居場所のない日々
太刀川たちが遠征に行ってから数日後、ずっと玉狛にいた春は久しぶりに本部へ来ていた。いつまでも烏丸に頼って玉狛に迷惑はかけられない。それに、気づいてしまったのだ。
烏丸、木崎、小南、迅。そして遊真、修、千佳。その玉狛メンバーには、どうやっても自分は入れないのだと。どんなに仲が良くても、ここに自分の居場所はないのだということを。
そのため、ある決意をして廊下を歩いていたところで、聞きたくない声を聞いてしまった。
「おい、あれ太刀川隊の如月だろ?遠征に行ってるはずなのに何であいつここにいるんだ?」
もう何度も聞いたその言葉に小さく溜め息をつく。今に始まったことではないのだ。太刀川たちが遠征に行った日からずっと言われ続けているせいで、どんどん精神がすり減っていくのを感じていた。
自分はA級1位太刀川隊の隊員で、ボーダーなら知らない者はほとんどいない。だから疑問に思う者がいるのは当然だ。
「お前知らないのかよ?あいつ置いてかれたんだぜ?」
「遠征部隊から外されたんだよ」
ずきりと胸が痛んだ。事実だ。置いていかれたのも。遠征部隊から外されたのも、全て事実だ。何度言われても同じように胸に痛みが走る。
そんな話が広まっているのにも驚いたが、それどころではないくらいに辛かった。その場で話を聞いていられずに春は歩みを速める。
けれど、周りの隊員が話すのは春のことばかりだった。
「あ、あの子……」
「やっぱ媚び売って入隊したって噂マジだったんだな」
違う。
「さいてー」
「顔だけでA級1位に入るとか」
「羨ましいわームカつく」
「どうせ名誉目当てだろ」
違う。
「媚び売って出水先輩に近付かないでほしいわ」
「本当よねー」
「最近は風間さんにも迅さんにも媚び売ってるって聞いたか?」
「うっわ、イケメンなら何でも良いのかよ」
違う。
「あの子に太刀川隊なんて似つかわしくないよね」
「風間さんとも幼馴染みだからってさー」
「実力もないのに」
「お荷物のくせして」
「何が完璧万能手だよ」
「肩書きだけの奴が」
……違く、ない。
事実だ。実力がなく、肩書きだけでお荷物で……だから遠征から外された。太刀川に必要ないと言われた。周りが言うことは事実なのだ。歩みを速めてもすれ違う隊員たちの話が聞こえてくる。
逃げようとしても周りにはたくさんの隊員たちがいる。
「あいつがA級1位?」
「コネだろ?」
「遠征にも行けないA級1位とか本当に名前だけだな」
「あんな子が隊にいるなんて太刀川さんも出水くんも可哀想」
「国近先輩にも迷惑だよなー」
耐えきれず、ついに春は走り出した。
嫌だ嫌だ嫌だ。
聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
春は周りの音を遮断した。
何も聞こえないように。
自分を罵る声も、貶す声も、疑問をあげる声も、全ての声を、音を。居場所のない自分を守るために、居場所のない世界と遮断した。無音の中をただひたすらに走る。考えないようにしていたことを周りの声で指摘された。周りの声が事実を突き付けてくる。
太刀川隊にとって迷惑だと。
その事から逃げるようにただひたすらに走った。走って走って走って…。
「っ!」
どんっと何かにぶつかり、その反動で倒れそうになったが、腕を引かれてとどまった。遮断した視界と音。何が起こったのか確認するためにゆっくりと目を開く。ぼやける視界に写ったのは驚いた顔の二宮だった。二宮を認識したあと、段々と周りの音が戻ってくる。
そして二宮の口が動き、その声に耳を澄ました。
「春?」
「……に、にの、みやさん……?」
「大丈夫か?」
怯えるような春の姿に二宮は珍しく動揺した。しかしその動揺を表に出すことなくいつも通り冷静に問いかける。
「どうした?」
「……」
答えはない。未だに二宮を見上げたままの春に、思いきって一番の疑問をぶつけることにした。
「というか、どうしてお前がここにいるんだ。遠征はどうした?」
「……っ」
途端に泣きそうに歪められた表情に流石に慌てた。これでは自分が泣かせてしまったみたいではないか、と。
「お、おい……」
「……にのみやさんー…」
「春…?」
縋るような声で春は二宮の胸に擦り寄った。今までにないその行動にいつものようにスキンシップのごとく抱き締められない。
「……お前、本当にどうした」
ぐりぐりと頭を擦り付け、しばらくして落ち着いたのかようやくぽつりぽつりと話し出す。
「……私、太刀川さんに捨てられました…」
「は?」
思いもよらない言葉に予想以上に冷たい声が出てしまった。
「……二宮さん冷たい」
「…今のは悪かった。それで、太刀川がなんだって?」
「……っ、だから!太刀川さんに!力不足だからいらないって!必要ないって言われたんです!だからここにいるんです!遠征に連れていってもらえなかったんです!」
「太刀川が…?冗談だろ」
「冗談でこんなこと言えませんよ…」
頭を擦り付けているせいで春の表情は見えない。けれど、先程のように泣きそうな表情をしているのだろう。二宮は何も言わずに春の頭を撫でた。
「……二宮さんは優しいですね。そういう人たちが多いから勘違いしてたんです」
「何をだ?」
「…ここに私の居場所はないってことです」
自虐的な言葉に二宮は手を止めた。
「太刀川隊は遠征に行ってるのに私が残されてるから、隊員たちが色々言ってるんですよ。私は実力もないのに媚びで入隊したお荷物で、太刀川さんたちに迷惑なんだーって」
苦笑しながら春は続けた。
「何て言うか、自分で分かってはいたんです。みんなが言ってることも正しいって。実力が伴ってないとか、肩書きだけとか……。けど、改めて他の人に言われると余計に精神的にくるというか……。耐えられなくなっちゃって、それで逃げて……あはは、私って本当に最低ですよね」
「……誰だ」
「え?」
顔を上げずに続けた春だが、二宮の怒りのこもった低い声にようやく顔を上げた。
「お前を罵った奴らはどこのどいつだって聞いているんだ」
「に、にのみやさん…?」
「俺が始末してやる。どいつだ」
いつもの真顔に加え、目が本気だった。今の二宮なら本当にやりかねない。
「い、いや……いろんな人が言ってたからどこの誰かは……」
「ちっ」
不機嫌そうに舌打ちした二宮に苦笑する。だが同時に嬉しさも込み上げてきた。自分のために怒ってくれているのだから。烏丸といい二宮といい、優しい人に甘えてしまう。
「……二宮さん、ありがとうございます」
「あ?何がだ」
「二宮さんは優しいなーって」
「さっきも思ったが意味が分からない」
「それで良いです!」
二宮を見上げたまま春はやっと笑顔を見せた。
「周りに敵しかいないって思っていたので、二宮さんに会えて良かったです!……二宮さん優しいから、弱い私はそこにつけこんで……最低ですけどね」
「……馬鹿が」
二宮はぎゅっと春を抱き締めた。元々それに近い態勢だったが、二宮が春の背中に手を回し、包み込むように抱き締める。
「に、にのみやさん……っ」
「利用出来るものは利用しろ」
「え……?」
「お前が俺といて落ち着けるなら一緒にいれば良い。俺はお前を否定しない」
「……っ」
「最低なもんか。自己防衛は当たり前だ。お前がそんなボロボロになるまで追い詰めた太刀川が悪い」
「ち、違うんです!太刀川さんは悪くなくて……!私が力不足だか…っ!」
更に強く抱き締められ、二宮の胸に顔が埋まって言葉が紡げなくなる。まるで黙ってろとでも言うように。
「自分を責めすぎるな。お前は何も悪くない」
「……」
「お前が楽になるなら、ずっと俺といれば良い。俺はお前を守ってやれる」
「……っ、」
二宮の優しさが身体中に染み渡る。それだけで泣きそうだ。
「だから……」
二宮は春の頬に手をあて、顔を上げさせた。泣きそうな春の瞳と目が合い、続けようか迷った言葉を口に出した。
「俺の隊に来い、春」
「…っ!…に、のみ…さん…?」
いつもの威圧的でも冷たい言い方でもなく、どこまでも優しい声音に春の心は揺らいだ。泣かないように奥歯を噛みしめ、二宮に縋るように服を掴む。
どちらが楽になれるかなんて分かりきっている。
しかし、答えは決まっていた。
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