笑顔を向ける相手
模擬10戦目。春は膝をついた。
この人には勝てない、と。
戦績は9対0で春が負けている。そして今の10戦目、春の身体からは大量のトリオンが漏れ出していた。
「もう終わりか?」
1戦だけのはずを春の我儘で10戦にしてもらったが、一撃入れることすら叶わなわなかった。それどころか近付くことすらままならない。
「…っ」
膝をついたまま悔しそうに二宮を見上げた。
「俺の勝ちだな」
「……そうですね。やっぱり私は力不足だったみたいです」
自嘲するように笑った春に、二宮は溜息をつき、春の視線に合わせるようにしゃがんだ。そして顎に手をかけて上を向かせた。最早この動作は二宮の癖としか思えない春は何の抵抗もせずに二宮と視線を合わせた。
「春、太刀川のことは忘れろ」
「え……?」
「お前がそういう風に笑うの気に入らねぇ」
「…京介くんにも言われました…」
「…誰だ」
「あ、えと、玉狛の烏丸です。烏丸京介」
前にも同じことを説明した気がして、春は小さく笑った。
「それも気に入らねぇな」
「?何がですか?」
「…いや、何でもない。とにかく、お前は今日から二宮隊だ」
「………」
「二宮隊の如月春だ」
「分かってますー!…それが城戸司令の出した条件ですからね。ちゃんと、守りますよ」
はあっと溜息をついた春に、二宮は勝ち誇ったように笑みを浮かべ立ち上がった。
その瞬間に出来た隙を春は見逃さなかった。
「アステロイド!!」
至近距離で放ったにも関わらず、春のアステロイドは二宮のアステロイドに全て相殺された。そして更に春の身体を貫く。
「不意打ちは良いがまだまだ甘いな。これで俺の10勝だ」
「……悔しい…」
悔しそうに二宮を睨む春はトリオン漏出過多により、光に包まれた。
「毎日3戦なら勝負受けてやるよ」
そしてベイルアウトする瞬間。
「それで1回でも俺に勝てたら、この勝負をお前の勝ちにしてやる」
その声を最後に春はベイルアウトした。飛ばされたベッドの上でしばらくの間固まる。二宮はなんと言っていたか。毎日3戦して、そこで1勝でも出来たらこの勝負を自分の勝ちにして良いと言っていた。つまり、
「…A級に戻るチャンスをくれたってこと…?」
その事実に春はうつ伏せになって枕を抱き締めた。今はB級降格でも、A級に戻れるチャンスがある。A級として活動が出来る。
「二宮さん優しすぎる…!」
その喜びと感謝を伝えるために部屋を飛び出した。そして二宮のいる部屋にノックもせずに入る。
「おいノックぐらい…」
「二宮さん優しすぎです大好きです!」
「…っ」
がばりと抱き付いてきた春に珍しく動揺する。それに加え、大好きなどと心臓に悪い言葉を投げかけられ、平常心でいられるはずがない。またも年下に振り回される事実に二宮は舌打ちをした。
「私、勝ちますからね!絶対近いうち勝ちますから!だからさっきの忘れないで下さいよ!」
「分かってる。元々その条件付きで俺の隊に入れるつもりだったからな」
「え、どうして…」
「射手が苦手なお前でも、その条件付きなら俺に模擬戦挑みに会いに来るだろ」
「に、苦手ってバレてたんですか…」
「当たり前だろ。普段と動きが全然違う」
見抜かれていたことに春は冷や汗を流す。
確かに射手は苦手だ。戦う相手にしろ自分でやるにしろ、一番苦手に分類される。だからこれまで出水にも勝ち越し出来ていないのだ。
「でも、それだけの理由で模擬戦受けてくれるんですか?どうしてそこまで…」
「………好きだからな」
「え?」
視線を合わせることなく小さく呟いた二宮に首を傾げる。
「………春と模擬戦するのが好きだからな。射手苦手で攻撃手とばかり模擬戦するお前とやるにはこれが1番良い」
「二宮さんがそんなに私との模擬戦好きだったなんて意外です!…まあ攻撃手相手にするのが一番良いのは確かですけどね」
「射手を克服しないと俺には一生勝てねぇぞ。まあ俺はそれでも良いが」
「勝ちますー!すぐに克服して絶対勝ちますー!」
頬を膨らませて二宮を睨む。しかし自分から抱き着いたにも関わらず、目が合うと予想以上の近さに驚いてばっと離れた。
「す、すみません…」
「お前の過剰なスキンシップはよく分かってる」
「…それを二宮さんが言いますか」
二宮の春に対するスキンシップもかなりのものだという意味を込めて呟くと、二宮は顔をしかめた。
「何言ってんだ。お前と違って誰にでもベタベタしねぇよ。春だからに決まってんだろ」
「ちょ…、そ、そういうのやめて下さい…」
「あ?事実を言って何が悪い」
「わ、分かりましたから!」
相変わらずストレートな二宮に春は慣れない。真っ直ぐな好意に一々反応してしまう。
( …二宮さんに言われて結構嬉しいから、た、太刀川さんに言われたら私どうなっちゃうんだろう…! )
「…おい。今太刀川のこと考えたろ」
「へ!?」
不機嫌そうにする二宮に指摘され、春の心臓は大きく跳ねた。裏返ってしまった声がそれを肯定している。
「…ちっ。忘れろって言っただろ」
「…………二宮隊の間は忘れることにします」
「……ああ。それで良い」
そう言って二宮は春の背を押して部屋から追い出した。
「二宮さん?」
「先に隊室に行ってろ。俺は手続きしてくる」
「え!?1人で二宮隊の隊室に行けと!?」
「場所分かるだろ」
「わ、分かりますけど…!とてつもなく心細いと言うか、きまずいと言うか…」
「犬飼と辻がいるはずだ」
「余計にきまずいです!!」
春は追い出された部屋に戻ると、二宮の腕を掴んだ。
「不本意ですけど私も一緒に手続き行きますから!一緒に隊室行きましょう!ね!」
「………はぁ。分かったから手離せ」
「ありがとうございます!やっぱり二宮さんは優しいですね!」
そこで二宮は違和感に気付いた。春は笑っている。普通に笑っている。別に無理して笑っている訳ではない。けれど、いつもと違う。
「ほーら!早く行きましょう、二宮さん」
『早く行きましょう!太刀川さん!』
二宮を呼ぶ春と、太刀川を呼ぶ春が重なる。その姿にああ、と納得した。
( 太刀川に向ける笑顔が好きなんだな )
確かに今も笑っているが、太刀川へ向けるときの笑顔はいつもよりキラキラと輝いている。心から嬉しそうに、心から楽しそうに笑っているのだ。そして、二宮はその笑顔に惹かれた。
「二宮さん?」
「…何でもない。行くぞ」
あの笑顔が自分に向くことはこの先ないのかもしれない。だが、もし本当に春が太刀川を諦めることが出来たのなら、その可能性はある。
( 自分の行動に後悔しろ、太刀川 )
二宮隊の如月春。それを定着させて自分のものにしてやると。太刀川のことを忘れさせて、あの笑顔を自分に向けさせてやる、と。
二宮は春の頭をぽんっと撫でて歩き出した。
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