摂氏42℃とラムネと金魚(8) 「大分遅くなったが、君の能力が解ったよ」 久しぶりにやってきた虎徹を見て、カルテを出しながら村上はそう言った。 「へぇーえ、そうなん?」 「聞きたくないかい?」 「いや、聞きてぇすよ」 虎徹は丸い古びた椅子を勝手に引き寄せると腰掛けた。 ギイギイ椅子が鳴る。 わざとうるさい音を立てながら、けっと言ったように虎徹が村上をねめつけた。 村上はいつもの疲れたような笑いを口の端に浮かべると、虎徹にこう言った。 「君の能力は、Five minutes One hundred powerです」 「ナニそれ」 「5分間だけ、すべての身体能力が100倍になるという、極めて珍しいパワー系N.E.X.Tだよ。 初めての例じゃないかな」 「5分とかケチ臭ぇな」 「N.E.X.Tの新しい進化の形でしょう。 今までのパワー系N.E.X.Tは、みんな自分のパワーに殺されたのだから」 虎徹の肩がぴくっと上がる。 「素地はただの人間なのですよ。 初めて確認されたパワー系N.E.X.Tは、増大されたその力に肉体が潰されて死んでしまいました。 次に確認されたパワー系N.E.X.Tは、身体がパワーについていけず、酷使されて能力が発現してわずか数ヵ月後に心臓が止まってしまいました。老死ですよ。 FiGe(フィゲ)のパワー系N.E.X.Tは、人としての寿命がパワーに消費されていたのです。 みな短命でした」 「俺もそうなるん?」 「いや」 村上は椅子から立ち上がると、乱雑に重ねられた書類の一番上からひとつのファイルを取った。 「君にはストッパーがついています」 「ストッパー??」 「そう。1時間に5分間しか、君は100倍の力を出せない。 そう、君のN.E.X.Tは、君自身を損ねぬように、そのパワーに制限をかけたのです。 君は間違いなく二世代目。SeCgN.E.X.Tです」 村上はファイルを開いて、ため息をつくように言った。 「N.E.X.Tが人との共存を選んだのです」 虎徹は頭を掻いた。 「良くわかんないんすけど、それで俺はどうすれば?」 「どうも」 村上医師は、ファイルを閉じる。 「どうにもなりません。 その能力を今まで以上に制御できるよう努力しなさい。 そしてその能力を自分自身の支配下に置き、決して暴走させてはならない。 生涯を賭けてコントロールし続ける。それが君に与えられた課題で、揺るがない。 おめでとう虎徹君、ついにコントロールできるようになったんですね。 頑張りなさい」 「へーい」 虎徹は立ち上がった。 それから部屋を出ようとして一度振り返った。 「せーんせ、村上せんせ。 次の予約は来月でいいすか」 「いいですよ。来月また会いましょう」 しかし、その約束の来月は来なかった。 村上医師はその次の週、静かに家で亡くなった。 心不全だったと伝えで聞く。 虎徹と友恵とアントニオは、村上医師の葬儀に参列し、焼香した。 村上医師は虎徹に、8年間に及ぶ虎徹の能力に対する考察資料と、その観察記録、細々としたN.E.X.Tへの対処法などのファイルを残しており、後に虎徹の母の安寿がそれを受け取ったと言う。 虎徹は空へたゆたう村上医師の火葬の煙を、ずっと長いこと眼で追っていた。 萎びた診療所の、がたついた扉、隙間だらけの壁、そして今にも崩れそうな屋根。 いつか夕闇が迫る暑い夏の暮れ、村上医師のもとに突然訪れたものの、なにを言うでもなく、彼の話に耳を傾けていたことがあった。 「N.E.X.Tというのはだね・・・」 村上はつぶやくように言った。 「進化していくものなんでしょう。 次の世代に、人を・・・恐らく人がね、変化しようとしてるんだろうね。 世界と一緒に」 「・・・・・・・・・」 「第一世代と呼ばれるN.E.X.Tは、まあ、病気と変わらなかったと私は思います。 彼らはそうだね、音楽に似ています。 人が居なければ生まれないのに、こう手にすることも存在も目に見えない、そういう確かめにくいものだったのではないでしょうか。 最初に生まれたN.E.X.Tは多分そういう力だったんだと思います。まるで誰にも聴こえない音のような。 そして虎徹君。 君は恐らく第二世代だと私は思っています。 第二世代はN.E.X.Tが人を殺すのではなく、人と共存しようとし始めた、次の世代のN.E.X.Tです。 君の好きなレジェンドもそうでしょう」 「N.E.X.Tが人と共存?」 「そう。 初めに生まれたN.E.X.Tは、人としてはもう死にかけていたのです。 そしてその力が、彼女を殺してしまった。 死ぬために生まれたかのように、その力は人を殺したのです。 生まれることが死だった。 それが最初のN.E.X.Tだったのです。 第二世代をレジェンドと呼ぶのなら、第一世代はレクイエムだった。 そういうことです。 虎徹君、恐らくあなたたちの世代の子供たちは、N.E.X.Tを受け継ぐようになるでしょう。 今までは突然変異でしか生まれないとされていたN.E.X.Tが、本当の意味で次代を継ぐものとなる。 それをよく心して、生きていくようになさい」 村上医師は、最初のN.E.X.Tを知っていたのだろうかと、後に虎徹は漠然と思う。 もしまだ健在でいてくれたなら、いつかその話を聞けただろうか。 ―――――――しかし、彼はもういない。 虎徹は自分の左隣に立つ友恵に、これ以上ないといったぐらいの優しい笑顔を向けた。 友恵は当然のように虎徹に寄り添い、二人は固く手を握り合っていた。 アントニオはそんな二人の少し後ろに控えて、やはり空へたなびく煙と、青い空を眺めた。 季節は秋になろうとしていた。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top |