バンパイヤ 7.狭間に立つ(4) つぷりと心臓の下につきたてられたメスの冷たい感触に、虎徹は生理的な反応としてびくりと震えた。 その痛みは一瞬で、すぐに再生されて内側から盛り上がる肉が出血をも抑えてくれると知っている。 その瞬間流れ出る真紅の液体はぽたりぽたりと零れてつるつると床を這い、血溜まりを作った。 肌の下に潜り込む痛みと冷たさには何時までも慣れる事は無くて、どうしても震えてしまう。 ロトワング教授は虎徹が訪れるようになってから最初の一週間で、虎徹の身体の隅々まで文字通り開いて観察した。 ダイヤモンドで作られたそのメスの刃は、凄まじい切れ味を誇っていて余りに繊細な切り口故に、虎徹の再生能力と見事に釣り合っていた。 切り裂く端から速やかに再生される皮膚。 出血したかと思うと、まるで時計の巻き戻し、逆再生の映像記録を見ているように虎徹の身体は回復していく。 綺麗に左右に広げられた肉、その奥で規則正しく鼓動を刻む心臓を直視した時に これは真実人間ではないものなのだとロトワング教授は感じ入った。 「綺麗な心拍を刻んでいる」 切り開かれて外界に曝け出された心臓の持ち主の方は、その感想に顔を逸らした。 自分の体がどうなっているのか多少興味はあるが、自分の心臓をじかに見せられるのはあまり気持ちのいいものではない。 そのうち心臓を引き出して自分の首の辺りに置くんじゃないかと、それはちょっと死にそうだなあと虎徹はヒトゴトのように想像してああいやだと思った。 さすがに握りつぶすような真似はしないようだったが。 何をしたいのかがわからないが、ロトワング教授とアスクの利害は一致していて、ロトワング教授もアスクには頭が上がらないらしい。 アスクは何者なのだろうと虎徹はぼんやりと思った。 あの、酷く残酷でカリスマに満ちた獣が虎徹は苦手だった。 同じ獣であれだけのカリスマだ。 バーナビーよりアスクの方が明らかに獣である。 というより、バーナビーはヒトで、アスクは獣なのだ。 なのに何故無条件で自分はアスクに惹かれなかったのだろうか。 いや、惹かれていた。 間違いなく何処か冷めた部分で惹かれていてそのせいで裏切れない。 事実酷い事をされた。 痛めつけたられた。 ありとあらゆる方法で自分を屈服させようと彼はした。 でも何故だろう?どこか頭の一部がしんと覚めていて、どうしても彼に溺れられない。 何かがコレは違うと警告してその警告もまた獣の意志そのもので裏切れなくて。 だから虎徹にも不思議だったのだ。 別に屈服したくないわけではなく、獣であるのなら答えはシンプルで、いつでも簡単に答えが出る筈なのに。 何故俺はアスクにだけは引かれながらも反発してしまうのだろうか。 自分のように獣とヒトを身内に内在させているのではなく、アスクは100%獣なのだ。 どこに拒絶する理由がある? それにどうしてか、バーナビーとそっくりな貌をしているし、獣であるのならアスクでいいじゃないか・・・と、思う、のだ、けれど。 獣とヒトで双子とか・・・。 ないよな・・・。 鋭い痛み。 引き裂かれる痛みの後、虎徹の身体はその恐るべき再生能力を直ぐに発揮して傷口を癒そうとする。 例外は一度だけ。 長い間自分の本体から切り離された腕は後からくっつけてみたが直りが凄く遅かった。 それは恐らく切り落として自分の身体ではないものと認識されていた時間が長すぎたのだろうと虎徹は理解している。 普通はヒトが恐れる程の勢いで身体を癒していく。 細胞を変化させて自ら二つの姿を持ちえるナハトヴァは、その傷の治り方を観られただけでも充分人間離れしていた。 それでも人間でもあるわけで、フルパワーで傷を癒していく自分の獣の部分、再生していく間虎徹は体力をごっそり奪われる事になるし、細胞の活性化にしても傷口を優先するので精神的活動は少々ダウンしてしまう。 痛みは恐ろしくヒトを消耗させる。 痛みが引くと、決まって虎徹はうっとりと眠くなった。 ロトワング教授にしてみたら眠られてしまうと色々取得データが変ってしまうので問題だった。 しかし疲労による眠気を抑える方法はまだ見つかっていない。 その日も心臓を開け広げて観られた挙句じかに触れられて、心臓の鼓動が少し圧されて遅くなった。 血流が遅くなって、酸素が少し足りなくなって、ゆっくりと眠くなっていく。 死に近い眠りだ。 「狼男、寝るな」 「眠い」 無茶言うなー、どうして俺の周りのヒトはみんなして無茶な事を要求するのだろう。 「寝るな動物。 このまま獣化してみせろ」 「めんどくさい」 勘弁してくれよ、ホントに眠いんだ。 お前も一度、心臓手づかみされてみろよ。 あ、人間なら死んじゃうか・・・。 そう頭の中で支離滅裂に考えつつ、虎徹はうっすら閉じていた眼を開けてロトワングを見た。 ロトワングは見下ろすその銀黒の髪の隙間、柔らかなトパーズ色の瞳に亀裂が入り、瞳孔が光を反射していくようになる様を見た。 耳が尖り、髪の毛が若干短くなったような。 「・・・・・・」 切なげにというか、だるそうに見上げる金色の瞳がゆっくりと首を回して自分を真っ直ぐに見つめている。 ロトワングは、銀黒の髪の毛を少し労わるように撫でた。 危険な生き物だということは良く解っているつもりだったがこの獣は驚いた事に従順で協力的だった。 どう扱ってもいい。 恐らくどういう実験を施してもそうそう簡単には死なない。 でも『絶対に殺すな』。 それがアスクが自分にこの生き物を貸し与える時の条件だった。 そう、貸し与えられたのだ。 玩具のように、欲しくて欲しくてたまらないものをいとも容易く手に入れてこうして投げ与えられた。 悔しい事だと思うが、それにも増して 長年の夢であるセリアンスロープ、この生き物を思うさま弄くれることが嬉しくてたまらなかった。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top ←back |