運命のいたずら
「春」
二宮隊の隊室。2人しかいない隊室で、二宮は春の課題を見ていた。見る必要がないのではないかと思うほどさくさく進む課題を見ながら、二宮は春の名を呼ぶ。
「はい、何ですか?」
もう一緒に寝ていたことを気にしていない春は手を止めて二宮に視線を向けた。
「お前、前に言ってたな。A級に戻る理由が分からなくなったって」
「……そう、ですね」
「今でもそうか?」
「………」
浮かぶのは太刀川の顔。まだ何も話していない。ちゃんと話しをしていない。けれど、話す勇気もまだない。
「……そうですね。太刀川さんを援護するためにって理由でしたけど、それならB級でも出来ないことはないし……なりより、私じゃ役に立てないから」
「それはつまり、A級に戻る理由はなくなったが、太刀川への気持ちはなくなっていないってことだな」
「え……?」
「これだけ離れていても、まだ太刀川のことを好きかって聞いてんだ」
「っ!」
いきなり核心を突かれ、春は驚いて二宮を見つめる。同じように真っ直ぐ見つめてくる二宮に目をそらせない。ごくん、と唾を飲み込み、春はゆっくり口を開いた。
「………好き、です」
抵抗なく自然と出たその言葉が、身体に浸透していく。どんなに諦めようとしていても、結局諦められていない。自分はまだ、太刀川のことが好きなのだ。俯いたまま、課題を止めた手をぎゅっと握りしめた。
それを見た二宮は何も言わずに、春のその手に自分の手を重ねた。春はびくりと二宮を見上げる。
「に、二宮さん…?」
「………」
無言のままじっと見つめてくる二宮に鼓動が早くなる。気まずい、恥ずかしい、どうしよう。重ねられた手と見つめてくる瞳。その両方が春の思考を邪魔する。
「…春」
しばらくその状態が続くと、二宮はようやく口を開いた。重ねられていた手が春の頬に移動する。優しいその動作に、春は何も言わずに二宮を見つめた。
「…春、俺はお前が好きだ」
突然紡がれた言葉に大きく目を見開いた。二宮の表情は変わらずにただ春を見つめている。
「好きだ、春」
「…に、にのみや、さん…な、なに言って…」
「もうお前が太刀川のせいで傷付いてるのは見たくねぇんだよ。だから、もう太刀川のことは忘れろ。隊長としても、1人の男としても」
「……っ、」
「俺ならお前を悲しませたりしない。辛い思いもさせない」
「…にの、みやさ…」
「俺を選べ、春」
どこまでも真剣な二宮の眼差しに、春は動揺を隠せない。確かに今まで二宮隊にいて辛いとは思わなかった。太刀川関連で辛いと思い出したことはあったが、二宮隊にいる間は楽しかったのも事実だ。けれど、やはりいつも胸にぽっかり穴が開いたような物足りなさがあった。それがなんなのか、理解している。ちゃんと理解しているのだ。
だから簡単には二宮に答えられない。
「…っ、す、すみません、ちょ、ちょっと…外の空気、吸って、きます…」
「………ああ」
ばっと二宮から逃げるように立ち上がり、隊室の扉を開くと、何故か目の前に風間の姿が。しかもその顔は無表情ながらも瞳は確かな怒りを宿していた。
「そ、蒼也くん…?」
「丁度良い。春、話がある」
その一言で春は直感した。怒られる、と。
そう思ったときにはもう逃げるように走り出していた。今までの経験上、風間に何も相談しないで大切なことを決めて行うと、必ずお説教が待っている。今回もすぐにそれだと理解したのだ。
「逃げ足の速い……邪魔したな、二宮」
「………いえ」
春を追いかけて行った風間を見送り、閉まった扉を見て小さく溜息をついた。
「雰囲気ぶち壊しだな」
風間の登場は予期していなかった。
恐らく春は、風間への恐怖で告白のことは頭からなくなってしまっただろう。しかし、それで良かったと思っている。
「……何が俺なら悲しませたりしない、だ。…早速困らせてんじゃねぇか」
自分の告白のせいで春は困っていた。きっと返事は出来ないと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「…急ぎ過ぎたな。俺があいつを困らせてどうする。……春のために、俺には俺のやり方があるだろ」
ほぼ終わっている春の課題を見つめ、二宮は呟いた。
◇◆◇
「ごめんなさいもう許して無理!」
「だから止まれと言っているだろう」
「だって止まったら捕まるじゃん!捕まえたら蒼也くん私に説教する気満々でしょ!?」
「分かっているなら大人しくしろ」
「怒られるの分かってて止まれないよ!」
「怒られるようなことをするのが悪い。体力も限界のはずだ。捕まるのも時間の問題だぞ」
「私は怒られることした覚えはないけど経験上ね!ていうか…!蒼也くんも生身なのに何で息切らしてないの…!」
風間が春を訪ねて来た理由は、二宮隊にいる理由やその他諸々を聞くためだ。それを分かっている春は、どんな理由であれ、結局お説教コースが待っていることも分かっている。だから必死で逃げていた。もしトリオン体になれば風間もトリオン体で追いかけてくるはず。そうなれば今よりも逃げ切る確率は低い。だから春は生身のまま全速力で逃げる。しかしそれでも体力の差は歴然だった。
「………あっ!」
走り続けていると、前方に見知った姿が。
味方になってくれるはず、と現れた救世主に春は目を輝かせる。
「京介くん…!」
「春…?何で走って……」
「烏丸、春を捕まえろ」
「え?」
「京介くんは私の味方だもんね!」
「…捕まえろ。春に太刀川と話をさせる」
「了解す」
「えええええ!?」
風間の機転で説教するため、ではなく、太刀川と話をさせるためと言うと、烏丸は間髪入れずに返事をした。
「京介くんの裏切り者!」
「お前のためだ、大人しくしろ」
大人しくしろと言われて大人しくするはずがない。立ちはだかる烏丸に、春はいつものように飛び付いた。咄嗟に烏丸はいつものように受け止める態勢になる。もちろん春の予想通りだ。
「捕まったらお説教なんて嫌だもんね!」
飛び付く振りをして烏丸の前で着地して切り返し、くるりと横切る。
「やった!」
「…やられたな」
行動パターンを読まれてやり過ごされ、烏丸は頭をかいた。
「行くぞ烏丸、春を捕まえる」
しかし風間はまだ諦めていなかった。
「…了解」
「…うっそ…」
またも敵に戻った烏丸と、本気で捕まえる気の風間を背に、春は重い足にムチ打ってまた走り出した。体力の限界も近い。
◇◆◇
「待て国近!早まるな!」
「だったら早くしてよー!」
本部の廊下。こちらでも追いかけっこが繰り広げられていた。大人気なく逃げる太刀川と、少々運動不足気味の国近。このゲームしかやっていない身体のどこにこんな体力があるのか、というほど、国近はしつこく太刀川を追いかけていた。
「だって太刀川さん言ったんでしょ!俺の春を取り返すって!出水くん言ってたよ!」
「間違っちゃいないが少し違うぞ!」
だいぶ大胆な台詞にすり替わっており、出水の伝達の仕方か、国近の受け取り方か、悪かったのがどちらかは最早分からない。
「細かいことはどうでも良いの!春ちゃんを二宮隊から連れ戻してよー!」
「分かってる!分かってるから!だからこれから出水と国近も一緒に作戦立てよう!な!」
「そんな時間ないのー!太刀川さん早く春ちゃんをとーりーかーえーしーてー!!」
泣きながら叫ぶ国近に太刀川はただ逃げることしか出来ない。
もし今の状態の国近に捕まれば、首を絞めて殺される。そう確信しているからだ。トリオン体になれば国近が落ち着くまで簡単に逃げ切れるが、隊室に入った途端、出水にとても良い笑顔で没収されてしまった。今思えばこうなることを見越してトリガーを没収したのだと太刀川はようやく気付いたがもう遅い。とにかく生身のまま国近が落ち着くまで逃げ切らなければ、と太刀川は足に力を込めた。
「あれ、何してるの太刀川さん?」
目の前に現れたのは、ぼんち揚げを食べている迅。
「迅どけ!」
「え?」
「迅さん太刀川さん捕まえて!」
「え?え?」
どちらも必死で首を傾げた迅。けれど、そこで未来が見えた。
「……いよいよ、か」
迅は呟いてから、すっと道を開ける。
「さんきゅー迅!」
「迅さんのバカーーー!!」
国近には殺されかけるかもしれないが、この際それは我慢しようと苦笑する。この後のことを考えれば安いものだ。
「太刀川さん、しっかり伝えなよ」
「ん?なんだ迅」
「…いーや、何でもない。頑張って」
「おう!」
走る太刀川を見送り、迅は微笑んだ。きっと大丈夫。太刀川なら大丈夫。
未来は良い方へ向かっている。
「後は本人たちに任せるしかないからね」
迅は呟いて、その場を去って行った。
そして迅を通り越した太刀川は、角を曲がって、曲がって、曲がって……必死に走り続けた。しばらく走ったところで後ろを振り向くと、そこに国近の姿はない。ほっと息をついて前を向いた瞬間、どんっと身体に衝撃を受けてよろけた。角を曲がってきた人物とぶつかったようだ。相手は尻餅をつき、ぜぇぜぇと息を乱して俯いている。そんな相手に太刀川は手を差し出した。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫、です…すみませ……」
「あ………」
差し出した手を取り、顔を上げたのは春だった。お互いを認識すると何も言えずにピシリと固まる。まだどちらも顏を合わせて話す心の準備は出来ていないのだ。そんな2人を動かしたのは春と太刀川の追手だった。春を呼ぶ風間の声と太刀川を呼ぶ国近の声が聞こえ、固まっていた2人の身体が同時にびくりと動く。その拍子に重ねていた手を太刀川がぎゅっと握った。
「…!」
「お前も追われてんのか?ならとりあえず逃げるぞ」
「は、はい!」
力強く握られた手に気を取られ、限界だったはずの足は自然と動いた。そして太刀川に手を引かれるままに走る。
周りは何も見えない。見えるのは、今までずっと見ていた大きくて大好きな背中。離れて行きそうなその背中に、置いていかれたくない。そう思った。繋がれた手をぎゅっと握り返し、春は置いて行かれないように必死に走った。必死に、太刀川について行った。
何回か角を曲がった所で、突然立ち止まった太刀川の背中に春は思いっきりぶつかる。
「ふぁぶっ」
「っと、悪い」
顔を押さえる春に、太刀川は笑う。
その表情にはあの愛しいものを見るような、懐かしく思える優しさがあった。ぽかんと見惚れていると、また太刀川に手を引かれる。
「わ、」
「ここに隠れるぞ」
「ここは…」
「倉庫だな」
立ち止まったすぐ横の扉に入り、追手をやり過ごす為に2人は息を潜めた。中は確かに倉庫だが、あまり広くはない。太刀川たちは扉に背をつけて座り込んだ。段々と近付いてくる足音に春は身体を固くした。扉を開けられたら見つかる。思わずぎゅっと握ってしまった手を太刀川に握り返され、違う意味でドキドキと心臓が早鐘を打つ。それを意識しないように、物音を立てないようにじっとしていると、足音は2人がいる部屋に気付かず、遠くへ通り過ぎて行った。
しばらくして2人は同時に息を吐き出す。
「…なんとか撒いたか」
「…みたいですね」
「………」
「…………」
何故追いかけられていたか、何故逃げていたか。聞きたいことはあるはずなのに、何とも言えない空気にお互い黙る。
しかし、やっと訪れたこのとき。
周りが望んでいた、太刀川と春の話し合いの場。
そして今は2人きり。絶好のチャンス。
邪魔するものは、誰もいない。
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