好き

逃げ込んだ先は倉庫。
誰もいない部屋に2人。
気まずい空気。
繋がれたままの手。
耐えられずに手を離そうとした春だが、太刀川はそれを阻止するように握る手に力を込めた。


「……っ、」


手から伝わる懐かしくて大好きな体温。逃げることに必死だったときと違い、今はしっかり感じることが出来る。久しぶりの太刀川の体温に泣きそうになった。
今まで離れていて、もう諦めると…好きになる前に戻ると決めていたはずだったのに、伝わる体温すら好きだと思える要因になる。やはり自分は太刀川のことが好きなのだと改めて実感した。

けれど、分かっている。好きなだけでは役には立てない。春が太刀川を好きでも、太刀川は春が必要ではない。
全部、分かっているつもりだ。
そして、これから言われるであろう言葉も。
その言葉を想像して目の奥が熱くなり、涙が溢れそうになった。

怖い、怖い、怖い。
今まで逃げてきた太刀川に、お前はいらないと言われるのが。
この場からすぐに去りたかった。去って、二宮隊の隊室に行きたかった。そこで何もなかったかのように模擬戦をしたかった。今のこの状況は、春には辛かった。勝手に身体が震え始め、泣きそうに顔を歪める。

泣いたら駄目だ。泣いたら迷惑だ。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。絶対に。

春は耐えるように繋がれていない方の拳をギュッと握った。


「…って、何でお前はそんな泣きそうな顔してんだよ…」


突然発せられた太刀川の言葉にびくりと肩が跳ねる。しかし太刀川の方は向かない。向けない。
怯えたような泣きそうな顔。そんな春に太刀川は遠征前のことを思い出してしまう。遠征前の、春の泣き顔を。


「す、すみま、せん……あの、わ、私…っ」


かたかたと震える春に、太刀川は繋いでいた手を更に強く握った。春は驚いて思わず太刀川に視線を向ける。


「………お前は何に怯えてるんだ」


真っ直ぐ見つめてくる優しくて大好きな瞳。涙が溢れそうになって唇を噛んだ。


「……春」


促すように呼ばれる名前。勘違いしそうになるほどに甘く優しい声。その全てが辛くなる要素になる。
けれどこのまま黙っているわけにもいかず。春は口を開いた。


「…た、たち、か…さん、に…」


震えて掠れる声。少し刺激すれば今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい姿を見ているのは辛いが、ようやく春と話せるのだ。ここで話を聞かなければ、もう話せない気がしている。ここで、ちゃんと話さなければいけない。太刀川は顔を歪めながらも耳を澄ませた。


「たちかわ、さんに……っ、!…必要、ないって…!私のことを…!いらないって、言われるのが…っ、こわ、くて…!」
「………」
「分かって、ます…けど…!覚悟してますけど…!でも…、でも…!太刀川さんに直接お前は必要ないって言われるのが…、何よりも怖いんです…!」


そして、ついに春の瞳からはポロポロと涙が溢れた。涙と共に溢れ出した気持ちを叫ぶようにぶつける。


「太刀川さんの役に立ちたかった…!けど…、それが、できなくて…!捨てられるって、思って…!だから言われる前に自分から隊を抜けました…!太刀川さんにいらないって隊を追い出されるより傷付かないと思ったから…!自分を守るために逃げました…っ、私は…っ、逃げました…!嫌なことから…っ、辛い、ことから…、逃げるなんて…っ、わたし、は……いらない…!太刀川隊に必要ない…っ!太刀川隊に、は…っ、相応しくな……」


最後まで言葉を紡ぐ前に、掴まれていた手を引かれ、きつく抱き締められた。目の前で黙って聞いていた太刀川に。


「……っ!」
「……さっきから必要ないとかいらないとか…何言ってんだお前は」
「……た、た…ち…っ」
「いらないわけないだろ」
「……っ、でも…!」
「俺には春が必要だ」
「でも…でも…っ、でも…っ!!」


太刀川の胸でボロボロと泣きながら春は必死に言葉を紡ごうとする。


「…えんせいには、つれていかない、って…!ちから、ぶそくだか、ら…!やくに、たてない…から…!」
「遠征に連れて行かなかったのは春が力不足だからじゃない」
「じゃあどう、して…!どうして…っ!」
「お前が、大切だったからだ」
「…、た…たい、せつ…?」
「ああ。春のことが大切だ。…だから、遠征先で春が俺を庇って死ぬ夢を見て、不安になった。あんなに怖いと思ったのは初めてだったんだ」
「……っ!うそ、だ…!」
「嘘じゃない」
「うそ、だ…!うそだうそだ…っ!」
「…本当だ」


春の存在を確かめるようにギュッと抱き締めた。お互いの体温が、お互いの鼓動が、お互いの息が、全てが伝わっていく。


「だから心配で、お前を連れて行けなかった」
「…うそ、だぁ…っ!」
「お前のことが何よりも大切なんだ。絶対に失いたくなかったんだよ」
「っ、……ぅ…く…っ…」
「でも俺はA級1位の攻撃手1位だぜ?守れるか不安だから連れていけないなんて言える訳ねぇだろ」


泣き止まない春の背をポンポンと叩きながら太刀川は続ける。


「大切なんだよ、何よりも…」
「なん、で……ど、して…、わたし、を…」
「何でって…」


伝えるのは今しかないと思った。やっと自分でも自覚したこの気持ちを。太刀川はゆっくりと深呼吸をした。


「…す、き…だから…だよ」
「………え…?」
「春が好きだから、大切なんだよ」


静かに響いた声。優しくて、温かくて、愛しいものへ向けるような甘い空気を纏う想い。嘘だと言いたかったが、ずっと信じられなかった全ての言葉が今、すーっと浸透していくのが分かった。太刀川の気持ちが伝わってきて。信じられないはずなのに否定出来なくて。心が温かくなっていくのに涙は止まらなくて。


「…ち、かわさん……たちか…さん…っ」
「おう」
「たち…かわさ…ん……っ!」
「おう、ここにいるぞ」
「…っ、た、ちっ、…っ…かわさ…!」


存在を確かめるようにぎゅっと縋った。名前を呼ぶことしか出来ない。言いたいことはたくさんあるのに言葉に出来ずにただただ名前を呼ぶ。しかし、ここで自分も伝えなければならない。ここで伝えなければ絶対に後悔する。

泣いて出し辛い声、苦しい息。けれど、伝えなければ。春は意を決して口を開いた。


「…ったしも…、わたし、も…!すきです…っ、たちかわさん、が…っすき…、です…!」
「っ!……そっか。ありがとな」
「…すきです…たちかわ…さ…っ、すき…っ」
「もう分かったよ」


太刀川は子供のように嬉しそうに笑い、抱きしめながら春の頭を優しく撫でる。


「すき、だから…!いらないって、いわれるのが…こわくて…!」
「…ごめんな、春。俺の言葉が足りなくて、ずっと辛い思いさせて」
「…つらかったです…っ、ずっと、ずっとずっとずっと…っ!つらかった、です…!」
「うん」
「…たちかわさんにひつようとされたいのに…っ、やくに、たちたいのに…!もうそれが、かなわないって、おもっ、て…っ、ずっと…!おもってて……っ!…ぅく…っ、…ぅ、うああぁぁ…っっ」
「ああ、ごめんな」


気の利く言葉など出てこない。けれど太刀川は、泣きじゃくる春の背を優しく叩きながら慰め続けた。春が落ち着いて泣き止むまで。

自分の言葉をしっかり受け入れるまで。もう勘違いしなくなるまで。

大切なんだという想いを込め、抱き締めながら慰め続けた。

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