Call me 東経180度線のタクティクス (7) 「大変な目に遭っているようだね」 誰も居ないと思っていたのに不意にそう語りかけられて二人は同時に振返った。 今さっきまで誰も居なかったベンチにシルクハットとストライプのスーツ姿の男が腰掛けている。ぱっと見には道化にも似たその特徴的ないでたちに虎太郎は眉を潜め、Wは目を見開いた。 「将軍」 Wの呟きにウィンク。Wはヴェルターさんと言い直した。 「果てさて、前も観ていたけれど、大変だ。これから一体君たちはどうなってしまうのか」 他人事かよ! と虎太郎が噛み付く。ヴェルターはそんな虎太郎に微笑んで、どうしたいいのか考えてみようと言った。 「考えるって何をだよ。俺らが出来る事なんか限られてるだろう?」 虎太郎がそういい捨てるのと対照的にWは神妙に頷く。 「ヴェルター、貴方の力を必要とするかも知れません。貴方は知っているんでしょう? 僕の父が――バーナビー・ブルックスVが生きた時代を」 Wがそう聞いて虎太郎が「えっ?」と言った顔をした。 「だって、お前はバーナビー・ブルックスJrのクロー・・・・・・」 あっ。 まずいことを言ったと気づいて虎太郎は口を噤む。Wも一瞬蒼褪めた。自分がバーナビー・ブルックスJrのクローン体だということを知っている・・・・・・NIKEへのハッキングがばれただろうかとどきどきして待つ。しかしヴェルターはじっとWを見上げ暫く後目を逸らし、それから優しく笑った。 「・・・・・・そう。私は君の父上を知っている。バーナビー・ブルックスVのことを。私たちは彼のことをサード、または君のようにバーナビーと呼んでいたよ」 それは懐かしむような響きを含んでいて、それでいて何故かとても悲しげでWは胸を衝かれたような気持ちになる。 虎太郎は知らないが、父――いやバーナビー・ブルックスVは ラボに作成された試験体だった。人権もなにもなくただ人類を衰退に追い込んでいる原因を探る為に作出された実験動物、そう記録には残されていたから。 それでも彼は幸せだったろうか。こんな絶望的な時代に生まれて、父は幸せだっただろうか。それとも孤独だったのだろうか? 自分のように愛する人――虎太郎と出会うようなこともなく、人類の存亡の為に作出されただ生きただけ、だったのだろうか。 「かつて我々人類は滅亡に瀬戸際に立たされた。ほんの僅か、100年程昔の話だ」 Wの気持ちを知ってか知らずかヴェルターはそう話し出す。 「兆候はそう、今我々誰もが持つ固有の力、当時はN.E.X.T.と呼ばれたそれを持つ者が人類の中にぽつりぽつりと現れたということだった。NC1920年頃から現れたと言われているが定かではない。最初は異端とし虐げられ拒絶されたそれこそが新しい人間の進化の形だと誰の目から見ても明らかになった2000年代初頭には、既に人類は滅亡の危機に瀕していた。我々は今までの営みを捨てて、ただ増えるためだけに相手を選ばざるを得なくなった。その人口維持の一つの手段として採用されたのが、クローニング技術だった」 「・・・・・・」 「そしていまひとつ、ショートサイクルコールドスリープシステム。その昔宇宙開発用に研究されていたそれを、我々は人類救済の切り札として導入した。生きている人間、特に未来に残せそうな優秀な遺伝子を持つ者を選んで、短命化した人類の寿命を人為的に延ばそうとしたのだ。結果、数億の人間がそのシステムにより実際の寿命より幾分か長生きをしていた。同時にそうして眠った人々の遺伝子をデータ化して記憶したのだよ。なりふり構っては居られなかった。生きたいと願いながら人は片っ端から死んでいった。願いも祈りも届かなかった。眠ったまま目覚めない人も多く居た。そうして死を自覚しないで死んでいった者の身体も切り刻まれて研究材料となったんだ。もはや愛は死んだ、誰もがそれを知りながら前進するしかなかったのだ。それが良い事か悪い事かは別として。もはや議論にもならなかった。それ程人は減り続けていたのだ。絶望して自ら命を絶つものも最初はいたよ。でも途中でそうする人すら居なくなった。意味がないことだった。自ら命を絶つよりもなによりも人は死に続けた。死んで死んで死に続けていったのだから」 「・・・・・・」 「その混迷の時代、バーナビー・ブルックスVだけが我々の希望だった。彼だけが我々人類の、本当に唯ひとつの希望足りえたのだ」 そうしてヴェルターは目を伏せる。 シルクハットの下、彼はどんな表情をしているのだろうかとWは思う。伺えないそれに何故かWは深い憐憫を見た。彼は――そんな時代を生き抜いた一人なのだとふと気づいた。彼はどれだけ多くの人を見送ってきただろう。恐らくそう、この人はVを、自分の父と信じたあの記憶の中のバーナビー・ブルックスVをも見送ってきたのだ。 「無様に足掻き、人の倫理観や愛を蔑ろにし人として大切なものを代償にしても我々は生き延びようとしたのだ。そうして道半ばに倒れた同志すらも踏み躙り、そう、それでも我々は前へ進みたかった。このまま滅びたくなかった。神が、もう貴様らは死ぬのだとそう決めていたとしても、人類は滅びる訳には行かなかった。余りにも多くの人間が犠牲になっていた。諦めたらそこで終わりだと、誰もがこのままでいいわけがないと思いつつ、他者を、自らを犠牲にして、それでも未来を目指したのだよ」 ヴェルターは持っていたステッキの柄を両手でぐっと握り締める。 Wは見つめられた自分を知った。 思いもかけず澄んだ、はしばみ色の瞳が自分を見つめている。ヴェルターは言った。 「愚かだと罵ってくれて構わない。事実愚かだった。だが、これだけは信じて欲しい。我々はこの世界を愛していたのだ。失いたくなかった。W、そして虎太郎君。君たちがこうして生きている未来を守りたかった。失くしたくなかったのだよ。それがどんなに残酷な未来であっても。それを君たちに託す他無かったとしても。いつか、我々に代わって目指した真実の未来を、掴み取ってくれるだろうと皆 根拠もないのに信じた」 「判ります」 Wは頷く。今、ここに生きて虎太郎を愛した自分を不幸だとは思うまい。そう、忘れてはいけない事実は唯ひとつ。僕は虎太郎を守りたいのだ。愛おしいこの人と遭えた幸せ、出会わなかったほうが良かった? そんなわけはない。幸せだ。僕は幸せだと思う。うっかり忘れそうになっていた。違う本当に恐ろしいのは虎太郎と結婚できない事でも離れ離れになることでもない。守れない事。失ってしまう事だ。虎太郎が幸せに生きていく未来が。 「俺は間違えない」 不意に虎太郎がそう言った。 「お前が何に後悔してんのかは知らねぇ。でも先人が何しようが、どんな事をしてきて今があるのかなんか俺には判らない。でもな今俺たちが立たされている立場がどうであれ、俺は自分の事を不幸だなんて思ったことはない。ましてやそれが他人のせいだなんて思ったこともねぇ。子供が生まれにくいことや、社会システムとか、俺たちが一緒になるのにはえらい障害が多いのは承知の上だ。だからってそれを嘆くだけとかにはしない。俺はバーナビーと結婚する。誰がなんて言おうとだ。司法局がなんだ。関係ねぇよ。もしシュテルンビルトでそれが許されないなら俺はここを出て行く。姉ちゃんにも出来たんだ、俺に出来ない筈がない」 「虎太郎」 Wが絶句。くすりとヴェルターが笑う。さすが鏑木少尉の――。 「・・・・・・それはどうかな。司法局を無視できたとしても、社会システム的には難しいだろう。都市管理システムは全て繋がっている。人間は脆弱だ。君たちは肉体強化系能力者であるから多少は無理が出来るかもしれないが、衣食住を文明的に維持するだけでも厳しいよ。都市管理システムを離れ実際の大自然で生きていけるほど人はもう強くはない。人間社会から完全に離れて生きていけるだろうか? そもそもそれは許されまいよ・・・・・・、そんな強硬手段をとったらむしろ君たちは洗脳でもされかねない。NIKEにはそれだけの力があるからね」 やってみなきゃ判らないだろうという虎太郎に、ヴェルターは首をふる。 もっと賢くやらなければ、と。 「人々の意識を変える。まずはそこからじゃないかな? 今の時代の人々は他者と共に生きるという意味を良く知らない。愛した相手と共に暮らし、愛した相手とだからこそ子孫を作ろうと思う。我々はもっと大きな愛の単位を知らない」 「大きな愛の単位?」 「それは家族であったり、国であったり。今ではとても希薄になってしまったものだ。知識としてはあるだろう。だがその概念は100年前の人とはかけ離れてしまっている。私はそれはね、人が生まれながらに持っている概念かと思っていたんだ。でも違っていたのだと気づいたよ。人はそういうものすら他者に教えてもらわなければ失くしてしまうものなんだ。誰かに愛されたことがない者が誰も愛する事が出来ないように。フォース、虎太郎、君たちが今その手にしているものは君たちが思う以上に大切でこの世界ではかけがえのないもの。それを大切にしなさい。それが突破口になるかも知れないと私は思う」 具体的にはどのように・・・・・・とWは言いかけてはっとなった。 「そうか・・・・・・、虎太郎みたいな進化した強化系能力者の出現を他に待つよりも 父の世代――ならまだ・・・・・・」 それに父もだ。いや、バーナビー・ブルックスVは実験体であったのだから、そのデータは保存されておりジュニアの世代は無理としても充分現代でもその遺伝子情報は使えるように保存されている筈。考えてみれば今でも徹底的に人類は遺伝子管理されそのデータを保存され続けている。その蓄積量は今を生きる人間たちの数百倍にも登るはず。ならば虎太郎一人に子孫繁栄の責を担わせるより、自分を含めてクローン体や故人であるが記録された希少能力者のデータを公開し、そこからのマッチングを行えばいいのではないだろうか? 愛の単位――家族の概念。人がかつて当たり前に知っていて、今は失われてしまっているもの。一族や国というまとまりのようなもの、そう、人は絶対一人では発生できない。どんなに一人に見えても、クローンであったとしてもその血脈に連なる誰かが居たはずなのだ。それらの中に、今の時代生きていれば――そんな人が沢山いたはずだ。 倫理観とかそこらへん、司法的手続きを含めてクリアしなければならない問題は多々あるだろうが、兎に角Wは司法局に打診してみようと思った。 そして自分自身もそれに付け加えることを忘れなければ――恐らく、この提案は受け入れて貰えるだろう。少なくともマイナスはないはずだ。後問題があるとすれば都市管理システム「NIKE」自身。 「システムの変換――」 できるだろうか? それは今を変えるということだ。いやもしかしたら世界を動かすようなそんな大それた提案だ。可能なのだろうか? 一世紀に渡り人類を存続させる為に在り、今尚守り続けている人類にとって必要悪なこのシステムを? 虎太郎を守りたいというそんな小さな願い、いや欲望の為に叶えていいのだろうか。願っていいのだろうか? 破壊、――破壊だ。 ある意味破壊だとWは思う。その勇気が自分にあるのだろうか。自分を捧げて、自分が犠牲になる方がはるかに楽だ。それにもし破壊した結果、人類が路頭に迷うようなことになれば――自分が糾弾されるだけならまだしも、それによって人がNIKEの庇護を失い――再び減り――文明圏が廃れていくとしたらそれは虎太郎の未来にも影響する。本末転倒な事態になりはしないかと。 「・・・・・・どうしたバーナビー?」 虎太郎が怪訝そうに聞く。 不意に黙り込んでしまった二人を不安そうに見比べながら、心底当惑したよう。 ヴェルターはふっと笑った。 「――君は愛されていたよ、二人から」 二人? 誰? Wは顔を上げて再びヴェルターを見る。彼は優しい笑みを浮かべたまま、一つ頷いた。 「思うとおりにやりなさい。選ぶのは君だ。ただ、君は愛された記憶を持っている筈だ。他者から愛された者は他者を愛する力を持つ。自分の力を信じなさい」 それは父ですか。バーナビー・ブルックスVですか。だとするともう一人は誰ですか。だとしたら、父は。 「将軍――じゃなくてヴェルター、父はその・・・・・・」 父が生きた時代どうだったのですか。実験動物じゃなかったのですか。それとも人として生きたのでしょうか、一人ではなく誰か――傍に居てくれたのでしょうか。 しかし、Wはそれを聞けなかった。皆まで言う前にヴェルターが立ち上がったからだ。 「またくるよ」 彼はそういうとシルクハットを一つ振ってゆっくりと遊歩道を歩み去っていった。 今度は途中で消えたりしなかった。 街路樹が植わるその綺麗な小道の脇にある一番奥の街頭の角を曲がって見えなくなる。 Wも虎太郎も暫く無言だった。 二人はそれぞれの物思いに沈み込んでいたのだ。 [mokuji] [しおりを挟む] |