耳打ちをする

こんなことになるとは思っていなかった。迂闊な自分に嫌気がさす。


「…ごめんなさい」
「謝られても許せる状況じゃないな」
「…はい」


狭い空間に身を寄せて隠れているせいで、充先輩の不機嫌そうな声音が嫌でも分かってしまう。そう、ここは本来人が入るべき場所ではない。ある一室の棚の中だ。背の高い充先輩が一緒のせいでとても窮屈で仕方がない。


「まさかこんな危ない真似をするとはさすがに思わなかったよ」
「だって…反政府組織を捕まえれば女の私でも特高に入れるんじゃないかと思って…」
「特高に入る前にお陀仏じゃ話にならないぞ」
「…深く反省してます」
「反政府だけに?」
「………私いまこれ以上ないくらい真面目に謝ってたんですけど」


じとっと充先輩を見れば、そこにはにやにやとしたいつも通りの先輩がいた。怒っていないわけじゃないだろうけど、勝手に反政府の疑いがある屋敷に忍び込んだ私を助けに来てくれて、更に安心させてるようにいつも通りに振舞ってくれる。どこまでも優しい人だ。


「ま、見つからなかっただけでも奇跡だな」
「よく尾行の練習とかしてるので」
「まったく…。けど俺が来なかったら危なかっただろ」
「…たぶん今頃あの世です」
「だろうな」


私が口を開こうとすると、すっと口元に指を当てられる。静かにしろとの合図だ。私は無言で頷いて耳を澄ませた。数人の足音が聞こえ、反政府の疑いがある人物の声も聞こえてきた。内容はやはり予想通りのもので。疑いではなく確信になった瞬間だった。


「お手柄だな」
「やりました…!これで私も特高に…」
「それはない」
「な、何でですか!特例で入れるかもしれないじゃないですか!」
「絶対に有り得ないが、もしそんなことになったら俺も直也も全力でやめさせるからそのつもりでな」
「だから何でですか!」
「ばっか、声がでかい」
「…!」


充先輩は思わず声が大きくなった私の口を押さえる。その近さと温もりと香りとでまた声が出そうだった。考えてみればこの状況とんでもなく恥ずかしすぎる…!


「……行ったか」
「……」


まだ口を押さえられているので無言でこくこくと頷く。するとようやく充先輩の手が離れた。ちょっと名残惜しくなったのは気のせいだ。


「特高になる夢が…」
「あのなぁ、女がそんな夢持つなよ」
「特高様がかっこいいのが悪いんですよ。憧れです。だから私もそんな風になりたくて…」
「危険を顧みず無謀に忍び込んだわけか」
「……だ、だって、特高になれるならそれ以上の喜びはないですし、それに…特高様に褒めて頂けたら最高の名誉じゃないですか」
「勝手な行動したってだけで褒められることはないだろうな」
「…じょ、情報提供だけなら忍び込んだことはバレな…」
「そもそも反政府の疑いがある連中の情報を特高に伝えるのは義務だ。褒美なんかあるわけないだろ」


確かによく考えてみればそうだった。それなのにどうして私はこんなことをしているのか。本当に無計画で無鉄砲で自分が嫌になってしまう。ただ、特高になって世の中をよくしていきたかっただけなのに。



「特高様からご褒美どころか…お褒めの言葉もなし…」


落ち込んだ私に、当たり前だろと呆れたように溜息をつかれた。しかしふと、充先輩は何か面白いことを思い付いたとでも言うような口角を上げる。こういうときは大概ロクなことを考えていない。


「そんなに褒めてほしいんなら、俺からご褒美やるよ」
「ご褒美、ですか」
「何で少し嫌そうなんだよ。俺もお前の憧れる特高だぞ」


特高でなくても貴方に憧れていますよ。そう言えたらどれだけ楽か。特高になれたら想いを伝えようかと思っていたけれど、それはきっと一生出来ないのだろう。想い人がこんなにも近くにいるのに。


「直也先輩に褒められた方が嬉しいです…」
「安心しろ。ここを脱出したら待ってるのは直也の説教だ」
「う…」


直也先輩の説教は長い。大学時代に危ないことをして何度説教されたことか……両手じゃきっと足りない。


「そういうわけで俺からのご褒美で我慢しとけよ」
「……ご褒美って何ですか」
「よし、耳貸せ」


楽しそうな充先輩に素直に耳を傾ける。充先輩は内緒話をするように口に手を当て、私の耳に顔を近づけた。そして。


「好きだ」


低く囁かれ、脳が痺れるような感覚がした。耳に当たる吐息と、耳朶に触れる柔らかな感触。そして脳に直接響くような甘い声音。くらくらと目眩がするようだった。


「…っ!」


耳を押さえ、羞恥に涙が浮かんでしまった瞳で充先輩を睨みつける。耳が焼けるように熱い。その熱が身体全体にも広がっていくのが分かる。身体中が心臓になったみたいにドキドキと鼓動が響いていた。


「そんな涙目で睨んでも可愛いだけだぞ」


どこまでも余裕な台詞と態度に、先ほどの言葉の真意を疑う。嘘だとしたらこんなに反応している自分が恥ずかしい。嘘じゃなかったとしても、こんなに反応している自分がとんでもなく恥ずかしい。


「だ、って…!今…!」
「静かに。騒ぐと気付かれる」
「…!」


慌てて口を押さえた。よし良い子だな、っと笑った充先輩の足を蹴る。


「おい暴れんな。告白した相手足蹴にするなんて大した女だな」
「告白しといて子供扱いしないで下さ……っ」


告白と改めて口にしまい、再び顔が熱くなった。燃えているのではと錯覚しそうなほどに熱い。そしてそれと同じくらい、私を見つめる充先輩の瞳も熱かった。


「まあとりあえず、告白の返事聞くのはここを乗り切ってからだな」
「……そう、でした」


充先輩と触れてる場所が熱い。早くここから出たい。けど、もう少しこのままでいたい。複雑な気持ちがぐるぐると回る。


「よし、近くに人はいないな。今のうち脱出するぞ」
「…っ、は、はい」
「なんだ?顔が赤いぞ?まだ俺とここで密着していたかったのか?」


にやにやとした充先輩の表情に腹が立ち、先ほどよりも強く蹴った。照れているからではなく、怒っているから赤いのだと誤魔化すように。
その後、なんとか脱出した私を待っていたのはやはり直也先輩の説教だった。項垂れる私の側に来た充先輩は私の肩に手を置くと、あのときのように耳元に口を寄せた。


「返事。なるべく早くしてくれよ」


俺、そんなに我慢強くないからな。
そう笑った充先輩は、とても色っぽかった。返事などとっくに決まっているけれど、素直にその返事を出来るかはまた別だ。充先輩が痺れを切らす前に返事が出来たらいいな。直也先輩の説教を聞きながら、そんなことを考えていた。


end
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特高に入りたかった女の子のお話。
タッパのある充と狭い空間に2人とか絶対密着やばそう。足の間とかに座ってたりとかそういう態勢がめっちゃ良いめっちゃ好き。体格差!
あと充絶対イケボ(願望)

title:きみのとなりで


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