一二三の追憶

「汚い風呂…、後でエトにホテルで寝泊まりしてもいいのか聞いてみよう。」

冬が明け、日の出も早まった所為か衝動的に目が覚めてしまう。冬は好きだが春は好きか嫌いかと問われれば後者に当たる。歓楽街の賑わいがより一層激しさを増し騒がしいのは好まない。…とは言っても目が冴えた訳ではない。眠気覚ましにシャワーを一つ浴びようかと考えたが視界の狭間に映る浴室にはガッカリだ。シャワーのホースは幾らかカビが目立っていた。思わず眉間に深々と皺を寄せたが仕方がない、今日限り我慢して水を浴びよう。幹部でこの部屋レベルとはアオギリも融通が効かない。

「6時半、…一応新人だし早めに出ようか。」

予想通り温度調整に手間を取られ思い通りにいかないバスタイムであった。初日早々嫌気が刺してしまっているがこの先が我ながら心配である。一通り髪を軽く乾かしいつものコートを身に纏う。

「新しい洋服、買わないといけないかな。」

気温は20°前後といったところか。太陽を浴びながらの移動は道中体力を削られると予測される。寒がりで暑がりという矛盾した体質を如何にかしたいものだ。

場面は変わり廃墟前へ。チラホラと数人喰種が見えるが恐らく私達の班で間違いない。必要以上の馴れ合いは不必要である為、間を取った先に見える瓦礫へと腰掛けた。下っ端で違いない為特に挨拶をする必要も無いだろう、柄にも合わない。私はこう見えて幹部なのだから。

「…あの、優羽さんですよね?」

か細い声が届く。主の方向へ視線を送るとこの組織には似つかない少女の姿が。困惑しているのか、私の姿を目の当たりにして少々の恐怖を纏っているのか、取り敢えず私の性には合わないであろう態度に眉を寄せた。何より敬称は要らないと昨日あれだけ布告したのにも関わらずエトに続きこの女まで。勘に触る餓鬼である。

「敬称は要らない、仮に私よりも歳が下であってもここの配属歴は君の方が上回っている。何もその様な態度を示す必要は無い。堂々と接する事は出来ないの?」

「あっ…ごめんなさい、そんなつもりは無かったんです。此処は女の人は少なくて珍しいもので、少し話してみたいと思って。」

私の言動に難があったのか、少女は一層縮こまり曖昧に口元を開き動機を話し出すが、こういう対象とは如何接するべきか未だに謎である。冷酷冷徹な組織だと耳にしていたが一部の喰種はこの様に仲間意識が多少入り混じってる奴も居るという事か。全くもって面倒だ、不運な事に予定時刻まで後20分弱は残っている。

「…それより君、私の名は知っているのに自分は名乗らない訳?」

「ごめんなさい。…笛口雛実です、確かに貴女の言う通り立場的には私の方が上かも知れないけど私だって皆に比べればそんなに歴が深い訳でも無いから。」

「ーーーー雛実?」

「え、あ…はい。」

「否、何でもない。気にしないでくれ。」

驚いた。絢都といい、この少女といい。何だか凄く懐かしい気分に陥ってしまっている。当時の記憶が蘇り、…声に、場所に、会話の内容に、表情に、全てが鮮明に追憶され何とも言えない空気感だ。この組織に加入すれば楽に生きる事が出来ると予測していたが、運命様は如何も私にまた幾つか試練を与えたいらしい。全く迷惑が次々と降り掛かるが仕方ない、一つ一つ着実に消して行ってやる。

「多少気に掛かるかも知れないが私の事は優羽と呼んでくれ、私は至って気にしないしそちらの方が有難いくらい。付け足せば敬語も必要ない。」

「…うん、わかった。改めて優羽、私は主に情報処理を任されているの。こう見えても着々と経験は積んでるから心配しないで。」

「情報処理か…、戦闘は苦手なの?」

「ううん、苦手って訳でも無いけど周りの強い喰種に比べたら私は劣ってしまうと思う。…アヤトくんは凄く強いし。」

「…へえ、それは楽しみ。」

力任せで馬鹿やっている組織では無さそうで少しばかりの安心を得た。大掛かりな任務を果たそうとしていて、且つ私達の班は重大なポジションに立たされている事は概ね予測がつく。生憎私は情報処理・操作には知識が欠ける為戦闘タイプの喰種だが。生半可に過ごしていい訳ではなさそうで、当分は又生きる意味を貰えたかもしれない。

「ーーーーヒナミ、全員揃っているかの確認は取れているか?」

「お早う、アヤトくん。大丈夫だよ。」

横目に私を捉え直ぐに視線を逸らされてしまった。釣れない男だよ、君は。折角の美形が台無しじゃないか。

「今日の任務の説明を再度確認する。特に優羽はよく聞いておけ。ーーーー白鳩に“Qs”と呼ばれる奴等の活動が最近目立っているとの情報が入ったのは御前達も知っている筈だ。具体的には未だ此方としても情報不足な為、派手に暴れ回る事は出来ない。慎重に情報収集を行う事が今日のメインになる。…原則として俺と優羽は共に行動する様上からの命令が下された。よって2チーム4マンセルで任務を開始する。地区の担当は俺、ヒナミから各確認を取るように。」

“Qs”、又物騒な名前が飛び交っている。此奴等がどこまで奴等の事を知っているのかは不明だが、私も生憎情報不足な面はある為何ともこの任務は自得に過ぎない。赫子を操る事の出来る人間ーーーー最早喰種と同等に恐れられる対象では無いのだろうか。敵の武器である赫子で喰種を抹殺…加えてクインケも使いこなせる化け物共。油断して挑む相手達で無いのは弁えてある。

「御前にとっては初任務に当たる、言っておくが一つのミスでもシビアだ。油断はするなよ。」

「聞いたよ絢都。かなり腕が立つんだってね、私がピンチになったら君に助けてもらうから安心出来る。」

「は?…まァそんな事言ってられる余裕があるのなら然程緊張も無さそうだし、リラックスは良い事だが…二回も言わせて貰うが油断はするな。」

「私ってそんなに弱者扱いされる様な喰種な訳?」

「誰もそんな事は言っていない。」

困った表情を見せたと思いきや急に真面目な顔に戻ったりと色々と表情筋が忙しそうな彼は見ていて退屈しない。何より私は君が知らないであろう君の姉の事をよく知っているんだから尚更見ていて楽しめる。姉と弟である君を照らし合わせると尚面白味が増す。正直言い過ぎではあるかも知れないが姉の力量は期待出来ないが、君の力量には期待している。何せ同僚、雛実があの様な発言をしてガッカリさせられては困るものでな。

「出発するぞ、各自無事を祈る。」

一見冷酷そうに血をも似合いそうな彼はこの中で一番情が厚い喰種なのかも知れない。少年期は荒れ果てていたらしいが無事に更生出来たのだろう、馴れ合いは苦手で無駄な情を入れ込まれても有難迷惑な訳で私にとっては面倒事の一つに過ぎない。彼の一言を機に各々が場を散り残されたのは私と絢都、そして部下の二名であった。去り際に彼の言葉を聞き入れた雛実が柔らかく頬を緩ましていたのは安堵の笑みそのものであり、先程の雛実の発言や笑顔を聞き見る限り絢都に対し絶対的な信頼があると伺える。男女のものでは無いとは思うが。雛実の想い人は私がよく知る人物なのだから。

光が眼球に刺さるーーーー。朝早く外の空気を吸うのも久方振りであり視界が光によって少々制御されるのも不慣れだ。何故この時間帯を割り当てたのか謎ではあるが今は彼に従う他無い。もう5kmはアジトから遠退いただろう、アジトと瓜二つの数々の廃墟を足場に東京の中心部へと進み行く。ふと下方に視線をやると伺えるは人の海。そうか、この時間帯は社会人や学生共が行き交う時間帯。出勤前であったり授業前であったりと各々の役目を果たす為に行動するのに最も適した時間であった。廃墟とは言わず、小綺麗な高層ビルの屋上に脚を落とし脚を止める。下界を見下ろしながら彼は言った。

「目標は1区…と言いたいところだが、矢張り迂闊には近付けない。様子を見て、1区周りを中心に掘り出して行くぞ。」

「具体的にはどの様な手段で収集を?」

「シンプルに聞き込み調査だ。対象は喰種なら誰だっていい、調査に失敗してしまえば殺してしまってもいい。何かを隠していたり思いの外相手が強ければ殺さずに捕獲とする。」

「強引なやり方、嫌いじゃない。」

「…フン、全て上からの命令だ。今からは2マンセルとする。少し前にも言ったが、俺は優羽と組む。何かあれば無線を飛ばせ。」

「「了解。」」

彼の指示と同時に又もや地を飛び立った部下二人の姿は気付いた頃には消えていた。黒兎型のマスクを付け直しながら彼は再度指示を。

「流石にこの陽射しの中人混みに紛れる事は出来ない。路地周りを中心に作業を行う。」

「了解…とは言ってもこんな時間帯に路地に喰種は居ないんじゃないの?」

蔑んだ目、否、哀れみの目、どちらとも言えないのかも知れない。表現しきれない瞳で私を捉え瞳の中には私の顔が反映されている。呆れた様に彼は述べた。

「ーーーー矢っ張り何も知らないんだな、御前は。」

意味深な言葉をこの場に残し降り立ってしまう彼、背中には付いて来いと言わんばかりに身に伝わって来る。思わず不意にも首を傾げてしまう程の言葉に疑問を抱くばかりであった。特に意味の無い発言なのかも知れない、しかし彼から発せられる言葉はどれも一つ一つに重みが感じられるから余計に気になってしまうのだ。私の事だからきっと1時間後には綺麗さっぱりに忘れてしまい、ふとした時、若しくは数年後に又思い出すのだろう。彼の言葉を。


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