真偽

喉が悲鳴をあげている。渇きに耐えられまいとコンビニへ立ち寄ろうとすると即座に私の肩に暖かい感触が伝った。誰でも無い紛れも無く彼の掌であり、表情から察するに“辞めろ”と訴えかけて来ていた。彼の思考はある程度読めるまで成長した訳だが、それとこれとは別である。水くらい飲ませろ、私がそんなヘマをする様に見えるか?餓鬼に舐められては困る。

「喉乾いた、絢都のも買ってあげるから。」

「なるべく人との接触は避ける。気持ちは分かるが何が起こるか分からねえんだぞ。」

「…過保護なんだよ、君は。」

利き手で彼の腕を軽く遇らうと予想通りの顰め面を見せてくれた。体力が尽きてしまえば任務も糞も無い。食物の調達まで流石に手は行き届かない状態だが水分補給くらいせめてさせてくれ。コンビニの扉前で男女が異様な空気を放ち暫し睨み合っている…、私達の現在に至る状況の方が余程人目につくと気付いた頃に。

「おお、すまんすまん。痴話喧嘩は家でしろよ〜。」

「…。」

ご覧の通り店の前で立ち尽くす者が居れば、ここは日本の中心東京。人の行き交う数は想像を超え勿論唐突にぶつかる事だって日常茶飯事であると言える。案の定たった今人間の肩に接触し、小さな舌打ちを一つ鳴らした。不幸と言うべきなのか、チャンスと言うべきなのかーーーー相手様の人間は白鳩であった。

「水、買おうか。」

「…チィッ、」

陽気な二人組の白鳩が店内に入った事を確認し、絢都の了承に代わる舌打ちを得て私達も次いで店内に潜り込む。横目で二人を捉えると店のカゴを取り店内を物色していた。店内の時計に視線をやると短い針は2を指している。嗚呼、遅めの昼休憩と言った所か。何か情報を聞き出せると幸いなのだが。釣られる様にカゴを手に取り足取りはドリンクコーナーへと向かう。

「それにしてもさっき初めてQsってのを見たが…ありゃ失敗作だろ。近付くだけでも怖ェよこっちは。」

「生身は人間だがいつか馬路で人を喰ったりしてな!あんな物騒な奴等局の中をウロウロさせんなっての。」

「…ここだけの話だが、何でもトルソーやらオロチやらを追っているらしい。他の班の手柄を取ろうとしやがって…身体だけではなく性格も性悪だぞこりゃ。」

「目立った功績も無けりゃ悪目立ちしかしてない彼奴等じゃその二匹は敵わねェな。」

トルソーにオロチ…?レートの高い喰種だろうか。両者にしろ聞き覚えのない名称であり、興味を唆られる。この組織に加入するまでは俗に言うニート生活に似たようなものを送っていたから、少し外に出ない間に世間知らずに陥ってしまったのかもしれない。個人的にも詮索が必要となる話であった。視点が定まらず思考を張り巡らすと如何もボーッとしてしまう傾向にある私は、彼が缶コーヒーをカゴに入れる僅かな音と腕に伝う振動で我に返った。

「取り敢えずこの場は十分だろ、御前もさっさと決めて直ぐに出るぞ。」

ふい、とキャップ帽から漏れる髪を揺らしながら私に堂々と背を向ける。…仮にも誰の金だと思っているんだ、この恩知らずな餓鬼め。私はと言うと珈琲はあまり好まない少数派の喰種の為、迷う事なく飲料水を手に取った。幸いな事にレジに列は無く、会計はスムーズに行えそうだった。

「あと22番をワンカートンで。」

「………あ、はい!」

こう見えても愛煙家である私にとって繁華街から遠く離れたアジトで過ごすに当たり、煙草のストックが必要不可欠であった。金にはまだ余裕がある、何も躊躇う事なく五千円札を店員の若い男の子に渡した。恐らく絢都と歳は変わらないくらいだろうか。最近の若者は男も洒落て来ていて、髪の毛を綺麗にセットしている男で溢れかえっている。勿論この店員もそうであった。この様な場所に働きに来ているだけなのに何故そこまで拘るのだろう、矢張り人間には疑問点が浮かぶ事が度々多い。

「あの…これ、レシートです。」

「どうも。」

断る術を忘れてしまい仕方なく受け取り捨てようとしたが裏に何やら小さく書かれている数字が目に入る。電話番号か、いつの間に。ナンパをしに働きに来ているのか?金を稼ぎながら意中の女を手に取ろうとする強欲な生き物、ケダモノめ。拳の中のレシートは元の形を保てず最早ゴミ屑となり、丁寧にレジへレシートを返しておいた。店員の顔付きが変わる、怒りを露わにしている顔だ。

「優羽、何してる。早く出るって言っただろ。」

この状況をある程度把握したのか蔑んだ瞳で店員に睨みを利かし、私の手を取り店外へと出た。絢都、手首が痛い。そこまで強く握られてしまうと警戒しない限り折れてしまいそうになる。

「気持ちは分かるが今は任務中だ。行動には慎め、あくまで俺達は個人として動いている訳ではなく組織の喰種として動いている。俺達に何かあれば負担がかかるのは俺達だけではなくアオギリにも負担がかかるんだぞ。」

「…痛い、」

「あ?」

「痛いって言ってんの、いい加減離して。」

今も力の度合いを変える事なく握り続けられている手首は限界と言うほどでは無いが、直感的に痛いものである。自身が属する組織に対するうざったい熱弁をされてはこちらも堪ったもんじゃない。御前が忠実な犬だって事は痛い程分かっているんだ。私の訴えを機に、ようやく解放された腕。可哀想な私の腕、目をやると握られていた箇所は赤く少々腫れ上がっていた。水と缶コーヒーの入ったビニール袋を当てがい冷やす。

「…悪い。」

「痛いのは事実だったけどもう腫れも引いたし、そこまで私の身体は脆くない。はいコレ。」

視界の端に映るは私から目を背け、らしくない格好を見せる彼。反省はしているみたいで特に許す許さないは私の中では存在しないので其の儘放置、見て見ぬ振りをしておいた。大根役者の棒読み演技の様に、缶コーヒーを彼の胸へ押し付ける。素直に受け取る彼はまたも“悪い”と。こういう時は謝罪よりも感謝の気持ちを相手に伝えるものだ。社会慣れしていない私でも分かる範囲である。謝るよりも感謝を相手に伝える方が好印象を与えられる、上手く対人関係を築くのに初歩の段階だ。しかし彼にこの方法を伝授した所で私が得する訳でもないし、何より今は必要の無い会話を彼としたくなかった。一気に三分の一程の飲料水を口に含むと潤いが齎された喉に思わず頬が緩む。嗚呼、幸せ。同じく彼も身体は素直な様で半分程飲み切ってしまった様だ、何よりも任務に忠実な彼は恐らくずっと渇きに耐えていたのだろう。

「トルソーの事なら後日御前にも説明が下りる。ーーーー否、説明よりも恐らく手っ取り早くトルソーを知る事になるだろうな。オロチの方は俺もまだ詳しく把握しきれていない。」

「取り敢えずQsは今1区周辺、もしくは局本部にいる確率が高い。誰問わず邪魔者扱いをされている。そしてトルソーやオロチという喰種を追っている。Qsについての情報はこのくらいかな。」

「嗚呼、特にトルソーやオロチを狙っているとの情報はデカい。いずれオロチのデータも集めろとの任務も下されそうな気はするが…。」

「邪魔者扱い、か。」

「何か言ったか?」

「ううん、何も。」

「…?少し時間は早いがヒナミに状況を聞いておく。向こうの作業も一通り終わっていたらアジトに帰り報告だ。」

頭上にクエスチョンマークが見えそうな程に私の顔面一点を見つめ不思議そうな面をしていた。淡々と述べる彼を横目に内容はと言うと全く頭に入って来ない。何故かと言うと私の頭の中に今思い立つのは白髪の青年ただ一人。何処の世界に生まれ変わったとしても恵まれず神様には愛されていない愚かな青年だ。救われない青年、かと言って救えるか?と問われては不可。救いようの無い青年なのだから。青年を救い出せる者がいるとしたらーーーー私は、

「優羽、」

「……お腹が減ったなと思って。」

「…水で腹を誤魔化しておけ。」

一つ小さな嘘を彼に零してしまった。何故私はアオギリに情報を提供しないのだろうか、これから生涯身の置き場になり得るかも知れないのに。目の前にいる彼にさえも言い出せない、きっと彼はあの青年の事を知っている。かと言って彼に青年の事を聞き出すつもりなど毛頭無い。徐々に記憶は薄れて行き、儚い花弁となって散り行くーーーー。喰種も脳味噌は人間と同じ構造なのか、胸糞悪い記憶は何年経っても残る。そして幸福だと感じられる記憶はいつのまにか姿を消していて思い出す術が無い。前へ踏み出す為の土台代わりの強さなのか、それとも後ろめたさを感じさせ前へ行く道を拒むモノなのか。神様はどちらの意味で人間を創ったのだろう。

「絢都は何か護りたいモノでもあるの?」

らしくない台詞が響く。まさか自分の口から他人に興味を持つ台詞が飛び出すとは驚嘆だ。言ってしまったものは取り消す事も無く彼の返答を待つ。私がくだらない事を考えている間に雛実との連絡を終え、大きな瞳を更に丸く開かせて此方を見つめていた。綺麗な弧を描く黒眼に、思わず視線を泳がす。互いに目的地へ歩を進めながら、彼は高く空を眺めた。

「護りたい、という言い方より、護らなきゃいけないというのならある。」

「…強い君に護られる奴はさぞかし幸せ者だろうね。」

「そういうのじゃねえんだよ、…珍しいな。御前からその様な質問をしてくるなんて。」

「ハハ、私も驚いてるよ。誰かに興味を示したのなんて何年振りだろうっていう位。君だから、絢都だからこんな事聞いたんだろう。」

視界の端に僅かに映った彼の指先は私の言葉を聞いたと同時に揺れた。特に口説いたつもりは無いが、捉え方次第ではそうなってしまう発言に違いはなく我ながら反省している。彼が護らなければいけないモノ、概ね予想はつくが兄弟愛が勇ましい奴等だ。暫く無言の空気が続いたが不思議と重苦しい空気では無かった。恐らく私と同様、彼も同じ気持ちだと思う。気が付けば雛実達と解散したビルが近付いて来ていて、彼女等の姿も既にあった。

「優羽、御前はどんな理由があってアオギリに、」

「私はただの気晴らしだ。そんな軽い情で入られては困る、と言われるのも分かっている。だけど深い理由なんて存在しない。何となく、本当に何となく入ったんだよ。」

彼の言葉を遮り真実を述べた。これは嘘ではなく紛れも無い真実の理由。如何せ絢都の事だ、又ゴダゴダ説教を浴びると覚悟していたが案外そうでもなく、久しく私の的は外れた。

「他に何かあるだろ。」

「……は?」

キャップ帽の所為で表情は暗く見る事が叶わなかったが彼の吐いた台詞に困惑状態に陥る。私の事を何も知らない癖に何知った風な口を利いてくれているんだ、自分の事は自分にしか分からず最終的に理解が出来るのも自分自身。嘘は吐いていない、と先程自分に言い聞かせていたばかりなのに。

「…!アヤトくん、優羽。怪我一つ無いみたいでよかった。」

「嗚呼、ヒナミ。早速なんだがーーーー」

一足先に彼は他班と合流を果たし各自の任務報告を行うが私は一歩距離を置き、有り余る思考力を使い彼が呟いた言葉の意味を理解しようと努力に励んでいた。“何か”?他に理由があって堪るか。無の境地にまで自分を仕上げ、何度も自分を殺して、ようやく今の自分を手に入れた。完璧に仕上げたつもりだった自分が崩壊を目にしている。たった一言、彼の低く呟いた言葉によって。


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