弟様はミステリアス

 ――三宮邸、離れ家。丑三つ時になろうかという頃合いに、奥まった部屋で、和服に身を包む一人の青年が顔を上げた。雪原のような銀色の髪が、さらと揺れて額から滑り落ちる。
 青年は窓の外を訝しそうに見やって、かと思えばビスクドールのように整った美顔を険しくして睨みつけた。

「……まったく。近ごろ、やけに多いな」

 青年は耳障りの良いテノールでひとりごちる。やにわに立ち上がり、深夜だというのに憚らず勢い良く窓を開け放ち――裸足のままで窓から庭に降り立った。
 星と月の灯りしかない真夜中の庭を、しかし青年は危なげなく歩いていく。月明かりに照らされる銀の髪は幻想よりも、物の怪じみた妖しさを感じさせた。
 離れ家を囲う壁との中間地点に差し掛かった辺りで、彼はふいに歩みを止めた。目の前には立派な松の木が、静かに眠っている。
 青年は松の木の一番上を見上げた。――風もないのにさわさわと揺れているそこを。まるで誰かがそこにいるかのような、不規則な揺れ方だった。

「おい」

 青年が誰もいないはずの松の木のてっぺんに向かって声をかける。すると、枝の揺れがぴたりと止まった。

「木の眠りを妨げるな」

 言って、青年は眉を顰める。しばらくの間があってから、また青年が語りかける。

「黙れ、じゃない。森羅万象への依存は、お前らのほうが強いんだ。その松の木は気難しい。機嫌を損ねたら、植物の情報網であっという間にお前は木々から精気を分けてもらえなくなるぞ。そうしたらあとは、お前は干涸びて消えるだけだ」

 青年は肩を竦めて微笑う。ざわり、と空気が騒いだ。

「お前がどこから来たのかは知らないがな、さっさと帰れ。こんな都会の真ん中、お前たちの居場所じゃない」

 きい、と耳鳴りのような音がする。青年はかぶりを振って溜め息をつく。

「まあそりゃ確かだけどな……。……生存戦争? アホか。普通の人間には、もうお前らの姿なんて見えないんだから、戦争も何もあったものかい。いいから、さっさと森にでも山にでも移ってくれないか。こう足しげくお前らに来られちゃ、よけい屋敷に陰気が溜っちまう」

 びゅう、と鋭い風が青年の銀髪を揺らした。

「……ほう」

 はらりはらりと、銀糸が数本、月に照らされ舞い落ちる。青年の左頬から、鮮血が一筋、涙のようにして伝い落ちた。
 青年は頬の血をぐいと手の甲で拭い、目を細めて唇をつり上げる。――ひどく好戦的な顔だった。

「意地でもここから出て行かないつもりらしいな」

 また鋭い風が吹く。が、青年は今度はそれを難なく躱してみせた。大気が、まるで怒っているかのように震えている。

「俺とやるなら、消滅覚悟でかかってこい。陰気の塊に容赦してやるほど、俺は甘ちゃんじゃないんだ。一つでもお前の陰気を残しておいたら、それに引かれて他の奴まで屋敷に来ちまうからな」

 青年は懐に手を忍ばせ、白い紙の札を取り出した。三枚の札を扇状に広げて、それを天高く放り投げる。

「これに在りしは陰なる者、陽なる氣を持たぬ歪なり。陽(ひかり)持たざる理外の歪、清浄なる炎に抱かれて滅べ!」

 言葉を唱えて柏手を打ち鳴らすや、三枚の札は途端白く燃え盛る炎に変化した。火球は時を置かずして松の木の頂点めがけて襲いかかる。
 ひとつは、途中で鋭い風に掻き消された。二つの炎が松の木の頂点――そのわずか上空を包み込み燃え上がる。だが、松の木には少しも燃え移る様子がなかった。
 白い炎は内側に黒いものを滲ませ、すると激しい耳鳴りのような音が庭に響き渡って木々の葉を震わせた。

「うるさい」

 青年は顔を顰めて、人差し指で左の耳を塞いだ。
 黒は炎の純白を段々と濁らせていっている。炎の汚れが増していくほどに、耳鳴りの音は小さくなっていく。
 やがて、陰気そのものが燃えているかのようにどす黒くなった炎はその勢いを弱め始めた。
 しぼむようにして炎は消え、皓々と照らされていた庭は元の静かな夜を取り戻した。
 青年はふん、と鼻を鳴らし、松の木に向き直る。

「悪いな、寝てるとこ騒がせて」

 さわり、と松の葉が揺れる。

「屋敷に陰気が溜り始めてる? ――あァ、それは気付いてるよ。こないだ帰ってきたら、なんつうか……兄貴でもない、エリサでも橘でもない発生源の陰気があるんだもんな。しかも――恨みの念だ」

 青年は乱雑に銀糸を掻いた。うんざりとした様子で長い溜め息をつく。

「恨みの念は特に陰気を生じやすい。そのうえ、恨みに引かれて悪い幽霊や妖怪も集まってきて、そいつらは揃って陰気の塊ときた。陰に偏り過ぎて陰陽のバランスがとれてないから己を制御できなくて、何かと言うと破壊に走る……。まったく厄介なことだ」

 松の葉が、まるで同意するようにさわと揺れた。

「ま……、溜る陰気は清めて陽気に転じさせればいい。屋敷全体の陰陽バランスを崩さないようにな。忠告ありがとうよ、老松。俺は仕事があるんでもう部屋に戻るけど、また悪いのが来たら呼んでよ」

 軽く手を振って背を向ける青年の背中に、松の葉がこすれる音が見送りのようにして届いた。

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