Novel | ナノ

琥珀を捕む夢(8)


NC1968.かつて私は琥珀を捕り

「行ってきます、奥さん」
「はい、いってらっしゃい」
 奥さんだって、きゃっ。
友恵がくすくす笑うと虎徹は人差し指と中指の二本を額に当てて振ってみせる。 普段は友恵と呼んでいるのでたまに奥さんと呼ぶと喜ぶのを知っているのだ。 その為朝の恒例のやり取りでは奥さんと割合虎徹は呼ぶようにしていた。 付き合って最初の頃は虎徹も友恵も互いの苗字で呼び合っていたので大学時代は互いに呼び名が大混線していた。 鏑木君だったり、天宮さんだったり、虎徹君だったり、たまに呼びつけたり。 友恵のほうは虎徹君で呼び名が固定したが、虎徹の方は状況によっては未だに固定せずに使い分けているようだ。 虎徹の後姿を見送って、友恵はさてと腰に手を当てて気合を入れた。
「今日は衣替え頑張るわよ〜」
 二人がシュテルンビルトに来てから早いもので一年が過ぎようとしている。
ワイルドタイガーはシュテルンビルトでは今一番の人気ヒーローだ。 高校時代からの親友アントニオもその後直ぐにロックバイソンとして星座の街のヒーローとなった。 クロノスフーズの経営陣にはヒスパニック系が多く、人種的にも有利だったのだろう。 それとアントニオの能力は司法局にしてみると酷く魅力的なものだったらしい。 力の特性というものなのか、同じ身体強化系N.E.X.T.に分類されながらも彼の力は単体では他者に驚異的に働くものではないというものがある。 ヒーローになる為には多くの審査をパスする必要があるが、パワー系N.E.X.T.がヒーローとして認められた事はかつて無かった。 その力は酷く他人に対して有害だと思われて居たからである。 多くのパワー系N.E.X.T.がヒーローを目指したがどれもがその力のコントロールに苦労し、或いは失敗し消えていった。 何度か認可直前までいった者も居たと伝え聞くが定かではない。 そんな中虎徹は一人この星座の街を守護するヒーローとして唯一人認められ今ここに在る。 虎徹は幸運だった。 あらゆる意味で幸運だったと今ふと思う。 何故そう思ったのか友恵は後々回想することになるのだが、この時はまだ知る由も無かった。
「あれ・・・?」
 ドアを閉めようとして友恵はふとドアノブを持つ手を止めた。
また道路の向こう、街頭の傍に少女が居る。 長い黒髪の鳶色の瞳をした少女が。 何時も見かけては接触する機会を逃していたが今日は違う。 少女は真摯に自分を見つめていて友恵はチャンスだわと思った。
 玄関前階段(ポーチ)を降りて友恵は道路を見渡し少女に笑いかけてみた。 少女も笑う。 しかし何故かそれは困ったような笑顔で友恵は首を傾げた。
「おはよう! 貴女日本人よね。 見かけてたんだけど何処に住んでるのか知らなくて。 私は鏑木友恵、よろしくね」
 そう挨拶し、道路を渡って少女の前に立つ。 そこに来て初めて友恵は彼女が自分になにか話があるということに気づいた。
小首を傾げ、俯き加減で今は顔が良く見えない。 友恵は腰を屈めて少女の顔を覗き込むようにすると、少女は益々顔を逸らした。
「あの、何か私に用事があるんじゃないかしら?」
 そう友恵が聞くのとほぼ同時に、少女が顔を上げた。

「       」

 え?何?
友恵は眩暈を感じる。 少女が自分を真っ直ぐに見上げ、何事かを叫んだ。 口が開閉して縋りつくように少女の手が友恵の両手を掴んで。

「       」

 叫んでいる。 何か必死に訴えている。 聴こえない。 何も聴こえないけれど、揺さぶる手がその必死さだけは伝わってきて。
「待って、一体どういうこと? ねえ、貴女私に何が言いたいの?」
 目の前で世界がすっと色を失った気がした。 違う、硬直する。 何もかもが動かなくなる。 まるで切り取られた絵のようにシュテルンビルトの全ての動きが、大気までもが凍りついたようだった。 ぐらりと地面が傾ぐ。 セピア、いやモノローグだ。 ストップモーションをかけたように全ての動きが止まり、少女の拡大された鳶色の目から飛び散る金色の光、水。 これは涙だ。 そしてその涙が零れ落ちて白黒の中で美しい飴色の宝石となって無数に砕けた。
 少女が友恵の腕を揺さぶるのをやめて、自分のスカートのポケットに両手を突っ込む。
それから中からなにかを掴み出し、友恵にそれを掲げて見せた。
少女の手の中煌く無数の琥珀。 星屑のようなそれは少女の手から零れ落ちてアスファルトに跳ねる。

「       」

 やめて、いや。 聴こえないわ。 一体あなたは私にどうしろっていうの?
ただ緊迫だけが伝わり、友恵は忍び寄る恐怖に後退る。 少女が涙を流しながら聞こえない声で尚も言い募り、捧げ持った琥珀が何か危険な薬物のように零れ落ちていく。
いや、やめて、判らない、判らないのよ。 だって貴女の声が私には聞こえないんだもの!
金色の雫が砕ける。 弾けてアスファルトに散らばっていき、斜めに傾いで見えたモノローグのシュテルンビルトの道路の向こう、伸び縮みする影が突然現れた。

 ザザッ――――。

影が歪んだ。
まるで放映の終わったテレビの砂嵐。 この世のリアルが崩れてただの映像だったように。
漣のようにそれは揺れながら、ゆっくりと友恵に向かって歩いてくる。 手を伸ばしている。
少女が手に捧げ持っていた琥珀をポケットに突っ込みなおすと、呆然とその影が近づいてくる様を眺めている友恵の腰の辺りを引っ張った。
叫んでいる。 でもやはり声は聴こえない。 声どころか、全ての音が聴こえない。 世界が制止してしまっているからなのだろうか?
少女が引っ張る。 泣きながら哀願している。 相変わらず声は聴こえない。 何も聴こえない。 一切の静寂の中、影は友恵に歩み寄り――――。


 逃げて。




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