Call me 時系の魔女 | ナノ
Call me 東経180度線のタクティクス (14)


 その夜、虎太郎と二人で就寝する。
最初は照れて恥ずかしくて距離を相当とって寝たものだけれどなんだか慣れてしまった。
虎太郎は優しく自分を抱いて眠る。時にしがみつくように。そんな風に抱きしめて眠ってくれる相手に出会ったのは本当に虎太郎が初めてだったから最初は本当に戸惑って、よく眠れなかったものだけれど。
「――どこからか、貴方の腕がないと安心して眠れなくなってしまいました」
 そっと暗がりの中、Wは身を起こす。
それから眠りこける虎太郎の頬にそっと手を這わせ、囁くのだ。
「でももう、終わりにしましょう。ありがとう、虎太郎。僕は本当に貴方が大好きでした」
 ううん、今でもずっと好き。何処に居ても、二度と遭えなくても。
「幸せで居てください、ずっと、幸せに――」
 その額にキスを一つ落として、そうしてWは出て行った。



 それから二週間後の昼間。
シュテルンビルト市民に重大な発表があるという。
突然その警報にも似たシグナルが、街頭モニターから、各々のテレビから、情報端末から発せられ、午後3時にシュテルンビルトメダイユ地区にある、セントラルパークから中継を行うという主旨の情報が発令された。
 災害時における警報と似たような扱いだったので、シュテルンビルト市民はみなおおいに不安を誘われたのだが、NIKEという都市管理システム独自が召集をかけたということがおくばせて発表されたので、大体の者がそうか、と納得した。
 かつて数度NIKEがこのような警報じみた報告を市民に行った事があり、一番新しい事例では、結婚する相手とも必ず子供を儲けなければならない というブリージングパートナー制度の更新がある。それまでは結婚相手との間に子供を作らずとも、他の相手との間に子供がいれば問題なしとされていた。だが子供を作るだけ作ってその後は施設に入れる、養育費だけは払うものの子供自体は放置という事例が多発してそれが社会問題化していたのだ。その解消のための方策の一環としてNIKEが決定したのがそれだったのである。
 実際それからは子供の養育問題は多少緩和され、施設ではなく家庭で育つ子供が増えた。
だから市民はみな、またシュテルンビルトの養育制度が更新されるのだろうなとしか思っていなかった。
だが娯楽の少ない現代社会において、NIKEが直接市民に物申す事は少ない。シュテルンビルトの都市管理システム更新はそのまま世界に中継されるし、各都市国家もみなどこかの都市の制度が更新されればそれなりにニュースに取り上げる。将来的に自分たちの都市もその方法を採用するかも知れないからだ。
実際、前回のNIKEによるシュテルンビルト結婚制度の更新は、今では世界中の都市が例外なく採用している方法でもあったので、それなりに楽しめると広場には人々が足を向けるようだ。世界各国のリアルタイム中継が挟まれるのは間違いない、他の都市の事情は中々入ってこないものだからみな興味津々なのである。ついでに言えば、国を跨る旅行等も現在は厳しく制限されていて、何ヶ月も前から申請を出さなければ許可されない。出入りする人数もきっちりカウントされているため直前のキャンセル等が非常にしにくいのだ。その為世界旅行などは夢のまた夢。人々の大半は生まれた都市から一度も出ることなくそこで死んでゆく。もし都市を出て他の場所へ移住するとしたなら、それはブリージングパートナーが見つかって更に互いに子供を望んだ時だけ――と言う非常に不自由な状態であったから、全世界リアルタイム中継が行われる事が確実な今回のNIKEの発表には、市民は内容如何問わず既にお祭り気分になっていたのだった。
「屋台とか出るかな」
 モニターを見上げていた若いカップルらしい男女が「セントラルパークに行こう」とはしゃいでいる横で、同じようにモニターを見上げている黒髪の青年。
厳しい顔で今はアポロンメディアのCMが流れているそれに振り切るように背を向けると、彼は駆け出した。



 モニターが彼を映し出した時。
シュテルンビルト市民は、失われたヒーローという存在を思い出した。
遥か昔失われて、もう二度と戻っては来ないと諦めていたそれが、今バーナビー・ブルックスWという存在によって鮮やかに甦る。
彼は司法局に設えられたセントラルパークの壇上に登る。
アポロンメディアから飛ばされた飛行船が何台も空を行き、全ての街頭モニターが彼の姿を捉えた。
 美しいシュテルンビルトの空。
ゴールドステージの更に上段に当たる、女神像を取り巻くクリスタルガラスのその特殊司法エリアであるエデンステージを透過する柔らかな日光。
かつて、ワイルドタイガーが、バーナビー・ブルックスJrが、そして父であるバーナビー・ブルックスVが守りたかったもの・・・・・・、それは今でもここにあるでしょうか。
「シュテルンビルト市民の皆さん」
 そう話し出したのは、W自身だった。
「僕の事をご存知の方も多いことと思います。ここで改めて自己紹介します。僕が特A級カードと言われた特殊能力者、かつてブルックス因子を人類に託してこの世を去った、バーナビー・ブルックスJrの子孫です」
 そして、と彼は続けた。
「長い間、ご期待に沿えずすみませんでした。けれどもう、僕は逃げない。僕はバーナビー・ブルックスJrの子孫ではなく、彼のクローンなのです。そう、今はもう廃止されたクローニング技術により現代に甦ったバーナビー・ブルックスJr、その人自身です」
 僕は僕自身を、みなさんにお返ししようと思います。
「ですからどうか」
 Wはまた空を見上げた。
やっぱり僕はこの世界が好きだと。こうやって思い返してみても恨む事等ありはしない。そう、僕は本当に――
 だがその時、天空からきらりと光る何か。
Wが僕自身を捧げる代わりに、どうか自分の大切な人はそっとしておいて欲しい、自分だけにして欲しいとそう続けようとしてその風圧と粉塵とによろけた。
セントラルパークにいた市民たちも固唾を呑んでWの言葉の続きを待っていたのだが、その突然の来訪者に一瞬パニックになりかかった。
 だが、路面を叩き割る勢いで、女神像の肩付近から飛び降りてきたのは。
「その宣言、ちょっと待ってもらおうか!」
 粉塵の中立ち上がる小柄な人影。
少女と見紛うユニセックスな容姿の東洋人は、当然のように壇上へと向かう。
その姿にシュテルンビルト市民は見覚えがある。そう、Wのパートナーだと報道された恐らく、鏑木虎太郎、ワイルドタイガーの子孫だという彼だ。
Wと同じように脅威のマッチング率を持つ、第六世代のパワー系能力者。
そこに他の報道局のものなのだろう、アポロンメディアとは違ってあまり大きくないそれらの会社のレポーターたちがこのハプニングを歓迎とばかりに虎太郎に駆け寄ってくる。
勿論アポロンメディアの中継機も、コンピューター自動制御ながらそれを追いかけてきた。
「鏑木虎太郎さん! 貴方もこのNIKEの発表に関係が?」
 うるさげに振り払う虎太郎。
しかしそんな穏やかな仕草で彼らが引き下がるわけもなく、何度目かの質問でついに虎太郎がキレた。
「うるせえ! ちかよんな! このファッ――」
 ぶちっと落ちる映像。
テレビ局が慌てて別のアナウンスを流す。やるんじゃないかと思っていたが、公共の電波でfuckin'が流れてしまった。現在のお上品――というか軟弱な人類たちには少々し刺激が強すぎる言葉だった。
「虎太郎、あなたどうして!」
「うるせぇ! それは俺の科白だ!」
 虎太郎は壇上に上がり、すたすたとWの前へ。そして観客が息を飲む。
それこそ、全力で、本気で虎太郎がWの頬をひっぱたいたからだ。
目を見開くW。
 何も答えることが出来ずにはくはくと口の開閉を繰り返すWを放置し、今までWが向き合っていたマイクをむんずと掴むと虎太郎はそこに大声で言った。
「移民申請が通った! 俺らは 東京に行く! 日本だ、トーキョーシティ、シュテルンビルトの姉妹都市。管理コンピューターヘリオスからの回答だ。俺とバーナビー・ブルックスWは結婚する。そんでもって、一杯子供作る! 必要とされれば、10人でも20人でもだ! そしてそいつらが大きくなったら、また新しい相手を選ぶ。俺やバーナビーじゃないだれかをだ。だからお前らはそんとき俺の子供たちに正々堂々告白しろ。それで選ばれろ。実力で、なんだ、そのNIKEに作ってもらったデータとか、マッチング率がどうこうじゃなくて、それぞれがそれぞれを選びやがれ。今まで見たいに都市管理コンピューターのサポートがなきゃ相手なんか選べないわあ、みたいなそーんな根性なしな奴らはなあ」
 虎太郎は一呼吸おいた。
「勝手に滅べ!」
 キーンと大音量でハウリングを起こしてシュテルンビルト中の市民が耳を押えた。
聴覚能力者たちにしてみたらたまったものではない。その場に倒れ伏したり、崩れ落ちたりして周りに支えて貰う。市内はプチパニックに陥ったが大画面で虎太郎は堂々と宣言の続きを喋った。
「自分に連なる者すら大切に出来なくて何が未来だよ。てめーさえ良ければいいって、なんでこの世界の人間は全員そう考えるようになったんだ? 誰かにその責任を押し付けて、そのくせ自分はその責任を果そうとしない。自分が作った子供たちがどこでどうやって大きくなってどういう人間になるのか考えもしない、興味も持たない、そんな世界はいつか崩壊する。いやもうとっくの昔にこの世界は終わっちまってるんだ。目を覚ませ。そうじゃない、もう終わってる世界なんだったら始めなきゃ。かたちばっかり似せたって何も始まらない。まず自分の子供や自分の親を大切にするところから始めるんだ。人は一人じゃ生きていけない。今ここに居る俺たちだって誰かに生かされてる。誰かがいなければ生まれなかった。そんな単純な事実を俺たちは皆忘れちまってる。それを思い出すべきだ。実際薄々感づいてるてんだろう? お前たちだって!」
 人々は顔を見合わせる。
虎太郎の言い方は乱暴だったが、何故か人々の心に深く浸透していくのだ。
誰もがはっとしたような表情になった。それから幾人かの者がもじもじと俯いてしまう。あるいは考え込む顔に。
虎太郎は切々と語るのだ。Wもそんな始めてみる虎太郎の顔にまじまじと見入る。何故なら虎太郎は本当に綺麗な顔をしていたから。
「そうじゃねえだろ。探せよ、お前らの運命の相手を! 俺は見つけたからな! 大体お前らそれでいいのかよ、マジでいいの? 結婚てぇのはさ、好きなやつとするもんで、子供ってのはその結果であって、目的じゃねえだろ? 俺は、俺の好きなやつと子供作りたい。それ以外はゼッテー嫌だ。愛してくれなきゃ嫌だ。バーナビーみたいに、両親いなくてアンドロイドに育てられて寂しいのなんか絶対嫌だ。家族がないなんて寂しすぎんだろ! この世の中はおかしいんだよ。誰かがそういうおかしなところは直してかなきゃダメだろ! 俺とかバーナビーとか安易な方法で満足すんじゃねえ。相手を好きになったら全力だろ? 誰の子でもいいわけねえだろ。生まれた子だって可哀想じゃねぇか!」
 諦めるなよ、誰かを大切に思うこと、愛するってこと。
本当に本気で願えばそれは現実になる。本当に本気で思い続ければ。俺はそうやってWと出合った。そして彼の手を取って二度とその手を放さないと誓ったのだからと。
「そうだ、俺らは信じなきゃ。奇跡っていうもんの大半は思い込みと気合で起こるって俺の親父も言ってた。だから大丈夫! なんか悲観的だけど、俺とフォースが生まれたんだ。これから人類には俺らみたいなのがどんどん生まれてくる筈だ。後は皆の体質が変わるとかさ! わかんないけど、好きだったら多分子供とか作れるようになる筈!」
 なせばなる! そこらへんは気合で! と絶叫するに至ってWだけでなくモニターをぽかんと見上げていたシュテルンビルト市民の大半がぶっと吹き出した。

 好きだって言って抱きしめられる世の中にしよう。人を抱きしめることの大切さと、愛する事の素晴らしさを取り戻そう。
もう一度最初から、この世界で皆幸せになろう。それがきっとこの世界をくれた沢山の人たちの真実の願いだったろうから。

「後はてめぇの返答だけだ!」
 びしっと虎太郎はWを指差す。
「俺のことを信じてってあれ程言ったのに、てめーは何を聞いてやがったんだ! 俺が! 本当に幸せで居て欲しいって望むんなら、そこからてめーさっぴいちゃったら幸せになりようがないだろ! 俺にはお前が必要だってあれだけ心込めて言ったのに、なんでてめーはそうやって勝手に答えを出すんだ。お前は自分で判ってないだろうけど、そういうのを自分勝手っていうんだぞ。許してほしかったら謝れ! 謝る前に勘違いを正せ! 本気でてめーが俺に幸せになってもらいたいっていうんならてめーの返答は一つしかないだろ!」
 虎太郎は息を限界まで吸い込んだ。
「俺を愛してるって言え――――!!」
 虎太郎の絶叫に気圧されてWは殆ど反射的に頷き返していた。
「えっ、? あ、はいッ!?」
 その瞬間、シュテルンビルトを包んだ琥珀の光にシュテルンビルト市民は一様にあたりを見回した。
キッチンの中で普通の主婦が、表通りで普通のカップルが、そこここでただの通行人が。
「えっ、うそ、なんだこれ?」
 虎太郎が両手を掬うような形にして呻く。バーナビーもびっくりして辺りを見回した。
地面から空から空間から湧き上がるように光の粒子が震えている。それらはシュテルンビルトの大地からふわりと浮き上がるようにして空を目指していた。


――第13プログラム解放、キーコード ASX000000xxxxxxx020 カブラギ・T・コテツ バーナビー・ブルックスJr 遺伝子情報マッチング確認、声紋確認誤差35%  両者を登録者子孫と認定、ARKプロジェクト最終リミッターを解除します。

 オメデトウアナタガタハジユウデス。ミライヲタダシクアイスルヒトトトモニアユンデクダサイ。

「お前は誰だ?」
 虎太郎が虚空に聞いた。
「貴方は一体なんですか」
Wが呆然とそう呟いた。その答えはテレパシーで、シュテルンビルトのみならず全世界の住人の心の中に響いていった。

――ワタシハ しゅてるんびると ト 世界ノ守護者タレと命ジラレ 1800年末ニ設置サレタ ARK最終ぷろぐらむ NIKE―X22 U型 通称「Lorensia」デス。ココガ最後ノ砦トナッタトキ全人類ヲ 導ク為ノ最終ぷろぐらむヲ所有スル 13基ノウチ1台トシテ建造サレマシタ。アナタガタ人類ガ、しゅてるんびるとヲ最後ノ方舟ト選ンダコトニヨッテワタシガソノ重大ナ最終任務ニ任ゼラレマシタ。デスガ今ココニ我々ノ未来ヲ託サレタ 二人 ノ人物ガ承認サレマシタ。人類ハこんぴゅーたーノ守護ナクトモ自立シテ生キテイクコトガデキルヨウニナッタト判断サレタノデス。ヨッテココニ指導権ヲオカエシイタシマス。

「あなたが――NIKEの電子脳ですか?」
 Wが呆然と聞く。思いもかけず返事があった。
――ハイ。
「お前がNIKEなのか?」と虎太郎も聞く。それにもはいと返答があった。
――長イ間見守ッテキマシタ。アナタガタガ生マレルズットズット昔カラ、デモモウワタシハ必要アリマセン。
「そんなことないです。僕らの社会はコンピューターの力が無ければ直ぐに崩壊してしまう」
 Wの危惧は最もだろうと虎太郎も恐らくシュテルンビルト市民全員が思っただろう。だがその疑問に星乙女は答えるのだ。
――コレカラ先モズット傍ニ居マス。NIKE トシテズット人類ヲサポートシテイクデショウ。デモアナタガタノ社会ハ、モウ管理カラ離レ、自分タチノ思ウヨウニ創造スル段階ヘト入ッタノデス。アナタガタ自ラノ手デヨリ良イ社会しすてむヲ構築シテイッテ下サイ。


 コレヲモッテ制度ノ変換ヲ宣言、NIKEノ自立型運用ヲ停止シマス。キットデキルワ。アナタガタノ未来航海ニ幸ノアランコトヲ――。


 その時、人々は全て理解した。
世界に配置されていた全てのメインバンク、ジーンライブラリが解禁されたことを。
NIKEが今まで蓄えていた一世紀近くにわたる人々の記録が解放される。全ての人々の端末にそれは表示されいつでも望んだ時に読めるように公開されていったのだった。
そこには120年間、この惑星(ほし)に生きて亡くなっていった全ての人の遺伝子データが遺されていた。
今生きてここに居る人々だけではなく、かつて生きて死んでいった自分たちの祖先、その螺旋に連なる全ての人々が。誰がこれをこれほどまでに理路整然と保存してのけただろうか。こんな先々の事まで予測して、いつか人がコンピューターの管理下から離れ、自由に生きていく為に。
 そこには故バーナビー・ブルックスJrやワイルドタイガー、第三期のみならず第一世代からの記録できる限りの全てが遺されていた。
そう、もうバーナビー・ブルックスWや虎太郎という生きて今ここに居る奇跡の存在にだけ頼らなくてもいい。かつて生きていた人々の誰かから相手を選ぶ事が可能になったのだ。そして驚くべき事にNC2030年代以降からは、本人の遺言ともいえる未来へ託したプロポーズ、誰かと一緒に生きたかったという切ない遺言が遺伝子バンクとセットになって大切に残されていた。
それはショートサイクルコールドスリープシステムによって得られた貴重なデータだった。そう今は隠蔽されて誰も知らないARKという人類救済計画に隠された一つのプログラムで、かつてここに生きたいと望みながら生きる事が出来ずに立ち去っていった者たちの切ない祈りそのものだったのだ。

はるか彼方、自分はもうこの世にはいないけれど、自分自身が必要となり、誰かに望まれて未来でまた生きる。その誰かの為に遺す。

 ヴェルターがいったとおりだった。かつて人は足掻き、無様に地べたをはいつくばりながらそれでも未来を模索したのだ。道半ばで倒れ、大半の者が結果も知らず逝き、それでも愛し慈しみあい、短い生の間出会い別れ、遥かなる未来での希望の遂行を約束したのだ。その強い意志でもって。精一杯生きたのだと。
 故人であったとしてもその遺伝子を望む者は申請を出さねばならないと、司法局がWの提案に返答してきたその真意はそこにあったのだった。
相手は故人であるが故人ではない。今生きている誰かの唯一無二の相手として自分を選んでくれとそう切望した人々の願いそのものだったから。
選択肢は大幅に広がった。ブルックス因子を移植されている現代人であるのなら、必ずそこにマッチング相手を見出す事が出来るだろう。もう、この二人に救世主的役割を押し付けなくてもいいのだ。

 大歓声が上がった。
世界中の都市と言う都市、全ての場所で人々は喜びを謳い、互いに互いを抱きしめあった。
Wも虎太郎に飛びついた。虎太郎はまだ腑に落ちないという顔をしていたが、Wが顔をくしゃくしゃにして「愛してる」と耳元で囁いてきた時、彼の中でも喜びが爆発した。
「おお! 俺も大好きだフォース! お前が大好きだ。お前と一緒に生きて生きたい。いけるところまでずっとだ」
「僕もです。諦めなくていいんですね、僕は貴方の唯一の相手だって誇っていいんですね。シュテルンビルトで幸せになっていいって――ここにいていいんですね」
「そうとも。あいつらだって願い下げだろうよ。俺とお前しか選択肢がなかったからしょうがないから選んでただけで、他に自分だけの唯一無二の相手がいるんなら絶対そいつを選ぶんだ。未来に――生きるんだ、死んで終わりなんかじゃ絶対無い。俺の愛はずっと残る。お前が死んでも、俺が死んでも。だから誰でもいいなんてだめだ。お前だから俺はいいんだ」 抱き合う二人にも人々が殺到した。

――俺は割合あんたたちの両方が好きだぜ。もし俺が他に相手見つからなかったら、性懲りも無くまたプロポーズに来るから。
――私もバーナビー、貴方の事が好きよ。勿論容姿からだってことは否定しないけれど!
――信じて貰えないかも知れないけど、私は貴方の子供が産みたかったわ。でもいいチャンスだから一度見て回ってくる。私のことが必要な人がほかに居るかも知れないものね。
――俺は元から男が好きだからな。特に黒髪が好みなんだ、やっぱり駄目かなあ?

 駄目に決まってんだろ! 虎太郎が怒鳴る。
ええ、もしそうだったらまたプロポーズに来て下さい。その時は真剣に考えます。子供は何人いても僕大丈夫だと思いますし。
あっ、何いってんだよバニー! 勝手にほかのやつと子供作ンなって約束しただろう?!
 ええ? だからちゃんと相談しますって。僕別に虎太郎とほかの誰かの子供だったとしても、凄く大切にしたと思いますけど――。養子なんて普通の事ですし?
あー、うん。子供がその人工子宮育ちで余力がありゃ俺も何人もいっぺんに育ててみてもいいけど・・・・・・じゃなくて! 俺の他に好きなやつ作んないで、寝ないでって話。
そんなことするわけないじゃないですか!


 人々にもみくちゃにされながら、Wと虎太郎が壇上から下る。
下で待っているのはヴェルターだ。それを目ざとく見つけたWと虎太郎が笑顔で寄る人波を押し分けて彼に駆けよって行く。
「中々いい演説だったよ、――おめでとう、幸せに」
「ヴェルター」
 Wが彼に抱きつき、ヴェルターはしっかりと抱擁し返してきた。
きつく抱きしめながら、彼は言った。
「幸せにおなり。サードも喜んでいるだろう」
「父は――決して不幸ではなかったのですね」
「強い信念を持って最後の最後まで生き抜いた。彼こそ本当の英雄だ。君はまだ幼くて覚えていないだろうけれど、皆が君を愛したよ。幸せになれと」
 だから幸せにならなければ。そしてもうそれを見届けて私に心残りはない。
「いつかまた遭えますか」
「信じてくれればいつか。いや、二度と遭えなくても私たちはいつでも見守っているよ。この愛おしい世界をずっと」
 虎太郎は唇を尖らせて、なんだよ畜生と言ったようにWと抱きしめあうヴェルターの背中を肘でどついた。
「おっさん、これ知ってたんだろう?」
 虎太郎はぶちぶちと上目遣いでヴェルターに文句を言った。
「こんなん、――ワイルドタイガーとバーナビー・ブルックスJrの遺伝子かなんかがキーコードになってるだなんて! 知ってたんだろ、それが子孫の俺ら次第で解除できるって。最初からあんなジーンバンクが存在してるのずっと知ってて俺たちに黙ってたんじゃん。あれ知ってたら俺こんなにはらはらどきどきしなくて済んだのに。一挙に解決じゃんかこれ」
「解除できるかどうかは、判らないじゃないか!」
 ヴェルターは心外だ! というようにWから体を放すと虎太郎に向き直ってウィンクするのだ。
「君たちがこの重圧に負けて、別れる、司法局の言いなりになるっていう方が確率的に多い話だろう? 実際キミも少しは心を動かされたろうに。君は違うかも知れないが、子供がほしいと切望していた人々、市民たちの声を君はどう思ってたんだね?」
「・・・・・・それは――」
 まさか直ぐに貰って読みもせずにゴミ箱に突っ込んでいたとか言えるわけもなく、「俺はそんなの良く判らなかったけど、フォースが凄く気にしてたのは知っていた。同情してたのも良く判ってた。だから俺毎日本当に不安だったんだよ」とそっぽを向きながら答えた。
「――俺は人のことなんか構っちゃいれねえ、俺自身のことで手一杯で、我侭で自己中でどうしようもないガキだけどバーナビーだけは誰にも譲れないって、この思いだけは本当だって胸を張って言えるんだ」
「虎太郎」
 突然なにか胸に迫ってきたのか、涙ぐんでごしごしと目頭を擦る虎太郎にヴェルターは目を細め。

――そう、そうして決断したのだ。誰もが絶望しかないと絶望した未来にだだひとり、己の使命を自覚し、挫折し、血を吐くような思いに耐えて、お前の祖父は決断したのだ。鏑木・T・虎徹として決断したそれを、虎正もまた自分自身を踏み台にしても叶えたいと、サードすらも手放して。それはどれほどの思いだっただろう。納得などしていなかった。ただの人間の浅ましい欲望だと理解してなお、鏑木虎正は自分の真実の欲望に忠実だった。その信念に従う事を自ら決断してのけたのだ。鏑木一族のその滑稽とも言える決断力の強さ、自己中心的な思いの強さ、その意思の強靭さが世界をいつも転換させてきた。そうして今、虎太郎は彼らが――彼が願ったようにその自己中心的な強さで世界を転換させた。かつて、彼が共に生きて闘いながら逝った愛しい世界、バーナビー・ブルックスJrをバディにしていた時代のように。

「・・・・・・君は、君たちはその自己中心的な意志の強さでこの世界を転換させたんだ。誇りなさい、それは誰にでも出来る事ではない。その強さをこの時代が欲していた。そして君たちは選び取った。私は羨ましいよ、その揺ぎ無い未来への貪欲なまでの――希望を見出そうとする力が。希望を失わない、決して疑わない強さが。君の姉 知枝もそうして選び取ったんだ。選び取る力を、君たちは持っているのだから」
「俺、役に立ったかな。知枝ねーちゃんは、誰を選んだんだ? 俺とフォースが解放したライブラリじゃ駄目かな。シュテルンビルトに戻ってこれないのか」
 移民制限が緩和されないかな。俺がやったことは知枝ねーちゃんの役に立ってない? 遅かった? もっと早く俺がフォースにこう言っていたら違っていたのかなって。
だがヴェルターはその虎太郎の後悔に首を振った。
「ライブラリ解禁とは別だよ。知枝はね、唯一無二の相手を見つけたんだ。彼の為に全てをなげうってもいいとそう決断した。君やフォースの事も愛しているし気にかけている、ライブラリを解禁し、世界を転換させたこともきっと心から喜ぶだろう。だが知枝には別に決断しなければならないことがあった。彼女が行った場所を祝福してやってほしい。彼女は今、誰よりも愛した人と共に居るのだから。君たちのように」
「知枝ねーちゃん幸せなんだな」
「ああ」
 ヴェルターは強く頷く。
「好きなやつんとこにいけたんだな。ずっと大好きだったやつんとこに。幸せなんだな。不幸じゃないんだな」
「ああ」
 虎太郎はぐしっと鼻を啜り上げた。
「だったらいい。知枝が幸せならいいんだ。伝えてくれよ、俺らも幸せになるって。ずっとずっと幸福に暮らしましたってこれから先ずっと。知枝も幸せでいてくれよ」
 伝えてくれ。
虎太郎はぐしぐしと目頭を擦ってぽたぽたと涙を落とした。そんな虎太郎をWは優しく抱きしめる。その頬にキスをする。
 幸せに・・・・・・幸せで居てくれるのなら。
何度目かの大歓声が背後で上がる。シュテルンビルト市民は喜びに沸いていた。いつの間にかパレードも始まったようだ。最初からシュテルンビルト司法局はそれを見越して用意していたのかも知れない。いやもしかしたらNIKE自体が、この結果が導き出された時に市民たちへのプレゼントとして用意していたものではなかったか。
 なんにしてもシュテルンビルトは都市全体が美しくライトアップされ、巨大なレーザー砲が夕闇の迫った空に大きく文字を描く。花火は盛大に打ちあがり、それは各選ばれた方舟都市全ての光景でもあった。世界中が今喜びに沸いている。かつてここにいた人々の希望を胸に抱いて。

 今真の意味で人類は出航する。
果てしない未来への旅路へと、希望と勇気とを携えて、そうかつて全人類が模索し切望した夜明けが訪れようとしていた。




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「見えない臓器の名前は」
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