喪 失(14) 虎徹の病状は急激に悪化していった。 もう、ヒーローたちの姿も目に入っていない。 目に入れたくないのかも知れない。 バーナビーの姿を虎徹の目は通過する。 バーナビーは躊躇い、彼を手放す事が出来ないまま、やがてそれは再び臨界点を超えた。 バディであったことや、バディを組んでいることすら彼は見えなくなってしまった。 何かそこにあるただの障害物のようにバーナビーを避け、ヒーロー活動をしていても、彼の動きはバーナビーと出会う前、一人でヒーローをやっていた当時にすべて戻ってしまっていた。 遠く、雲の切れ間を眺める琥珀色の瞳。 彼はそうして独り、何処へ行こうとしているのだろう。 姿も声も無くして、自分自身を粉々にして、ないがしろにして、それでも虎徹がバニーを探しているのが辛かった。 何故、それだけ忘れないんだろう。 あんなに酷い目に会って。 思い出してしまったそれは、バーナビー自身が吐くほど酷いものだった。 詳細を夢に見て徐々に思い出していく度、バーナビーは何度も吐いた。 体重が極端に落ちる程だった。 とても人間が行える所業とは思えない。 虎徹さん、思い出したんです。 そう囁くと、期待に強さを取り戻す金色の瞳。 それが見たくて、何度も何度も執拗に繰り返した。 彼の期待を煽っておいて、数十秒後には嘘です、また騙されて、なんて愚かな男だろうと、責めさいなむ。 悲鳴が足りないと思えば、指の骨を関節に分けて細かく折った。 浅くナイフで皮膚に傷つけ、悪戯に時折深く抉っては、彼が絶叫してのたうつ様を、揶揄しながら眺めていた。 バニーちゃんは何処に居ますか? ねえ、何処に居ます、もし居るんなら、どうして助けに来ないんでしょうか? それはね、あなたの言うバニーが、存在しないからですよ! 探したって見つけられっこない。 何処にも居ない、 あなたの心の中の妄想なんです。 違う、違う、違う。 バニーはちゃんといる、戻ってきてくれる。 俺を助けに来てくれる。 助けてバニー、俺はここに居るのに。 虎徹の悲鳴のような声、かぶさる自分自身の嘲笑。 とても耐えられない。 僕だったら自分で舌を噛んで死んでいる。 そこまでされて、自身が耐え切れず、記憶を分離させてなお、虎徹はバニーだけは忘れなかった。 ある意味、虎徹は真実最後まで忘れなかったのだ。 どんなに酷いことをされても、忘れることが出来なかった。 むしろ、とバーナビーは思った。 こんな酷いこと、忘れていて欲しかった。 バニーという存在がいたことを、自分の傍らに寄り添っていた事を、どうして忘れてくれないのだろう。 いっそのこと、バニーという存在ごと全て忘れていて欲しかったのに。 なのに、それが大切だったってことを、かつてバニーという虎徹にとって大切な存在があって、それが自分に寄り添っていた事、それが大切だということだけは忘れられないのだ、虎徹は。 虎徹は想像以上に苦しんだのだろう。 理性ではあれは操られていたのだ、と解る。 バーナビーはあの時正常じゃなかったと解る。 でもだからといって許せるかというと違うのだ。 どれほど怖かったろう。 バーナビーを前にして、虎徹は何時でも逃げ出したいほど怯えていたのだ。 それを必死に隠して、解らないように押し殺して。 ヒーローたちの前でなんでもないかのように笑って、笑って、笑って見せて、その癖影では両手を握り込んで、蹲って声を殺して泣いていたのだ。 怖い、怖い、怖いよ、苦しいよ。 誰か助けて、忘れたい、無かった事にしたい。 俺に憎ませないでくれ。 許したい、許せない、苦しい、誰か俺を助けて、助けてバニー。 聞こえない悲鳴が、今更のように届く。 バーナビーは耳を押さえて逃げ出したかった。 自分がやったことから逃れたかった。 それこそ無かった事にしたかった。 虎徹の心の中分け入って、あんな酷いことをした自分自身を殺してやりたい。 そこまで考えが至って、ようやくバーナビーは、虎徹がどれだけ傷ついていたかを知ったのだった。 こうやって横に立っていて解る。 どれだけこの人は傷ついたろう。 この人はその悲しみから逃れようとして、多分自分を罰している。 逃げるな、逃げるなと自分自身を殊更酷く追い詰めて、その癖一番罰せられているのは彼自身なのだ。 一生見つけられないかもしれない。 惨い喪失感を背負いながら、それでも諦めきれずに、失った何かを探して、裏切れず、自分自身を束縛し続けていく。 隣にいる大切なものを認めることすら出来なくなり、彼自身いつまでも悪夢から抜け出せないまま、同時に自分をここまで追い詰めたヒーローたちに、バーナビーに復讐しているのだ。 喪失という形をもって。 彼を抱いても多分もう何も感じていない。 存在すらも感じていない。 あの瞬間、瞳を覗き込んでバーナビーには解った。 虎徹は感じたくないものがやってくると、心をシャットアウトしてしまう。 どうしてそんなことが出来たのかわからないが、手を握ってもその手の熱さも存在も、全く感じないようになっていたのだ。 目を見開いたまま眠っている。 呼吸音もなにも変わらない。 深海の底にたゆたう魚のように、彼はじっと自分を襲う苦痛を、悲しみを、全て眠って受け流してしまうのだ。 歩いていく虎徹を追いかけて追いついて、彼の左手を握っても、彼はそれに気づかない。 握られていることすら気づかず、ただ、遠くを眺め続ける。 時折、バニー、と呟く彼は、隣にいるバーナビーを決して見ない。 それでも、それでもと、バーナビーは根気強く虎徹に寄り添い、振り返ってもらおうと、無駄な努力を繰り返した。 やがてまた一ヶ月が過ぎた。 運命の12月が巡ってくる。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top |