Novel | ナノ

摂氏42℃とラムネと金魚(7)



 アントニオは友恵に連絡を取った。
虎徹と一度向き合って話し合えないかと。
唐突にそう電話をかけてきた自分に、友恵はひとつたりとも嫌な顔を見せなかった。
つい最近までは、殴り合いの喧嘩をしては、虎徹の顔に相当傷を作っていた本人だというのに。
虎徹の友恵への自分の紹介の仕方が良かったのか、それとも他の理由なのか。
「私も話したかったの」
 友恵はそういい、その日昼間から夜にかけて行われる、ジャパニーズエリアのお祭りに参加すると言った。
アントニオも、虎徹をひっぱっていくから、どうかやつの話を聞いてやってくれと言った。
「お邪魔だろうけど、俺も一緒に行くから」という言葉を、友恵がどう受け取ったのかは知らない。
でも、友恵は電話口でうんと頷き、「よろしくお願いします」とアントニオに言ったのだ。
かくして、その夏祭りに3人は結集した。
 アントニオに襟首を捕まえられて、嫌そうにやってきた虎徹はそれでも、先にやってきて市役所の時計台の前で待っていた友恵に、やあと挨拶した。
友恵も笑顔で、虎徹君と呼んだ。
それから3人で、炎天下の中縁日をなんとなく見て回ったのだ。
 昨日と変わらず気温は摂氏42℃。
友恵は涼しげな浴衣を着ていて、虎徹は目のやり場に困って、視線をさまよわせていた。
虎徹の代わりにアントニオが、「その服素敵だね。 日本の民族衣装なのか」と聞いていた。
友恵は、そうなのよと言葉少なに語り、それから虎徹の横に並んだ。
綿菓子や、りんご飴の露天を見回りながら、アントニオは二人の後を無言でついていく。
暫くしてあまりの暑さにアントニオは音を上げて、一人カキ氷を買うと、食べながら二人を見守る。
 二人は一定の距離を保ちながら、時折小さく会話しながら人ごみを掻き分け、そして二人とも汗をかいていた。
虎徹は流れ落ちる汗を右手で拭いながら、左手側にいる友恵を見ている。
友恵はまっすぐ前を見ながら、やはり暑そうに自分の汗を右手で拭っていた。
束ねられた長い黒髪が、うなじと首筋にぺたりとへばりつき、それを煩げに掻きあげている。
 友恵があっと声を上げた。
「ねえ、虎徹君、金魚すくいやらない?」
 唐突にそういわれて、虎徹はなにやら解らず、「え?」と呟いた。
「赤い金魚、可愛いでしょ。 一匹欲しいな」
 冗談じゃない、というような顔をした、とアントニオは思った。
しかし、友恵は容赦なく、「ねえ、一匹でいいから掬って私に頂戴」と虎徹にねだった。
なので、虎徹はしょうがなくすくい枠を縁日で貰うと、金魚をすくおうと友恵と一緒にかがみ込んだ。
「友恵」
 震える声で虎徹が言った。
「俺、今少しおかしいんだ。 うまくいかなくても、・・・・」
「大丈夫よ」
 虎徹がみなまで言う前に友恵がそう言って、虎徹は黙り込んだ。
でもアントニオには解った。
嫌いにならないでくれ、そう虎徹は言いたかったのだと。
果たして、必要以上に緊張している虎徹に、金魚すくいの露天の親父はかなり不振気な顔を向けていたが、女連れだということもあって特に何も言わなかった。
しかし、アントニオには見えていた。
緊張している虎徹の震える右手、すくい枠を持つ右手が青く染まっている。
アントニオは一瞬、虎徹の手を押さえようかと思ったが、いつの間にか自分を見上げていた友恵の唇が、「だめよ」という形に動いたのを見て取った。
虎徹は想像以上に自分を自制したのだろう。
左手で右手を押さえながら、ゆっくりと水の中にすくい枠を入れて、なんとか一匹だけ掬い上げた。
次の瞬間、すくい枠の握り棒がバキっという音をたてて、虎徹の手の中で砕け散ったが、おわんの中に赤い金魚は無事に納まって泳いでいたのだ。
友恵が弾けるような笑顔になり、「ありがとう」といった。
虎徹は肩で息をしていたが、その言葉に少し元気を取り戻したようで、少しだけ笑顔を見せた。





 虎徹から貰った金魚を、友恵は矯めつ眇めつ眺めていた。
とても嬉しそうだった。
虎徹はそんな友恵の様子を横から見て、本当に幸せそうな顔をしていた。
アントニオはそんな二人を見て苦笑する。
もう、包み隠さず本当の気持ちを打ち明けてしまえばいいのにと。
でもそれは同時にとても難しい事だと、同じN.E.X.Tのアントニオには解ってもいた。
しかし、それにしても暑い。
なんて暑さだろうとアントニオも首筋に流れる汗を拭う。
それが解ったのか、虎徹が露天に立ち寄り、友恵とアントニオの分のラムネを買うと、手渡してきた。
良く冷えた、空色の綺麗な瓶を手にして、友恵の瞳が細められた。
「このラムネの瓶の中のビー球がいつも欲しいと思うの」
 そう友恵が虎徹に言う。
虎徹も、そうだなと頷いた。
「俺も小さい頃、良くこの中のビー球が取れないか試してみたよ」
「でも取れないんだよな」
アントニオも言う。
ビー球の蓋をラムネの中に落とすと、じゅわっと炭酸が噴出してきて、手を濡らした。
友恵の喉がこくんこくんと上下する。
暑い日差しの中、ラムネの清涼な味が喉を滑り落ちていった。
「美味しい」
 友恵が笑う。
虎徹も笑った。
そして、友恵がなんともなしに手を差し出して、虎徹のシャツの左脇を掴む。
その仕草に虎徹ははっとして友恵を見ると、友恵は少しはにかんだように、「虎徹君、手をつないでくれる?」と聞いた。
 蜃気楼のように水蒸気が揺れている。
ボキっという音がして、虎徹が自分のラムネの瓶を握りつぶしたのが解った。
発光する自分の右手を、信じられないものをみたという風に見つめた後、粉々になったラムネの瓶を地面に落とした。
 その時、虎徹の顔に浮かんでいた表情は明らかに恐怖だった。
じっとりと脂汗が浮かんでくる。
42℃の真夏日、日がもう沈もうとしてるのに、一向に涼しくなる気配を見せない。
 むしろ、一気に気温が上昇したように思えた。
夕日の照り返しでオレンジに色づいた虎徹の表情をもし一言で言い表すなら、濃い、絶望そのものだった。
そんなアントニオと虎徹の視界の中、スローモーションのように友恵がしゃがみ込み、砕けたラムネの破片の中から、ラムネの瓶に入っているビー球を取り上げた。
水色の涼やかなそれは、友恵の手の中で、宝石のように輝いていた。
金魚の袋の中の水が照り返しに揺れている。 立ち上がった友恵は息を呑むほど美しかった。
友恵が、虎徹君と呼びながら手を伸ばす。
虎徹の瞳が否定の形に揺れた。
 駄目だ、コントロール出来てない。
絶対に触れられない。 手を握るなんてとんでもない。
アントニオも危惧した。
これでは、友恵の手を、虎徹は握りつぶしてしまうに違いないと。
 だから、虎徹は嫌々をするように首を振るうと、友恵から飛び退った。
そしてそのまま走り去ろうとしたその瞬間、友恵がその後姿に叫んだ。
「虎徹君、逃げないで」
 虎徹が振り返った。
でもやはり身体が逃げている。
ゆっくりと身体を友恵の方に向けたが、やはり首は横に振られていた。
友恵が近づいてきて、虎徹は後ずさる。
そのまま後ろの杉の木の根元まで追い詰められた。
「虎徹君?」
「駄目だ、俺に触れないで欲しい。 俺は今君に触れない」
「どうして?」
「友恵、大好きだ」
 虎徹が言う。
悲鳴のようだと思った。
「大好きだ、大好きだ、大好きだ。 だから触れない。 俺は君を傷つけてしまう。 だから来ないで欲しい」
「虎徹君は私を傷つけたりしないよ」
 友恵は笑って、ゆっくり右手で虎徹の左頬に触れた。
虎徹の身体がびくっとなって、まるでとても熱いものに触れたようだと思った。
 友恵は右手に金魚の袋を持っていて、それが虎徹の頬に触れたとき、左右に揺れた。
虎徹は真っ直ぐ友恵を見つめていて、友恵もまっすぐに虎徹を見つめている。
 密やかな青い光が虎徹の身体を包んでいた。
アントニオは、一瞬飛び出そうとして、その場に縫いとめられるように足を止めた。
 青く発光した虎徹の右手が、躊躇うように友恵の左頬に寄せられて、そして友恵が言った。
「大丈夫だよ、虎徹君。 あなたは私に触れられる。 私を抱きしめられる。 絶対に傷つけたりしないよ。 大丈夫」
 大丈夫。
友恵が微笑む。
「大丈夫、怖がらないで」
魔法の言葉のように、それはその場に響いた。
気づくと、虎徹は友恵を掻き抱いていた。
 綺麗な青い光。
それが虎徹だけでなく、友恵もを包んでいてた。
まるで二人を祝福するみたいに、青く、密やかに。
虎徹が彼女を優しく抱いている。
「好きよ、虎徹君。 大好き。 いつでもあなたの傍にいるわ」
 アントニオは思った。
虎徹はついに、自分の力を制することができるようになったのだ。
その力を発動させても、誰も傷つけることなく、抱けるように。
 触れられる。
大切な人に、触れられる喜び。
 友恵、好きだ、大好きだ。


愛してる。


そんな言葉が聞こえたような気がした。




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