丙の不祥事は、一週間のうちに一気に学校内のみならず、親族にまで知れ渡った。
誰が、なんて事は知る由もないが、大方まだ丙の養子の件を諦めきれていない人間が、彼の動向を日々調べていたのだろう。
ご苦労な事だと思わずには居られないが、事実、オメガの中から見目が優れている人間を見つけるのははっきり言って運でもある。
ともすれば、家柄や生まれを盾にしたいと考えあぐね、使える駒として喉から手が出る程欲しがる人間がいても、不思議では無い。

「発情をコントロール出来ないようなオメガを本家筋の近くに置いておくなど危険極まりない、九条の名に傷が付くのでは?」
「お言葉ですがオジ様、丙はよくやってくれています、そんな彼を養子になど、僕にはとても出来ませんよ」

オジ様とそう金吾は言った、けれど丙はその男の顔をあまり見た事が無い、遠い親類なのだろうという事は容易に想像がついたし、金吾自身もあまり知らない人物なのだろう、いつも以上ににこにこと、気味が悪い程だった。

「ではまた銀司坊ちゃん、果ては金吾さんまで誑かしたらどうするおつもりで?」

丙は発情期が終わったばかりのこの日、言われるがままに金吾から応接間に駆り出された。
今目の前にいるこの男、どうやら彼の発情期が終わるその時をやれ好機ととらえたか、一番に屋敷にやってきたのだ。
表向きは、丙のお見舞いと称して。

「誑かす?丙が僕を?それだけはあり得ませんね」

顔の笑顔をそのままに答えるも、先程より目は冷たく光り、苛立っている事が丙にははっきりとわかる。
とはいえ、静かに怒りを表すタイプの金吾は、あまり苛立ちを周囲に悟らせはしない。
現に目の前の男は気付いていないらしかった。

「そうでなくとも、我が家に丙くんをお迎えすれば、使用人なんてとんでもない、働かず楽をして悠々と過ごして貰える」

あれから一週間で事態は急激に動いた。例えば今は海外での仕事を切り上げて、丙の両親が飛行機の中だし、当主と奥方ももうじき仕事を休み、こちらへ様子を見に訪れるだろう。
そんな折にこんな下らない話は続けたくないのが、屋敷の人間の総意だ。

「そうですか、でもそれは丙の意思を無視していませんか?」
「おかしな事を言うお方だ、彼に意志の確認など必要ないでしょう?これは私達アルファの中の話ですから」

吐き気がする、丙は率直にそう思った。オメガでもアルファやベータと同じ人間である事を、失念しているのではない、当然の如く思っていないのだ。

「尚のこと、渡せません。それに、彼はまだ未成年です、ご両親の許可も入りましょう、僕一人の判断は出来ないです」

金吾の顔から笑顔が消えた。見舞いと言われた手前ここに呼ぶ他無かったのだろうが、出ていっていいと告げるように、彼の視線がゆっくりと丙に向けられた。

「ではそれは後から私が取っておきますよ、まずは危険因子を分家筋の私が引き取りますので……荷物を纏められるね、丙くん?」

男の視線が、丁度席を外そうとした彼を静止するように射抜く。絶対的な支配を目に宿らせているあたり、早い所決着を付けたいのだろうが、幼き日ならいざ知らず、今の丙にとってそんな視線など痛くも痒くもない。

「私のような一介の使用人に養子のお話を頂き光栄に存じます、しかし卯月は代々九条本家にお使えする身の上です、旦那様や、奥方様はもちろん、金吾様や銀司様の許可なく家を出ることはまかり成りませんので、すぐにお返事を申し上げることは出来ません」
「丙くん、また発情期が訪れて、もし金吾さんや銀司坊ちゃんが君に望まない妊娠をさせてしまったら、どうするんだい?君のせいで九条の看板に泥を塗る前に、早くこちらに来る判断をするんだ!」

最初の方は諭す様に言っていた声が、どんどんと怒気を帯びる。それと同じくして、金吾の表情も険しさを増し、怒りが思い切り顔に出ていた。

「……ですから……」

もう一度丙が口を開く、未成年だ代々の使用人だと一つひとつ説いても、この男は絶対に丙を連れ帰るつもりなのだろう、こんなくだらない事に忙しい金吾を巻き込んでしまったことに恥と罪悪感を覚えざるを得ない。
そんな事を考えていた時だ、ドンドンと、けたたましく扉が音を立てたかと思えば、今度は応接間にバキリと大きな音が響き、戸が壊れたのがはっきりと分かった。

「え、なん、え……?」

いったい何が起こったと三人同時に扉に向けば、蹴破ったのだろう片足を上げながら、到底そんな行動を取るようには思えない人物がいた。

「銀!?」

そう、そこに居たのは紛れもない、銀司本人だった。丙と会うのは実質一週間ぶりか、少し長かった髪をバッサリ切り、オールバックのように後ろに流している髪が少し濡れているように見えるのは、慣れないワックスを使ったからだろうか。

「丙の事、連れてくの?オジサン」

笑顔の仮面を貼り付けて、けれどなんとも形容しがたい圧力を纏いながらゆっくりと三人の方へ近づく彼。
金吾と丙はその変化に目を見張り、男はゴクリと生唾を飲んだ。

「銀司坊ちゃんかな……?これはまた随分と、大きくなって」
「そんな事は聞いてない、連れていくの?」

男の言葉を遮って重ねる様に問う。表情は尚もにこやかだが、どこか底冷えするような恐ろしさが銀司にはあった。

「……あ、ああ……そうだね、ここに丙くんを置いていればまた君に被害が及ぶかもしれないだろう?」

その返事に、彼はくだらないというように鼻で笑うと、肩を竦めて口を開いた。

「じゃあオジサンは俺がオメガのフェロモンなんかにあてられるとでも思ってるんだ?」

様子がおかしいということはわかっていた、けれどその疑惑は今の言葉で確信へと姿を変え、丙の耳に届いた。

「それはどういう事かな?アルファなら誰だってオメガのフェロモンには敵わないだろう?」
「それって、おかしいと思いませんか?俺たちは絶対的支配者であるアルファなのに、フェロモン一つに左右されるなんて、逆にオメガに支配されてるみたいだ……ああ、それともオジサンは、オメガに支配されてるんですかね?」
「銀、司さま?」

馬鹿にしたようにそう言えば、丙は戸惑いながら彼を呼び、男はさすがにカチンと来たのだろう、勢い良く立ち上って、声を荒らげた。

「なら言わせて貰うが、君だってそうだろう!?事実、そのオメガの発情にあてられて襲ったじゃないか!」
「その通り、襲ったんだ、俺が丙を。それなら被害が及んだのは丙だ。間違っても俺が被害者だなんだとのたまうな!」

今度は銀司が声をあらげ、さすがにまずいと思ったのだろう、金吾が彼を静止するように立ち上がると、チラリとそちらをみた銀司は大きく深呼吸をしてみせる。

「それに、試してみたかったんだよ、発情したオメガの体、俺だって、そういう年頃なもんで」

すると、彼はニヤリと笑ってそう言い切った。
三人はほぼ同時に目を丸めると、金吾は呆れたようにため息を吐き、男は乾いた笑いをもらし、丙ははくはくと口を動かしては、呼吸すら上手く出来ないらしい。

「は、はは……じゃあ銀司坊ちゃん、君は……」
「俺が抱きたくて抱いたんだよ、試しにな。女以上の具合だったし、また使ってもいいと思ってんだけど……それでも連れてくの?それで、変わりは用意してくれるわけ?」

いくら身分は銀司の方が上とはいえ、年上に使うとは到底思えぬ言葉と態度、そして気迫。これを向けられてもなお、殊勝でいられる人間はいるのだろうか、否、いないだろう。

「そう、だったか……私達で新しいオメガは用意出来そうもない……君にとって丙くんは、性処理の一人かい……?」
「思った通りに捉えてください、俺が今後の性処理に困らなければどうだっていい」
「ッ、それでは……それでは銀司様が!」
「うるさいぞ丙!主人が客人と話しているんだ、躾がなっていないと思われるだろう」

厳しい口調で咎められれば、彼は客人の姿が無くなるまで、喋る事など出来ない。
男は一言二言談笑を交わすと、立ち上がった時の勢いはどこへやら、ふらふらと一礼し、金吾に送られいそいそと帰って行った。

「…………銀くん」

静寂な時が二人の間に流れたが、どれ位経った頃だろう、丙が彼の名を呼んだ瞬間、止まった時が再度動き始めた。

「うるさい」
「銀くん、どうして……」
「……うるさい」

あの男は、今後どんな噂を触れ回るだろうか、使用人を性処理に使った男?それともオメガを処理だけに使う利用価値のわからない好き者、とでも言うのだろうか、噂には尾ひれが付き物だ、となれば、真実がどうねじ曲げられたかなんて誰も知る由はない。

「悪いのは俺なのに!?」
「丙は悪くない!」

ピシャリと彼はそう言い放ったが、これ以上庇われては、それこそ罪悪感がどこにいても何をしていても付きまとう事になるだろう。
これはお互いに辛い道になる選択だとはっきりわかる。

「……こうでも言わないと……ダメなんだ……そしたらまた誰かが丙を連れていこうとするだろう!?」

一気に大人びた外見から出てきたのは今までと変わらない、幼さを残した彼の部分。

「俺は……俺はまだ子供だから……こうすることでしか守れないんだよ……!」

今にも泣きそうだとわかる、けれど決して涙をこぼそうとしないのは、彼自身が成長しようとしている証なのだろう。

「なら俺の気持ちはどうしたらいいの!?俺は銀くんのためなら何でもできる、行けと言われるなら養子にだって行く、それが何を意味してるかわかってても、銀くんが悪く言われるよりはずっといい!」
「……何でも出来るなら、耐えろ、今この時を耐え抜け……必ず、必ず丙と一緒になる、誰にも文句を言われないくらい大人になるまで、傍で待ってろ」

言葉のナイフが丙の胸の深いところまでザックリと刺さった。これから何年も先の未来まで、どれだけ辛い日常が待ち受けていようとも、二人で耐えるしかないのだ、例え心が壊れようとも。

「銀くんは……これからどうするの?」
「尾ひれがついた噂でも、真実にする……嘘を貫き通してやる」
「……なら俺は、これから先何があっても、銀くんの行動じゃなく、言葉だけを信じるよ」

これがすべての始まり、そして幸福の終わり。彼らの運命はまだ、交わる気配すらも見せてはいないのだ。







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