Novel | ナノ

パシフィック・リム  <12>ポータル(2)


「ワイルド・タイガー」とスラターンは縺れ合いながら裂け目へと落ちていった。
スラターンは自分に飛びついてくるとは思わなかったようで、イェーガーを引き離そうともがいた。
殺すことは出来なかったけれど、熱核弾頭の直撃を食らったスラターンはそれなりに弱っていたらしい。
パワーが半減しているのか、「ワイルド・タイガー」の抱擁を振りほどけない。
ぼろ雑巾のようになったそれをしっかりと捕まえながら、虎徹はバーナビーを出逢ったときのことを思い出していた。
 雑巾とか臭いとか、なんかもー散々言われたっけ。
自分の服をダストシュートにぶちこんだときは、バーナビーなんか大っ嫌いだった。
あれはバーナビーに見立てて嫌味で捨てたのだと思い出した。
 貴方酷い人ですね。
バーナビーの思考が寄り添ってきて笑う。
でも今は好きでいてくれてるのを知ってるから、まあしょうがないでしょう、許してあげます。
お前一体全体何様なんだよ。
 虎徹も笑った。
 三叉のスラターンの尾がワイルドタイガーの背中を刺す。
痛いな、馬鹿野郎、もういい加減てめーは死ね。
そう滑らかにでも静かに怒りながら虎徹がそういうので、そうですね、僕もそう思いますと頷く。
 焼いてやれこの死にぞこないを。
虎徹がそう思考したのが判り、判ったと返すと同時にバーナビーがリアジェットのスイッチを入れる。
スラターンは暫く無駄なあがきを繰り返し必死に「ワイルド・タイガー」の抱擁から逃れようと暴れまくったが、心臓を焼かれてやがて動かなくなった。
その死体を抱きしめたまま、「ワイルド・タイガー」は緩やかに下降していく。
そして次元の裂け目に到達したとき、そこはスラターンの死がいと共に「ワイルド・タイガー」を飲み込んでいった。
 ポータルの入り口らしい衝撃。
きりもみ回転しながらそこを通過した時、虎徹とバーナビーも「入れたんだ」となんだか一緒に感動した。
これが別世界の入り口だなんて信じられない。
「入った! 裂け目を無事通過!」
 やった! とオペレーターが叫び、斉藤は「タイガー! 直ぐにメルトダウンするんだ、そして脱出しろ!」と指示する。
不思議なことに通信もまだ生きていた。
ここは次元断層なんだろうか、半分は自然に開いたもの? どこまでそうなんだろう・・・・・・、どうして彼らはアンティヴァースはこんな風に――技術を・・・・・・。
「バニー?」
 ふとバーナビーの意識が途切れて虎徹ははっとなる。
ドリフトが解除されることは無かったが、シンクロ率が五十%を切っていた。
何らかの異常だ、バーナビーの方に何か。と思い手を慌てて伸ばしたときに、音声ガイドがこう言った。
『酸素残量危険レベルです』
 しまった、そういうことか。
虎徹はドリフトを解除して自分の酸素チューブを引っこ抜く。
そしてそのままバーナビーのそれと交換し、酸素が五十%付近に回復するまで自分の酸素を注入した。
 オペレーターは数値でそれを見ていただけだが、バーナビーの酸素が急激に減るのを既に感知しており、指令本部側の命令でそれを解消しようとしていた矢先だった。
突然右脳側の酸素レベルが通常に戻り、代わりに左側の酸素レベルが下がるのを見て操作を中止する。
「酸素を分けてるみたいです」
 斉藤が虎徹に呼びかけた。
「タイガー! 君の方が酸素残量が少ない! 今すぐ裂け目から脱出しろ!」
「りょーかい、斉藤さん」
 それから虎徹は朦朧として意識を半分飛ばしたバーナビーに向かって「よくやった」と囁く。
「後は俺一人でできる。このまま落ちればいいだけだ。誰でもできる」
「タイガー、リアクターをメルトダウンさせて脱出しろ! 今すぐ脱出しろ!」
 斉藤からの通信がコックピットに響くのを遠くに聞きながら、虎徹はバーナビーに言った。
「お前は生きろ」
 脱出ポッドが作動し、バーナビーの身体はゆっくりとそのまま横たえられ自動でポッドの中に収納されていく。
その様を見つめ、ポッドが発射されるのを確認してから虎徹はやっと斉藤に応えた。
「これからリアクターをオーバーライドさせる!」
 しかし、トリガーを押しても何の反応もなく、虎徹はやっぱりねと息を吐いた。
『手動による起動が必要です』
 その異常は指令本部のモニターにも届いていた。
「脱出ポッドが発射された。バーナビーの模様。それより「ワイルド・タイガー」のトリガーもオフラインになってます。手動でやらないと」
「今すぐ自爆しないと、脱出できなくなる!」
 斉藤は焦れる様に喚いた。
虎徹だって別に怠けていた訳ではない。
「手動で起動する!」と短く報告してリアクターの起動スイッチまで「ワイルド・タイガー」の背後に走った。



 アンティヴァースは今日も平和だった。
熱い太陽がぎらぎらと、世界を止め処なく照らし続ける世界。
彼らは地球上でいうと、蟻に似た体組織、怪獣に与えたような全体意識を持つ超知的生命体でその文明の維持率は四十億年を数える。
最も古くに発生し、最も長きにわたって繁栄してきた生命体でもあり、宇宙の大半の智慧を手に入れた覇者の末裔でもあった。
アンティヴァースは自分が発生した惑星を知らない。
遥か昔にそれは失われて久しいからだ。
宇宙を放浪し、これはと思う惑星に住み替えてそうして文明は維持されてきたのだから。
それでも最初に得てしまった特性は変えようもないので、移住先に選定された惑星は彼らの住みやすいように改造された。
そこに原住として発生した生命体の事などお構いなしに。
何故なら自分たちこそ、この宇宙で最も古く最も長きを永らえ、多くの真理に精通した神のごとき存在だったから。
彼らはそれを自負していた。
 そしてこの世界はもうすぐ資源が尽きる。
彼らプリカーサーたちは近々新しい惑星に旅だつ予定となっていた。
 そうもう、移住先は選定してある。
数ある移住候補先があったが白羽の矢が立った場所は今から随分と昔に候補に上がった場所だったらしい。
当時はまだ大気の状態が良くなくて見送られたとのこと。
 リフォーム進行状態は完璧でそしてとても良好だと言っていた。
調査もほぼ完了したし、後は原生生物のせん滅だけと。
 全く簡単なお仕事だと彼はとても満足していた。
起きて自分の仕事場に行く。
 移住先に派遣している耕運機の新作が出来たからチェックしてくれという依頼だ。
今作業中のポータルは一つだけで、この仕事に携わっている者もそんなに多くはないがそれでも仕事場は賑わっていた。
見張場ともなっている最上階にいくと、そこはポータル全体が見渡せる彼の一番のお気に入りの場だ。
今日も太陽が良く見える。
そして気温も180℃と丁度よく、頬を撫でていく風も暖かで気持ち良かった。
なんて清涼なアンモニアの大気。
それは程よくピリピリと刺激的で、硫化水素のかぐわしい香りが微かに混ざっている。
 ふと彼は顔を上げた。
なんだろう、自分たちが送り出した耕運機が戻ってきたのか?
それにしてはどうもおかしな形だと思う。
 気づくと他の面々もそれがポータルから下降してくるのをじっと見つめていた。
なんだろう、あれは? うーん、もしかして、移住先から墜ちて来たものだろうか?
 確かに先に出した偵察機のいくつかには、こちら側に持ち帰れと指示したものもある。
だがそれはかなり難しいらしく、技術班もあれは調査機であって精密採取機ではないのだから細かいものは難しいんじゃないかなあと言っていた。
細かいものが多いのかと思っていたらあんなに大きなもの・・・・・・。
あれはなんだろう?
 彼はしげしげとそれを眺め、耕運機よりは幾分か小さいけれど、調査機と同じぐらいあるなあとのんびり思った。
それは逆光になっていて良く見えない。
彼は良く見ようと思ってバイザーを開けた。



「――だっ」
 リアクターをメルトダウンさせるために背後に回った虎徹は、そこが空洞になっていることに気づかず足を踏み外した。
ちょ、ま! これタービンがむき出しじゃないかよ!
と思ったが遅い。
そのままつるっと滑ってそのままタービンに向かって墜ちそうになった。
笑えない、このまま俺がひき肉になったら、誰も彼もの努力が水の泡だ。
死んでも死にきれない。
というわけで、死にもの狂いでよじ登った。
それだけでも充分致命的な時間のロス。
 斉藤が必死な声で呼びかけてくるのが判る。
判ってますよ、斉藤さん。
斉藤さんは俺が自殺するって思ってるんだろうな。なんか薄々そこらへん心配してたの俺判っちゃったよ。
でもね、大丈夫だよ斉藤さん。俺もうそんな気全然ないからさ。
だから俺がもし死んでもそれ俺が望んだんじゃなくて、不可抗力だから、もし戻れなくてもバニーにそう言ってやって。
 そう思いながら立ち上がり、やっとのことで自爆装置の前まで辿り着く。
一瞬胸の中をああ、これが「ワイルド・タイガー」との二度目のお別れなんだなあという未練みたいなものがこみ上げてきたが、それどころではないと首を振った。
「ありがとな、「ワイルド・タイガー」。お前とは長い付き合いだったけど――兄貴によろしくな」
 いつか俺もそっちにいくから。その時はお前の傍にいてやるよ、と。
回転式のその自爆装置を虎徹は回して一気に押し込んだ。
 途端に「ワイルド・タイガー」のガイドがカウントダウンを始める。
考えたこともなかったが、なんとその猶予は六十秒だった。
 短くね?!
『自爆装置起動しました。メルトダウンまで60秒。59,58,57,56,・・・・・・』
 虎徹はまろびつつ、操縦席まで戻るとハーネスを掴み再びそこへ自分の身体を固定する。
十秒前に虎徹の身体は持ち上げられて、脱出ポッドへ。
『脱出ポッド起動します』
 あばよ、「ワイルド・タイガー」。
そう思った瞬間、打ち上げられるショックで虎徹は息を詰まらせる。




 アンティヴァースの濃厚な空気。
アンモニアに硫化水素がトッピングされた刺激的なそれ。
そこに舞い降りた巨大な天使。
「ワイルド・タイガー」が墜ちてくる。ぎらつく異世界の太陽の前で大きく手を広げた。
「彼ら」は興味深そうにそれを眺めた。
珍しい、何かが外から入ってきた。
収集物の一つなのだろうかと。
 そうしてもっとよく見ようとバイザーを上げてそれを見上げると――
「ワイルド・タイガー」の内部でガイドがカウントダウンの読み上げを終了しようとしていた。
『5.4.3.2.1、リアクターメルトダウン』
 その瞬間、もう一つの太陽が「ワイルド・タイガー」の内部で炸裂した。



「裂け目の破壊を確認、成功です!」
 指令本部でオペレーターが叫ぶ。
二つ目の脱出ポッドが発射されたという信号を感知した瞬間、唐突に「ワイルド・タイガー」の機体反応が途切れた。
 斉藤が間に合ったのか、タイガーは脱出に間に合ったのか! と聞くが判らない。
ただ、3Dアニメーションで表示されていたアンティヴァースの長い長い回廊が、下から砕けて消えていくのが判った。
 タイガー!
斉藤がそうモニターに向き直るや否や、オリガがテキパキと指示を出す。
「直ちに救助に向かえ、ヘリを発進させろ! いや空母もだ! 脱出ポッドを回収するんだ!」
「アンティヴァース」観測班には迎えに行く空母とヘリに正確な位置を送信しろと言いおいた。
「大丈夫だ、あの二人なら」
 そういってぽんぽんと斉藤の肩を叩く。



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