雨の日と月曜日は(1) 【雨の日と月曜日は】I Need To Be In Love 月曜日は小雨だった。 酷く惨めな気分でブロンズステージの自宅へ帰る。 早朝だったが、ゴールドからブロンズへ下る高速バスはもう出ていて虎徹はそれに迷わず乗った。 最高で最悪な一晩だった。 二部リーグでタイガー&バーナビーとして復帰したのが去年の十二月。 もしかしたら戻ってくるかも知れないと薄々期待していたが、バーナビーは迷わずヒーローとして虎徹の隣に戻ってきてくれた。 卑怯でずるい選択だった――そうかも知れない。 自分の心中を一切明かさず、あれは今思えば自分に都合の良いようにバーナビーを誘導していただけなのかも知れないだなんて。 そう脳裏の片隅で気づいていた。なのにそんなことはないと深く考えずに流してしまった。 彼が期待したように傍らに戻ってきてくれた時、嬉しくてただ嬉しくて胸が一杯になって心の中でありがとうと何度も呟いた。 照れくさくてそんな事口に出す事は出来なくて、でもバーナビーも解っていてくれているのだろうと勝手に思い込んでいた。 何時からだろうか。 バーナビーが自分の事を唯の相棒ではなく、特別な相手として見るようになったのは何時からだったのだろうか。そしてそれを知りながら敢えて今の今まで無視し、気づかないふりをしてきたこれは罰なのだろうか。 車窓からしとしとと降り注ぐ細い銀の糸を見つめ、虎徹は無意識に目頭へと手を当てた。 TIGER&BUNNY 雨の日と月曜日は I Need To Be In Love 2013年 兎虎両片想いアンソロジー寄稿作品 2015年 加筆修正版 ネット再録 CHARTREUSE.M The work in the 2016 fiscal year. 「大丈夫か? 何か具合が悪い事があったら言えよ」 虎徹が心配そうにそう声をかけてきて、バーナビーは今のところ特に問題はありませんと返した。 今回の出動要請で捕まえた強盗犯の一人がNEXTだったらしく、その場に居た人々に向かって「お前たちの記憶を奪ってやった」という捨て台詞を吐いてそれきり黙秘してしまったのが今から五時間程前の話。人質を取って銀行内に立て篭られてしまっていたのでヒーロー達は二組に分かれて対処に当たったわけだが、突入組に選ばれたバーナビーとドラゴンキッドとロックバイソンがその被害に遭うことになった。 司法局と警察のその後の調査によってそのNEXTの力が判明したのだが『一番印象に残っている最近の記憶を消去する能力』だった。 大抵の場合強盗などに遭遇した被害者はその事件を忘れるそうなので、彼の能力は犯罪向きだとは言える。しかしヒーロー達は日常的にそういった犯罪に近しい立場でもあったので、どうやら事件ではなく別の事を忘れてしまっているらしい。このNEXTの解除方法は特に無く、自力で思い出す以外ないのだと言う。 「強烈なド忘れだと思えばいいんだな」とアントニオは勤めて明るく言ったが、バーナビーとパオリンは眉間に皺を刻んで考え込んでしまった。仕方が無いのでパオリンは自分のマネージャー兼世話役であるナターシャに、アントニオとバーナビーは他のヒーロー達に「何をどう忘れたのだろう!」と聞き込みしたのだがサッパリ判らない。ただパオリンはオデュッセウスコミュニケーションに届いた自分宛の大量の肉まんで記憶を取り戻した。 「今日届く予定でさ、もう楽しみで楽しみでずーっと待ってたんだよ。カレンダーに丸ついてるしなんだろうって思ってたんだけど、思い出せてすっきりした!」 そう嬉しそうに報告してきたので、事件後どんよりとした気分でトレーニングルームに集合していた面々は少しほっとした顔になった。 「ドラゴンキッドの例からすると、なんだか些細な事を忘れてる気もするな」 「まあ、本人にとっては一大事なんでしょうけどね。一番印象に残ってる事かあ」 アントニオの発言にカリーナが呟きネイサンは頬に手を当ててそれまで黙って皆の話に耳を傾けていたが「でも本人にとっては絶対忘れたく無い事だったかも知れないじゃない」と言ってバーナビーを絶句させた。 「おい、お前は何か忘れてる事に思い当たる事はないのか?」 アントニオが聞く。 バーナビーはうーんと顎をしゃくりながら考え込んでいたが、お手上げですというジェスチャーをした。 「他人の事よりバイソン先輩はどうなんです」 「全く思い出せん」 腕組みをしてずっと考え込んでいるアントニオにバーナビーは軽く肩を竦め、もうなるようにしかなりませんよと嘆息した。 「キッドみたいに大したことないのを忘れてるといいな」 「大したことなくないよ!」 パオリンが真顔で抗議したが他のヒーローはそれを黙殺。ネイサンが「だって貴女のは思い出せる可能性が高いものだったじゃない。忘れてたものが物体だったのが幸いよね」と言い「思い出せるきっかけがあるものならいいけど、他人との約束だったり、形が無いものだと困るわね」と続けたのでアントニオとバーナビーは顔を見合わせた。 「きちんとした約束事ならすっぽかした時点で相手が文句言ってくるだろうから判るよな?」 一応会社のスケジュール確認しておこうとアントニオはPDAを立ち上げると「スポンサーさんとの約束忘れてたら洒落にならねぇ」と呟いた。 慌ててバーナビーもPDAを立ち上げるが、虎徹がバーナビーの肩に右手を置く。 「スケジュールは大丈夫だ。ロイズさんも俺も確認してるんだし、もし忘れてたら教えるから」 「何を忘れてるかも忘れてる状態なんでしょうね。ああ苛々する」 バーナビーがそう笑うとカリーナが考え込むようにして言った。 「そのさあ、忘れる事っていい事ばかりなのかな」 んっ? とパオリンがその肉まんを頬張りながらカリーナを見る。沢山あるから皆も食べていいよとテーブルの上に山盛りになっているそれは、殆どパオリン自身によって消費されていたが、一つはイワンが食べていた。 「凄く印象に残った事って普通嫌な事だったりしない? 強盗事件もそうだけど、ショックな事とか怖い事とか嫌な事、むしろ忘れたい事が消されやすい気がするんだけど」 「まあ、パオリンの例からしてアタシ達ヒーローはどっちかっていうとプライベートの些細な事を忘れてそうな気がするけどね。ブルーローズの言うように忘れたままの方がいい事かも知れないし」 うふんとネイサンが尻を撫で上げてきたのでアントニオが飛び上がった。 「おいやめろ!」 「忘れられて残念だわぁ」 「なんだと! おいっ、ネイサン嘘だろ? おいっ!」 知らなーいと笑いながらネイサンが小走りで談話室を出て行ってしまったのでそれをアントニオは追いかけていき、なし崩しに解散の雰囲気になった。 タイガー一つ食べなよ、美味しいよ! とパオリンが肉まんの最後の一つを虎徹に押し付けて出て行く。虎徹はそれを受け取りながら苦笑した。 それから虎徹はバーナビーを振り返って言った。 「ご両親の記憶が消えたっていうのはないよな?」 「最近の記憶に限ってらしいですから、長期記憶化したものは影響ないんじゃないでしょうか」 「そうか」 ならいいんだと虎徹は笑う。 その横顔がなんだか寂しげに見えてバーナビーは首を傾げた。 「虎徹さん?」 バーナビーの問いかけに虎徹は困ったように頭を掻いた。 トレーニングをこなしアポロンメディアに戻るとロイズがヒーロー事業部に来ており、バーナビーと虎徹が帰社したのを見るとプリントアウトした予定表を手渡した。 「多分大丈夫だと思いますが、念の為チェックしてみて下さい」 じっとそれに目を通してバーナビーは首を振った。 「忘れてるものはこの中には無いみたいです」 その後二人は今日遭った事件の詳細を報告書に纏めるとおばさんへ提出。今日の事件は珍しく午前中だったので通常の帰社時間を少しオーバーしただけで済んだ。 「一軍復帰の特番やるらしいんで、明日はその打ち合わせも入れといた。これはついさっき入れた予定だから確認しといて」 おばさんにそう言われてバーナビーは「はい」と返事。虎徹も曖昧に頷いた。 その後二人で何時も通り帰ろうと虎徹を促すと、彼は「今日は自分家に帰る」と言った。 「何かご予定でも?」 「そういう訳じゃねぇけど、今日は帰るわ」 虎徹はそう言って左手をひらひらと振りながら帰ってしまい、一人残されたバーナビーは胸にちくりと痛むものを憶える。 その日から数日が過ぎたが、アントニオとバーナビーは全く記憶を取り戻せないままだった。トレーニングルームで鉢合わせる度に二人はそれとなく互いに状況を報告し合ったが、判った事はパオリンと違って自分たちが忘れてしまったのは恐らく対人関係、なんらかのやり取りだったのではと言う事。 「参った」 アントニオはそうぼやいた。 「何の取っ掛かりも無い。ネイサンが何か知ってそうな気もするが揶揄われている気がする」 バーナビーは苦笑し、僕の方もサッパリですと答えた。 「余り気にしない方がいいのかも知れませんね」 「俺の忘れちまった事がネイサン絡みなら、お前の忘れちまった件は虎徹に関してじゃねぇか?」 アントニオがマットの上で腹筋をしながら、トレッドミルで走っているバーナビーに言う。 バーナビーはアントニオを振り返った。 「え?」 「なんかお前たちあの事件後からずっとよそよそしくないか? 虎徹が意気消沈しているような気がしてな」 「そう――ですか?」 バーナビーは首を傾げてそうかも知れないと口の中で呟いた。 他のヒーロー達には言っていなかったが、バーナビーは事件の前日虎徹に告白していた。 ずっと貴方の事が好きだったと言うと、俺もお前の事が好きだよと普通に返されて困った。 相棒とか友人とかいう意味ではなくて貴方が好きなのだと真摯に伝えると今度は意味を汲み取ったようで、長いこと虎徹は沈黙していた。 ヒーローに復帰してからこっちバーナビーと虎徹はかつてそうであった時よりもより近しく間を行き来するようになり、大抵どちらかがどちらかの部屋を訪ね、二人で寝起きするようになっていた。二人で暮らした方が経済的だしいいのではとバーナビーは何度か提案してみたが、その度に虎徹は困ったように笑うだけで、返答についてはいつでもはぐらかされていた。 告白するまで気づかなかったが、あれはきっと逃げ場を用意しておくという意味もあったのだろう。 自分がここまでと思うラインを踏み越えて入ってきた時に締め出せる安全領域の確保、それが彼が同居を承諾しない一番の理由であったのではないかと。 フられて気づくなんて僕も間が抜けてる。 変な話だがバーナビーは、虎徹が拒否するとは考えてもいなかったのだ。 最初は単なるルームシェアとして提案するつもりで、まさか告白する事になるとは自分でも予想外だったが――我ながら拙い展開を選んだと後から後悔したものだ。どうせ忘れるならここらへんを忘れれば良かったのに。フられた経緯も其処までの流れも全て憶えていて記憶が連続しているようにしか思えなかったので、恐らく忘れたのは全く別の事なのだろう。しかしこれ以上ショックな事なんか他にあっただろうか。正直虎徹にフられた時、脳天にハンマーを振り下ろされたようなショックを受けた。本気で頭痛がしてきて涙を飲み込むのが精一杯だったのを思い出す。 虎徹はこう言ったのだ。 「俺はお前の事を相棒としてしか見れない。悪いな」と。 そうですかと震える声でバーナビーは返答した。 他にどういい様があったのだろうか。 それでも相棒では居てくれるんですよね? 離れていかないでくれますね。信頼させてくれますよね。こんな僕は重いですか? 気味悪いですか。嫌いますか? 嫌ですか。 管を巻くバーナビーに虎徹が優しく諭すように言う。 もうよせよバニー。変な酔い方するからさ……。お前の気持ちに応えられないって解っていて今まで通り付き合いたいっていうのなら俺に異存はないよ。お前が望む時に傍に居る。俺もお前の事が好きだよ。 それでバーナビーは諦めたのだ。 そう、充分だ。諦めようこの人を。少なくとも一生言えないと思っていた事を言えた。それでいいじゃないかと。 ……でも? 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