Novel | ナノ

星の棲み処(2)




 嫌な夢を見ていた。
夢? 夢ではない。 これはそう、現実。
夢だったら良かったのに。
なんだろう、これは以前にもあった感覚。
投げ出してしまいたい。全部無かったことにしてしまいたい。
とてもいい機会じゃないか。
それと同時に、今は駄目だ。今は駄目、絶対駄目と何かが止める。
駄目なのだ、今はまだ。
しかし、誘惑は甘美過ぎた。
そう、全部終わりに。
自分では終わらせられないから、自分の都合では許されないなら、誰かに許してもらいたい。
誰かでもなく何か。許してくれるのなら、流されてしまいたい。
この衝動に全部流されてしまえば、きっと楽になるのに。









 ふと目を覚ますと、天井の白いタイル模様が眼に入った。
ここは何処だろうと考えたが、覚えがない。
その瞬間、不安で冷や汗が出たが、さらに身を起こそうとして左手を誰かが握っていることに気づいた。
そして目を向けると、少し癖のある、明るい金髪の男が目を瞑って傍らに居た。
自分の手を握り締めたまま、恐らく眠っているのだろう。
ああ、彼はバーナビーという名前だったなと思った瞬間、不安がひいていき、そしてここは病院なんだなと思った。
ということは、自分は倒れたのか。
少なくとも病院までは頑張ったようだ、うん、良かった。
 両手でぎっちりと自分の手を抱えるように握りこんでいる男の頭を見て苦笑を漏らす。
なんだか随分と心配させてしまったようだ。
この男は、前に自分が怪我をしたときも、長いこと自分に妙な負い目を感じていたっけ。
そう、あのつんけんした態度が嘘のように、萎縮して怪我が治るまでの間かなり長く気遣いを見せていた。
てことは、今後更に負い目を感じさせるようにしちまったのかなあと、少し切なく思った。
タイガーにとって、バーナビーは時折、酷く傷つきやすい小さな子供に見える。
これを彼に言ったら絶対に気を悪くするから言わなかったが、自分の娘の楓が、まだもっと幼い頃に泣きじゃくっていた姿を彷彿とさせるのだ。
バーナビーの冷めた翡翠色の瞳。
尊大で、自信に溢れ、容姿も完璧で、育ちもいい。何も出来ないことなどないような、非の打ち所のない男。
なのに、時々タイガーには、その背後に 涙を流さずに号泣する小さな子供の姿が見えた。
他人に抱きしめられることを諦めてしまった、哀れな子供だ。
何故だろう、どうして彼は時折そんな風に見えるのだろうと不思議に思っていたが、ある時彼が放った身切るような絶叫で彼の生い立ちを知った。
親を亡くした。N.E.X.Tによって奪われたのだ。
それからずっと、彼はそのN.E.X.Tを探していた。両親の敵を。
4歳の頃から、そればかりだったと彼は言う。20年という長い間、彼はずっと憎しみに捕らえられていたのだ。
タイガーはその瞬間、それが自分の娘にもあって然るべき未来のひとつだということに気づき、芯から震えたのを思い出す。
それまでは、この男をそれ程理解しようとは思わなかったし、むしろ出来るだけ思考の埒外に追い出そうとしていたが、本人も気づかないこの小さな哀れな子供、気づいた自分が密かに寄り添ってやろうと考えるようになったのは、タイガーが人の子の親だったからだろう。
 タイガーはゆるゆると左指を動かそうとしてみたが、まったく動かなかった。
ぎっちり握られているせいばかりではなく、ああそうか、麻酔が効いてるんだなと思った。
出来れば大丈夫だと声をかけてやりたかった。
もう平気だから横になって寝ろよ。お前も結構満身創痍なんじゃないのか。
打ち身はどうだ?痛いところはないのか。どこか怪我してないか、お前も医者に見てもらえよと思って、笑えた。
そう聞いてこの男は怒らないだろうか。以前は「飯食ってる?」とか「今日調子どう?」とか聞いただけでも煩がられた。
そんなところも楓と一緒だなあと思って、その時は気にしなかったが、今思えば少し子ども扱いが過ぎたかもしれない。
9歳の女の子と同じ扱いをされたら、そりゃいい年をした青年はいい気分がしなかったろう。
それも含めてごめんとあやまって、肩を叩いてやりたかったが、どうやら今は無理なようだ。それに。
「・・・そうだな、今はお前もいるんだもんな・・・」
仕方がない、もう少し麻酔が抜けるまで、目を瞑っていよう・・・。









 再び目をあけると先ほどとは様子が違っていた。
自分では少しの間目を閉じていただけのように感じられたが、実際は数時間が経過していたらしい。
左手側にはもう誰も居ない。
左腕はきちんと布団の中にしまわれていて、そちらを見やると窓ではなく壁が見えた。
身を起こそうとすると、今度はちゃんと身体が動いた。
同時に左脇腹を中心に、腹部全体に鋭い痛みが走った。
思わずうめき声を上げてしまう。
「うあっつ・・・」
あだだだだ、、と呻くと、隣のベッドから声がかかった。
「おい、大丈夫か虎徹、目が覚めたのか? なんで起き上がろうとするんだ。お前再手術だったんだぞ、無茶すんな」
「あー、いや、、てか何これ、俺、どこが悪いの?」
「全部じゃねえのか」
ロックバイソンが呆れたようにそういう。
うー、いでーとタイガーは寝返りをうったが、点滴の管に腕が引きつった。
邪魔なので引っこ抜こうとしたが、ロックバイソンに止められた。
「もう急ぐ用事もないんだから、いい加減大人しくしとけ。点滴抜くな。馬鹿だなお前」
「馬鹿いうなよ」
 あまりに痛くて、弱々しく言う。
暫く痛みが遠ざかるまで、タイガーはベッドの上で脂汗を滲ませていた。
麻酔が切れたらしく、相当痛い。笑えない。
悶絶しているタイガーに、ロックバイソンが追い討ちをかけてきた。
「N.E.X.T使うなよ、意味ないぞ」
 使わないわ。
頭の中で答えていたが、声にはならなかった。
やっとのことで痛みをやりすごし、上半身を枕の方に戻す。
同室になっていたのか折紙サイクロンが車椅子で横にきて、「ベッド少し上部上げますよ」とリクライニングをアップしてくれた。
「悪いな、折紙。助かった」
「いいえ。タイガーさん、無茶しすぎです」
 タイガーはにやりと笑った。
「おい、虎徹、飯どうする? 朝食。朝方お前こっちに移されてきたんだけど、まだ寝てたから断っといたが、頼めばくれるぞ」
「まあ、どのみちもうすぐ昼じゃないか?」
 スカイハイが明るく会話に加わってくる。
「んー」
 思案するふりをして、タイガーは答えた。
「いてーから食いたくない。いらない」
 それより。
「バニー、居たか?」
「バーナビー?」
 ロックバイソンが不思議そうな顔をした。
「なに? ここに? あいつが居たのか?」
「あー、いや・・・」
 夜、俺の手握ってたぞ、というのはなんだか気恥ずかしかったので言わなかった。
ただ、結構な夜中だったと記憶しているから、あれはそうか、明け方にでも帰ったのだろうか。
いやもしかしたらそもそもあれは夢だったのかも・・・と思ったが、左手の薬指にはまる指輪を見て、夢ではなかったと思った。
PDAや腕時計はサイドテーブルにあるのに、指輪だけが嵌められていた。
小さいから、これだけは無くすと困るだろうと思ってくれたのか、それとも別の理由なのか。
「・・・・・」
 暫く指輪を見つめていたが、タイガーは大きくため息をついた。
それから頭を掻く。
「わー、なんで起き上がるんです?!」
折紙サイクロンが焦ったような声をあげたが、タイガーはへらっと笑ってアイパッチを取り上げた。
更にPDAと腕時計、ブレスレッドを装着すると、携帯を持ってベッドから立ち上がった。
「あだだだだだ・・・、さすがにいてーわ」
 点滴もついでにむしりとる。
ロックバイソンが肩を竦めた。
「ちーと、外いってくるわ」
 タイガーは、やめた方がいいという顔をしている面々に背を向けて、ふらりと病室の外に出て行った。



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