恋は盲目

※ちょっといやらしい表現注意
ーーーーー


「お願いします!!」


まだ朝も早い時間。厨房の方からそんな声が聞こえ、私は急いで声のした方に向かった。今の声は恐らく優さんだろう。優さんはこの黄昏ホテルに来たお客様で、榛名様と呼ばれるのはくすぐったいからやめてくれと本人が言うので私は優さんと呼んでいる親しみやすい方だ。

厨房へ着き、私は目の前の光景をぽかんと見つめる。一体どういうことだ?


「支配人さん!この通りです!」
「榛名様!?お顔を上げて下さい!?」
「そ、そうですよ!」


支配人もルリさんも大慌てだ。無理もないだろう。なんたって優さんが2人に向かって土下座をしているのだから。


「おはようございます」
「つ、塚原さん!」
「ちょっと塚原!今すぐ優さんの土下座やめさせて!」
「一生のお願いです!私死んでるかもしれないんでほんと一生のお願いです!」
「フォローしづらいこと言わないで下さい。とにかく顔上げて下さいよ、お話聞きますから」


そう言って私は優さんの両手を掴んで立ち上がらせる。土下座する人なんて初めて見た。


「それで、どうして土下座なんてしていたんですか?」
「…厨房を借りたくて」
「厨房を?それまたどうして…」
「だって!明日はバレンタインデーだよ!」
「……ああ、そうでしたっけ」


現世ではそんな時期だったかと思いを馳せる。まあ私は現世でもあまり縁のないイベントだったけど。優さんはとても真剣だった。


「こ、ここにチョコを渡したい人がいるの…!死んでるかもしれないんだから悔いは残したくなくて…例え生きてて現世に戻ったとしても全部忘れてしまう可能性の方が高いんでしょ?だからどうしても今ここで私の気持ちを伝えたいの!」
「お、おお…」


物凄い迫力で圧倒されてしまう。恋する乙女は生死の狭間にいてもいつでも全力のようだ。そして可愛い。きっと相手は阿鳥先輩だろう。ここにいて惚れる相手なんて先輩ぐらいだろうし。


「支配人、少しくらい厨房貸してあげたらどうです?」
「え、で、でもお客様だし…ルリさんも料理するのにお客様がいたらやりづらいでしょ?」
「私は別に平気よ。それに大抵は暇だしその間くらいなら良いんじゃない?」
「さすがルリさん、話の分かる人ですね」
「あんたに言われても嬉しくないわよ」
「支配人…!お願いします!」


私たち3人に見上げられ支配人はおろおろしている。もうひと押しだ。


「ついでに支配人の分のチョコも作ってあげますから。ルリさんが」
「ちょっと、何勝手に…」
「え!本当に!」
(ちょろい…)


ルリさんの手作りチョコともなれば支配人が喜ばないはずがない。お菓子で釣れるなんてちょろい大人だとほくそ笑む。


「そういうことなら良いよー!ただしお客様のいない時間帯限定でね!」
「支配人…!あ、ありがとうございます!」


深く頭を下げた優さんに、支配人は慌てて頭を上げさせつつ、るんるんと浮かれた様子で厨房を出て行った。


「良かったですね、優さん」
「うん!音子ちゃんのお陰だよ!ありがとう!」
「いえいえ」
「まったく…優さんが厨房使えるのは良かったけど、あんたのせいで私は好きでもない支配人にチョコ作らなきゃいけなくなったじゃない」
「まあまあ良いじゃないですか。余りものでも失敗作でも良いんで」
「何言ってんのよ。作るからには美味しいものにするに決まってるでしょ」
「おお、さすが料理人」
「ルリちゃん、良ければ私にお菓子作り教えてくれないかな…?」
「え?」


優さんははにかみながら頬をかく。なんだその仕草めちゃくちゃ可愛いぞ。


「実は、あまり料理得意じゃなくて…」
「それなのに手作りチョコあげるつもりだったんですか?」
「だってここには市販のチョコなんてないし…それに、き、気持ちなら込められるかなーって…」
「あなた天使ですか」
「え、え?」


年上の人をこんなにも可愛いと思うとは…。優さんから本命チョコを貰う相手が羨ましい限りだ。ルリさんは呆れたように私を見たあと優さんに向き直る。


「優さん、私でよければ構いませんよ。美味しいものが出来るように全力でサポートしますから」
「ありがとう、ルリちゃん!音子ちゃんの分も用意するから楽しみに待っててね」
「やった」


バレンタイン。なんて素晴らしい日なんだろう。ルリさんが手伝ってくれるなら確実に美味しいものが出来るだろう。それにバレンタインは気持ちだろうし、支配人や阿鳥先輩なら特に何でも喜んでくれるだろう。優さんがチョコを渡して成功するのを祈るばかりだ。


そして迎えた翌日のバレンタイン。ラッピングされた袋を抱えて深呼吸をしている優さんがバーの入り口の前にいた。何故にバー?阿鳥先輩なら食堂のはずだけど。


「優さん」
「!ね、音子ちゃんか…おはよう」
「おはようございます。こんな所で何をしてるんですか?」
「何って、もちろんバレンタインのチョコを……あ、そうだ、先に渡しておくね」


そう言って優さんは私に可愛らしい袋をくれた。一体どこでこんな可愛らしい袋を手に入れたんだろう。


「ハッピーバレンタイン、音子ちゃん」
「ありがとうございます」


チョコと可愛らしい優さんの笑顔に癒された。ルリさんも満足そうだったし、お菓子作りは上手くいったようで良かった。


「本命にはこれから渡しにいくんですか?」
「う、うん…今はちょっと心の準備中…」
「きっと大丈夫ですよ」
「そう、だといいんだけど…」
「可愛い女の子からバレンタインのチョコ貰って喜ばない男はいないと思いますよ」
「普通の人なら、そうかもね…」
「?」


普通の人…?阿鳥先輩は鈍感だけど一応普通の人に分類されるはずだ。完璧すぎて普通に分類されてないとか?それなら分かる。


「…いつまでもここにいたって仕方ないよね…!悔いのないように気持ち伝えてくる!当たって砕けてくる!」
「頑張って下さい」


ぐっと拳を握った優さんは意気込んでバーの扉を開けた。…だから何故にバー。中へ入っていく優さんをバーの外から覗くように眺める。中にいるのは瑪瑙さんと大外さんだけだ。


「……………………え」


瑪瑙さんと…大外さん……だけ…?私の心配をよそに優さんの足は真っ直ぐに大外さんに向かっている。うわマジか。


「あら優ちゃん」
「やあ、こんにちは、榛名さん」
「こ、こんにちは…!」


声を上擦らせた優さんに微笑む瑪瑙さんと大外さん。途端に頬を赤らめる優さん。マジか。マジか。


「あの…っ!」
「ん?どうかしたのかい?」


首を傾げた大外さんとは違い、瑪瑙さんは何かを察したようにバーの奥へと入っていく。ということはやっぱり私の予感は的中したようだ。


「お、大外さん…!か、彼女はいるとお聞きしたんですが、そ、その、こ、これ…っ、受け取って下さい…!」


勢いよく頭を下げて優さんがチョコを差し出した相手は阿鳥先輩ではなく、よりにもよってあの大外さんだった。予想はしていたけど実際目にするとやはり有り得ない光景だ。


「……僕に?」
「は、はい…!」
「榛名さんは僕がどんな人物か知っていたはずだけど」
「犯罪者ってことですか?」
「そう。しかも女性を犯して暴行して殺す女性の敵だよ」
「そこは特に気にしていません!」


さすがの大外さんもその発言には驚いたようで瞬きを繰り返している。


「だって私は大外さんが襲う女性とは正反対の美人じゃなくてちびで寸胴で…胸も小さい…です…から…」


自分で言って傷付いている。なんて可愛い人だ。相手が大外さんじゃなければ全力で応援する所なのに…。


「肩書きも普通の女子大生ですし……だ、だから、彼女になりたいとか好きになってもらいたいとかではなく、ただ、私の気持ちを伝えたくて…!」
「…君の気持ち?」


優さんは顔を真っ赤にして大外さんを真っ直ぐに見つめる。


「す、好きです!大外さん!」
「……」
「な、何が好きとか聞かれると困るんですけど、ここでたくさんお話しているうちに、その好きになってしまって…!」


そういえば優さんは大外さんが犯罪者と知ってからもよくここで一緒にいた気がする。私が休憩にバーに来るといつも2人でいた。ただバーが落ち着くからいるのだと思っていたけど、目的は大外さん本人だったってわけか。解せない。


「だから、お返事とかいらなくて、私のただの自己満なので受け取ってもらえるだけでいいんです…!」
「……」
「や、やっぱり、手作りチョコとか嫌…ですか…?」
「やっぱり?」
「あ、いえ…なんとなく手作りチョコとか嫌いそうなイメージがあって…」
「まあ、よく知りもしない相手から手作りとか渡されても食べないね」
「ですよね…」


あの野郎言葉を選べ。見るからに落ち込んでいる優さんを見て扉を掴む手にギリギリと力が入る。


「で、でもルリちゃんに教わって作ったので味の保証はしますよ!絶対美味しい…はずです! …たぶん…恐らく…」
「そこは自信を持って言ってほしいな」


大外さんは苦笑しながら優さんの差し出す袋を手に取った。優さんからのバレンタインチョコを受け取ったのだ。意外だ。


「え……」
「榛名さんの気持ち、有り難く受け取っておくよ」
「…!」
「それから誤解のないように言っておくと、確かに君は僕の好みとはかけ離れているけど…」


大外さんはそう言って優さんの顎をすくい、顔を近付ける。驚きすぎているせいか優さんは反応出来ていない。


「僕に従順な女は嫌いじゃない」


至近距離でにやりと口角を上げた大外さんに優さんの顔がぶわっと真っ赤に染まる。今の発言のどこに赤くなる要素があったのか疑問だ。腹立つだけじゃないか。


「更に言っておくと、君の顔は整っていて綺麗だとは思っているよ。学もあって頭も良いし要領もよくて機転もきく。体型はともかく、そこらの股を開くしか能のない馬鹿な女よりよっぽど好感は持てるね」
「…っ」


何であの人はあんなに上から目線なのだろう。普通なら殴っても良い発言のはずなのに優さんは可愛らしく頬を染めるばかりだ。…意味が分からない。


「あ、ああああり、ありがとうございます…!」


そこお礼を言うとこじゃないでしょう!!今すぐ怒鳴りながら入っていきたいけど幸せそうな優さんにそんなこと出来ずにもどかしい。


「ホワイトデーのお返しまでここにいるか分からないから困ったな」
「い、いえお返しなんてそんなもったいない…!」


大外さんみたいな外道な犯罪者に優さんみたいな可愛い天使の方がもったいないですよ!!


「現世でも返せるか分からないから今返しておくよ」
「え、今って……っ!?」
「なぁ!?」


大外さんは優さんの顔を引き寄せると、そのまま優さんに口付けた。しかもただのちゅーじゃない。後頭部に手を回して逃げられないようにしてのべろちゅーだ。ここまでくちゅくちゅと卑猥な音が聞こえてくる。いくら瑪瑙さんしかいないとはいえこんな所でするか!?普通はしな……普通じゃない人だった。そこで冷静に納得する。その間も大外さんと優さんはちゅーをし続けている。たまに漏れる優さんの声がやたらにエロい。ていうか…長い!!

やっと離れた2人の口からは生々しい銀の糸が引いている。息を乱す優さんとは対照的に大外さんは余裕そうだ。


「…っ、はぁっ、」
「恋だ愛だのより、心酔の方がよっぽど信頼出来る。君は僕のために何でもしてくれそうだから、早めのホワイトデーのお返しとそのご褒美だと思ってくれ」
「お、おおそと、さ…」
「もし現世に戻っても覚えていたら、この続きをしてあげようか」
「つ、続き…!?つつつ続きって、え、えぇ!?」
「どんどん僕に溺れて従順な犬になってくれて良いよ」
「良いわけあるか!!」


ついに我慢出来ず、私はバーに乗り込んだ。とことんゲスでもう見ていられない。


「乙女の純情を弄ばないで下さい!」
「なんだい塚原さん。随分と無粋なことしてくれるね」
「外道に優さんを任せるくらいなら無粋認定して頂いても結構です」
「はは、外道だなんて酷いな。彼女から僕に好意を伝えてきたんだよ?」
「なにか催眠術でもかけたんじゃないですか?」
「流石にそれは習得してないな」


私と大外さんが話してる間も優さんは頬を染めたままぼーっとしている。やっぱり何かしたんじゃないかと大外さんをジト目で見つめた。その視線を大外さんは憎たらしい笑みで流す。そして立ち上がると優さんの肩に手を置いた。


「これは大切に頂くよ。ありがとう、優さん」
「!な、なな、名前…!」
「おいコラ。優さんに触るな変態」


私の態度を気にすることなく、大外さんは肩からかけた上着を揺らして颯爽とバーを去って行った。その後姿をぽわんっと見送る優さんはやはり可愛い。相手があれでも恋する乙女はやはり可愛いものだ。


「…私、生きてたらいいな」
「……あー…」
「生きて、覚えてたらいいな!」
「もし大外さんも覚えていたら殺されちゃうかもしれませんよ。それこそ犯されて殴られて殺されるなんてことになりかねませんし…」
「…大外さん相手ならそれでも良いかな、なんて…」
「はぁ!?いくらなんでもそれは良くないですよ!考え直して下さい!」
「ふふっ、冗談だよ、音子ちゃん」


微笑む優さんの頬はやっぱりほんのりと赤い。きっと冗談じゃないのだろう。恋は盲目とはよく言ったものだ。大外さんも優さんもここでのことを覚えていないと良いけど……幸せそうな優さんを見ていると心からそう思えないのが辛い所だ。


(大外さんだけ死んでいれば何も問題はないのに…)


そんなこと優さんに言えるわけもなく、私は2人のいなくなったバーで優さんから貰ったチョコを食べながら瑪瑙さんに愚痴った。チョコはとっても美味しかった。


end
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大外さんより前に来た黄昏ホテルお客さん。大外さんの夢とか難易度高すぎて……くそ外道のサイコパスとかどう書きゃいいんだよ…でも好きなんだよくそう…!!
大外さんと夢主ちゃんはバーで趣味について毎日話してて仲良くなっていったはず。医大生とかホームズファンとか。



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