運命の選択

「春」


二宮隊の隊室。
2人しかいない隊室で、二宮は春の課題を見ていた。見る必要がないのではないかと思うほどさくさく進む課題を見ながら、二宮は春の名を呼ぶ。


「は、はい!な、何ですか?」


未だに一緒に寝ていたことを気にしている春は二宮を意識したままだ。しかし素直に手を止めて二宮に視線を向けた。


「お前、前に言っていたな。A級に戻る理由が分からなくなったって」
「……そう、ですね」
「今でもそうか?」
「………」


その言葉に目を伏せた。
A級に戻るために二宮と模擬戦をしていたが、最近は戻るため、というよりも、ただただ二宮に勝つために、と戦っていたのに気付く。

最初は苦しんで戦っていた模擬戦も、今では少し楽しんでいる自分がいるのにも気がついていた。


「A級に戻りたい理由が分からないって言うか…今は、あまり…戻りたいって思ってない…かも…」
「何?」


A級と聞いて浮かぶのは太刀川の顔。
まだ何も話していない。
ちゃんと話しをしていない。
けれど、話す必要はないと思っていた。

太刀川の気持ちは、戦闘でも恋愛でも、全てにおいて春に向いていないと分かったのだから。


「…太刀川さんの役に立つためにって思ってましたけど、今は、そう思わなくなったって言うか…いや、確かに太刀川さんの為に何かしたいですけど…」
「何が言いたい」
「……ですから、太刀川さんにとって、私は必要ないって分かったから…もう、戻る必要もないのかな…って…」
「…太刀川の気持ちなんざどうでも良い。お前がどう思っているかだ」
「え……?」
「これだけ離れていてそう思っても、まだ太刀川のことを好きかって聞いてんだよ」
「っ!」


いきなり核心を突かれ、春は驚いて二宮を見つめる。
同じように真っ直ぐ見つめてくる二宮に目をそらせない。

太刀川のことを好きなのか。

ずっと、好きだった。
太刀川の為に役に立ちたいと必死に頑張ってきた。そのときは別に見返りなど求めていなかったが、今はどうだ。
太刀川の気持ちが全く自分に向かず、好きであり続けることが辛くなり、逃げている。

今も好きなのか、好きではないのか。

ごくん、と唾を飲み込み、春はゆっくり口を開いた。


「……分からない、です」


漏れてしまった本音。
自分でも分からなくなっている。
確かに昔のように太刀川に憧れている。役に立ちたいとも思っている。
けれどあの頃と違い、今は太刀川を見ても苦しいだけで満たされた気持ちにならない。

なのに、目の前の人物にじっと見つめられ、優しい言葉をかけられると、それだけで満たされてしまう。

何故なのか分からない。
自分は今、どうしたいのかも分からない。


「もう……分からないです…!」


俯いたまま、課題を止めた手をぎゅっと握りしめた。
それを見た二宮は何も言わずに、春のその手に自分の手を重ねた。春はびくりと二宮を見上げる。


「に、二宮さん…?」
「………」


無言のままじっと見つめてくる二宮に鼓動が早くなる。
気まずい、恥ずかしい、どうしよう。嬉しい。重ねられた手と見つめてくる瞳。その両方が春の思考を埋め尽くす。


「…春」


しばらくその状態が続くと、二宮は漸く口を開いた。重ねられていた手が春の頬に移動する。

優しいその動作に、春は何も言わずに二宮を見つめた。


「…春、俺はお前が好きだ」


突然紡がれた言葉に大きく目を見開いた。途端に鼓動が激しくなる。
二宮の表情は変わらずにただ春を見つめている。


「好きだ、春」
「…に、にのみや、さん…な、なに言って…」
「もうお前が太刀川のせいで傷付いてるのは見たくねぇんだよ。だから、もう太刀川のことは忘れろ。隊長としても、1人の男としても」
「……っ、」
「俺ならお前を悲しませたりしない。辛い思いもさせない」
「…にの、みやさ…」
「俺を選べ、春」


どこまでも真剣な二宮の眼差しに、春は動揺を隠せない。
確かに今まで二宮隊にいて辛いとは思わなかった。太刀川関連で辛いと思い出したことはあったが、二宮隊にいる間は楽しかったのも事実だ。
その間は、辛いことを忘れていられたから。

それに、最近は二宮のことばかり考えていた。けれどそれは一緒に寝てしまったせいだと自分に言い訳をしていた。


「春」


名前を呼ばれるだけでドキドキしている。あのとき、太刀川に初めて名前を呼ばれたときのように。


「そんな、の…出来ません…」


春は震える声で呟いた。


「太刀川さんに振り向いてもらえないからって…二宮さんを選ぶなんて…そんな都合の良いこと出来ない…!」
「俺が選べって言ってんだ。余計なことは考えるな」
「余計なことじゃないですよ!」


春は立ち上がり、二宮の手は離れる。震える手をぎゅっと握り締め、春は辛そうに顔を歪めた。


「太刀川さんが好きだった!でも!振り向いてもらえなくて、気持ちは私に向かないことが分かって…!それでも好きだった…けど…!……二宮さんが私に優しくするから…私の欲しい言葉をくれるから、だから気持ちが二宮さんへ向きました、なんて…!都合が良すぎます…!そんなの…、自分が許せない…!」


涙を浮かべる春に、二宮は立ち上がり、ゆっくりと抱き締めた。包み込むように優しく。


「…やめて…下さい…」
「…嫌なら抵抗しろ」
「…っ、嫌じゃないから…!言ってるんです…!」


今まではスキンシップだと思っていた行動も、言葉も。今は全てを受け入れてしまいそうになる。
二宮の行動全てが、嬉しい。

太刀川からはなかった興味も、好意も、欲しい言葉も、二宮は全てをくれる。そのことが嬉しくて、嬉しいと思っている自分が嫌で。


「…こんなの…二宮さんにも失礼です…太刀川さんの代わりにしてるみたいで…嫌だ…」
「俺がそれで良いって言ってんだろ。そうなるように、今までお前に接してきたんだ」
「………でも…!」
「俺はお前が好きだ、春」
「……っ」
「太刀川の代わりだろうとなんだろうと、利用しろと言ったのは俺だ。…お前の気持ちが太刀川でなく俺に向きかけているなら…」


二宮は春の頬に手を当て、上を向かせた。瞳には涙が溜まり、今にも溢れそうで。


「…俺を選べ、春」
「…にの、みや、さ…っ!」


ついに春の瞳から涙が溢れた。優しい言葉に、もう耐えられなくなってしまったのだ。次から次へとボロボロと溢れる。


「ぅ…く…っ、にの、みや、さ…っ…にのみや、さ、ん…っ…」
「なんだ?」
「ごめ…っ、な、さ…っ、ごめんな…さい…!」
「なに謝ってんだ」
「…たちか…さんの…代わりに…っ、して…!利用、して…!わたしばっかり、楽に…っなって…!」
「良いからもう自分を責めるな」
「ごめんなさい…!ごめんなさい…!…すきになって…ごめ、なさ…い…!」
「!」


春は二宮の胸に額をつけた。
泣き顔を隠すかのように。目を合わせないように。


「…好き…です…っ、二宮さんのこと…!太刀川さんに捨てられて…私に手を差し伸べてくれて…!嬉しかった…!私が辛いときに…欲しい言葉をかけてくれて…慰めてくれて…!そんなの…好きにならないわけ、ないじゃないですか…!」


ついに声を上げて泣き出した春に、二宮は優しく笑った。そして春の頭をゆっくりと撫でる。


「…そうか」
「……優しすぎます…!」
「相手が春だからな」
「…ずるい、です…!」
「お前を手に入れるためならどんな手でも使う」
「………っ、…すき、です…」


顔を真っ赤に染め、二宮の服を握った。そんな顔を隠すように胸に擦り寄る。


「…春、もうお前にあんな辛そうな顔はさせない。俺の全てでお前を愛してやる」
「……っ」
「もう、苦しませたりしねぇよ。好きな奴のそんな顔、見たくないからな」
「……っ、ちょ、ちょっと外の空気吸ってきます…!」


恥ずかしさに耐えられず、春は二宮から離れようと顔を見ずに胸を押したが、腰へしっかりと回った手はそれを許さない。


「に、二宮さん!」


涙に濡れた瞳で、恥ずかしそうに見上げてくる春に、二宮は目を細めた。そしてその瞼に口付けを落とす。


「っ!!」


春はピシリと固まった。
その顔は真っ赤に染まっていて。


「…やっと手に入れたんだ。簡単に手放すわけねぇだろ」
「…ちょ、ちょっと…外の空気吸ってくるだけですよ…?」
「今はここにいろ」


後頭部に手が回り、再び頭を胸に押し付けられる。
簡単に手放さない、ここにいろ、と。
やはり欲しい言葉をくれる二宮に、心が温かくなっていった。伝わる鼓動に安心する。
太刀川のことを忘れられたわけじゃない。だから、きちんと話さなければならない。
気持ちの整理をつけ、けじめをつける。
そうしなければ、やはり二宮には失礼だと思っている。太刀川から逃げ続けることになると思っている。


「…二宮さん」
「なんだ」


身体を二宮に預けたまま呟いた。


「…私、太刀川さんと話してきます」
「………」
「…ちゃんと、話してきます」
「………」
「…そうしないと、私は前に進めないままだから。太刀川さんに、ちゃんと今までとこれからのこと、話してきます」
「…俺の元に戻ってくると約束出来るなら良い」


珍しく弱気な二宮に、春は小さく笑った。


「ちゃんと戻ってきます!」


にこっと笑った春は、いつもの春で。久しぶりに見たその笑顔に見惚れていると、春はそれに、と続けた。


「それに……ここが、私の居場所ですから!」
「!」


これから先、自分に向けられることはないと思っていた、惹かれた笑顔。

それが今、目の前にある。

自分に向けられている。


「…ああ」


やっと手に入れることが出来た、大切で大好きな笑顔の春。

二宮は愛しそうに見つめ、また春を抱きしめた。

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