まるで恋した乙女のように


手元にある香水を持ち上げては置き、置いては持ち上げてを繰り返す。二宮から貰った香水。これをどうしたものかと、ただただ弄る。


「……香水なんだから、つけてみなきゃ…だよね」


自分の部屋にいるのに何故か緊張してきた。香水を開けて、少しだけ……ほんの少しだけ手首につけてみた。そして、くんっと香りを嗅ぐ。
その瞬間、ドキドキと胸が鼓動し始めた。あの香りだ。車で感じた香り。二宮と同じ香り。


「〜〜〜っ」


ごんっと勢いよく机に頭を叩きつけて悶えた。ぐりぐり頭を擦り付けてから、大きく深呼吸をして何とか心臓を落ち着ける。


「な、なにしてるの…わたしは…!」


ぜぇぜぇと乱れる息に、頭を抱えた。その原因である香水を少し離れた所に置く。
しかしまたすぐにそれを手に取って弄りだす。


「……なに、やってるの…」


二宮がいないのに二宮のことを考えてばかりで、香り1つでこんなにも動揺している。


「…これじゃまるで…」


二宮を好きみたいではないか。


その言葉が頭に浮かんでブンブン頭を振った。


「ない!ないないないない!ちょっと大人の香りにくらーってしただけ!それ以外の感情なんかあるわけない!」


ばんっと机を叩いて立ち上がると、玄関を開く音が聞こえた。恐らく出水だ。ようやく帰ってきたのか、と溜息をつく。


「紅葉ー!先にお風呂入っちゃいなさーい!」
「はーい!」


下から聞こえた母親の声に答え、扉を開けた。そこでばったり出水に出くわす。


「おかえり」
「おう、ただいま」
「遅かったね」
「……まあな」


少し間があったのに疑問を抱いたが、特に気にすることなく紅葉は出水の横を通り過ぎた。
ふわっと香った香りに、出水は眉を寄せる。


「紅葉」
「なに?」
「……お前、なんか変な匂いがする」
「は!?確かにまだお風呂入ってないけどそれ酷くない!?」
「いやちげーよ!…そういう匂いじゃなくて…なんか…紅葉じゃない匂いがする…」
「わたしじゃない…匂い…?」


そこで先ほどの香水が頭を過ぎった。手首にしかつけていないが、そんなに分かるものなのかと感心する。


「公平鼻良いね」
「何かつけてんの?」
「うん、さっきちょっとだけ香水つけてみた」
「は…?」


出水は数回瞬きをして紅葉を見つめた。香水。紅葉が香水。何をいきなりませたことしてんだと言ってやりたいが、それにしては紅葉のイメージと違う香りだ。紅葉が選んだとは思えない。

まるで、誰かを連想させるような香り。そこで出水の頭に1人の人物が思い浮かんだ。


「ま、まさか…二宮さんの…とか、言わねぇよな…?」
「え!?な、なんで分かったの…?」
「はぁ!?」


紅葉は急いで口を押さえたがもう遅い。思わず言ってしまった言葉はしっかりと出水に届いていて。


「え、ちょ…おま…!に、二宮さんの香水ってどういうことだよ!?まさか…!二宮さんとそういう…!」
「ちょ…!ばか!変な想像しないでよ!あり得ないから!」
「じゃあ何で二宮さんの香水なんかつけてんだよ!」
「も、貰ったからとりあえずつけてみただけ!」
「だから何で貰ってんだよ!」
「く、くれるって言われたから!」
「意味分かんねー!」
「ううううるさいばか!」
「何吃ってんだよ!お前マジで二宮さんのこと…!」
「だから違うってば!しつこい!」
「ちょっと公平!紅葉!うるさいわよ!静かにしなさい!」


キッチンから聞こえた母親の一喝に、2人は大人しくなる。しかしお互いに睨み合ったままで。


「……お風呂入ってくる」
「……おう」


それだけ言ってお互いに離れた。出水は自室に、紅葉は浴室に向かって。

◇◆◇

湯船に浸かって紅葉は大きな溜息をついた。一体なんの言い合いをしているのだ、と。


「……公平の言う通り…なんで貰ってるんだろう」


あの香水は二宮に合っていて、自分でつけても合わないことは分かっていた。けれど、くれると言われて嬉しくなり、受け取ってしまった。香水をつけた手首を嗅いでみても、もうあの香りはしない。はぁっ、とまた大きく息を吐き出す。

最近おかしいと自分でも分かっている。あれだけ嫌だった射手を楽しんで、二宮と一緒にいることを楽しんで、今までつまらなかったものが、全て楽しくなっている。
お湯を両手で掬って、溢れたお湯が水面に落ち、飛沫を上げる。それを見つめて、二宮隊のエンブレムみたいだ、と考えたことに慌ててお湯に潜った。ぶくぶくとお湯の中でキツく目を閉じる。


( また二宮さんのことばっか考えてる…! )


違うことを考えていても、ちょっとしたことをきっかけにすぐに二宮に繋がってしまう。そのことに自分自身が1番混乱している。


( これじゃ公平になんでなんでって言われても仕方ないじゃん… )


自分自身へ何故と問いかけたいくらいなのだから。何故、どうして、あのとき……


( っ! )


どくんっと跳ねた心臓に、紅葉は慌ててお湯から顔を出した。はぁはぁと息を整える。


「…意味…分かんない…」


口付けられたことを思い出してしまい、唇に手を当て頬を染めた。それを逆上せたと自分に言い聞かせ湯船から上がる。


「……やっぱり、変だよ。あの香水は返そう、うん」


そう決意して浴室を出た。

◇◆◇

翌日、学校で特に出水と会話もすることなく、紅葉は二宮隊の隊室にやってきた。今日も急いで来たせいか、二宮以外はいない。


「…お疲れさまです」
「いつも早いな。そんなに楽しみか?」


にやりと笑った二宮に、一瞬動揺するも、なんとか落ち着けて紅葉は香水を二宮の前に置いた。


「なんだ?」
「こ、これ…返します」
「いらねぇのか」
「…良い香り…でしたけど、わたしには合わないですから」
「………」


二宮は無言でそれを受け取った。そしてどこからか出した袋を紅葉に差し出す。


「?」
「俺も、お前にこの香りは合わないと思ったからな」


自分でそう言ったはずなのに、何故か胸が痛んだ。やはり、自分には合わなかったのか、と。しょぼんっと顔を伏せると、また目の前に袋を差し出される。よく見ると可愛らしい袋だ。二宮に似合わないその袋に首を傾げた。


「やる」
「え…?」
「早く受け取れ」
「あ、は、はい…」


眉を寄せた二宮に焦り、紅葉はその袋を受け取る。そのままきょとんとしていると、さっさと開けろとまた不機嫌そうに言われ、言われるままに袋を開けた。
中に入っていたのは、可愛らしい瓶だ。余計に訳が分からずに首を傾げる。


「あの香水はお前に合わないと思ったからな。好きでつけてるなら別に良いが、いらないならちょうど良い」
「ちょうど良い?」
「そっちの方がお前に合うだろ」


その一言で、ようやくこれが香水なのだと分かった。しかしそれでも頭は混乱する。


「え、な、なん、で…」


どうして態々そんなことをしてくれるのか。聞きたいことはたくさんあったが、全て言葉に出来ずに二宮に視線を向ける。


「俺は紅葉の香りの方が好きだからな。だからどうせならお前に合ったものの方が良いと思っただけだ」
「っ!!」


ぶわっと顔に熱が集まった。
淡々と言われたが、言葉はとんでもないことを言われている気がして。心臓がどくどくと早鐘を打つ。苦しいのに嬉しくて、逃げ出したいのに一緒にいたくて、紅葉は香水をぎゅっと胸に抱いた。


「いらないなら別につけなければ良いだけだしな」
「……い、え…」
「?」
「………ありがとう…ござい…ま、す…」


真っ赤な顔を伏せて小さく呟く紅葉に、二宮は優しく笑った。


「お前が気に入るかは知らねぇぞ」
「………二宮さんがくれたのに、気に入らないはず、ない…うれしい、です…」


思わず漏れた本音に気付かないくらい心は浮かれていて。紅葉は頬を染めて嬉しそうに笑っていた。
その言葉と表情に二宮は目を丸くした。そしてふいっと顔をそらす。頬杖を付きそっぽを向きながらも、視線はちらりと紅葉に向く。そしてまた視線を逸らした。


「……くそ…」


小さく呟かれた言葉は、浮かれた紅葉には届いていない。予想以上に喜んでいる紅葉に、二宮は落ち着くように小さく息をついた。

うっすらと、頬を赤く染めて。

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