指示された持ち場へ移動を始める。他の隊も移動を始めた頃だろう。正確な時間は指示されていないが、早いに越したことはないらしい。
走り続ける紅葉の背中を見送り、諏訪隊は防衛任務へ向かった。


そこからも紅葉に声をかけるものは多かった。
様々な隊が持ち場へ移動をする中、その途中で見かけた紅葉に声をかける。けれど、今は誰とも話したくなかった。誰もいない場所を求めてひたすら走る。


無我夢中で必死に走り続け、そしてついに、迅の言葉を忘れてボーダー本部屋上の扉を開けた。
冷たい風に当たりようやく冷静になり、急に力が抜けてその場にぺたんと座り込む。
はぁはぁと乱れる息を落ち着かせようと、空を仰いだ。

いつの間にか陽は落ちているが、空に広がる星のお陰で明るい。
三門市のどこよりも高いボーダー本部の屋上は、手を伸ばせば星に届きそうで、紅葉はそっと手を伸ばした。

だがどれだけ伸ばしてもその手は届かず、双子の兄の背中と重なった。そして何も掴めずにだらりと手を下ろす。


「……わたしには、届かないものばかりだね…」


顔を歪めて笑みを浮かべた。
もう、仕方のないことだ。自分がどれだけ頑張っても、届くことはない。
冷静になった頭と落ち着いた呼吸。そうすると考えてしまうのはやはり先ほどのことで。


「……なんで…あんなこと言っちゃったんだろう…」


二宮の前で感情のままに言葉を発してしまった。抑えておけばいいものを、言わなくていいことまで。構わないでくれと、放っておいてくれと、言ってしまった。そんなこと思っていないのに。
そうは思っても今更遅い。全て言ってしまったのだから。


「……醜い…な…。あれだけ嫉妬を剥き出しにして、感情のままに当たって、…ほんと…ガキだよ…」


二宮から見たら、自分はガキだ。そう言われることに不満を覚え反論していたが、やはりその通りだと思い知らされる。
ガキだとしても、出水のように天才ならば、二宮は自分を見てくれただろうか。またそんな意味のない問いが頭を巡る。
また醜い嫉妬が心の中に渦巻いた。


「…なんで…なんで双子なの…っ、年が離れた妹なら、諦めだってついたのに…!なんで…双子なんかに生まれたの…!」


意味のない問い。
変えられない事実。
全ての要因が行き場のない感情を生み出す。


「公平が全て持っていったなら…!わたしは生まれる必要なんかなかったのに…!同じ日に、生まれたのに…!わたし、だけ…っ」


視界が歪み、胸が苦しくなった。呼吸が詰まり、咳き込む。また、頭がぐらぐらと揺れている。けれど想いは止まらない。ぐっと拳を握りしめた。


「…最初から…っ、わたしなんか…生まれなければ良かったんだ…っ!」


そうすれば、周りも自分に期待することなどなかった。期待はずれとガッカリすることもなかった。

天才の、出水公平だけがいれば良かった。


「代わりにされることなんか…っ、なかったんだ…っ!!」


悲痛な叫びの直後、大きな警報の音が響く。ゲートが発生する警報だ。紅葉ははっと顔を上げ、立ち上がろうとしたが、足に力が入らずにその場に崩れ落ちる。
ぐらぐらと揺れる視界のまま身体を引きずり、なんとか三門市が見渡せる場所まで移動した。そしてその下に広がる光景に驚愕する。


「……な、に……これ…」


上から見渡す三門市には、大量のゲートが開き、たくさんの近界民が現れていた。それも、本部を中心に周りを囲むように発生している。
今までの比ではない。防衛任務に当たっている隊だけでは絶対に対処しきれない。大規模侵攻といかないまでも、それに匹敵するほどの数だった。
遠くに見える市街地方面にゲートが発生していないことに安堵するも、その理由にどくりと心臓が嫌な音を立てた。

本部を囲むように現れたゲート。
市街地へ向かわずに本部を目指してくる近界民。

再びどくりと心臓が跳ねた。汗が噴き出し、息が乱れる。苦しくなる胸を押さえた。
その後、更にゲートが発生する。

認めたくない事実と、目の前に広がる現実に身体が震えた。


「………わ、たしの……せい…?」


医務室での精密検査の結果が間違いのはずがない。二宮も言っていた。紅葉の身体から、トリオンが漏れ出していると。


「…わたし…、の…」


紅葉震える手で頭を抱えた。
呼吸が落ち着かず、どんどん乱れていく。
自分の感情が昂ったせいで大量のトリオンが漏れ出し、大量の近界民をおびき寄せてしまった。
自分のせいでこの事態を招いてしまった。

自分のせいで。自分のせいで。自分のせいで。

自分がここに

存在しているせいで。


「いやああああああああああっ!!!」


悲痛な叫びが辺りに響くと、近くにゲートが発生した。そこからイルガーが現れ、本部へ真っ直ぐに進んでくる。
しかしそれに気付く余裕はない。抑えきれなくなった感情にポロポロと涙を流した。
痛む頭も、吐きそうな気持ちも、揺れる視界も、苦しくなる胸も、何も気にならなかった。ただただ、涙を流す。

迫るイルガーに本部からの集中射撃が始まった。ギリギリの所でイルガーを撃ち落とす。
その音に、紅葉はゆっくりと顔を上げた。落ちるイルガーを見て、頭が冷静になっていくのを感じた。
震える足に鞭を打ち、ふらふらと立ち上がる。
しかし再びゲートが発生してイルガーが現れた。本部からの集中射撃はない。トリオンの充填中なのか、イルガーが迫ってくる。
紅葉はそれを見据え、大きく息を吐き出した。

自分がトリガーを上手く使えれば、きっとイルガーを撃ち落とせる。けれど、その賭けはあまりにも部が悪い。ならば、勝率が高いものを選べばいい。それだけだった。
イルガーが本部を狙わず、この大量のゲート発生を抑える方法。簡単なことだった。


「…公平だけで良いんだよ…わたしがいる必要なんか、ない…」


紅葉は1歩、足を踏み出した。


「公平がいるから、わたしが見てもらえなくて……公平がいなければとか、思ったりもした…」


また1歩。


「公平が、嫌いだった。…わたしから、全て持って行って先に生まれた公平が……嫌いだった…」


紅葉は唇を噛み締める。


「……けど、そんなこと思う自分が…っ、1番、嫌いだった…!」


1歩、また1歩と進み、溢れ続ける涙で視界が歪んだまま、紅葉は真っ直ぐに前を見据えた。


「……公平、わたしが双子で、ごめん。迷惑かけて、勝手に嫉妬して…ごめん。……本当は、大好きだった…。誰よりも1番近くにいて、いつも、傍にいてくれて…大切なお兄ちゃんで…大好き、だったよ…」


そこにはいない人物へ呟く。


「……ごめんなさい、二宮さん…」


そして、大切な相手の名前を呟いた。
先ほど当たり散らして、勝手なことばかり言って、面倒でしかない自分を、優しく見守ってくれていた。
例えそれが、双子の兄と重ねられているのだとしても、一緒にいられることが幸せだった。今更そのことに気付くなんてと思わず苦笑する。
気付かない振りをしていただけで、ちゃんと分かっていた。自分が二宮と一緒にいることに喜びを感じ、楽しみを感じ、ずっと、恋心を抱いていたことも。
一緒にいられることが、とても幸せだった。
けれど、幸せなのは自分だけだ。
二宮に自分の感情を押し付けられない。二宮が求めていたのは、非才の出来損ないではなく、天才なのだから。


「……わたしが、落ちこぼれで…ごめんなさい……わたしが…っ、公平、じゃなくて……っ、ごめん、なさい…っ!…それでも…っ…!」


だいすきでした。

泣きながら苦しそうに発せられた言葉は、冷たい風にかき消された。

再び三門市を見据える。真っ暗な中にいくつかの光が見え、こちらも星のように見えた。恐らく戦っている隊員たちのトリオンだ。
それを見ながらまた1歩、足を踏み出す。

その先に、もう道はない。


「……こっちの星なら、わたしにも…手が届くかな」


イルガーはかなり近くまで迫っている。きっと自分を狙って。だから、早くしなければ。
全てを解決するために。紅葉はキツく拳を握り締めた。


「……ありがとう。ごめんなさい」


すうっと息を吸い、紅葉は泣きながら笑みを浮かべた。


「…さようなら」


そしてそのまま目を瞑り、先のない宙へ足を踏み出した。

比べられて辛くても。
越えられなくて苦しくても。
必要とされなくて悲しくても。それでも。
双子の兄が…
仲間たちが…
手を差し伸べてくれた二宮が…


「……大好きだった」


今度はかき消されることなく、はっきりと発せられた。

これでもう、満足だ。

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