バンパイヤ 6.犠牲(4) バーナビーはアポロンメディアに帰り、そこで着替えた後、疲弊した身体を引きずるようにして自宅に戻った。 案の定虎徹はすでに戻っていて、嬉しそうに駆け寄ってきた。 「バニー? バニーちゃん」 あっけらかんとやってくる。バーナビーはその笑顔に怒鳴り散らしそうになる。 当たり前だが、やはり全裸。 この馬鹿狼は、何度言えば解るんだ、本当に自分の話を理解する気があるのかと瞬時凶暴な気持ちになる。 痛めつければいいのだろうか。 もっと厳しく、暴力も辞さず、鞭でももって首輪を嵌めて、服従させればいいのだろうか。 そんなバーナビーの思いに全く気づかず、虎徹はふんふんと嬉しそうにバーナビーの匂いを嗅いで、その肩口に顔を埋めた。 「意外に美味しかった! あの雛、バーナビーと同じ匂いした。 やっぱ駄目だったなあ。 親鳥が育児放棄してた。 ヒトが手を触れるとどうしても匂いがつくから、野生のやつらは警戒しちまう。 また落ちてたから、他のやつらに食われる前に俺が食ってやった。 あれはバニーちゃんの獲物だから」 「・・・・・・なんで食べたんですか」 ん? 虎徹が大きな狼の耳をぴこぴこと蠢かせ、それからはっとした顔になった。 「ごめん! ヒトは燕なんか食べないと思ってた。 ごめんな。 お前の獲物だけどお前食わないと思っててさ! だから俺が食っちゃった。 今度はちゃんと聞くから機嫌直して。 なんならもう一羽、俺が捕ってこようか? まだ生きてるやつ」 そうじゃない、とバーナビーは虎徹に当り散らした。 「どうして、折角助けたのに! 貴方、僕が助けた命もそうやって食べちゃうんですか? ・・・・・・なんで殺したんだ!」 絶叫する。 それは多分バーナビーの我侭だ。 恐らくあの燕の子は死んでいたのだろう。 死体だったのだ。 でもたまらなかった。 助けたんだ、僕が助けて、巣に戻したんだ。 まだあんなに小さくて、親に庇護される存在で。 なのに、虎徹はそれを食べてしまった。 その事実は酷くバーナビーを惨めにさせた。 なので、本当は判っていたのに、当たらずに居られなかったのだ。 じっと怒鳴り散らすバーナビーを見つめていた虎徹だったが、暫く微動だにしなかったあと、唐突にぼろぼろっと涙を零したので、バーナビーは怯んだ。 「じゃあ、バニー、お前はなにも食わないのか? だったらお前が昨日食ってたステーキはなんだ? あの肉は痛みを感じてないとでも思ってるのか?」 「え?」 「牛は燕の子なんかよりずっと大きくて血も多いんだぞ。 ヒトに飼われた生き物は概して脆弱で生命力が無くなるものだが、そんなやつらでも倒すんならそれなりに覚悟がいる。 命ってのは重いんだ。 死に物狂いで生きようとする。 野犬だってそんなことみんな知ってる」 「だけど、あなた、僕が毎日餌を上げてるじゃないですか! なんで態々そんな小さな、いたいけなものを、食べなきゃならないんです?」 「こっちこそ聞きたい。 なんで命をえり好みしなきゃならない?! 牛は良くて燕の子は可哀想だから駄目だって、誰が決めたんだよ! それってヒトの都合だろ? 主観だろ? 俺たち獣には命の区別なんかありゃしない。 この世に生まれて来たからには、等しく生きるリスクを背負ってる! 大体その燕の子だって、元来下に落ちた時点で死んでた筈なんだ。 お前たちはみんなそうだ。 ヒトは自分勝手に、俺たちを苦しめて。 自分ばっかり正しいと思うなよ!?」 「だっ、けど・・・」 言いかけてバーナビーは絶句した。 金色の目から涙を零しながら、上目遣いに睨んでくる。 それでも、虎徹が余りにも悲しそうで、そういいながら表情が見捨てられた子供のようで、胸が詰った。 「シュテルンビルトではヒトのふりしてろっていうんだろ? 判ってるよ。 俺頑張ってるだろ? ちゃんとヒトのふりしてるじゃないか。 俺だって普通なら燕なんて食いでのないもん食わねぇもん・・・」 そういいながら、また涙を零して。 「・・・・・・、だけど、バニーがそんなに嫌がるんならやめるよ」 耳を垂れて、背を丸めて床に座り込んでいる虎徹に、バーナビーは歩み寄っていくと、果たしてびくりと身を竦ませた。 ふるふると震えているその大きな身体が、何故か小さく思えた。 バーナビーは虎徹の前に跪く。 「すみません。 命をえりごのんだつもりでも、貴方の本性が狼なのを忘れたわけでもないんです。 確かに僕の言い分は感傷かも知れません・・・、貴方が狼の時に何を狩り、何を口にしても元来ヒトである僕が文句を言う権利はなかった。こちらこそ思い至らずすみませんでした。 そういえば、僕、貴方を散歩させた事がないな。 キースなんか毎日ジョンを散歩に連れて行ってやってるのに。 飼い主失格ですね」 散歩と聞いて、ぴくりと耳が上がった。 判りやすいなあと、バーナビーは目を細める。 「俺は狼だぞ、散歩なんか・・・・・・、い、行きたい。 人間の姿でもお前と散歩に行きたいよ」 笑えるぐらい素直だなあと思いつつ、バーナビーはええと頷いた。 「じゃあ、明日から毎朝散歩に行きましょう。 週末になったら、外へハンティングにも行きましょう。 ごめんなさい、虎徹さん、貴方に酷い事をしていた。 人間の社交界なんかつまらないですよね」 「つまらなくなんかない。 シュテルンビルトで生きていく方法を教えてくれっていったのは俺なんだから」 そうして、擦り寄ってくる虎徹。 バーナビーは優しく抱きしめて、貴方の要求には応えられないと呟いた。 「何故?」 虎徹の金色の瞳が言う。 「僕は男で、貴方も男だ」 「関係ない。 愛する事に制限なんか何もない」 「貴方はそうでも、僕は違うんです」 「そうじゃない、バニー、お前は何時も何を恐れてる? 本当はそうじゃないだろう?」 バーナビーは弱弱しく笑った。 「・・・・・・いつか、貴方は居なくなる。 貴方は獣で僕はヒトで、きっと理解しあえない明日が来る。判っているから僕は」 バーナビーの言葉に耳を傾け、虎徹は寂しげに笑った。 俺にはヒトが判らない。 お前も獣がきっと判らない。 だけど。 「じゃあ、俺の答えをやる。 それは理屈でも、理解でもない。 唯一つの真実、命の美しさだ」 バーナビーは目の前のセリアンスロープを見る。 彼は金色の瞳で、その狭間の魂を惜しげもなく語った。 「命が乞うるんだ。俺たちには禁忌もなにもない。唯一つの直感が俺に言うんだ。お前は美しい。愛するものが俺を求めてきたら、応えないほうが馬鹿じゃないか。ヒトとしても獣としてもお前を愛してる。お前が俺を抱きたいと言う。 もしそれがもしも俺に苦痛なことであったとしても、俺はお前が好きなんだから、苦痛なんかどうでもいい。 ただ、愛してる」 バーナビーは絶句した。 彼は続けていうのだ。 お前が俺を抱く事が俺にとって苦痛なのなら、苦痛を喜びに変えよう。 その力が俺にはある。 もし、お前が俺を愛してくれるのなら、俺は俺自身の魂をお前に沿わせよう、その力が俺にはある。 全てを喜びに変えて、どんなことでも。 愛する事は必然だ。 これは当然なんだ。 それが獣と言う禁忌のない純粋な意志の世界だ。 俺はお前を愛してる。 ヒトは何故、愛していると言う言葉に制限をかけるのだろう。 俺の愛は無限だ。 もしお前が望むのなら、命以上のものを賭けよう。 愛してる。 獣の意思の前に、自分が酷く矮小で、薄汚く思えた。 虎徹は金に価値を見出さない。 それがヒトが作ったただのルールであると知っているからだ。 虎徹はヒトの愛を疑わない。 何故なら、それは等しく、誰の上にも己が主人である限り、裏切れないものだからだ。 彼らには、嘘という概念がない。 少なくとも己に対して吐く嘘という概念が存在しないのだ。 だた、素直で限りなく正直なのだ。 どんな薄汚い欲望でも、悲しみでも、憎しみでも、あざとい暴虐であろうとも。 彼らは自分自身にだけは絶対に嘘をつけないのだ。 だから、愛は限りなく純粋で、ヒトの世にはあるまじき、惜しみなく与えるというふざけた愛が、真実存在し得るのだ。 始めてバーナビーは、虎徹がどうして、獣である方がいい、ヒトには戻らない、ヒトであることが辛いと言ったのか、その真意を理解したと思った。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top ←back |