犬飼くんの誕生日

午前中の授業が終わり、荒船は大きく伸びをした。今日は弁当を持ってきていない。購買にでも買いに行くかと席を立ち上がろうとしたところで、目の前に人影がさす。そちらに視線を向けると、同じクラスの春がじっと荒船を見上げていた。


「…如月、か。なんか用か?」
「あ、荒船くんは、その…ボーダー隊員なんだよね…?」
「?まあ、一応な」
「犬飼くんとは仲良い…よね…?」
「悪くはねえけど、なんだよ?言いたいことがあるならはっきり言え」


びくっと肩を跳ねさせた春に、相手は怖がりだったと気付き、頭をかいた。


「あー…言い方が悪かったな。犬飼のことで何かあんのか?」
「う、うん!あの、ね。荒船くん…犬飼くんの好きなものって知ってる?」
「犬飼の?」
「そう!犬飼くん今日お誕生日でしょ?だから、その、プレゼント渡したくて…」
「そういえば今日だったな。……つーか、当日までに用意しなかったのかよ」
「今日ファンの子たちが話してるの聞いて知ったの!だから…用意出来なくて…。好きな食べ物とかだけでも分かれば学校終わったあとすぐに買いにいけるから、何かないかな…?」


恐る恐るといったように問いかけてくる春は健気に犬飼に片想いをしている。答えてやりたいのは山々だが、生憎と犬飼の好きなものに興味などなかった。


「…知らねえな」
「……そっ、か…」


見るからにしょぼんっと落ち込む春の瞳はうるうると潤んでいる。途端に周りから感じる冷ややかな視線に荒船は顔を引きつらせた。


「いや待て待て、俺は悪くねえだろ…」
「…荒船くん、ごめんね」
「お前もそんな泣きそうになってんじゃねえよ。犬飼の好きなもん知らねえだけで俺が泣かしたみたいになってんじゃねえか」
「…ごめんなさい…っ」


更に泣きそうになってしまった春に荒船は頭を抱えた。そこでふと、犬飼に詳しそうな人物が頭を過る。


「…辻なら知ってんじゃねえか?」
「つじ…?」
「一個下のやつ。何組だったっけか…」
「一個下の…辻…。あ!犬飼くんとよく一緒にいる子?」
「おう。辻のこと知ってんなら話は早ぇな。そいつは犬飼と同じ隊だし、聞いてみる価値はあるだろ」
「そっか…!うん、聞いてみるね!ありがとう、荒船くん!」


やっとにこっと笑った春は嬉しそうにスカートを翻し、教室を出て行った。それを見送りほっと息をつく。何とか泣かさずに済んだ、と。


「……あ、やべ」


春は辻の元へ向かったが、辻が女子が苦手だということを忘れていた。まともに話せるはずがない。


「…まあ、頑張れとしか言えねえな」


手伝ってやるほどお人好しではない。
けれど後で少し様子を見に行ってやるかと、荒船は先に購買へ向かった。


◇◆◇


一つ下の学年の階で、春はウロウロと徘徊し始めた。辻の容姿は知っている。大人っぽい印象を受けたのをしっかりと覚えている。姿を見ればすぐに分かるはずだ。教室を覗いたり廊下をきょろきょろしたりと、春は辻を探した。


「…黒髪で…背が高くて…すらっとしてて…一つ下とは思えない大人っぽい人だったよね…どこにいるかな、辻くん…」


知らない人ばかりの廊下を不安げに歩いていると、ふと、見覚えのある人物が廊下の角を曲がったのを視界に捉えた。


「今の…辻くん…!」


間違いないと春は走り出した。先ほど辻が曲がった角を曲がり、先を歩く後姿を見つけて走り寄る。


「つ、辻くん…!」
「!?」


走りながら呼びかけると、辻はびくりと肩を跳ねさせ振り返った。やはり辻だったと顔を綻ばせる春だが、辻は絶体絶命とでもいうような表情を浮かべた。
走り寄ってくる、春に。


「…っ!!」
「え?つ、辻くん、待って!」


踵を返して走り出した辻に、春は慌てて追いかける。呼びかけても止まる気配はない。けれどもう頼みは辻しかいないのだ、ここで逃げられるわけにはいかないと必死に足を早めた。


「つ、辻くん…!お願い、止まって…!聞きたいことが、あるの…!」


止まるどころかスピードが早くなった。
どんどん離される距離に、春は泣きそうになりながら辻呼び続ける。


「辻くん…!辻くんってば…!お願い、辻くん…!」


必死の呼びかけも虚しく、春の体力は尽きてしまった。はぁはぁと乱れた息を落ち着かせるように胸に手を当て、壁に寄りかかる。


「…はぁ、はぁ…っ、どうして…逃げちゃうの…」


ただ犬飼の好きなものを聞きたかっただけなのに。聞けなかった。


「…辻くん…」
「辻ちゃんがどーしたの?」
「ひゃわ!?」


俯いているところを突然下から覗き込まれ、春は驚いて顔をあげる。勢い余って後ろの壁に後頭部をぶつけ、両手で頭を押さえた。


「い、いたい…」
「ははっ、なーにやってるの、如月ちゃん」
「……い、いいい犬飼くん…!?」


目の前で笑っているのは片想い中の犬飼だ。
まだ何もプレゼントを用意していない。用意するまでは出来れば会いたくなかった。


「あ、あの…っ」


とにかく誕生日おめでとうと、それを伝えなければと思うが、見つめた先の犬飼の瞳を見て口を閉ざす。
春を見つめる犬飼の瞳が、笑っていなかったから。


「犬飼くん…?」
「んー?」
「…ど、どうしたの…?」
「何が?」
「え、えっと…」


何故か圧力を感じた。
どうしたものかと犬飼を見つめていると、笑ったまま距離を詰められ、ドンっと顔の横に手をつかれた。近くなった距離に春はカァっと顔を赤く染める。


「真っ赤になっちゃって、ほんと可愛いねー」
「か…!?い、犬飼、くん…?」
「俺でこんなに照れちゃうなんて、辻ちゃんがやったらどうなるのかな?」
「……え…?」


至近距離で見つめられて心臓が早鐘を打つ。綺麗な顔立ちで綺麗な瞳で、思わず見惚れてしまうが、犬飼の発した言葉に何とか返した。


「如月ちゃんが辻ちゃんのこと知ってたなんて意外だったなー。しかもいつもは大人しい如月ちゃんが積極的に追っかけてるし…妬けちゃうね」
「え、え…?や、妬け…!?」
「うん。妬ける。俺結構 如月ちゃんに好かれることしてるつもりなのに、辻ちゃんみたいなのがタイプだった?」
「へ!?」


次々に犬飼の口から出る言葉の数々に春の頭は処理しきれない。この距離が、言葉が、春の思考の邪魔をする。
犬飼はもう片方の手を春の頬に滑らせた。ひっ、と春の呼吸が止まる。


「…今日くらいはさ、俺だけ見ててよ」


ゆっくりと近付く顔に、春は真っ赤になってぎゅっとキツく目を瞑った。


そして、ちゅ、っと、額に触れた柔らかい感触。
すぐに離れたその感触に、春は恐る恐ると目を開けた。視界に入るのは相変わらず至近距離の犬飼で。柔らかく笑っているその表情に止まりかけていた鼓動が再び早くなる。


「い、ぬ、かい、くん…?」
「なーんてね。ははっ、期待した?流石にウチの隊長じゃないから同意もなくキスなんてしないから安心してよ」
「き、キス………い、今の…!?」
「あれ、気付いてなかったの?」


額に感じた感触は唇だったのかと理解し、再びぶわっと赤く染まる。その反応に犬飼は満足気に笑った。


「如月ちゃんが辻ちゃんが好きってのは気に入らないけど、まあその反応見れたから満足かな」
「……え、ま、待って…!私、辻くんのこと好きじゃないよ…!」


何とか全てを理解して自分の中へ落とし込み、春は犬飼を見つめ返した。好きな相手に誤解されるのは困る。


「好きじゃない男追っかけまわすの?」
「そ、れは、その…っ、い、犬飼くんのことを…辻くんに、聞こうと思って…」
「俺のこと?」
「う、うん…!犬飼くん、今日、誕生日って聞いたから…好きなものを渡したくて…でも好きなもの、知らなくて…。荒船くんに聞いたら、辻くんなら知ってるんじゃないかって言われて…!だから、辻くんに犬飼くんの好きなものを聞くつもりだったの…!」


逃げられちゃったけど。そう俯いた春に犬飼は目を丸くした。ぱちぱちと瞬きをして春を見つめる。


「俺の好きなもの知りたかったから、辻ちゃん追っかけ回してたの?」
「う、うん…!」
「それをプレゼントしてくれるって?」
「私が用意出来るものなら何でも…!」
「ふーん、何でも、か」
「…?」


こてんっと小首を傾げた春に、犬飼はにっこりと笑った。


「じゃあ、これが欲しいな」


くいっと春の顎を持ち上げた犬飼に、今度は春が目を丸くする番だった。きょとんと見つめる。


「………?」
「ほんと鈍感だよね。まあ俺があれだけ押してるのに気付かないくらいなんだから分かってたけどさ」
「犬飼、くん…?」
「誕生日プレゼント、如月春をちょうだい」
「………へ?」
「如月ちゃん俺のこと好きだから別に良いよね」
「ふぇ!?な、ど、どどどどうして知ってるの…!?」
「あ、図星?良かったー。これで違うって言われたらどうしようかと思ったよ」


カマをかけられたと知って春が赤い頬を膨らませると、犬飼はにこりと笑った。


「好きだよ、如月ちゃん。だから俺と付き合って」
「…………」
「あれ?聞いてる?如月ちゃーん」
「…………」
「反応なし?何も答えてくれないならちゅーしちゃうよ?」
「っ!?ちゅ…!?」
「はーい時間切れー。頂きます」
「ま…っ!?」


すっと近付いた犬飼に目を瞑る間もなく、優しく唇を塞がれた。大きく目を見開いた春の身体が強張る。

突き飛ばすことも答えることも出来ずにただ固まる春。触れるだけのキスをしてから離れた犬飼は苦笑する。


「ちょっと情報量多かったかな。ごめんね、如月ちゃん」
「あ…う…」
「誕プレ決まって良かったでしょ。これで辻ちゃんに声かける必要もないね」
「…は、い…」
「よーし、偉い偉い」


ぽんぽんと頭を撫でられ、春は俯いて頬を染める。気持ちは伝わっているようだが、まだ自分から直接伝えていない。意を決して犬飼を見上げた。

「お、お誕生日おめでとう…!犬飼くん…!」
「うん、ありがと」
「わ、私、犬飼くんのこと、好きだよ…!」
「…うん、知ってる」
「誕生日プレゼント、私で良いならいくらでもあげるから…!」
「……いくらでもって…」
「た、足りない…?」
「まあ1人で充分かな」
「じゃあ1人でたくさんの好きを伝えるからね…!」
「…これやばいな…」


真っ直ぐな性格だとは思っていた。純粋で真っ直ぐな春に惹かれて見ていたのだから。
その春が伝えてくる好きという言葉から、大きな好意が伝わってくる。予想以上に心臓に悪かった。


「如月ちゃんと同じくらい俺も如月ちゃんのこと好きだよ」
「…!わ、私はもっと好きだよ…!」
「…っ、あー…とりあえずさ、」



もう一回言うけど、俺と付き合って。


−−−−−−−−

〜おまけ〜

「…同意もなくキスしないって言っときながらキスしてんじゃねえか」
「………」
「おい辻、大丈夫か?」
「……はい」
「しっかし、あんなに全力で逃げるほど苦手か」
「……女性らしい人ほど、ちょっと…」
「ちょっと、って反応じゃなかったけどな」
「……2人はいなくなりましたか?」
「いや、まだイチャついてやがる」
「………」
「別に出てっても大丈夫だろ」
「俺が大丈夫じゃありません」
「自分で言うか」
「犬飼先輩とその彼女さんが、その、き、キスしてるところなんて、見れませんから…」
(…こりゃ犬飼にからかわれるな)

そのうち辻の前で態と春とイチャつくことが簡単に予想でき、荒船は呆れたように溜息をついた。


End

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