夕暮れ時のラブレター




いつからだろう。


あいつは私の名前を呼ぶことがなくなった。

それ以前に話しかけてくれることもなく、話しかけも出来なくなったのは――――









「うわ、またやってるよ」

「!」



廊下を歩いていると窓の外を見た友達がげっと顔をしかめた。

気になって見てみれば見知った顔が校舎と校舎の影で派手に殴り合いの喧嘩をしている。




「あれ高橋くんだよね?よくも飽きずに毎日喧嘩できるよねー」

「うん・・・」

「・・・確か名前って高橋くんの幼馴染みだっけ?なんで突然あんなグレだしたの?」

「・・・わかんない」




うそ、ほんとは知ってる。

周りに優秀すぎる兄と比べられて、自分という存在意義を見失って、居場所を探しているのだ。


周りの期待は兄ばかりに向けられ、自分には無関心。

自分は必要とされていない、自分なんていらない――――このような言葉がきっと啓介を縛り付けて、反抗心へとすべてが変わり周りのものすべてを拒絶しだした。


それが顕著に現れだしたのは中学2年の頃からで、先生のたった一言で彼は激変してしまった。



それはどこにもあるような、どうして兄はできて弟ができないんだという、先生もきっと深い意味があって言ったわけではないだろう言葉だったのだが、思春期の子供の心に大きな傷をつけるには充分だった。




「・・・話してもくれないから」




最後に話したのっていつだっけ。

思い出せないくらい前のことで、自然と眉が下がり、ちょうど相手に殴られた啓介を見て心が痛む。



「・・・名前?」

「!?あ、ごめん!なんか暗くなっちゃったね」




心配そうにこちらを見つめる友達に笑って答えるとほっとした表情をしていた。
これ以上心配かけさせないようにと笑顔を繕って別の話題にかえる。

でも、表面上は笑っているが、脳内は彼のことばかり。



その後の授業も啓介はおらず、そのまま放課後になるまで帰ってこなかった。

先生たちも常習犯である彼を特別探しに行ったりすることはない。それが余計に悲しくて、私は放課後になって校内にまだいるであろう啓介を探した。




「(鞄がまだあったからどっかにいるはず・・・)」




啓介が行きそうな教室や中庭を片っ端から探してみるが、どこにも見当たらない。あといるとしたら一ヵ所だけ思い当たる場所がある。



「失礼します・・・」



扉を開けるがいるはずの先生がいない。ツンと鼻をさす薬品の匂いに包まれた部屋にあるベッドのひとつに、誰かが寝ているのに気付いた。出来るだけ音をたてないようにゆっくりと扉を閉め、仕切りを少し開けて覗く。



「(いた・・・)」




探し求めていた人物がそこに寝こけていた。
痛々しく腫れ上がった頬には湿布が貼られ、それ以外の傷には絆創膏が貼られている。だがそんなの気にならないくらい穏やかな顔で眠っていた。



「(痛そう・・・)」



すぐ横にあった丸椅子に腰掛けて眠る啓介を見つめた。

子供の頃から変わらぬ寝顔に思わず頬が緩む。



「寝顔は昔と変わんないんだね」



湿布と絆創膏だらけの顔を見て言う。




「・・・ねぇ啓介」



――――あなたにとって



「私は、啓介の味方だから」



――――私って、なに?



「・・・喧嘩はほどほどにね」




それだけ告げ、私は来たとき同様音をたてないようにゆっくりと保健室を後にした。帰ろうと鞄を取りに教室へと向かい、ついでに啓介の鞄持ってきてあげようと思い教室の扉をあける。




「あ、苗字さん!」

「!」




ポツンとひとり教室にいたのはうちのクラスの委員長である男子。とっくに全員帰ったと思っていたため誰かがいることに驚く。



「吃驚した・・・どうしたの?」

「いや、苗字さんに用があって待ってたんだ」

「私に?」



なんだろう、と首を傾げながら目の前に立つ彼を見上げた。




「俺、入学したときから苗字さんのこと・・・好きなんだ」


「・・・え!?」

「俺と付き合ってくれませんか?」




まさかの告白に私は固まり、顔に熱が一気に集まる。咄嗟に俯いてしまったが、同時に違う人物が脳裏に浮かんだことに気付いた。

その瞬間にドキドキと鳴っていた心がズキッと痛み、一気に悲しくなる。





「・・・凄く嬉しい。ありがとう」



――――でも、



「・・・でも、ごめんなさい」




頭を下げる。

どれだけ悲しくたって、どれだけ辛くたって、私の心はずっとひとりに捕らわれたまま。




「好きな人がいるの。だから、気持ちには答えられない」

「・・・もしかして、その好きな人って・・・」





ガラッ





突然教室の扉が開き驚いて後ろを振り返る。するとそこには予想していなかった人物がこちらを睨むように見ていた。




「啓、介・・・!」

「帰るぞ」

「え、ちょ!」




それだけいい啓介は自分の鞄を取り教室を出ていく。

いきなりのことに私はどうしたらいいか分からずにパニックになっていたが、ひとつだけ、啓介の後を追わないとと思った。

私も急いで鞄を取り、「ごめんね!」と一言謝罪し啓介の後を追い掛ける。

すぐに追い付いたはいいが、こちらを向くこともなく私の前を歩いていき、それ以上言葉を交わすこともない。




「(久しぶりに、啓介と話したな・・・)」




一方的に声をかけられただけなので話した内に入るか怪しいが、それでも私は嬉しい。

家までの距離、私は啓介の背中を見つめながら歩いた。




「(おっきくなったなぁ・・・)」




涼介もそうだが、普通の男子と比べたら大きい部類に入る。

小さく可愛かった頃が幻なんじゃないかと思うくらい、逞しく男らしくなったその背中に見惚れていた。
カッコいいと思う度に昔から変わらない自分の中の気持ちがどんどん膨らんでいく。




「(兄弟揃ってイケメンって反則だよね)」


「なぁ」

「は、はい!」




いきなり話し掛けられたことに驚き顔を上げれば、足を止めこちらを向く啓介と目があった。
目が合うだけでドキッとして、顔に熱が集まる。運がいいことに夕方時てのもあり辺りは夕焼けに包まれているため赤くなってることに気付かれないでいた。




「お前の好きな人って、兄貴のことか」


「・・・・・・・・・・・は?」





思わず固まってしまい、数秒の沈黙の後に答える。
意味がわからない。

だが目の前の啓介はふざけてる雰囲気でもなく、真剣な眼差しで真っ直ぐ私の目を見ている。




「・・・聞いてたの?」

「答えろよ」

「なんでそこで涼介が出てくるか意味がわからないんだけど」

「じゃあ誰だよ」

「け、啓介には関係ないでしょ」




真面目な目で問い詰めてくる啓介にどうしたらいいか分からず思わず視線をそらしてしまった。そもそも面と向かってこうやって話すこと事態久しぶりなため変な緊張が走り手が震える。



「・・・なに、俺のこと怖いの?」

「え?」


「そんな震えるくらい俺が怖いのか?」

「ち、ちがっ・・・!」




先程までの真剣な目つきとはうってかわって、嘲笑するような悲し気な顔をしてこちらを見ていた。私は違うと反論しようとしたが、すぐに啓介の言葉に遮られる。




「そりゃそうだよな。昔と全然違うし」

「ちがっ・・・」

「優しくて頭もいい兄貴と比べたら怖いに決まってるよな」

「啓介、話を聞い・・・」


「悪かったな、いきなり帰ろうって誘って」




一方的にそういって啓介は踵を返してさっさと歩いていく。

遠ざかっていく背中を見て、怒りと悲しみと困惑といろんな感情が入り混じって心臓を抉るような感覚に顔を歪めた。





そうやって一方的に遠ざけて

すべてを拒絶して

勝手に自己解決しないでよ


私はずっとあんたのこと――――








「痛っ!!」



ドスっという音と背中に突如走った痛みに啓介は驚き振り返る。

そこには涙を流しながら息を荒げる彼女と、きっと今投げつけられたであろう鞄が足下に転がっていた。いきなりのことに面食らった顔でボロボロと泣く彼女を見つめる。




「人の話もろくに聞かないで勝手に自己解決して拒絶してんじゃないわよこの臆病者・・・・!!」

「あ・・・?」

「悲劇の主人公気取りですか?なんで勝手に私が涼介のこと好きだなんて決めつけるの!?私の気持ちなんて微塵も知らないくせに!!バカじゃないの!?」

「テメェ・・・!」




「私は昔っから変わらずあんたのことがずっと好きなのよ!!!」



「!?」





不思議と言ってしまったことに後悔はなかった。

それよりも、こうやって自分のことを追い詰めてボロボロに傷ついている啓介を見て苦しくて悲しくて、涙が止まらない。

驚き目を見開いたまま固まる啓介の元へと歩み寄り、その足元に落ちている鞄を手に取りパンパンと埃を払う。

そして顔を上げずに目の前に立ち尽くす彼へ言った。




「別に、啓介が私や周りの人のことをなんて思うが勝手だけど・・・・あんたのこと心配してる人間がいるってことだけは忘れないでよね」

「・・・名前ッ・・・!」

「じゃあね、また明日。・・・ちゃんと学校には来てよね」




それだけいい私は呆然としている啓介の横を通り過ぎた。




これでよかったのかは分からない。

でも、ひとつだけ


私は・・・どんな啓介でも受け入れる



どれだけ拒絶されようと、好きな気持ちは変わらない





「(私以外にもあんたのこと好きな人間はいるのよバーカ。早く気付けっての)」





小さく呟いた私の声は誰に届くことなく黄昏時の静寂に消えて行ったのだった。





夕暮れ時のラブレター

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