お前が欲しい


「…………」


本部からの呼び出しを受けた春は、会議室の扉の前で立ち尽くしていた。恐らく内容は、春が戦う模擬戦相手のことだろう。遠征部隊がいない分、春より強い相手はかなり限定されるが、相手は全く予想出来ない。


「だ、大丈夫だよ。昨日迅さんとも空閑くんとも模擬戦したし!スコーピオンの感覚は取り戻して空閑くんには7勝3敗になったし!迅さんには……勝てなかったけど…」


自分に言い聞かせ、意を決して扉を開けた。


「失礼します」
「来たか、如月」


待ち構えていた幹部たち。宣戦布告した以来だ。


「よお、春」
「………何で迅さんがいるの」
「私が呼んだ」


城戸の言葉に黙るしかない。ということは、相手はやはり迅なのかと。


「迅、お前には……」
「おれは戦わないよ」


さらっと言葉を遮った迅に安堵する。本当に断ってくれたのだ。


「迅貴様!城戸司令の命令を断るつもりか!」


「そんな怒んないでよ鬼怒田さん。それに、おれが断ることなんて分かりきってたんでしょ。城戸さん?」


ちらりと城戸に視線を向ければ、小さく溜息をつかれる。


「そうだな。お前は断ると思っていたが、一応確認だ。如月と戦う気はないのか」
「ないよ。おれは春とは戦わない」
「迅さん…」


安心して迅に微笑むと、にっこりと微笑み返された。そして小さくごめんなっと呟かれたのが聞こえた。意味が分からずに首を傾げると、ならばっと城戸は続けた。


「如月の相手は決まりだ」
「え?」


その言葉と共に春の後ろの扉が開き、誰か入ってくる。それを確認しようと振り向く前に、春の頭はぐしゃぐしゃと撫でるように押し付けられる。そのため相手の顔は見えない。


「きゃ…っ!」
「来たか。やはり迅は断った。だからお前に如月と戦ってもらう」


春ははっとした。この人が自分の相手なのかと。


「約束通り、如月に勝ったら如月はお前の好きにして良い。その後の対応は任せる」
「分かりました」
「っ!!」


その覚えのある声に身体が固まる。
誰が相手でも勝てる気でいた。遠征部隊がいなければ、自分の勝ち目は高いと。もし引き分けたことしかない三輪でもどうにか勝てる。村上に学習されていても、あの頃から更に成長しているのだから勝てる。だから自分は誰が相手でも勝てると。しかしその強気な気持ちは簡単に崩れ去った。

まさか、まさかまさかまさか。

恐る恐る顔を上げた春は、予想通りの人物に大きく目を見開いた。


「そういうことだ。春」
「……みたいですね。二宮さん」


No.1射手であり、総合2位の二宮は不敵な笑みで春を見下ろした。


「…失念していましたよ、まさか二宮さんが相手になるなんて…二宮さんは私の味方だと思ってましたし」
「味方に決まってんだろ」
「それじゃ辞退してくれると有難いんですけど?」
「馬鹿言え。勝ったらお前を好きに出来るなんて条件付けられて断る馬鹿がどこにいる」


春の頭に乗せていた手を顎にかけ、くいっと上を向かせる。非難の色を浮かべる春の瞳を見てふっと笑ったあと、真剣な表情で春を見つめた。


「春」
「…っ、な、なんですか…?」


いつもの威圧的な雰囲気はなく、どこまでも甘い声音に動揺する。流されてはダメだと思いつつも、顎から頬に移動した二宮の優しい手付きに頭はパニックになった。


「俺は、お前が欲しい」
「………え…?」


突然の言葉にパニックだった頭が真っ白になった。二宮が何を言っているのか理解出来ない。


「いつまでも太刀川の野郎に振り回されて傷付いてるお前は見たくないんだよ。だから俺の隊に来い」
「…そ、それって…私を励ますための、冗談、だったんじゃ…」
「冗談な訳ねぇだろ。お前がB級の頃から俺はずっと本気で勧誘していたつもりだ。本気で、春が欲しかった」
「……っ」


真っ直ぐ向けられる好意に春は戸惑った。居場所がないと思っていた自分が、必要とされている。太刀川隊では必要とされなくなった自分が、今目の前の男に必要とされている。


「俺の隊に入れ」

『俺の隊に入れ』


目の前の二宮と、昔自分を誘ってくれたときの太刀川の姿が重なって、涙で前がぼやけた。いつの間にかに浮かんだ涙が溢れないように唇を噛みしめる。


( …太刀川さん…! )


どうすれば良いか分からない。いつも先頭で自分を導いてくれた太刀川はここにはいないのだから。


「春」


甘く優しい声音で名前を呼ばれ、親指で浮かんだ涙を拭われた。


「俺にはお前が必要だ。春が欲しいんだよ」


そんなの反則だと、春はぎゅっと拳を握り締める。今自分が欲しい言葉を投げかけられ、揺るがないはずがない。けれど、その言葉を言ってほしい人物は他にいるのだ。


( 二宮さんが私を必要としてくれてる……私は居場所が欲しいんだから、二宮さんの所に行けば済む話なのに……なのに…!…なんでこんなに、太刀川さんに拘ってるの…! )


好きだからなのだと理由は分かりきっている。諦めると、好きになる前に戻ると決意したのに戻れていない自分に腹が立つ。ぎゅっと拳を握り締めた。拭われた涙がまた溢れそうになる。


「はーいはい、そこまで」


何も答えない春に更に二宮が口を開こうとすると、場にそぐわないトーンで迅が入ってきた。


「…迅」
「隊に入るとか入らないとか、それは模擬戦の結果次第でしょ?ならとりあえず模擬戦したらどう?二宮さん」
「うるせぇ。分かってんだよそんなこと」


先程の甘い声が嘘と思えるほど威圧的で冷たい声音。あからさまだなーっと迅は笑う。


「…そっか。そうですよね…」


ようやく喋ったかと思えば、涙を浮かべていた春の瞳は闘志で燃えていた。


「迷う必要なんかなかったですね。勝てばA級ソロ。負ければB級降格で、二宮隊。うん、簡単なことでした」


やっとらしくなった春に、二宮はふっと笑った。


「ああ、簡単なことだ。俺に勝てば良いだけの話だろ」
「…その勝てるもんなら勝ってみやがれクソガキって態度が腹立ちますね」
「年上に向かって生意気言ってんじゃねぇよ」
「いたっ!」


ペシンっと春にデコピンをかまし、二宮は扉を開けた。


「行くぞ、春。お前の運命を決める模擬戦だ」
「………はい」


訓練室に向かう二宮の後を追って部屋を出た春だが、はっとして振り返った。


「迅さん!」
「ん?」
「…ありがとう」
「…おう。頑張ってこいよ」
「見えてるくせにそんなこと言うんだね。でも、出来る限り運命には抗うよ。じゃあね!」


再び二宮を追って行った春に、迅は頭をかいた。


「……顔に出ちゃってたかなー」


模擬戦結果は見えている。その先も、先も、先も…随分と先も。最悪へ向かい続けていた未来が、どこかで変化した。そのお陰で最悪と最高は一つの選択で決まる。そこまではほぼ同じ未来なのだ。


( …京介のお陰だな )


烏丸が太刀川に戦いを挑んでから変わった。
たったそれだけのことで、春の未来は大きく変わったのだ。


( しばらく春は辛いことばかりだと思うけど、きっと報われるって信じてるよ。……最後は、太刀川さんの選択次第だ )


小さく笑った迅は、模擬戦を観戦すべく部屋を出ようとしたが、扉の前で足を止める。


「あ、なんかイチャイチャしてるの見せちゃっててすみませーん。あの2人ちょっと天然入ってて周り見えてなかったみたいなんで。あんまり気にしないで下さい、これから先も何回かあると思うんで。それじゃ!」


迅はそう告げて訓練室へ向かった。唖然とする幹部たちの顔は実物だったとくすくす笑う。


「特に沢村さんと忍田さんの真っ赤な顔は笑い堪えるの大変だったなー」


事前に見えていなければきっと笑っていたかもしれない。迅は小さく息を吐き出して、訓練室に急いだ。見えてしまった自分がフォローしなければならない状況のために。

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