猫と兎

新たに課された任務、ビッグマダムの護衛ーーーー。迫る所一週間後となり久方振りに規模の大きい任務だ。各々はオークションへの戦力向上の為、努力に励んでいた。肝心な彼女は俺と共にする事を命じられている。少々の任務は彼女単独でこなし、既に部下も何十人か存在してる程。だが、オークションは危険度の高い任務を予知されるもの。上からの命令でその様な判断が下された。

「オークションでは優羽さんと組まされずに済んだ…、助かったぜ。」

「優羽って…確か1ヶ月前に入って来た美人の幹部の事か。助かったってどういう意味だよ?」

「…あの時俺達の班は5人。いつも通り任務をこなして帰り際に運の悪い事に白鳩に遭遇したんだ。それも奴は特等だった。」

「特等!?」

「嗚呼、流石に有馬貴将程では無さそうだったが特等という肩書きが恥じる事ない実力の持ち主で、俺と優羽さん以外は全滅した。」

ビッグマダムの護衛についてのミーティングまで後10分前後。広場で一足早く腰を下ろしていた俺は下っ端共の優羽についての噂を耳にした。割って入るのは俺の柄では無く、興味は少しばかりあるので聞き耳を立てていた。…そう言えば彼女の情報は一ミリたりとも入って来た事は無い。戦闘スタイル、赫子、能力、何もかもが未知数である。彼女と任務を共にした喰種は僅かな震えを起こし冷や汗を額に浮かべていた。

「丸で自分の手の内がバレたくないかの様に優羽さんは最後まで手を出さずに、無様に部下が死んで行く姿を目にしていた…俺はその時点で何故コイツが幹部に適任されたか分からなかった。俺の殺意は白鳩には勿論、優羽さんにまで行き届いた。俺の殺意を感じ取ったんだろう、優羽さんはやっと身を動かした。」

「…それで?」

「手刀のみで…白鳩の首を取った。数秒の出来事だ、目に追えないスピードで意図も簡単に奴の首を…。綺麗に返り血まで避けやがって…、俺は案の定優羽さんを責めた。何故そこまでの実力があるのに最初から手を打たなかったんだ、と。」

「丸で私が悪魔の様な女じゃないか。悪い噂を流すのはそこまでにしてほしいね。」

「……優羽さん!」

続きが気になる所だが最悪のタイミングで張本人の彼女が姿を現す。洒落たレトロなワンピースに漂うシャンプーの香り、髪が少し濡れている事から風呂上がりだと思われる。僅かに火照る頬を見ると、嫌でもあの光景が思い出された。無意識に彼女から視線を逸らすが至って彼女は平常だった。俺の存在は兎も角、当の本人が聞いたら気を悪くするであろう話を聞いてもこの態度だ。肝が座っている女。

「力の無い者は死ぬ。誰でもこんな事くらい分かる。…自覚はしている、私は団体行動が苦手だ。その日出会ったばかりの喰種を守る意味があるのかと、私は思った。だが、お前はお前の放つ殺意でお前の命は救われた。…その後あの白鳩の身体をお前にくれてやると言ったのにも関わらず尻尾を巻いて先にアジトに帰りやがって…あの後私は白鳩の死体を処分したんだぞ?女に汚れ仕事を任すな。」

「優羽、いい加減にしろ。」

「絢都…」

微笑を浮かべている様にも思える彼女の表情は恐怖を連想させるものだった。整った顔立ちの彼女が放つ冷たい笑顔には、身震いを起こす者も居るだろう。一つ一つの表情や動作が、俺にとっては新鮮で仕方ない。こんな冷酷な話を聞いてまでも、更に彼女を知りたいと思ってしまう俺もまた幹部失格なのかもしれない。重い腰を上げ彼女の肩に手を置く。俺へ振り返る表情に冷酷さは無く、目を丸くさせた愛らしい表情。そんな顔で名前を呼ばれては流石に参ってしまうが、今はこいつ等を部屋に戻そう。

「優羽には後から俺がキツく言っておく。まだこいつ自身も加入して1ヶ月程度だ。この組織の方針を叩き込んでおくから、お前達もこれ以上その様な話を他の奴に話すな。誰一人としていい気はしねえだろ。」

話を続けていた喰種は血相を変えて優羽を憎悪篭る瞳で睨み付けていた。隣にいた喰種が肩を押し二人の姿は闇に消えていく。彼等と入れ替わりの様に次に姿を現したのは気怠そうなナキ、そしてヒナミ、ミザ、ーーーー滝澤の四人だった。

「アヤト君、早速ミーティングをーーーー」

「オイオイ、明日も朝13時起きで早いんだぜ!?早く終わらせろ!!」

「阿呆ナキ…それは昼間で、しかも遅いだろ。」

「適当に殺ッて適当に喰ッて、…取り敢えずはそんな感じダロ?一々作戦立てるなんざ面倒クセェ。」

「…此処にまともな喰種は居ない訳?こんな奴等と話しても脳が腐るだけだ。さっさと終わらせよう。」

癖の強い奴等の集まりなだけはあり好き勝手に個人個人が感情を露わにし、本題を切り出すのにも苦労がかかるザマだ。大袈裟な溜息を吐くと隣に居るヒナミが眉を垂れて俺の様子を伺う。未だ餓鬼であり、女であり、話が一番分かるのはヒナミくらいだろう。不安な気持ちを背負う彼女の為にも話を始める。

「ナキとミザは同班、そして滝澤は奇襲を起こしてもらう。唯一お前は存在を奴等に知られていないからな。後は俺と優羽は会場内に居座る形だ。ヒナミはいつも通り敵の位置確認の報告を頼む。」

ナキはミザと同班なのが不服なのか文句を垂らしミザからの叱りを受けていて、といつもの相変わらずの光景が目に映る。ヒナミはというと先程の揺らぐ瞳は無くなり意志を強めた瞳に変わっていた。だが、少し目を離した隙に嫌な光景が広がる。

「…オイ、滝澤。お前何してる。」

「あァン?別に…、だってイイ匂いするからなァ、優羽チャン…」

「敬称は要らない。不快だから離れてくれないかな、」

優羽の背後にいつのまにか回っていた滝澤は黙々と優羽の首筋へと顔を埋めていた。正確には鼻を効かし匂いを嗅いでいたのだろう。優羽が不快だという事は一番に理解がいくが、この光景を見せられている俺もそろそろ限界が近付いていた。何故こんなにも怒気が高まる、こんな汚らわしい奴が触れていい相手ではない。その厭らしい身体を退ける為に一歩を踏み出そうとしたが、彼女の方が速かった。辺りに巻き吹くは、砂や石。

「忠告は一回だけしかしない主義なんだよ私は。例えお前が仲間だとしても、私の気を害するのならお前の首は取らせてもらう。」

刹那の出来事であり、2人組の喰種が話していた噂話がふと頭に過ぎる。奴が恐怖に身に染めるのも可笑しくない、彼女の容姿でここまで自身と差をつけられてしまえば一溜まりも無い。滝澤の実力を詳しくは知らないが、出来は良いと言われていた。その滝澤と互角ーーーー否、今のではっきりと分かる。互角以上の差が見える。

「優羽…、テメェ面白ェ女だなァ。最早女じゃねェ、正真正銘のバケモンだ。」

「褒め言葉として受け取っておく。ミーティングは終わったんだし、部屋に帰って早く寝ろ。」

果物ナイフの様な小さな刃物を滝澤の首筋に沿わせる、その箇所からは僅かな血が浮かんでいた。彼女はあの一瞬で滝澤の背後をとったのだ。滝澤といえど無防備な訳では無い、少しの警戒心は俺にでも感じ取れた。何食わぬ顔で滝澤を見つめる優羽は矢張り冷徹だ。場の雰囲気が一転した為、ナキやミザ、ヒナミまでも黙り込む始末。三人には視線を送り“帰れ”と暗示しておいた。颯爽と姿を消して行く彼等を確認した後に残るは俺と優羽の二人だけ。

「…こんな敵意剥き出しで、また絢都に怒られちゃうな。」

「今のは滝澤が悪い。丁度良いんじゃねえか?お前の実力が皆に伝わっただろ。」

「ねえ絢都、知ってる?実力とか努力とか、そんな事よりももっと手っ取り早く強くなれる方法。」

努力を積まずしてどう強くなれる。共喰いか?甘い香りを漂わせ背を向ける彼女の後ろ姿は何処と無く儚い。こんなにも小さな背中だっただろうか。弱々しくて、先程の圧倒的な強さを放った相手とはとても思えない。無意識に伸びる右手は、彼女の背中に行き届く前に彼女の言葉によって遮られた。

「情を殺す、捨てる。言い方を変えれば自分自身を殺す、新たなる人格を生み出す。私はこうして強さを得た。…何かを護りたくて強くなる、そんなの綺麗事で戯言だ。憎しみで強化し、強化した後には憎しみさえも捨て情を殺す。そして極限に達する。時間はかかるけど。」

まただ。彼女と話していると言葉が詰まる事が何かと多い。彼女は変わっている、彼女が経験した出来事は俺の予想を遥かに超える酷なモノなのだろう。彼女の言葉は五分五分だ、正しいモノとそうでないモノ。

「お前のやり方は強ち間違いでは無いだろうな。だが極限の域にまで達したお前はいつボロが出る?いつ壊れてしまう?いつ自我が保てなくなる?所詮は人間も喰種も同じだ。感情に左右される生き物…」

「だから今困ってるの。」

「…困ってる様には見えないが、」

「君が私の前に現れた事によって、私が私で無くなってしまう気がする。それがプラスになるのかマイナスになるのかは想像がつかない。でも怖い。護りたい、護りきってみせる自信はある。でもまた情を持ってしまえば、今の私の強さは保てないかもしれない。」

「優羽…」

気難しい表情や困惑した表情、悲哀に満ちる表情。確かに初対面の頃に比べれば表情も豊かになり口数も増えた。そして何よりの進歩はほんの少しずつ、過去を匂わす話を切り出す様になった。少なからずこの組織の中で一番心を開いている相手は誰でもないこの俺である事に違いは無い。温かい温もりが彼女と俺とで共有し合う、胸の中に彼女を咄嗟に閉じ込めると感じられる温もりに、何度も言うが甘い香り、男女を思わせる身長差。何故こんなにも全てが愛おしいのだろう、分からない。喰種にも何故愛情が繰り込まれているのか。

「餓鬼の頃に比べれば俺も経験を積み強くなった。何…女が生意気に男に向かって護るだの変な事言ってんだよ。お前は黙ってろ、何も考えるな。俺がお前を護ってやるから。」

「…臆病になった、君と居たら、進む勇気を踏み出せない。愚かだ、私は。」

「ゆっくりでいい…、誰も急かして何ていない。」

「何で絢都はこんなにも優しくて温かいんだろう。もっと可愛い女なんて腐る程居るのに、何で私に優しくしてくれるの?」

静かに顔を上げやっとの事で交わる視線。嗚呼、あの時以来だ。お前の温もりやこんなに至近距離でお前の綺麗な顔立ちを眺めるのは。指に触れる髪の毛先に更に指を馴染ませる。心地良い感触、指を通すと逃げる様に髪は流れてしまった。

「少し目を離した隙に居なくなってしまいそうで、こうやって触れていると理性を保つのに何時も必死で…愛おしくて、誰よりも護ってやりたくて、…お前も鈍感じゃねえだろ。ここまで言わせるな。」

「フフ、なんだか今凄い優越感に浸っている気がする。」

久し振りに見た柔らかい笑顔は場を和やかにする威力を放つ程だ。丸で猫の様に俺の胸へ頬を擦り付ける姿を見ると誤解してしまいそうになる。こいつも俺と同じ気持ちを俺へ向けてくれればいいと、気付けばそこまで欲深くなってしまっていた。透き通る肌、額に口付けを一つ落としてみると、嫌がる素振りは見せず、お礼のつもりなのか少し背伸びをして俺の頬へ唇を寄せた。期待が募り、先走ってしまいそうになる。自我を保つのに必死なのは俺の方だ。

「優羽…俺、」

「大丈夫。ゆっくり君と向き合っていくから。少なからずこんな事されて嬉しかったり、こんな事したりする相手は君だけだから。…焦ってしまえば返って君を苦しませてしまう恐れがある。それだけは避けたいから、時が来たら私から言わせてほしい。」

“考えさせて”又は、“時間を頂戴”この二つの意味が込められた返答だった。生まれて初めて抱く恋心は運良く期待の出来るモノで喜びが込み上げてくる。今まで死なずに済んで良かったと、大袈裟かも知れないが今の俺が在る意味はきっとお前と出逢う為に用意されたのだとーーーー。ここまで考えてしまう俺は重症だ。

「可愛い可愛い兎さん、おやすみ。オークションでは格好いい所、沢山見せてね。」

back