分からないことだらけ
ふわふわしていた。
あれから。ずっと。
「…ぃ……」
あれから、どうしたか覚えていない。
「……ぉ………ぃ…」
何故そうなったのかも分からない。
「…い……お…い…!」
ただ覚えているのは。
『紅葉が俺を好きだということか』
「ち、違う!!」
「うお!…び、びっくりした…」
「……公平…?」
気付くとすでに放課後。出水、米屋、三輪、仁礼が不思議そうに紅葉を見つめていた。
「………なに」
「いやなにって……呼びかけても全然反応ねぇから心配してたんだよ」
「……呼んでたんだ、気づかなかった。……ていうか、わたし学校にいたんだ」
「え、そこから?」
「大丈夫か?紅葉ー」
「登校してきてからずっと上の空だったな」
「…こいつ、昨日帰ってきてからずっとだよ」
出水の言葉に当人である紅葉が首を傾げた。
「昨日帰ってきてから一言も話さねーし、ずっとボケーっとしてるし」
「…そうだっけ」
「なんだよ紅葉、お前そんなにテストの点数悪かったのか?」
「アタシは今回赤点はなかったぞ!紅葉まさか赤点か!」
ケラケラと笑う米屋と仁礼に、いつもなら突っかかるところだが、紅葉はまた上の空で。4人は顔を見合わせた。
「お、おい…マジでどうした?」
「熱でもあるのか?」
「変なもの食ったのか?」
「お前ら人の妹に対して失礼だな!」
「だって違和感ありすぎるだろ?紅葉らしくないぞ!」
「いつもと違うのは明らかだな」
「ほんと。恋する乙女みたいになっちまってさー」
「……!………二宮さんと、なんかあったのかよ」
出水の一言に、昨日のことが思い起こされた。
二宮に会って、思っていたことを素直に話してしまい、好きなのかと言われ、そして…
「…っ!!」
そこまで考えて紅葉はガタリと立ち上がった。
「紅葉…!まさか本当に何かされ…」
「ない!なんにもない!」
「けどお前!」
「なにもないってば!」
心臓がばくばくと痛いくらいに鼓動する。顔に熱が集まる。目の奥が、熱くなる。
「……なん、で…!」
二宮は紅葉に口付けたのか。
あのときの二宮はとても優しい表情をしていた。愛しいものを見ているような瞳だった。そんなのを1度も、見たことがなかった。けれどそんなはずないと否定する。
二宮が自分を好きになるはずないと。自分も二宮を好きではないと。
( …キス、初めてだったのに…!逃げられなかった…! )
二宮の顔が近付いてきたときに拒絶出来なかった。受け入れてしまった。嫌ではなかった。
むしろ、心が喜んでいた。
「…からかうにも度が過ぎてる…!」
喜んでしまった事実を否定するため、紅葉はバンっと机を叩いた。
「なんか…段々腹が立ってきた!わたしは違うって言ったんだよ!なのに勝手に勘違いして、勝手に……勝手に…!…ちょっと行ってくる!」
「お、おい!どこ行くんだよ!」
さっさと荷物を纏めて出口に向かう紅葉に、出水は慌てて声をかける。その声に紅葉は不機嫌そうに振り向いた。
「二宮さんのとこ!」
◇◆◇
そして学校を出てきた紅葉は、そのまま本部へ向かい、二宮隊の隊室を訪れた。今度は扉の前で立ち止まることなく、無遠慮に入る。
「………まさか来るとは思わなかったな」
隊室にいた二宮は少し驚いてそう呟いた。その言葉に二宮隊の3人は首を傾げる。文句を言いに来た紅葉だが、二宮の顔を見た瞬間に言いたいことが変わってしまった。
何故、キスをしたのか。
そのことだけが頭を埋め尽くす。
何故、どうして。キスをする理由なんかなかった。キスをする仲でもない。どうしてあんなことをしたのか。
「紅葉?」
二宮の呼びかけにはっとした。聞いて、どうする。からかっているのが分かっているのだ。それ以上聞く必要はない。これ以上、自分が傷付くかもしれない二宮の本音を聞きたくない。
「…誤解を解こうと思って、来ました」
嘘ではない。そのためにも来たのだから。
「誤解?」
「わたしが二宮さんのことを……」
そこまで言って言葉を止めた。二宮だけでなく、犬飼たち3人の視線も紅葉に集まっているのだ。流石にここで好きだの何だのと口に出来ない。自然と目がいってしまった二宮の唇に、身体が熱くなって慌てて頭を振った。そしてまた睨むように視線を向ける。先を言えずに眉を寄せた紅葉に、二宮は口角を上げた。恐らく紅葉が何を言いたいのか分かったのだろう。
「……そういえば、射手ポジション変更するって話だったな」
「ぐ……」
「そのために来たのか。殊勝な心がけだ」
「ちっが…!」
「まさか、賭けに負けたからなかったことにしようだなんて、ヘタレたこと言わねぇだろ?紅葉?」
「ヘタレ…!?い、言いませんよ!負けたのは事実ですから潔く射手になってやりますよ!」
威嚇するように睨む紅葉と、楽しげに悪い笑みを浮かべる二宮。二宮隊の3人は訳が分からずにぽかんとする。
「……え、出水ちゃん射手やるの?出水ちゃんが?出水ちゃんが?兄貴と同じように?」
「………」
「攻撃手やめちゃうの?」
「……まあ」
「ちょ、俺は無視してひゃみちゃんに答えるとか」
「ちょっと犬飼先輩の言い方にムカついたので。それに、別に公平は関係……ない、です」
「あれだけ攻撃手にこだわってたのに随分あっさりだねー?」
「………賭けに負けたから」
「賭け?」
繰り返した犬飼に、紅葉は顔をしかめたままだ。すると、それを見ていた二宮がふっと笑った。
「俺との賭けに負けた紅葉は今日から射手だ。だが、まだ他には言わないようにしろ」
「出水ちゃんが射手をやるってことをですか?」
「ああ。俺が鍛えて見れるようになったら公開するつもりだ」
「え……」
立ち上がって二宮隊の訓練室へ向かう二宮に、紅葉はきょとんとその背中を見つめた。
「…鍛える…?わたしのこと……わ、わたしのこと、指導してくれるんですか?」
「あ?当たり前だろ」
何言ってんだ、とでも言いたげな表情に確かな喜びを感じ、胸が踊る。また、二宮と一緒にいられる。話せる。からかわれているとしても、一緒にいるのが楽しいのに変わりはない。
射手をやれば話す口実ができ、あわよくばアドバイスを貰えるかもしれないと思っていたが、まさか指導してもらえるとは思っていなかったせいか、喜びは大きい。
「射手にポジション変更しろって言っといて、そのまま放置するわけねぇだろ」
「……そ、そっか…」
「まあ、まさか本当に負けて射手をやるとは思わなかったが、嬉しい誤算だな」
にやりと見つめられ、紅葉はバッと視線をそらす。嬉しい誤算はこっちだなどと、口が裂けても言えない。
「……め、面倒じゃないんですか…わたしに…指導するなんて…」
「だから言ってんだろ。紅葉が射手やるの楽しみだって」
「…なにが楽しみなのか、い、意味分からないです…」
「なら、紅葉といるのが楽しいって言った方が良かったか?」
「っ!!」
楽しそうに口角を上げる二宮に、紅葉は顔を真っ赤にする。しかし負けじと口を開いた。
「ど、どうでも良いですそんなこと!わ、わたしは、別に、射手やるの、とか、楽しみじゃ、ないし…!」
「ほう?」
二宮は笑みを浮かべたまま紅葉に近付く。昨日のこともあってか、紅葉は警戒して構えるが、逃げ出せない。
「射手が楽しみでないなら…」
そんな紅葉の前で立ち止まった二宮は、また流れるような動作で紅葉の顎を持ち上げた。しっかりと視線を合わせる。
「一体、何を楽しみに来たんだ?」
にやりと笑った二宮に、全身の体温が上昇した。一気に顔に熱が集まる。
昨日のことが、二宮とのキスが思い起こされる。
「なあ、紅葉?」
意地の悪い笑みを浮かべ、顔を近付けてくる二宮に、また目の奥が熱くなった。そして紅葉はゆっくりと目を閉じそうになり、はっとして慌てて手を振り払い、離れた。
心臓が全身に響くようにどくどくと鼓動し、勝手に息が乱れる。顔の熱が引かずに、口をパクパクしたまま見つめることしか出来ない。ただただ、泣きそうになる。
( なんでなんでなんで…! )
二宮の行動の意味も、自分が目を閉じようとした理由も、今泣きそうなことも、分からないことだらけで頭がグルグルする。何も冷静に考えられない。
頬を染めて、ただ見つめることしか出来ない。
「そんな顔して、何が楽しみじゃないだ。さっさと行くぞ」
二宮はふっと笑うと踵を返して再び訓練室へ足を進めた。
「…………」
二宮が離れたことにより、段々心臓が落ち着いてきた。手の甲を額に当て、上を向く。泣きそうになった理由は分からないが、泣かなくて良かったと小さく息をついた。
そして顔を前に戻してちらりと視界に入ったもの。
犬飼、辻、氷見が、ぽかんと紅葉を見つめている姿だった。
「…っ!!」
今までの流れを全て見られていたことに気が付き、紅葉は慌てて二宮を追った。
( 二宮隊の隊室だって忘れてた…!あの人ばかじゃないの…!なにやってんのなにやってんの…!! )
頬を染めたまま二宮を追い、訓練室の前でその背中を見つけた。
「二宮さん!!」
何であんなことをするのか、と。それは聞きたくないと心が否定するが、何てことをしてくれるんだ、と。そう文句を言わなければ気が済まない。
楽しげに振り返った二宮に、紅葉は不満と嬉しさが混じったような表情で走り寄って行った。
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