逃避行は26時に
ただ、大学の廊下を歩いているだけだった。
いつもは、そうだった。何事もなく1日が過ぎていくだけだ。
けれど、それは1週間前に突然崩れだした。
「っ!!」
いつも通り何も目立たずに大人しく通り過ぎようとした春だが、ダンっと突然壁に追い込まれた。
顔の横に手をつかれ、上から顔を覗き込まれる。その視線から逃れることも出来ず、春は固まった。
「…それで、答えは出たのか?」
固まっている春から視線をそらすことなく、むしろぐっと顔を近づけて二宮は問いかけた。整った顔立ちにドキドキと胸がうるさく鼓動する。
帰ろうと持っていた鞄をぎゅっと胸に抱いた。
「あ、あ、あ、の…っ!」
「なんだ」
「こ、答えというのは……」
「1週間前に言っただろ。付き合えって」
「あああああれは、じょ、冗談…じゃ…?」
「冗談なわけねぇだろ」
「な、なんで…わ、私…なの…?」
「お前が好きだからに決まってんだろうが」
恥ずかしげもなく発せられた言葉にぶわっと赤くなる。何言ってんだ、とでも言いたげな表情に口をパクパクと開閉するしか出来ない。
「お前がすぐに答えられないのなんて分かってたから1週間待ってやったんだ。いい加減答えを聞かせろ」
二宮の瞳はどこまでも真剣で。
好きか嫌いかと言われればもちろん好きだが、二宮がこんな地味な自分を好きになるはずないと思い、気持ちを受け入れられない。
二宮はもっと、加古ような一般人とは違うオーラを纏う女性の方が似合う。自分みたいなのが二宮の隣には並べない。並んで良いわけがない。
何も言えずに俯いてしまうと、すぐさま顎を掬われた。強制的に視線を合わせられる。
「に、にににににのみやくん…!?」
「…お前は何をごちゃごちゃ考えてんだ」
「え、えと…っ、その…っ」
「…チッ。仕方ねぇから今日のイベント終わるまでは待ってやるよ。それまでには答えを出せ」
「今日の、イベント…?」
春が首を傾げると、二宮の顔がすっと近付いた。そして一瞬、ちゅっ、と額に口付けられる。また春はピシリと固まった。視界にうつった二宮は、満足気ににやりと口角を上げていて。
「もし答えが出せねぇなら、それは肯定とみなすからな」
「へ!?」
「それじゃあな春。また後でな」
ぽんっと春の頭を撫で、余裕の笑みを浮かべて去っていく二宮に、春は顔から湯気を出しながらその場にズルズルと座り込んだ。
何も考えられず、ただ額への感触を意識して。
◇◆◇
「わ、忘れてた…」
春は絶望に満ちた表情で大学の中庭に立ち尽くした。
現在午前1時。
真夜中の大学には、数十人の生徒が集まっている。
「肝試しやるって言っておいたでしょ?」
「じ、自由参加って聞いたけど…」
「あら?そうだったかしら?」
口元に綺麗な弧を描く加古はとても楽しそうだ。絶対に態とだと泣きそうになる。
「肝試しなんて……無理だよ…」
「大丈夫よ。1人で行くわけじゃないんだから」
「ここにいる全員で行ったとしても私は怖いんですが…」
「大丈夫よ。ただ校内回って来るだけだから」
「その校内が怖いんですが…!」
「だから大丈夫よ」
「何が大丈夫なのか分からないんですが!」
加古はただ笑うだけで何も答えない。
春はこういう類のものが大の苦手だ。暗いところがすでに怖いのに、肝試しだなんて。縋るように加古を見つめると、良い笑顔で背中を押された。
「ほーら。貴方の相手がお待ちよ?早く行って早く終わらせてきちゃいなさい」
「私の相手…?」
首を傾げて見つめた先にいた人物にピシりと固まる。そして昼間のことを思い出して咄嗟に額を抑えた。どんどん顔に熱が集まっていく。
そんな春の反応に二宮は口角を上げた。
「随分と意識してるな」
「い、意識…では、なく…!その…!」
「行くぞ。さっさと終わらせてお前の口から返事聞かねぇとな」
「へ、へへへ返事…!」
「ふっ。まあ、聞かなくても分かるか」
にやりと笑う二宮にあわあわとしていると、加古が2人の背中を押した。
「良いからさっさと行ってきてちょうだい。後がつっかえてるんだから」
「うるせぇ分かってる。行くぞ、春」
「えええええっと…!」
肝試しに参加するなど言っていないのに。
春の恐怖心など知ることなく、二宮は春の腕を引き、強制連行して行った。
◇◆◇
腕に縋り付く痛いほどの締め付け。
目の前に現れる典型的な脅かしの道具と人。
そして隣から響く絶叫。
二宮は小さく溜息をついた。
「うらめしやー」
「いやああああああああ!!」
「おいてけー」
「ひいいいいいいいい!!」
「単位寄こせー」
「ぎゃああああああああ!!」
どんどん色気のなくなっていく悲鳴に再び溜息をつく。廊下を進んでいくと、様々なところから脅かし役の人物が飛び出してくる。
2人きりで話す絶好の機会だと思っていたのに、まさか脅かし役がいるとは思わなかった。
「面倒くせぇ…」
「!!ご、ごごごごごめんなさい…!」
「何でお前が謝ってんだ」
「だだだ、だって私が面倒で…」
「うおー」
「きゃああああああああ!!」
「………」
ぐっと縋られた腕に力が入る。
「うううう〜…」
泣きが入ってきた春に話どころではない。
「…失敗だったな」
「まだ…つかない…?」
「お前が一々反応してるからまだまだ先だ」
「ええ!?…もう…やだよ…」
本格に涙を浮かべ始めた春に流石に焦った。まさかこんなに怖がるとは、と。
これ以上は見ていられないし、話も出来ないのでは答えも聞けない。二宮は縋られていた手を引き離し、春の肩を抱いた。
「!!に、二宮くん…?」
「出るぞ」
「へ、え、え?」
「嫌なんだろ」
「そ、そう…だけど…」
「このままじゃ話も出来ねぇしな」
「う…ご、ごめん…」
ぎゅっと強く肩を抱かれ、肝試しのルートから外れるように誘導される。守るようなその腕に、胸が高鳴った。言葉はキツイが、その裏に優しさが垣間見えて、行動全てが春のためのもので。
本当に、自分のことを大切にしてくれていると感じて。
「ここから出たらちゃんと答えを聞かせろ」
「………」
「おい」
自分は二宮の隣に並ぶには相応しくないと思っていたが、隣は心地よくて。
「聞いてんのか、春」
「……お友達からは…どう、かな…?」
「は?」
春から出たのはそんな言葉。
二宮は眉をひそめる。
「あ、あの、ね!その、付き合う…とか、そういうのは…その、まだお互いのことをよく知らない…というか…」
「付き合ってから知って行けばいい」
「そそそそれはそうなんだけど…!い、いきなりこ、恋人というのは…は、恥ずかしいというか…なんと、いうか…」
「どうせ付き合うんなら変わらねぇだろ」
「か、変わるよ!に、二宮くんの行動は心臓に悪すぎるから慣れるまでは…」
「慣れるとかどうでもいいんだよ。お前が俺を好きか嫌いか、それだけだ」
「そ、れは…っ」
真っ直ぐに見つめられ、視線をそらせなくなる。高鳴っていた胸はばくばくと激しく鼓動した。
「わ、私…は…っ」
「待ってやったんだ。答えろ、春」
耳元で囁かれた言葉に、ぎゅっと二宮の服を握る手に力が入った。
好きか、嫌いか。その2択なら、もちろん…
「……すき、です…っ」
小さく呟かれた言葉に二宮は満足気に口角を上げた。
「なら問題ねぇな」
「え…?」
疑問符を浮かべた春が顔を上げると、すっと頬に手を当てられ、唇を塞がれた。
「!?」
驚いて声も出ず、抵抗も出来ず、春は固まった。ゆっくりと離れた二宮は最後に唇をぺろりと舐めると、春はピシッと身を固くする。真っ赤になるその頬を撫でると、春はあわあわと二宮を見つめた。
「これからは容赦しねぇから覚悟しろ、春」
今までも容赦していないのではないか。
そんなこと言える余裕などなく、春は無言で頷くことしか出来なかった。
恐怖は吹き飛び、二宮のことしか考えられなくなった自分は、相当この人のことを好きなのだと実感して。
End
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