「じゃあここで、帰り方はわかるよな?」
「ああ、目と鼻の先だからな」

訪れたのは、見上げればすぐに光雅のマンションが見える個人院だ。
どこがいいのか、なんていうのもわからない手前、近さだけで選んだそこは、清潔感はあるも、若干混んでいる様子だった。

「ならいいな、ほら、連絡先から俺の名前消して。ついでに履歴もね」

車を一旦駐車場へと止めて、助手席側を向きながら丙は言った。
視線を向けられた光雅はといえば、渋るようにゆっくり携帯を取り出すと、何度かもごもご口を動かしてから、恐る恐る語りかける。

「……やっぱり、消すのか?」
「もちろん、そもそも光雅と俺は金吾からの紹介で会ってるし、仮にもアルファとオメガで、変な勘違いを生む可能性もある。大丈夫だよ、昨日の話は墓まで持ってくって言ったろ?」

彼は笑ってそう言うが、光雅は何故か眉を下げたままそっぽを向いて、不服そうにしている。

「……まだ不安?もしかして話さない方がよかった?」
「ちっ、違う!」

光雅の様子につられるように丙も眉を下げれば、彼は慌てた様子で感情を顕にして見せた。

「……じゃ、なくて、だな……」

言いにくそうにしている光雅の様子を丙はただただじっと見つめている。
が、しばらくの沈黙の後、彼は意を決したように口を開いた。

「俺は、お前の話をもっと聞きたい」
「もう出来る話なんて無いと思うけどなー」

なんとなく、彼の言わんとしている事がわかる。けれど、丙は全く気付かないフリをしてとぼけて見せた。

「……繋がりを断ちたくないと初めて思った。理由まではわからないが、なんとなく」
「あ、わかったあれだ、光雅お前多分それ、刷り込みと勘違いしてるんだよ!」

そうして、的はずれな言葉をあえて返すのだ。
光雅が何を考えているかは別にして、丙はこれ以上一緒にいてはいけないのだと、頑なにそう思っているのだから。

「刷り込み……雛鳥が親鳥の後ろをついて歩くっていうあれか?」
「そうそう、それ。きっと勘違いしたんだ、誰かに何かを教えてもらうとか、ああやって風邪の時についててもらうとか、初めてだったんだろ?なら仕方ないって、他にもそういう人、見付けないとだな」

うんうんと何度か頷く仕草をして見せて、彼はそのまま力無い光雅の手から携帯をひったくると、悩むことなく自分の番号を消し去った。

「お前勝手にっ……!」
「はい、履歴も削除っと……ありがと、返すね」

そして光雅の元には、丙の形跡がすっきり消えた端末が戻ってきたのだ。
きっとただのアルファとオメガであったならば、手助けくらいはしてやりたいと思う程度に、丙の中で光雅に対する感情は変化を見せている。
けれど、二人は魂の番なのだ、下手なことをして、関係をこじらせるわけにはいかない。

「……なぁ丙、もし金吾さんの紹介じゃなかったなら、友人にくらいはなれていたか?」
「どうだろう、今の光雅ならなれるんじゃないかな。出会ったばかりのお前は……まぁ無理だな」

光雅はじっと丙の番号が無くなった電話帳の画面を凝視しながらそう問うた。
そして彼の返答を聞くなり、バッと顔を上げたかと思えば、その視線を丙に向けたのだ。

「ならもし、どこかでばったり会えたなら、もう一度やり直してくれるか?」

そんなのは万に一つもありはしない確率だろう。現に、金吾の紹介さえなければ、丙は光雅に会うことなく一生を終えていたのだろうから。

「わかった、やり直すよ、約束する」

彼がそう答えた途端、光雅は安心したように微笑んだ。
如何せん、丙はこの笑みが苦手で苦手で仕方がなかった。
銀司以外眼中に無い彼を、ここまで意識させるのだから相当な破壊力だ。

「じゃあ、元気でな」

丙はぷいっと顔を逸らしてそう言うと、車から出るように彼を促した。

「ああ、またな」

またなという言葉に彼は頷くことも返すこともしなかった。願うのはただ一つ、もう彼に会うことはありませんように、という事だけだ。

「また……」

光雅は彼の車が遠くの喧騒に消えるのを見届けると、そう一言呟いて踵を返し、寒さに肩を竦めながら院内へと入っていった。













「銀くん、今日の朝着替え持って行けなくてごめんなさい!」

両の手を合わせ、腰の角度は九十度、もはや表情や仕草などは見えないが、それでも目の前のオフィスチェアにどかりと座る彼は、ツンと顔を背け不機嫌なままだ。

「……俺は謝られるよりも理由が聞きたいんだ、何度も電話しても無視まで決め込んでくれたよなぁ?」

光雅と別れてすぐ、丙は適当な所へ車を止めると、意を決して携帯の着信履歴画面を開いた。
そこはびっしりと"銀くん"表記で埋まり、その数は既に百近い。断った直後は一分に一回、それからしばらくは五分に一回、今は十分に一回のペースに落ち着いているが、それでも普段は一日一回だと思えば、何が起こったのかと思わずにはいられない。

「知り合いが動けない程ひどい風邪で……俺が原因だから、看病しないとって思って」

そのまま急いで折り返せば、ワンコールで出たのはもちろんの事、時間を空けるからすぐに来いとの命を受け、真っ直ぐ社に向かうと、受付嬢から待っていたとばかりにミーティングルームへと通された。

「それだ、お前そんな親しい知り合いなんていたか?それも、友人でもないんだろ」

当然聞かれるであろうと思った問だ。丙と銀司は付き合っているわけでもなければ、番関係というわけでもないが、互いの交友関係はよく知っている。
例えば、丙は銀司がよく相手を探しているバーやクラブを知っているし、銀司は丙が誰と何年来のどういう付き合いなのかも知っている。
暗黙の了解というふうに、守られてきたものだからだ。

「……ほら、この前断ったって言ったでしょ、その人」

様子を窺いながら顔を上げた丙は、恐る恐る口を開いた。
その返答に、銀司はギョッとしたように目を見開く。それもそうだろう、断ったと言っている癖に、金吾の紹介で会った人物と再び、しかも今回はプライベートで会っているわけなのだから。

「あ!違うよ!会いたくて会ったわけじゃないから!……銀くんに隠し事は出来ないから話すけど、絶対に誤解しないでね?」

そう言うと、丙は昨日から今日に掛けてあった出来事を洗い浚い話して聞かせた。とはいえ、互いの過去を語り合った部分ははぶいて、ではあるのだが。

「無防備にも程があるだろ……!いくら発情期がまだ先だっつっても、何が起こるかなんてわからないんだぞ」

銀司はきっちりとセットした自分の髪を苛立ったように掻き上げ、深い深いため息を吐いた。

「ネックガード、毎日付けとく?」
「……それは止めろ」

困ったように笑いながら丙がそう提案するも、静かな声で諭す様に止められる。
銀司は発情期前以外で丙が首輪をする事を良しとしない。
屋敷の食事を一手に任されている分、買い物に行くのも多い身の上だ、街を歩いて首輪を付けている人間なんて、オメガであるという事を自分から触れ回っていると同じなのだ。
一般社会ではあまりないが、心無い言葉を浴びせられる可能性があるのはもちろんの事、値段が張るネックガードは、付けた本人しか外せないような仕掛けが成されているものの、もしオメガを狙う人間に拐かされでもしたらどうなるか、想像に難くない。

「大丈夫だよ銀くん、今はいつも銀くんが教えてくれるし、薬も合ってるのか副作用らしい副作用も感じない。まぁ本当の事を言えば、早くもう一回改めてプロポーズしてくれないかなって気持ちはあるけど」
「まだだってこの前も言ったぞ……俺は世間的に見たら、まだペーペーのガキなんだよ」

苦虫を噛み潰したような顔で彼は言う、もはや呪縛のようなそれは、二人の間を蝕み、遠い記憶を呼び戻す。

「阿呆らしいよね、銀くんはもう成人してるのに……ごめんね、本当に」
「今更だろ、俺はもうしばらく道化のままでいる、待てるか」
「もちろん、いつまでも」

ぎゅっとその体を抱きしめても、彼は拒否することをしなかった。こうなっただけでも、相当な変化だ。
やはり大きかったのは金吾が光雅と丙を引き合わせたという事だろうか、彼の中に明らかな危機意識、というものが芽生えているのかもしれない。

「もう、何年になる?」
「八年かな、あっという間だよね……俺が高校生で、銀くんが中学生……本当、あっという間だよ」

悲哀というのが正しいか、丙は瞳を潤ませながらそう言ったが、抱きしめたままのこの姿では、見られることは無いだろう。
痴態とも言える八年前の出来事を思い出しているその姿を。





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