Call me 時系の魔女 | ナノ
Call me 東経180度線のタクティクス (11)



 それからまた何日かが過ぎた。
司法局からは再三の要請が、何故か文書で送られてきていた。
メールであったので、Wは実際のところ虎太郎が受け取っていたメールの内容を知らない。Wに送られてきているメールの内容を虎太郎が知らないように。
一緒に暮らしてもここいらのプライベートな情報は当然のように自分自身のものだ。それでもWは虎太郎が受け取った司法局のメールの内容をこっそり伺いたい衝動と戦っていた。普段なら聞けば教えてくれるだろう。でも今回ばかりは違うとWは思っていた。実際自分がそうであるように。
 Wは司法局に自分の考えを提案した。
NIKEには全ての情報が詰まっている筈。かつてこの地球上で生きて死んでいった全ての者、ジーンデータが存在している筈だ。それらを解放できないだろうか。勿論人類が今直面している問題が起こったそれ以前のデータは残っていないし、混迷期や都市管理システム成立以前のデータは望むべくもないがこの問題に立ち向かうと人類が決めて以降――バーナビー・ブルックスVの時代ぐらいからなら残されているのではないだろうか。勝手に故人である自分の父 サードの情報は勿論、当時実験に従事しただろう人の情報をさらけ出すことになってしまうが、それが一体何故いけないのだろう。そうやって人為的に作られた自分のような存在はともかく、自然発生してなんの罪咎もない虎太郎にばかり犠牲を押し付ける世界なんて何処か間違っている。しかも無理だ。大量に虎太郎の血を引く子供を作って、それで別の問題は発生しないのか。勿論今の技術は非常に進歩しているから、その後子孫が近親相姦のようなエラーをしでかさないように適度に遺伝子をデザインしてから交配するのだろうが果たしてこれが人類にとって本当に良いことなのだろうかと。
 Wは司法局の返答を幾つも予想していた。
NIKEにはその提案の是非を判断することが出来ない、或いはその機能が存在しない。システム的に無理だ、国家機密に相当するものなので、シュテルンビルト司法局では判断できないとか、システムを全部シャットダウンしなければならないとか、一個人では到底覆す事が無理と思われるレベルの大それた事まで考えた。
だがシュテルンビルト司法局から割合早く戻ってきた返答にWは当惑してしまう。
そのメールには、「故人であったとしてもその遺伝子を望む者は申請を出さねばならない」とあったからだ。
Wはその返答の意味を解釈するのに、暫し悩んでしまった。
 現行の所謂遺伝子マッチングによるお見合いシステムでは、自分の遺伝子情報と照らし合わせて子供を作れそうな相手を探すところから始めるのだが、既にシュテルンビルトの場合はNIKEに登録されているので、毎月自動的にNIKEが選別してお相手を紹介してくれることになっている。ただしこの通知はシュテルンビルトに限られたものであるため、より希少な能力者は検索範囲を広げるのだ。当然都市どころか国も跨る可能性がある。現段階は連合国としてみな繋がっているから探せない事は無いが、トーキョー(東京)とシュテルンビルトのように姉妹都市ならともかく、そうでない都市間では複雑な移民手続きが必要になってしまうことも良くあった。どの都市も人口維持に必死だったし移民制限も非常に厳しかったので下手をすると子供のやり取りのような事になってしまいかねないからだ。さすがにそれは倫理的にもどうだということになるのでこの場合はもう子供を作るということだけを目的とするしかない。こうして相手の卵子か精子だけが海を渡り、或いは都市間を移動する事になる。当然その場合生まれた子供は片親となる。どちらかが親権をとるのだがこれもまた都市管理コンピューターが公平を期する為に抽選になってしまうこともあり後味が非常に悪い。それもこれも相手が生きている人間だからだ。自分の遺伝子の所有権を手放していないからである。
 かつての時代、まだ人が増過ぎて困っていた飽和の時代には ジーンバンクというものがあって、所有権を手放された遺伝子がやり取りされていたという。
もう記録にも朧にしか残っていないのだが、何かでそれを調べて知ってWはこの仕組みは何のためにあったのだろうと疑問に思った事を思い出す。暫く後大体の人間がただ相手が人間であればその間に子供を儲けられたということが大前提だったから可能だったのだとつい最近気づいた。
 虎太郎と自分でそれをやろうとしているのだ、と。最初は怒りしかなかったが、よく考えたら分母を増やせば似たような事が可能なのではないのかと思い当たる。
故人の遺伝子情報を使えば――故人には悪いが生きている人間の方が大切に決まっている。自分だって、父――いや自分自身でもあるVの遺伝子情報を好き勝手使われたら気分が悪い。でもVがそれを怒るとは思えなかった。そもそもそうやって死んでいった人たちは、この未来を守るために自ら犠牲になった人々ではないのか。きっと許してくれるだろう。むしろ喜ぶのではないかとWは思っていた。だから司法局がその点について倫理観がどうこうと反論してきたらそこらへんの矛盾点を突くつもりだったのだ。
だけど、「申請を出さなければならない」というのはどういうことか。
 普通に? 今自分と虎太郎が出されまくって迷惑しているみたいに? Vに? 貴方と子孫を儲けたい 遺伝子提供を承諾して欲しいと申請を出せという事か? 故人に?
「無理じゃないですか――」
 なにこれ、極めつけのシステム欠陥なのか? 故人だろがなんだろうが、そのデータを使うのなら既存のシステムを踏襲して申請を出せと? 出すのはいいが誰が許可するのだ。出来ないじゃん。

 その日の午後は官僚エリアにある公園を虎太郎と二人で散歩していた。
友則と派手なやりあいをしてからずっと意気消沈しているWを慰めるために虎太郎が誘ったのだ。
虎太郎は友則との一件でこんなに落ち込んでるのだろうと解釈していたが、実はそうではなく司法局からの返答が曖昧模糊すぎて判断できかねたWが頭を悩ませていたのが真相でその日もWはどう対処すればいいのかと深く物思いに沈んでいた。
 虎太郎は言った。
「バーナビーさあ、・・・・・・父ちゃんのことは気にすんなよ。あれ多分本心じゃねえし。でもムカつくんだよな、あんな根性なしとは思わんかった」
「え?」
 不意にそういわれてWは一瞬何かと思ったが、直ぐに気づいて微笑んで首を振った。
「友則さんのところにも大量の報道陣が押しかけてるんでしょう。司法局もしつこいみたいですし、しょうがないですよ」
「それは判ってんだけどさ、つーか俺に折れろっていうのはまだ判るんだ。俺も考えたしな。子種提供するって承諾すりゃ、俺らフツーに結婚してその後は平穏無事に生きていけるんだろ。でもそれじゃ俺やお前の沢山の子供たちはどうなるんだっての。それよりもなによりも一番ムカついたのは、俺がフォースを幸せに出来ないって言いやがったことだよ」
「え、ええ?」
 そんな事言ってないでしょうとWが言うと、いーやと虎太郎が首を振った。
「クソムカつく。アイツ俺に夫の甲斐性が無いって言いやがったんだぞ。前からなんか俺がバーナビーを幸せにしてやるっていうと、変な顔しやがってたんだ。しかも妙なところに拘っててさ、俺が嫁に行くもんだと思ってたのに逆とかないわーときたもんだ。どーせ俺はちびだよ。だけど結婚ってのは身長でするもんじゃねーだろが」
 クソ親父、てめーが185cmあるからっていい気になるなってんだ。
「友則さん身長高いですもんね」
 Wがそう答えて、虎太郎が更にむくれる。
「違ーう。ヒデエなバーナビーまで。あー、ちくしょーでかくなりてーよー」
 怒ってるポイントそこなのか。
Wは思わず笑ってしまう。本当に虎太郎は思いもかけずいつでも可愛いんだからと思う。そうして二人はふと同時に顔を上げる。
官僚エリアの公園は綺麗に行き届いていて、通りの先までちり一つない。清掃ロボットと公園自体に取り付けられているクリーンアップシステムが定期的に地面に落ちたゴミを回収しているのだ。その為落ち葉が落ちているのはその木々、歩道ではない土手の部分だけとなる。その綺麗な歩道の向こうから一人の男が現れて、二人の下に歩いてきた。
「やあ、元気かね」
「ヴェルター」
 Wと虎太郎が同時に言った。
それからWは、ヴェルターはやっぱり官僚エリアの住人で、司法局か政府関係者なんだろうなあと思った。
「元気そうだね」
 彼がそう言うのにWは顔を曇らせる。
「そう見えますか」
「割合上手くやっていそうに見えるよ」
「そうですか」
 Wがそう言葉を濁らせるのと同時に虎太郎がむっとしたようにヴェルターに言うのだ。
「もし、上手く行ってるように見えるんならアンタの目は節穴だ」と。
 ヴェルターは目を丸くした。
「おやおや、何か問題が?」
 大有りだと虎太郎が喚いた。それにほんのりヴェルターは微笑むと、そこに腰掛けていいだろうか公園のベンチを振り返る。
Wと虎太郎は頷いて、彼が座った横に二人して立った。
「さて、私に何か助けられる事はあるだろうか」
「ヴェルター」
 それまで俯き加減で考え込んでいたWがひしと彼を見る。それからどう聞いていいのか頭の中で考えを纏めていたのだろう、司法局を中継しないでNIKEにアクセスする回線を知らないかと聞いてきた。もしくはそういった別の方法をご存知ではないですか、と。
「普通にNIKEとの直接通話回線を使えばいいと思うけどねぇ?」
 ヴェルターは首を傾げる。
だってそれだとアクセス記録が残ってしまうじゃないですかとWが言って、ヴェルターはああと頷いた。
「つまり、後から司法局にNIKEがちくる――言い方が悪いな、君からそういった相談があったと第三者に情報を公開してしまうという可能性を心配してるってことだね? そんなに心配なら、プライベート回線を使えばいい」
 ヴェルターの言っているのは、通称「お見合い回線」と呼ばれているNIKEとの遺伝子マッチング用特殊回線のことで月に一回NIKEからデータが届く。これに関しては司法局のみならずどんな機関もNIKEとどんなやり取りをしたのか本人とNIKE以外わからないようになっている。ただしその本人が公開すれば別だ。実際 NIKEが時折送ってくる厳選特A級カードが実在するかどうかは、多くの市民の協力があってこそ検証が可能になった。娯楽に飢えているシュテルンビルト市民がメディアが面白半分に検証しようといい出した都市伝説だが、実際にそのカードを見た! という市民からの情報提供が山のように寄せられて、一気にバーナビー・ブルックスWが特定されたのは記憶に新しい。NIKEが情報を漏らさなくても貰った人間が漏らせば意味が無いというのがここで証明されたわけだ。だが逆にNIKE自身がそれを肯定したという話はついぞ聞かない。司法局も肯定は一切していないし知らぬ存ぜぬで公式的には突っぱねている。司法局がリークしたのではないかと虎太郎も疑っているようにWもそれを疑っていたが、成る程NIKEがリークすることはありえないのか、そう所詮コンピューターなのだから・・・・・・。
「司法局も別に君の情報をリークしてないと思うけどね」
 ヴェルターがそうぽろりと漏らすのをWは聞き逃さない。それはどういうことだろうと口の中で呟いた。
でももし、――を破壊するのなら。
「NIKEのプログラムは表層第三、深層第二で作られている。旧回線である深層第一に直接アクセスする為の端末は幾つか残されている筈だが、必要なくなれば順次撤去されていく予定になっていた。だから今現在残っているのはそうない筈だから、無理をするのはよしなさい」
 そういわれてWは心を見透かされたのかと思った。びくりと肩を震わせてヴェルターのはしばみ色の瞳を見る。
「そ、れは――警告ですか」
 この人は知ってるんじゃなかろうかとWは急に不安になった。自分が旧世代の回線に割り込んでVについての情報をNIKEから引き出したことを。
しかしヴェルターは飄々と流してこんな話をした。
「私の友人に一人とんでもなく容赦が無いヤツがいてね。兎に角躊躇が無い。自分には出来ない事はないと思ってる。それでも自分の行動が他人に迷惑をかけるってことは自覚していてね、そうならないように自分ばかり泥を被るようにしていたんだよ。だけどそれじゃ全くなにも変えられないと途中で気づいたんだね」
 虎太郎が鼻を鳴らす。明後日の方向を向いてはあと長く息を吐き出した。
「どうせ皆の迷惑なら、最初から協力を仰ごうと。誰も信用できないと思っていて遠ざけていたけれど、それが間違いの元じゃないのかってエドは長い間自分を縛っていたその考えを正して、ある段階から協力を皆に求めるようになったんだ。どうせ巻き込まれてるんなら引き込んじまえってね! いやはや乱暴な考え方だなあと思っていたしまたヤツが人に押し付ける役割ってのが酷く大変なものでね。どれを選んでも罰ゲームみたいなもんだったから、私も最初は良く文句を言ってたもんだよ。散々だ、こんなのやり遂げられる自信がないって。それにまたヤツが適当でねー、本当にときたま訪れるだけなんだが、全体を見渡す調整者のような役目をしてるっていうのもあるのに、アレが駄目だコレが駄目だ、もう一回やり直しだっていやもうそりゃもう事も無げに言うんだよ。その度に私はなんでこんなヤツの友達やってるんだろうと殺意さえ抱いていたよ」
「エドというのはその、幼馴染の名前、なんですか?」
 Wが聞くと、ヴェルターは目を丸くして自分、そう言っていたか? と確認した。虎太郎とWの二人が頷いたので、その友人の名はエドアルドっていうんだ、本人はその名前で呼ぶなって何時も口をすっぱくして私に釘をさしていたから君たちも聞いたのを内緒にして欲しいという。
虎太郎はそもそもそいつ知らないからどーでもいいと肩を竦め、Wも肯定の意味で頷いた。
「さて、何百回、何千回のやり直しの後に、協力者全員メゲながらもなんとかそれが形になる日がやってきた。むしろその問題の日はあっさり訪れて皆こんなに簡単に終わる時は終わるものなのだなあと嘆息したもんだよ。でもね判ったんだ。やっぱりそういった大きなことを動かすには一人では無理なのだと。私たちは皆偶然こんな事に巻き込まれ、それ以外に方法がないと思い込んで諦めてルーチンワークのようにそれを行っていたのだけれど、世の中には本当に運命みたいなのがあってそういうのは人と人との繋がりが必要で、なんていうか必然だったのだと。皆それぞれが苦しんだり悲しんだりして何千回でもやり直さなければこういう風な力にならなかったのだと、そう思ったんだよ。意味が無いと思っていた些細な事に皆意味があった。無駄な事なんか実は何一つなかった。我々人はそうやって皆繋がっていて手を放したりなんて本当は出来ないんだっていうことを」
 そうして新しい時代が作られていった。
沢山の間違いを犯して、沢山の人を犠牲にして、それでも我々は前に前に進んできた。時折誰かを踏み台にして、誰かを取り残して引き裂かれるような思いを味わいながら、でも誰か一人でも立って歩き続けようとした。私も随分と酷い事をしたと思っている。鏑木少尉は私のことを毛虫のように嫌っていたしねぇ。我ながら私も嫌なやつを良くやっていられたと思ったものだよ。どこかで訂正したかったのだけれど、その時間は与えられなかった。
「じーちゃんあんたのこと嫌ってたんだ?」
「嫌いと面と向かって言われた事は無かったけれど、そうだね、良く喧嘩というか、うーん喧嘩かな? 口論はしてたと思うね」
「将軍と口論・・・・・・」
 それってやっぱり虎太郎と性格一緒みたいなもんだったんじゃ・・・・・・とWが「ああ」と顔を押えるので虎太郎がむくれる。
「口論、でもないかな。私は将軍だったから一度も鏑木少尉の意見をとりあげなかったんだよ。彼も優秀な軍人だったから私の決定に逆らえる事が無いと良く熟知していた。その度に溝が増えていってるなあとは思ってはいたんだけど訂正するのもおかしな話でね、最後まで鏑木少尉は私には自分たちは理解されないと、そう思って絶望してたと思うよ。でもその絶望が彼には必要だったんだ。新しい時代を作るために――全ての我々の努力と、シュテルンビルトに投じた。いや、当時残っていた機能都市全てにだ」
「あなた方旧世代の人間、かつてN.E.X.T.と呼ばれた人々とそうでなかった人々の思いをそこに封じ込めた?」
「封じたのではない。託したんだ。少なくとも我々は彼女に――」
 彼女?
Wがヴェルターの言葉を聞き咎める。だがヴェルター自身がその失言に気づいたのだろう。小さく咳払いして、代わりにヴェルターはこう言った。




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