キスして終わり!

好きなのに、好きなのに、好きなのに…!
その気持ちとは裏腹に春から出た言葉は思ってもいないことだった。


「出水なんか大っ嫌い!!」


登校時にコンビニで買ったものを袋ごと出水に投げ付け、春は屋上を飛び出した。


「おい!春!待てって!おい!」
「離してよ!」


しかしすぐに腕を掴まれ引き寄せられる。そのときちらりと視界に入った女子は、余韻に浸るように頬を染めていた。
悲しみと怒りが胸を埋め尽くし、様々な気持ちが抑えきれずに右手を振りかぶった。そして、


「最低…!」


ぱしんっと、乾いた音が響く。何が起こったか分からずに目を丸くする出水。じんじんと痛む頬に、やっと叩かれたのだと理解した。


「触らないでよ!出水なんか大嫌い!」


腕を振り払ってそう言い捨て、春振り返ることなく階段を下った。

叩いた右手がひりひりと痛む。叩いたのは自分なのに、右手も、胸も、泣きそうなほどに痛かった。
ぐっと唇を噛みしめる。思い出しても辛い。

見てしまったのだ。自分の彼氏であるはずの出水が、知らない女子を抱きしめていたのを。
最近どこか素っ気ないと思っていたのもこれが原因だったのかと目の奥がぐっと熱くなった。


(だったら言えばいいじゃん…!別れたいって…!なんで、私と付き合ったまま他の子と抱き合ってるのよ…!)


確かに告白したのは自分からだが、出水もはにかんでその告白に答えてくれたのだ。気持ちは同じはずだった。
けれど、学校でも2人きりでも素っ気ない態度。デートに誘っても理由をつけて断られる。恋人らしいことを、最近は何もしていない。だから、気付いていた。
出水の気持ちが自分から離れているのを。


「…ただ、出水と一緒にいられるだけで楽しかったはずなのに…我慢してたけど…もう無理…」


コンビニで新発売のみかん味のお菓子を見つけ、これを一緒に食べれば出水の嬉しそうな表情が見れると思っていたが、やはりダメだと落ち込む。
無邪気に笑う表情も、楽しげないやらしい表情も、時々見せる真剣な表情も、全てが好きだったけれど、最近はずっと、無表情しか見ていない。
楽しいけれど、楽しくない。溜まりに溜まった辛さに「大嫌い」と、咄嗟に口から出てしまったのだ。


「…好き…大好き…なのに…っ、それは、私だけだったんだ…」


たくさんの女子から告白されても断っているのは自分がいるからだと自惚れていた。だから今日も屋上に呼び出されたと米屋に聞いて来てみれば、見たくない現実から目をそらしていただけだと気付かされた。


「…出水の…バカ…!」


人気のない棟の階段で立ち止まり、蹲るように座った。小さく呟いた言葉と共にポロリと頬に涙が伝う。


「誰がバカだ、バカ春」
「っ!?」


呟いた独り言への返事。聞き間違えるはずもない大好きな声に慌てて立ち上がり振り向いた。そこには息を切らしている出水の姿が。


「な、なんで…」
「なんでじゃねーよ。お前がいきなり嫌いとか言って逃げるからだろ」
「………」
「お前さ、なんか勘違いしてるみたいだから言っとくけど、」
「いい」
「あ?」
「いいよ、言わなくて…」
「だから勘違いしてるっつってんだろ。おれは…」
「勘違いしてたなんて分かってる!!」


距離を詰めようとした出水から後退り、背中に壁が当たった。自分が下がれない分、出水の動きを止めるために叫んだ。嫌いと言っていてもまだ好きなのだから、側にいるのが辛い。


「好きなのは、私だけだったんだよね。出水も私のことを好きでいてくれてると思ってたけど、そこが、勘違いだった、よね。…ごめん」
「…お前、何言ってんだよ」
「………」
「おい!」
「っ!」

ダンっと勢いよく顔の横に手をつかれる。思わずびくりと目を閉じ、肩を竦めた。
声音がいつもより低い。視線を合わせられなくても、怒っているのが簡単に想像出来る。


「…人の話も聞かねーで、いきなりそれはないんじゃねーの」
「………」
「おい春」
「っ」


視線をそらし続ける春に、出水は乱暴にその顎をとって自分の方を向かせる。しっかりと逃げられないように固定して。

真っ直ぐに合わせられた視線は、やはり怒りを宿していた。無表情以外を見たかったが、こんな表情を見たかったわけではないのに。余計に悲しくなった。


「…何でお前は、おれにはそんな悲しそうな顔しかしないんだよ」
「…え…?」
「告白してきたときははにかんでたし、付き合い始めてからはすげー笑ってたのに…最近はそういう顔しか見ねー」
「それは、出水の方でしょ…!付き合い始めたばかりの頃は、よく、笑ってくれてたのに…最近はそういう顔ばっか…!」
「は?そういうってどんなだよ」
「さっき抱きしめてた子に向けるのとは違う顔…!あんな穏やかな顔…私はみたことない…!」


涙が出そうなのを必死に耐えて強気に出水を見つめる。逸らすことが許されない視線を、真っ直ぐに。


「そうだまず勘違いしてるのを訂正しろ。おれがあの女子を抱きしめてたのは、告白されて断ったら、じゃあ諦めるから最後に抱きしめて下さいって言われたんだよ。だから抱きしめてた。それ以外の気持ちはねーよ」
「……うそ」
「うそじゃねーよ」
「そんなの信じられるわけないじゃない…!あんな穏やかな顔して抱きしめて…!あの子が好きなんじゃないの!?」
「ふざけんな!おれが好きなのはお前だけだ!」
「バカ言わないでよ…!そんな嘘、言わないでよ…辛いのに…!」


強気に見据えていた春の表情が悲しげに歪んだ。


「何が、辛いんだよ…」
「……」
「信じてもらえないおれの方が辛いっつの」
「…私のことは、あんな風に抱きしめてくれないのに、他の子は、抱きしめてる…。信じられるわけ…ないじゃない…!」
「……好きだ、春」
「…っ、やめてよ…」
「好きだ」
「やめてってば!」
「お前が信じるまで言ってやる」
「…だから、信じられるわけないじゃない…!」


ついに春の瞳から涙が溢れた。好きだと嘘をつかれ続けるくらいなら、別れようと言われた方が楽なのに。


「好きなんだ、春」
「…もう、やめて…!ふざけないで…!」


再び振りかぶった手は、今度は簡単に出水に捉えられてしまった。そのまま壁に押し付けられる。空いてる手を上げればそちらも捉えられ、両手を壁に張り付けられた。身動きが取れないまま、キッと出水を睨む。


「…だから何で、そんな顔すんだよ…前みたいに笑えよ…」
「…離して…」
「お前もまだ、おれのこと好きでいてくれてんだろ?」
「………」
「お前がおれに投げつけたコンビニ袋。あの中におれが好きそうな菓子が入ってたのって、おれのためなんじゃねーの?」
「………」
「なあ、春」


寂しげな出水の表情に春の心が揺らいだ。信じてしまいそうだ。けれど、信じて辛くなるのは自分なのだ。これ以上辛いのは嫌だと心が否定する。


「………」
「……おれはまだ、春のこと好きなんだよ。好きだから、素直になれなかったっつーか…」
「………」
「おれが冷たくしても、おれのとこに来てくれる春が可愛かったんだ。だから、ちょっと意地悪したかもしんねーけど、やっぱ春には笑っててほしい」
「……っ」
「怒ってるのより、悲しんでるのより、やっぱ、笑っててほしい。春が笑ってる方が、おれは好きだ」
「…も…やめて…よ…」
「信じてくれるまでやめねーよ」
「………信じたら、また私が辛くなるかもしれない…」
「信じてくれねーと、おれが辛いんだけど?」


あざとく首を傾けた。わざとと分かっていてもその仕草にときめいてしまう。どんどん出水のペースだ。


「好きだから、信じろよ、春」
「………」
「ここまで言っても信じねーなら、実力行使に出るぜ?」
「え…?」


両手首を壁に押さえつけられたまま、ぐっと出水の顔が近付いた。そして目を瞑った出水に、ゆっくりと唇を塞がれる。


「っ!!」


咄嗟に抵抗しようとしても、両腕を塞がれて身動きが取れない。頭がパニック状態だ。どうして今、キスをされているのか。
キスされるのは嫌ではないけれど、あまりに突然でどうにかしたい。自由な足で蹴り上げてやろうかと考えた瞬間、出水の膝が春の足の間に入る。思考を読まれてしまったかのように、足が動かせなくなった。


「…っい、ず…っ、み…!」


キスの合間に何とか名前を呼べば、出水はそっと唇を離した。やっとまともに呼吸が出来るようになり、春はぜぇぜぇと息を乱す。離れた出水は余裕そうな表情で春を見下ろした。


「そーいう顔はおれにだけにしとけよ」
「…は…?」
「は?じゃねーよ。おれの気持ち、分かったか?」
「………」
「へえ?ならもう一回するか?」
「い、いい!もう良いから!」
「そこまで拒否られんのも傷つくんだけど」
「…き、キス自体は嫌ではないけど…いきなりは嫌なの…」
「じゃあ先に言っとけば良いのか?」
「も、もういいってば!」
「何でだよ」
「……し、信じたから、いい…」


すっと頬を染めた春は出水から視線を逸らした。信じられるわけないと思っていたのにキス1つでこうも丸め込まれてしまうなんて。そうは思っても、それが惚れた弱味なのだから仕方がない。不満げに頬を染めるその表情に出水はにやりと口角を上げる。


「…よくよく考えれば、笑顔は誰にでも向けるけど、そーいう顔はおれにしか向けないんだよな」
「…な、何よ…」
「やっぱおれ、お前のこと好きだなって思っただけだよ」
「………私も、好き」
「…おう」
「…だから、もう他の子を抱きしめたりしないでよ…」
「分かってんよ」
「それから、」
「なに?まだ何かあるのか?」
「…腕、痛い。離して」
「あ、悪ぃ」


ぱっと離され自由になった手を下ろし、数回振ったあと、春は右手を大きく振りかぶった。


「え?」
「好きだけどやっぱり腹立つ!」


人気のない校内に、再び乾いた音が響いた。


◇◆◇


「なんかお前ら、最近距離近くね?」


べったりくっつく出水と春に、米屋は純粋な疑問を投げかけた。付き合っているのは知っているが、もっと淡白な関係だったはずだ。


「近くねーよ。今までがちょっと遠かっただけだ」
「うん、だからこれからはお互いに言いたいこと言い合うことになったの」
「ふーん?ていうか、弾バカなんか頬腫れてね?」
「………男の勲章だ」


僅かに顔をしかめた出水と、小さく笑った春。米屋は首を傾げたが、2人が今までよりも距離を縮めたのなら良いかとすぐに興味をなくし、スマホを弄り始めた。


「またあんなことしてたら今度は容赦しないからね」
「…お前、あれで手加減してたのかよ…」
「私の愛情はこんなものじゃないもん」
「そりゃありがとな」


前よりも距離が近付いた。他人行儀でなくなり、様々な表情が見れるようになった。相手を伺うことも、気を使うこともない。その関係が心地よく感じる。


「…おれだって負けてねーけど」
「え?なにが…」


聞き返した言葉は、そっと唇で塞がれた。


End

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