Novel | ナノ

Call me 君の名を呼ぶ(2)



1.NC2100.6

 ウワーンと鳴る耳鳴り。
白濁した世界が、混沌の中から像を結び、ふと意識が揺らぎの中から目覚めた。
 誰かが呼んでいる。
それは白昼夢にも似て、余りにも明るく、明瞭過ぎて、虎徹は何故自分がそこに居るのか一瞬判らなかった。
 雑踏。
ふと目を開けてみると、目の前を無数の人々が早足で通り過ぎて行く。
自分は今、スクランブル交差点のど真ん中に立ち尽くしている。
それも凄くいい姿勢で、何故か。
 ぎゃっとなり、虎徹は慌ててあたりを見回した。
シュテルンビルトのゴールドステージ、センター街ほど近く、アポロンメディア社から徒歩数分の、勝手知ったるスクランブル交差点だ。
何をやってるんだ、俺は!と思う間もなく、横断歩道からは誰もいなくなり、信号は無情にも赤になった。
と、同時に当然車が発進。
 俺まだ居るのに! 
轢かれる、死ぬ!と慌てて車を避けながらS字に走るが、駄目だ、避け切れない!と覚悟した。
畜生、ワイルドに上に逃げちゃうぜ!とワイルドシュートを射出しようとして、虎徹は硬直する。
ワイヤーが発射されないのだ。
何故、どうして?と思う間もなく、目の前にトラックが迫り、虎徹はもう駄目だとハンチング帽を右手で抑えて目を瞑った。
しかし、何時まで経っても衝撃は来ず、恐る恐る目を開ける。
「どゆこと?」
 かすれた声であたりを見回す。
自分を通過して、何事もなかったように走り行く車たちの群れ。
「・・・・・・」
虎徹は自分の手を見た。
そう、少し透けている。
手を伸ばし、じっと見てみる。
 ああ、まさか、そんな。
「俺、死んだのか? なんで? これって幽霊ってことなのか?」
 何時? 何処で、どうして。
最後に思い出すのは、そうだ、何かが降ってきた。
バニーが叫んでて、俺の名を呼んでいて、なんでだろうと思っていた。
まさか俺、あの時に死んじまったってことなのか? あの日あの場所で? 嘘! 俺まだ何も伝えてなかったのに!
 呆然と立ち尽くした。
それから駆け出した。
あの世とか、死んだ後のことなんて考えた事もなかったけれど!
もし、俺が死んでいて、これがもう変えようもなかったとしても! なんとかして伝えなければ! このまま成仏なんかしてやるものか。
支離滅裂にそんな事を思った。
無意識に足が向いたのは当然アポロンメディアだった。
 あの日からどの位経った?
なあ、バニーはどうしてる? 俺が死んじまってアイツどうしてる? 泣いているのか? 泣いてるよな! 俺がなんとかしなければ。 なんとかって、・・・判らないけど何とかするんだよう!
アポロンメディアを取り巻く長くて高い階段を駆け上がる。
人も物体も通り抜けるのに、何故か建物は普通に登れたりするわけで、そこらへんの矛盾には虎徹は全く気づいてなかった訳だが、兎に角駆け上った。
息を急き切って、と思ったが、それも実は苦しくもなんともなかった。
ただ駆け上って虎徹は違和感に入り口で戸惑う。
 なんだこれ。 いつ、アポロンメディアって模様替えしたんだっけ。
なんか銅像が立ってる。・・・・・・だー、れの、銅像・・・だろ・・・、・・・うっ。
 そこで虎徹は再び硬直した。
「だって、そんな」
 目の前に聳え立つ銅像は、バーナビー・ブルックスJr。 NC1953〜NC2001年没。
2001年没?!
がばっと銅像のプレートに飛びつき、虎徹は絶句するのだ。
 空を見上げる。
そして世界を見る。
そう、今は虎徹の生きた時代から120年後、NC2100年だった。



 それからどう歩いてきたか判らない。
しかし、足は朦朧としながらも、バーナビーを求めて自宅付近へと向かっていたようだ。
案の定、そこには見知らぬビルが建っていた。
120年後現在、すでにバーナビーと虎徹が同居していたゴールドステージのフラットは取り壊されて存在せず、大通りと合体して高級店舗がひしめき合っていた。
ここまでセンター街になっちゃうわけね、と虎徹は寂しく思う。
思えば、道行く人のファッションもなんだか目新しい。
布地がプラスチック的な光沢を持つものが多く、確かに未来的だなと思わなくもない。
ゴールドステージの上に更にもう一階層増えていた。
そこはなんというのだろうと虎徹は思う。 ゴールドの上だから、プラチナステージだったりして。
 自分の思いつきに笑ってしまい、それから更に途方に暮れた。
俺は幽霊らしい。 なんだけど、コレは一体全体どういうことだろうと。
幽霊っていうのは、何か未練があって、それを払拭するために残るようなもの、と自分は考えていたが、どうやら違うらしい。 何にしても120年後に幽霊になって何かいいことでもあるのか。 自分の心残りであるはずの、肝心のバーナビーも故人で既にこの世には居ず。
俺はどうすればいいんだろうな。 天国って何処だっけ、なーんて。
「ははっ」
 乾いた笑い声が漏れた。
でもきっと、誰も聞いちゃくれないんだろう。
そう思うと涙が零れた。
不思議な事に、涙が触れる。
自分の手に零れ落ちていく涙の感触がある。
ナニコレ、なんでなんだろう。 俺は幽霊の筈なのに、俺から流れる涙に感触があるだなんて。
そう思い込んでいるだけなのだろうか。 単にこれはそういったものの記憶なだけで、確かなものでもなんでもない。 ここにあるただの幻なのだろうかなんて。
 ああ。
虎徹はまた空を見上げた。
 終わっちまったんだなあ。
俺まだ何も言ってなかったのに。 これからいっぱい幸せにしてやるんだなんて、最後の最後まで馬鹿みたいだ。
お前は、幸せだったか? 俺が居なくなったあと、どうやって生きていった? 俺を失って悲しんだだろうか。 きっと悲しんだだろう。
でも悲しいばかりじゃなかったよな。
きっと幸せに生きて――――。
「ははっ・・・」
 自嘲気味な笑いが漏れた。
涙が止まらない。 神様、これはなんの冗談ですか。 馬鹿だった、俺本当に馬鹿だった。 いつ終わってもおかしくない職業についてた癖に、まだまだ明日がある、この先は長いだなんてどうして思えたろう。
 もっと早く、何故早く、バーナビーに言ってやらなかっただろうか。
一日一日、もっと大切に、無駄なく生きなきゃならなかったのに。 今更判って後悔して、俺って本当に馬鹿だ・・・。
 いつの間にか空は翳っていて、やがて土砂降りになった。
通り雨だろうか。
10月かと思って居たが、どうやら今の、このNC2100年での季節は6月そこそこらしい。
夏の到来を示すのか、突然の雷雨、不安定な大気の匂いが熱を帯びていた。
案の定、虎徹の身体は雨に濡れなかった。
雨が身体を通過し、何事もなかったかのようにアスファルトを流れていく。
 とぼとぼとセンター街を抜けて、煉瓦の敷き詰められた遊歩道らしきところへ差し掛かる。
そこにはこじんまりとした教会があって、ああ、この教会は120年経ってもまだあるのだな、と切なく思った。
不意に開く扉。
 教会の戸が開かれて、そこから一人の青年が現れた。
土砂降りを気にする風でなく、まるで当然のように歩を進め、そのまま濡れそぼる金色の髪。
少し伏せた翡翠の瞳、そしてメガネ。
 今ならレトロと言われてしまいそうな服装、赤のレザージャケットに、ジーンズ、ライダーブーツ。
 そんなばかな。 だって、そんな馬鹿な。
今虎徹の前を通過していく一人の青年に、虎徹は息を飲む。
だって、そんな馬鹿な。
この世界に、バーナビーがいる。 愛して、幸せにしてやりたかった俺のバディが。
いや違う、違ってる。 バーナビーのわけはない。 判っているのに、彼はなんて、だって。
「バニー・・・」
 掠れる声で呼ぶ。
目の前にいる青年は、虎徹の知るバーナビーと瓜二つだったが、ただ一つ歳だけが違っていた。
27歳の、堂々とした大人ではない。 まだ若い、そう、まだ18歳かそこらの、幼いバニーだ。
 神様、これは一体どうしたことか。
そして第二の奇跡が起こった。
 そのバーナビーと瓜二つの青年は、虎徹を振り返ったのだ。
「貴方は誰ですか? 僕に何か?」
 翡翠の瞳が俺を見てる。
虎徹は小さく息を飲んだ。




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