惹かれる香り


時計をじっと見つめ、秒針を追いかける。

5…4…3…2…1…


( 0…! )


心の中のカウントと共に授業終了のチャイムが鳴った。それと同時に教科書を片付け、鞄に入れる。ぱっぱと帰る支度をしてまだ終わりの挨拶をしていないにも関わらず、紅葉は席を立ち上がった。


「じゃ、わたしは本部行くから」
「いやいやまだ挨拶してねぇしHRもやってねーよ?」
「本部から招集ってことでよろしく。じゃあね」
「お、おい紅葉!」


米屋と出水に止められても紅葉は振り向くことなく教室を出て行ってしまった。どこか嬉しそうな顔をして。


「……なんだよ、あいつ…」


それを眉を寄せて見送る出水に、米屋は面白そうににやりと笑っていた。

そしてHRの終わった放課後。出水は紅葉のことを考えながら帰る支度をしていた。


「よお弾バカ、今日本部行くか?」
「…ああ、紅葉にも話聞かなきゃいけねーし…」
「おい出水ー、彼女が来てるぞー」
「ちょ、ちょっと…!」


クラスの男子の声に慌てる女子の声。出水はぱっと視線を教室の入り口に向けた。そしてすぐに鞄を持って立ち上がる。


「悪い、やっぱ今日はやめとく」
「彼女送ってくのか?」
「…おう。あんま一緒にいられねーし、たまには彼氏らしいことしねーとな」
「きゃー、弾バカくんかっこいー」
「うるせーやめろ。てか、おれが一緒にいたいだけだし…」
「リア充め惚気やがって…」
「だったらお前も良い子見つけろよ。じゃあな」


そう言って足早に彼女の元へ向かう出水の背中を見送った。2人は顔を合わせると嬉しそうに微笑み合う。そして教室を出て行ってしまった。
それを最後まで見送った米屋は、うんうんっと頷く。


「こりゃあの双子もようやく兄離れ妹離れするときが来たかな」
「何をにやにやしているんだ」
「おー秀次、いやー、いよいよ出水兄妹も双子離れするときが来たんだなーって思ってよ」
「あいつらが双子離れ…?」
「そー。弾バカは最近出来た彼女にメロメロだし、紅葉は最近何か夢中になるものがあるみたいだしな」
「…確かに、最近の紅葉は前と違うな」
「だろ?何か楽しそうだよな。一体何に夢中になってるんだかねー?」
「……というか、出水に彼女がいたのか」
「は?知らなかったのかよ?」
「ああ」
「秀次のクラスの子だぜ?しかも結構最近付き合い始めたばっかで有名………って、あ、そう言えば紅葉も知らないかも…」


米屋は苦笑して頬をかいた。割と知れ渡っていることなので何も言わなかったが、あの様子からして気付いていない。出水に彼女が出来たことを言うべきか言わざるべきか。言えばまた双子の距離がおかしいことになると確信出来る。


「……ま、そのうち気付くか」


出水の変化も、紅葉の変化も、友達の米屋が分かるのだ。双子の2人が分からないはずはないかと、米屋は三輪と共に本部へ向かった。

◇◆◇

「お疲れ様さまです!」
「…随分と早いな」


勢いよく二宮隊の隊室に入ると、出迎えたのは呆れた顔をする二宮だけだった。


「ちゃんと授業受けてきたのか?」
「当然です」
「赤点の補習あるだろ」
「補習は今週末……じゃなくて!そんなことより早く訓練しましょう!」
「あれだけ射手を嫌がっていた奴の台詞とは思えないな」
「い、いやだって…!…きょ、今日はメテオラ教えてくれるんですよね!早く使いたいですから!」
「…弾バカ兄妹が」


二宮は呆れたように溜息をついた。そんな二宮を恐る恐る伺う。


「…早くトリオン体になれ。行くぞ」
「…!は、はい!」


先に訓練室へ歩き出した二宮を追うように、紅葉はトリガーを起動して後を追った。

◇◆◇

訓練終了後、紅葉は換装を解いて大きく伸びをした。


「アステロイド、バイパー、メテオラ……あとはハウンドと合成弾ですね!」
「まだアステロイドしかまともに出来ねぇのに教える訳ねぇだろ」
「バイパーの弾道引くのは二宮さんだって出来ないじゃないですか!」
「出来ないじゃなくてやらねぇんだよ」
「…………」
「いい度胸だな、紅葉」
「な、なにも言ってないですけど…。トリオンコントロールも段々分かってきましたから、ハウンドの視線誘導だって大丈夫ですよ!」
「分かってきただけでまだまだ下手くそだろ」
「…そ、そりゃ二宮さんから見たらそうかもですけど…」


不満そうに眉を寄せてぶつぶつ言う紅葉に、二宮は小さく笑って紅葉の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。相変わらず二宮が触れてくることに一々驚いてしまい、身体が強張る。


「い、いきなりなんですか…!」
「いや」
「………」
「…今日はやり過ぎたか」
「……あ、本当だ。もうこんな時間だったんですね」
「送ってやる。行くぞ」
「………え?」


隊室を出ようとする二宮の背中を見つめて紅葉はパチパチと数回瞬きした。


「何してんだ、早くしろ」
「え、いや…別に良いですよ、1人で帰れますから…」
「こんな時間にガキ1人で帰せるわけねぇだろ」
「は!?ガキじゃないですけど!」
「充分ガキだろ」
「ガキじゃないですってば!」
「うるせぇ。いいからさっさとしろ」


隊室を出て行ってしまった二宮をじとりと睨んでいたが、諦めたように息をついた。言い方は悪いが送ってくれるというのは二宮の厚意だ。本気で断る理由もない。ならばその厚意に甘えようと紅葉は後を追って隊室を出た。


そしてやってきたのは本部地下の駐車場。車などもちろん持っていないため、駐車場に来るのは初めてだ。広い駐車場にはまだ何台かの車やバイクが止まっている。きょろきょろとしていると、二宮は高そうな車の前で止まった。ボタンを押してロックを解除する。


「乗れ」


高そうで綺麗な車と二宮はとても合っている。一瞬見惚れかけたが、二宮が車に乗り込むのを見て我に返り、紅葉は頭を振ってドアを開けた。

瞬間、ふわっと香ったのは独特な車の香りと、


( …二宮さんの香りだ…! )


それだけで妙に緊張する。更に心臓もドキドキと早鐘を打ち始めた。ドアを開けたまま乗らずに固まっていると、二宮が紅葉に視線を向けた。


「何をボサッとしてんだ。早く乗れ」
「あ、は、はい…!」


促されて車に乗り込む。ドアを閉めると二宮の香りに包まれているようで余計に落ち着かなくなった。


( や、やばい…なんで緊張してるの… )


ドキドキと早くなる鼓動は治まることを知らず、紅葉はシートベルトを握る振りをして胸を押さえた。


「家はどっちだ」
「……え、あ、えと、み、三門小の方です」
「お前の家知らねぇからちゃんと道案内しろよ」
「は、はい…」


走り出した車に紅葉は緊張しながらも真っ直ぐに前を見た。自分の家までの道順をちゃんと二宮に伝えなければと。しかし香ってくる香りがその思考を邪魔する。


( …良い香りだなぁ… )


落ち着く香りなのに鼓動は落ち着かない。紅葉は目を閉じた。


( …車と、二宮さんと、…あとは香水…かな…?香水が良い香りだなんて初めて思った… )


自分が知ってる香水は、女子が身につける不快になる強い香りばかりだった。けれど今香ってくるのはとても良い香りだと感じる。


( …二宮さん、香水つけてたんだ…最近結構一緒にいるのに知らなかった…。トリオン体のときが多いからかな… )


ドキドキから、とくん、とくんっと温かく脈打ち始めた。心地良い鼓動に頬が緩むと、ぱしんっと頭を軽く叩かれてはっと目を開ける。


「何寝てんだ。道案内しろって言ってんだろ」
「あ、ご、ごめんなさい……てか寝てないですけどね!」
「じゃあ考え事か」
「…まあ」
「また出水か」
「違いますよ!……ただ、良い香りだな、って」
「香り?」


余計なことを言ってしまったと、眉を寄せて口を引き結ぶ。しかし先を促すような視線を隣から感じる。


「…ちゃんと前見て運転して下さい」
「だったら黙ってんじゃねぇよ」


つまりこの話題は続くのかと内心で溜息をついた。


「…二宮さん、香水つけてたんですね」
「まあな」
「…それ、が…い、良い香りだな…って…」
「こういう香りが好きなのか?」
「い、いや別に好きってわけじゃ…」


ただ、二宮に合っていると思っただけだ。


「…に、二宮さんこそ、この香りが好きなんですか?」
「好きでもねぇもんつける訳ねぇだろ」
「…そうですね」


相変わらず言い方に棘があると思いながらも返事をした。


「気に入ったならやるよ」
「え…?」


思わぬ言葉に二宮に視線を向けた。前を向いて運転をしているため、二宮と視線は合わないが、横顔をじっと見つめる。


「そこに入ってるから欲しけりゃやるよ」


二宮が指差したダッシュボードを遠慮気味に開けると、そこには確かに香水が入っていた。ゆっくりとそれを手に取る。


「でも、これ男性用ですよね?」
「別に男物を女がつけちゃいけない決まりなんかないだろ」
「そ、そうですけど…」
「男物を好んでつける女も最近は多いみたいだしな」
「そうなんですか?」
「ああ」


確かにこの香りは良いと思っている。キツすぎず鼻をくすぐる良い香り。今まで香水などつけたことはないが、これならばつけてみたいと思えるものだ。


「………貰って、良いんですか…?」
「俺はまだ持ってるからな」
「……ありがとう、ございます…」


嬉しさに胸が踊り、声に出して喜びたいが、それを隠すように香水をぎゅっと握り締める。しかし頬が緩むのは無意識で、横目で紅葉の表情を見た二宮は小さく笑った。


「…ちゃんと可愛いとこもあるじゃねぇか」
「あ、次の信号を左です」
「ああ」


ぼそりと呟かれた言葉は、二宮が窓を開けたことによりかき消された。元々伝えるつもりもない。


「二宮さん、明日も指導お願いしますね」
「へばるなよ」


貰った香水を大切そうに持ちながら紅葉は二宮と約束をする。

明日の約束。
それだけでまた気分が高揚した。しかしもうすぐ自宅に着いてしまう。それを少し残念に思いながらも、紅葉は明日の訓練が楽しみだと、小さく微笑んだ。

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