A secret novel place | ナノ
雨上がりの空を待って(4)



 一応郊外に出るとは連絡入れたけれど、呼び出しがないといいなと虎徹は言った。
外は小雨。時折ざーっと激しく降ることもある不安定な天候。
雲が走っている。
切れ切れに天使の梯子が覗いているので、もうすぐ雨が上がりそうな気配だった。
 雲の切れ間に向かって走っているなとバーナビーは思う。
虎徹の車なので珍しく自分が助手席に座っていてなんだか居心地が悪い。
虎徹さんもいつもこんなような気分なのかなあとなんとなく思った。
「ここいらが自然公園なのは知ってましたけど、植物園があるなんて知らなかった」
「いやもう、ここがその敷地になってる。自然公園の区画内に作ってんのよ。手を入れてるのは極一部で入り口付近だけだと思うよ」
「ははあ」
「あんまり外来種を入れるのはまずいらしくて、きっちり区画で分けて管理してると思う。紫陽花はそれでも人の手がなければそれ程勝手に増えないから」
「そうなんですか?」
「東洋人は割合紫陽花のことが好きな人が多いけれど、西洋系の人たちはあまり紫陽花を鑑賞しようとは思わないだろ? なんでかっていうとさ、こっちの紫陽花は白色が主だから。それで不吉なイメージが先行しがちなんだろう。オルタンスやアナベルって言えばちっとは心当たりあるだろ?」
「ああ、そういえば」
 陰鬱なイメージが確かにあると心当たる。確かに雨の中ぼうっと浮かび上がる白い花は幽霊草とも思われて嫌いな人も多い。だが虎徹の言う紫陽花は色鮮やかでしかも色が変化していくという。
 種類が違うんだよ、東洋のはガクアジサイっていう種類で実際色づいてるのは花びらじゃなくてがくの部分なんだ。そこも勿論色がついてるけど、実際の花は鮮やかな青色をしているものが多い。
「俺は白は白で綺麗だと思うけどな。実際美人の名前だろ。オルタンスが王女様だし」
 昔の人の方が情緒があったってことかな。まあ雨に濡れて風邪でも引けば直ぐにぽっくり逝ってたご時世だから、不吉なイメージになるのも判るんだけどな。
「だからそこで傘なんだよ」
 得意げにそう虎徹が話すので、バーナビーはくすくすと笑った。
おかしい? とちらりと虎徹が微笑んで見やってくるので、嬉しいんですと言った。
「ずっと、結構前からこんな風な会話がしたかった。だけど僕はその、そういう経験が全くなくて――距離感が掴めなくて」
「俺だってそうだよ」
 ずっとバニーとの距離測ってた。
揶揄うのは幾らでもできても、冗談で紛らわすのだって簡単だったけれど、いざまともに話そうとするとどうにもよくわからなくてさ。
「好きでいてくれるのか、その好きはどこらへんなのか、どこまで近づいてもいいのか、お前がどこまで許してくれるのか、俺もそれが判らなかった」
「僕、唐突でしたもんね」
「……」
 ちらりとまた虎徹が視線を走らせて来るのが分かったが、虎徹はそれには何も言わずに右折する。
判りにくかったが、ここが自然公園の入り口らしい。
再び長い直線に入ったが、目の前に申し訳程度の看板があって、自然公園へようこそと書いてあった。
両サイドが開けて草原のよう。遠くにあった森が見る見るうちに近づいてきて、そこが駐車場らしい。特になんの設備もなかったので適当に止めていいということだろう。
「あちら側には温室があるんだけど、行きたい? そっちの設備は有料だけどレストランもあった筈」
 来たことがあるんですかと聞きそうになって気づく。
かつて虎徹には家族がいた。きっと奥さんと来たのだろうと。
 車を止めて車外へ。
直ぐに傘をさし勝手知ったる場所のように虎徹は歩いていく。
虎徹は右手で、バーナビーは左手で傘を持ち、バーナビーは虎徹の横に並ぶと、なんともなしに右手で虎徹の左人差し指に触れる。
つまむようにその指を持ったのを知り、虎徹が一瞬首を傾げたがすぐに破顔してしっかりと彼の手を握った。
「誰も見てねーよ」
でもシュテルンビルトではなしな。手ぐらい幾らでも繋いでやるから変な触り方すんなよ。
「はい」
 ぶっきらぼうにそう言われて嬉しかった。
なんだろう、やはり虎徹はとても積極的だ。かつてないぐらい。そして多分すごく自分に対して気を使っている。それは罪悪感にも似てるとバーナビーは思う。
 何故か素直に信じられた。
虎徹は自分のことをとても好きでいてくれている。恐らくあの「愛してる」という一言は真実だったのだろう。
 小道を歩く。
しかしそこに踏み込んでバーナビーは空を見上げた。
「すごい、こんなに背丈が高くなるんですね」
 これじゃ森だ、小さな――紫陽花の森。
そう感嘆の言葉を述べると虎徹は「以前来たときよりもずっと育ってる」と言った。
 鮮やかな青と紫と、そして淡いピンクのそれが、そここに雨の中首を重そうに垂れて揺れていた。
葉を伝い落ちる透明なしずく、そしてさあさあと小さくこだまする雨音の中、なんだか二人で異次元に迷い込んだような気すらする。
 なんだか迷子になったみたいだなんて。
でも。
 そっと握る手に力を込める。
彼と一緒ならそれもいい。
 二人で談笑しながら小さな雨降る紫陽花の森を歩いた。
思ったよりも綺麗に整えられたその小道はいつまでも続いていて欲しいと思わせるような静謐さだった。
 綺麗だろ?
 ええ。
本当に綺麗だ。雨に洗われて葉っぱがピカピカに光っている。そして柔らかく降る細い雨に透明な薄膜をまとったようになって、その上から透過して映り込む傘のピンクとグリーンがとても美しかった。
 パステルカラーだ。
こんな穏やかな日常を、誰かと共有することができるようになるだなんて、それが虎徹さんであるのなら猶更に。
そうして抜けた紫陽花の中、踏み出したそこは見渡す限りの草原だった。
濃い緑、なだらかに広がって遠くに一本の木が生えている。
そしてその草原に無数に咲く白と黄色の花。
「カミツレだよ。今が丁度開花時期なんだ」
 春になって一面のチューリップ、草原を行く風に揺れながら、見渡す限りをカミツレ(加密列)とアネモネが埋め尽くす。そうして秋になってエリカが咲いて、また冬が来る。
「また――これるとは思わなかった」
 バーナビーは虎徹の手をぎゅっと握りしめる。虎徹も握り返してきた。
「ごめんなバニー」
 何故? 謝るのなら僕の方だ。あんな風に貴方を抱くべきじゃなかった。あなたが許してくれたとしても、しては行けないことだったのだと思います。
そうバーナビーはカミツレの群れの向こうに視線を向けて言った。
 だが虎徹は首を振る。
そうじゃない、違うんだと。
「俺はお前が帰ってきてくれて、また一緒にヒーローやってくれるって知って、本当に嬉しかった。でもお前は知らなかっただろうけど、本当に嬉しかったのはお前が――俺が引退するって言ったときに一緒に辞めるって言ったこと。俺がいなきゃヒーローやる意味がないってお前が言っただろう? 俺は最低な人間だ。俺は――お前に依存してたんだよ。お前がそうだと思ってくれているよりもずっと俺は矮小で醜い人間なんだ。俺、俺はな……俺が復帰したらお前が戻ってきてくれるって――知ってたんだよ。期待してたんじゃない、知ってたんだ。そうお前が俺に依存するように仕向けてたんだ。だから罰が当たったと思ったよ。お前が俺のこと好きだって言ったとき――なんで俺は、こんな風にお前の気持ちをいい様に扱っていたのだろうと。だから逃げたんだ。最初から向き合う気なんか無かったんだ。まっすぐぶつかってこられて初めて知った。自分がどれだけお前に対して卑劣なことをしてたか」
「――そんな!」
 そんなことないです。この気持ちは僕自身のものだ! 虎徹さんがコントロールしたものじゃない。そんな己惚れないで下さい! 僕は僕自身で考えてそれであなたが好きなんです。虎徹さん。
 虎徹は少し微笑みながら首を振る。
「いいや、本当だ。俺はずっとお前と向き合うのが怖かった。実際お前も少しは思うところがあったんじゃないか? 何故こんなに俺に執着してしまうのか。事実お前は俺を抱いた後、後悔して泣いてたじゃないか。バニー、それも本当のお前の気持ちなんだよ」
「あれは違います。あなたを抱いたことを後悔した訳じゃない! そうじゃなくて無理強いしたこと、あなた何も言わなかったけれどあれは紛れもなくレイプです。ヒーローとしてやっちゃいけないことだった。例えあなたが同意だと言ったとしても、あの時のはそうじゃない。あなたは僕を裁いていい」
 違うんです、何故僕はこんな風に貴方を傷つけるようにしか愛せないんだろうと自分自身に絶望していただけなんです。
僕はいつも大切な人こそを傷つけてしまう――多分愛し方を知らないんだと思います。でもどうしていいか判らない、だからいつも失敗ばかりで。
「やり直せるなら何度だってやり直したい。ごめんなさい虎徹さん」
「バニー好きだ」
 不意にそう虎徹がいう。
まっすぐにいう。そしてその言葉がすとんと胸の中に落ちてきた。
ああ、この人はなんて。
「今初めて向き合う。俺はお前が好きなんだ。大切に思う。だからもしダメだと思うのならここでお前は終わりにしていいんだ。今日はそれが言いたくてここまで来た」
 逃げて逃げてばかりだった以前の俺に終止符を打つために。
「俺にとってここへ来る約束は、俺が歩き出すために果たす必要があったんだ。バニー俺でいいのか本当に」
「ええ」
「後悔しない?」
「はい」
 虎徹はなんだか本当に安堵したように息を吐き出すと「よかった」と呟いた。
気づくと雨は止んでいた。
遠く、灰色の雲がおどろを描きながら遠ざかっていき、押し寄せるように光がその後を追いかけていく。
そうして黒々とした濃い雲の切れ間から、輝くような青い空が覗いて、すうっとまるで春の妖精が絵筆を取ったみたいに、パステルカラーの虹が草原の向こう側にかかるのが見えた。
「なんて景色だ、凄いな」
 バーナビーが目を細めて虹を眺める。傍らで虎徹が傘を畳みながらやっぱり大陸はスケールが違うなあと言った。
「以前僕、景色が違うんです、って言ったじゃないですか」
「ああ、二人とも息があってきた頃合いだろ。あの時は俺も気持ち良かったからなあ」
 ぴったりハマるっていうの? バディヒーローってのもいいもんだなって思ったよ俺も。
そうですねと同意しながらバーナビーは続けた。
「今思うと、違う景色をいつも見せてくれたのは虎徹さんだったんですね。貴方といると退屈しない」
「そうなの?」
 退屈しない??
なんか腑に落ちないような顔をして首をかしげるのでええとバーナビーは笑った。
「また新しい景色を見せてくれるつもりでしょうに」
「何かしたっけ?」
バーナビーはきょとんとしている虎徹に、またまたとウィンクしてみせた。
「だって折角買ったローションだって一つも開封してないじゃないですか」
「え、そこなの?」

 あんま、期待しないでね。

弥が上にも期待高まりますね。

 参ったなあと虎徹が頭を掻き、バーナビーが右手を掲げて虎徹の反応を待つ。
虎徹は合点がいったというように自分も右手を挙げて、バーナビーの拳に自分の拳をぶつけた。

「よろしく、バニー」
「こちらこそ」





    ここからまた、始めよう。


新しい二人の景色に向かって。






Fin







TIGER&BUNNY
【雨上がりの空を待って】 There's a kind of hush

表紙
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Photo by (c)写真素材 足成



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