射手として


目の前にいる、初恋の相手。
その相手を見つめながら、紅葉は口をぱくぱくとさせた。そしてなんとか声を絞り出す。


「あ、あああああらしやまさん…!?」


動揺しすぎて裏返った声にも関わらず、嵐山はにかっと笑った。


「ああ!久しぶりだな!紅葉!」
「お、おひ、お久しぶりです…!」


太陽のような笑顔を向けられ、紅葉は顔を赤く染める。落ち着け落ち着けと心の中で何度も言い聞かせるが、鼓動は収まらない。
ずっと掴まれていた手を離され、ほっと息をつく。


「紅葉はこんな所で何をしているんだ?」
「…………え」


純粋な疑問を受けたわけだが、紅葉がここにいる理由は純粋などではない。
兄と彼女のデートを尾行。
そんなこと口が裂けても言えない。特にこの人には。
しかし嵐山相手に嘘もつきたくない。
紅葉が良い案はないかとぐるぐる考えていると、嵐山ははっとした。


「っと、ここにいる理由を聞くなんて野暮だったな!すまない、紅葉」
「へ…?」
「そうかそうか!紅葉が本当に好きな人を見つけてくれて俺は嬉しいぞ!」
「え!?いや、あの!ち、違います!誤解です!」


完全に紅葉のデートだと勘違いしている嵐山に、慌てて訂正をする。こてんっと首を傾げた19歳に胸がきゅんっとした。しかしときめいている場合ではない。


「で、デートなんかじゃないです!違いますから!」
「なんだ、違うのか?」
「違います!と、友達……そう友達たちと、遊びに来ているだけです!友達と!」
「そうなのか?でも、そういうことが出来る友達が出来たか!」


嬉しそうに笑う嵐山だが、紅葉の気持ちは複雑だ。どこまでも、妹のように扱いを受ける。

今も、昔も。変わらずに。
目線を落とし、拳を握った。


「……好きな人なんか、他に出来ませんよ…」


ぎゅっと強く握りしめ、小さく呟いた。


「…わたしは…!…わたしが好きなのは、今でも…っ!」


そこまで言いかけてぽんっと頭に手を乗せられる。その行為に一瞬頭を過ぎった人物に心臓が跳ねた。

何故、今、思い浮かべてしまったのか。どうしてそのことにドキドキしているのか。
落ち着くようにゆっくりと深呼吸をし、顔を上げれば、目の前にいるのは思い浮かべた人物ではない。穏やかに微笑む嵐山だ。


「…嵐山、さん…」
「紅葉、ありがとうな」


優しく頭を撫でるその暖かさに涙が出そうになる。やはり、気持ちは届かない。今までも、これからも。一生報われることはないその想いに、紅葉は再び俯いて唇を噛んだ。

そこへ、人々の悲鳴が響き渡る。
2人ははっと顔を上げてそちらに視線を向けた。

視界に捉えたのは、ここでは見るはずのない、とても見覚えのあるものだった。


「と、トリオン兵…!」
「三門市外なのに何故こんなところに…!」


バド、バムスター、モールモッドの3種類が数体出現している。恐らくここからは見えない所にもいるのだろう。紅葉と嵐山はトリガーを起動した。そして嵐山はすぐさま本部に連絡をする。


「本部!こちら嵐山。三門市外に近界民が出現した!」


その嵐山の言葉以降、紅葉は会話を聞いてる余裕はなくなり、目の前の近界民に固まる。

今、気付いてしまったのだ。
スコーピオンを出そうとして、出なかった。つまり、今は攻撃手のトリガーはセットしていない訳で。トリオン体でありながら、冷や汗をかくのを感じた。


( 射手で実戦とか初めてなんだけど…! )


しかもランク戦や模擬戦ではなく、近界民。不安だけが胸を覆い尽くす。


( この前なんか二宮さんに、それじゃバムスターも倒せねぇなとか言われたし…!モールモッドとかもっと無理でしょ…!しかもバドなんかに当たるわけない…! )


今までの特訓を考えると、数体の近界民に勝てるとは思えなかった。しかし自分はボーダーだ。戦わないわけにはいかない。
ぎゅっと拳を握ると、ぽんっと肩に手を置かれた。驚いて振り向く。


「紅葉、お前は人々の保護を頼む。安全な場所に誘導してくれ」
「で、でも…」
「大丈夫だ!ここは俺に任せておけ!」
「嵐山さん…」
「頼むぞ、紅葉!」
「……分かり、ました。ここはお願いします」
「ああ!」


頼りになる笑顔を見て小さく微笑み、紅葉は駆け出した。B級で弱い自分が出来ることをしよう。とにかくここにいる人たちを安全な場所に避難させなければと誘導を開始した。

◇◆◇

「ほんっと!ありえねーー!!」


その叫びとともにアステロイドの雨を降らせた出水。数体の近界民が貫かれる。


「おーい弾バカ、ここ警戒区域じゃねぇんだからあんま派手にやんなよ?」
「うるっせぇな!つーかなんでお前がここにいんだよ!」


吠えた出水に米屋は笑った。

ジェットコースターから降りて外に出た直後、トリオン兵が出現した。もちろん戦わないという選択肢はない。それに、彼女を危険な目には合わせたくない。
だから彼女には他の人と一緒に避難をしてもらい、自分はここで近界民たちと戦っているのだが、大切な初めてのデートを邪魔されて不機嫌にならないわけがなかった。
そしてそこへ現れた米屋と犬飼に強く当たる。


「なんでってお前のびこ…」
「米屋ーそっちにバド落ちるよー」
「うおっ!落ちるよって、今犬飼先輩が落としたんじゃないすか!あぶねー」
「ははっ、ごめんごめん。でも余計なこと言ったら怒られるよ」
「…あー、そうすね」


紅葉も来ていると言ったらどんな反応をするだろうか。この際、二宮と紅葉のデートの尾行に来たとでも言うかと一瞬考えたが、余計に面倒なことになる予感がし、すぐにその考えを消した。


「だー!くっそ!建物気にしてたらすぐになんて片付かねぇよ!」
「攻撃手みたいに一体一体相手するしかないよ。それか、俺たちは上空のバドを狙う。そっちの方が良いんじゃない?」
「…そうすね、上の奴らは全部おれに任せて下さい」


そう言ってトリオンキューブを浮かべた。視線は上空の近界民。


「メテオ…」
「やめろ」


その一言にぴたりと攻撃をやめた。そして不機嫌そうにそちらを振り向く。


「……なんで二宮さんまでこんなとこにいるんすか…」
「何でって、そんなのお前のびこ…」
「二宮さん止めてくれてよかったー!メテオラなんか使ったら建物も崩れる可能性ありますもんねー!」
「?ああ、そうだ。ここは警戒区域じゃない。メテオラは使うな」
「…………了解」


犬飼の必死のフォローで、紅葉のことに気付くことなく段々と落ち着いてきた出水。デートの邪魔をされたのは気に入らないが、少しは冷静にならなければと気持ちを切り替える。


「上空以外を槍バカに任せてたら時間かかりますよ」
「上は犬飼、出水、お前らに任せる。地上のトリオン兵は俺と米屋でやる」
「…二宮さんなら的確ですしね。了解です」
「りょーかいす」
「りょーかーい」
「行くぞ。さっさと片付ける」


3人が構えたところで、別のところからの攻撃にトリオン兵が消滅した。狙撃でバドが落ちていく。そして銃撃と斬撃。全員の視線がその人物たちへ向く。
ヒーローのように登場したのは、ヒーローのような赤い隊服が目立つ、ヒーローのような隊。


「…確かに本部に連絡しましたけど、嵐山隊到着するの早くないすか?」
「元々広報の仕事でこちらに来ていたんだ!…出水たちがいるのは…そうか、紅葉が言っていた友達は米屋たちのことか!」
「は?紅葉?なんで紅葉の名前が…」
「……はぁ、不用意な奴ら多くてフォローしきれないんだけど」
「無駄話はいい。さっさと片付けるぞ」


何やら言いたげな表情をする人物が多い中、近界民の掃討作業が始まった。
A級隊員とそれと同等の実力があるB級隊員。個々で倒し、連携して倒し、あっという間にトリオン兵を片付ける。最後のモールモッドに槍を突き刺し、米屋は息をついた。


「被害なくて良かったすね」
「だな。これでたぶん終わりだろ」
『嵐山さん!』
「ん?どうした綾辻?」


周りに敵がいなくなり全員が一息ついたところで、嵐山を通じ、全員に通信が入る。


『そこから少し離れた場所にまだトリオン反応があります』
「何?」
『数体が逃げ遅れた人たちを襲っているようです…あれ…?その近くに別の隊員がいますね?』
「別の隊員…?紅葉か!」
「は!?」


嵐山の言葉に驚いたのは出水だけだ。何故紅葉がここにいるのかと声をあげる。しかし今は誰も答える余裕はない。


『…そうですね、紅葉ちゃんのようです』
「な、なんで紅葉が…?」
「紅葉1人に複数体を任せても大丈夫だと思うが、人々を守りながらは辛いだろう。すぐに行く。場所を教えてくれ」
『了解です』


そして全員の視覚に場所が表示される。少し離れているが、紅葉が時間稼ぎをしている間には辿り着ける距離だ。


「よし、行く…」


嵐山の掛け声よりも前に、1つの影が飛び出した。普段はあまりみないスピードで向かっていくその姿に、全員がぽかんとする。


「…二宮さん、あんなに早く動けたんだな」
「…つ、つーか!二宮さんに紅葉を任せてられねぇよ!おれも行く!」


そして出水も二宮を追いかけた。


「紅葉ってば大人気すねー」
「…まあ、やばいからかもね」
「やばい?」


犬飼の台詞に全員の視線が集まる。それを受けて犬飼は苦笑した。
紅葉が攻撃手のトリガーをセットしていないことを知っているのは二宮隊だけだ。射手としてまだまともに実戦が出来ないことも。
だから二宮はあんなに急いで紅葉の元に向かったのだろう。


「紅葉ちゃん、今は慣れないトリガーだから、ちょっとやばいかもね」


そう言いながら、犬飼たちも紅葉の元に向かった。

◇◆◇

人々を後ろに庇い、目の前の複数の近界民と対峙する。嫌な汗が流れるのを感じた。


「あんの弾バカも槍バカもB級1位も何してるの…!近界民こっちに来てるんだけど…!ちゃんと仕留めてよ…!」


視線は外さずに愚痴る。嵐山は例外だとその愚痴には入れずに。


( さて…どうする…?戦える…?ここにいる人たちを守りながら、わたしは倒せるの…? )


ごくりと唾を飲み込んだ。こちらが動かないせいか、相手も様子を見ているようにすぐには攻撃して来ず、じわじわと近づいてくる。


「に、にいちゃんがまもってやるからな!おまえにはゆびいっぽんふれさせないからな!」
「ひっく、うぅ…お、おにいちゃん…」


子供の声を聞き、視線を向けた。
たくさんのカップルや家族連れ、そしてその中に、少女の手をしっかりと握りしめて守るよう立つ少年の姿が。

その姿がふと、昔の自分たちと重なった。
危機的状況にも関わらず、頬が緩む。
目が合った少年に微笑み、そしてまた真っ直ぐに近界民を見据えた。


「…今のわたしは、守られるだけじゃないんだよ」


静かに深呼吸をし、右手にトリオンキューブを浮かべる。


「いつまでも公平の後ろにいられない…。わたしは、公平を超えるって決めたんだから…!」


左手にもトリオンキューブを浮かべた。


「こんなとこで負けてちゃ、一生公平には勝てない…!」


それに、こんなとこで負けては、師匠に申し訳が立たない。自分のために時間を使い、自分のために教えてくれている二宮のためにも、近界民なんかに負けてはいられない。
紅葉はばっと襲いかかってきた近界民に狙いを定めた。


「アステロイド!」


勢いよく発射された弾は見事にモールモッドを貫く。核を真っ直ぐに。
今すぐにでも飛び跳ねて喜びたい気持ちを抑え、再びアステロイドを撃つ。複数体いる近界民に、攻撃を緩めるわけにはいかない。

しかし狙った場所へ真っ直ぐにしか飛ばないアステロイドだけでは手が足りなくなる。


( こんなとこでメテオラは使えない…爆発の調節まだ出来ないし…。ハウンドかバイパー が複数を一気に倒すのがベスト…でも… )


まだハウンドもバイパーも上手くは扱えない。探知誘導ならハウンドも出来るだろう。バイパーも設定された弾道なら扱える。出来ないことはない。


「ハウンド!」


探知誘導のお陰で複数の近界民に向かっていくハウンド。核には当たらないものの、ダメージは与えている。


「バイパー!」


そして建物が邪魔で攻撃出来なかった近界民にはバイパーで。なんとか建物に傷を付けずに消滅させる。
段々と数が減ってきた。あともう少し。あと…


「!!」


そこへ、紅葉の両側をバドが飛んで抜けた。
一瞬気を抜いた隙に行かれてしまい、動揺する。しかしもうバイパーは前に撃ち出してしまう。


「……っ!」


撃ち出した直後、脳内でイメージを変えた。
目の前の敵じゃない。自分の横をすり抜けた、後ろにいる2体のバド。人々と自分のちょうど間にいる。距離は、分かる。場所も、分かる。的確な位置は、きっと……そこだ。


「曲がれ…っ!!」


当初の弾道と違い、イメージ通りの弾道にバド2体が寸分の狂いもなく貫かれた。
人々からは悲鳴が聞こえたものの、怪我はないようだ。そのことに安心し、息をつく。
しかしその瞬間、最初狙うはずだったモールモッドが迫り、弾き飛ばされた。
腕からトリオンが漏出し、勢いのまま壁にぶつかる。そう思い目を閉じたが、壁とは違う感触に当たり、更には身体を包まれた。
驚いて目をあけると、そこには見覚えのある隊服が。そして、


「…に、二宮さん…」


二宮の姿にとてつもない安堵感に襲われる。もう大丈夫だ。これで大丈夫。
けれど、油断して攻撃されたところを助けられてしまった。醜態を晒した。ぐっと拳を握ると、身体を包んでいた手に優しく頭を撫でられる。


「…二宮、さん…?」
「よく耐えたな」
「!」
「実戦初めてのくせにやれば出来るじゃねぇか。流石は俺の弟子だ」


優しい態度と瞳と、その言葉に、大きく目を見開いた。


「あとは俺に任せておけ」


ぽんっと最後に頭を叩かれ、何も言えずにその後ろ姿を見送る。
先ほど嵐山との別れ際に聞いた台詞と同じなのに。初恋の人と同じ台詞だったのに。

とくんっと、心臓が跳ねた気がした。

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