ぽんがしさんのところの夢主の春彦ちゃんと。えっちはないです。ほのぼの。
「だから、俺も忘れてたんだって」
今日は真っすぐ家に帰ろうとしていた小春は、生徒玄関の奥から聞こえてきた声にぴたと足を止めた。声の主は、後ろ姿でもよく目立つ。二年生の朔間凛月は、この夢ノ咲に通う者なら大半が名前と顔を知っているだろう。進学校であり、さらに全員がアイドルという高みを目指すこの学び舎で『サボりすぎて留年』という前代未聞のやらかしっぷり。だというのに顔は人形みたいで、生きていないのかと思うほど美しいのだ。他にも有名な噂は諸々あるようだが、ちょっと割愛する。
一方もう一人は、確実にこの夢ノ咲学院生なら知っているだろう。唯一の『アイドル科の女子生徒』の花園桃。耳の下でぐるぐるに巻いたピンクのおだんご頭が、わたあめでできたヒツジみたいだ。
年齢よりもずっと幼く見える彼女は、ほっぺたを膨らませてぶすっとしていた。どうしたものかと立ち止まっていると、だんだん話が見えてきた。どうやら朔間先輩がユニットの活動があるのを忘れていて、彼女と遊ぶ約束をしていたらしい。
なにか言いたいことがあるような雰囲気だが、彼女は顔を俯けたまま黙りこくっている。朔間先輩が、気まずそうに後頭部の髪をぐしゃっとかき乱す。
……目があってしまった……。
血が固まったみたいな赤い目が細められ、品定めするような視線を向けられる。ぺこっと頭を下げて、早くここから立ち去ろうと小春は歩き出した。正確には、歩き出そうと一歩踏み出した。
「ちょっと、あんた」
ぜ、絶対呼ばれてる。
こういうときは無視するしかない、さっと靴を履いて、走って出て行くのだ。
「聞こえてるでしょ? ……一年、ちょっと来て」
「……は、はひ……」
朔間先輩はすごく背が高いわけじゃないのに、目の前に立たれるとなんだかものすごい威圧感があった。顔があんまりにも整いすぎているからなのか、人間離れしすぎていて、正直、こわいというか、不気味だ。
「ふーん……。……ねえ、悪いんだけど。これの面倒みるの、頼まれてくれないかなあ?」
「……へっ?」
夕方になったら適当に迎えに行くから……。その言葉を残して、朔間先輩は立ち去ってしまう。だらだら歩いているのに、猫みたいに足音がしなくて気づいたらもういなくなっている。
正直なにがどうしてこうなったのか、まったく理解が追いつかない。
朔間先輩と真逆で、目の前にいるというのに、彼女は小動物ぐらい小さく見える。俯いているせいか、じっと固まっているせいか。
「あ、あの〜……」
「…………」
「わた、あー、ええと、ぼく……咲良春彦、です」
律儀に自己紹介した小春に、桃が俯いたままずずっと鼻をすすった。
「……花園桃」
答えてくれたものの、顔を上げることも、ましてや動き出す気配もない桃。困りきった小春が、ぱんっと両手をあわせる。
「えーと、アップルパイ……食べに行きませんか?」
ぎゅううと握りしめられているワイシャツのせいで、なんだか変な感じがする。
アップルパイという言葉を聞いたとたん顔を上げた桃は、心なしか目をキラキラさせながら小春にくっついてきた。それを引きずりながら、痛すぎる視線を一身に受けつつようやく夢ノ咲の商店街までやってきたのだった。
「あ、あそこです」
小さいりんごのマークが書いてあって、その下にえんぴつみたいなタッチで『りんご屋』と店名が書いてある看板。女の子たちや家族連れに人気のアップルパイのお店だ。小春もよく忍と放課後買い食いして帰るのだが、ここのできたてのアップルパイはなんとも美味しくって二人のお気に入りなのだった。
忍以外の誰かにここを教えたのは初めてで、すこしドキドキする。
店員のお姉さんがにこにこしている注文口に近寄ると、桃が小春にくっついたままメニュー表を覗き込む。といっても、ここにはアップルパイしかなくって、あとは飲み物だけしか書いていないのだが。
「花園先輩、なにか飲みます……?」
「えと、えっと……あの……ひとりじゃ飲みきれないから……」
「じゃあ……アップルパイ二つと、ミルクティーひとつで」
「はい! ゆめりんごアップルパイ二つと、ミルクティーおひとつですね」
カバンから財布を取り出すと、桃がポケットからがまぐちの財布を取り出した。それを見て小春は思わず吹き出してしまう。
「な、なに」
「す、すみませ……ふ、ふふ……なんですか、それ……? かわいい」
「! でしょ?! ぶすねこ!」
じゃんっ、と自慢げに両手で顔の前に掲げたそれは、顔がべちゃんこに潰れたねこの顔の形のがまぐちだった。口がむすっとした三角形で、目も瞼が異常に重たげだ。
「ふっ、あはは……! すごい、かわいいです」
「見る目あるね、えーと……はるぴこ」
「はるぴこ」
なんだかものすごく独特のテンポの人のようだ。嬉しそうな顔でぶすねこの頭を開いて、中から一枚の紙幣を取り出すと桃はトレイに乗せる。一万円札だった。
「じゃあ、これ」
小春が財布からぴったり持っていた小銭を渡そうとすると、桃がキョトンとした顔をした。美少女然りといったくりくりの顔と、ぶすねこのがまぐちが一斉にこっちを見上げてきて笑いをこらえる。
「いいよ、はるぴこ後輩だし」
「えっ、いやいや」
「後輩はちゃんと先輩に甘えなさい!」
えっへんと胸を張った桃の胸は小学生みたいにぺたんこだ。いや、小学生のほうがあるかもしれない。小春は自分のサラシの下に押しつぶされた胸にそっと触れながら、ありがとうございますと伝えた。
無事二人の手元にやってきたアップルパイは、運のいいことに本当に焼きたてであつあつだ。においだけで香ばしいのがよくわかる。
店の前のベンチに二人並んで座ると、桃が大きく口を開けた。
「はむ」
サクッ、と気持ちいい音を立ててパイ生地が破ける。一口目からりんごが入ってきて、口の中にみずみずしい食感が広がった。シナモンがたっぷり入っているそれは、甘すぎなくて、とろっとしたフィリングがちょっと酸っぱい。
桃がローファーを履いた足をぴんと伸ばして、ぎゅうっと目をつぶって肩をすくめた。
「んう〜……!! おいしい!!」
二十個食べれる! と言いながら二口目にかぶりついているのをみて、小春はホッとした。気に入ってもらえたようだ。
もぐもぐと食べていると、目の前のカフェのテラス席の女の人たちがこちらをチラチラ見ていることに気づく。
「みてー、あの二人。かわいいカップル」
「夢ノ咲の子だし、アイドル科じゃない?」
いちおう、おんなのこどうしです。
と言えるはずもなく、小春は頬を染めた。かわいいカップルだと言われているのを聞いて、本当は女の子同士だといってもちょっと照れる。
俯いてミルクティーをすすると、桃がクスクス肩を揺らす。いたずらっ子みたいな、いいことを思いついた子供みたいな笑い方だ。
「うー……笑わないでください」
「ふふ……だって、嬉しいんだもん。はるぴこがかわいいから、褒めてもらえたし」
「ええ……? 花園先輩がかわいいからですよ……」
そう言うと、桃が小春をじぃっと見つめた。桃の唇の端にはパイ生地がくっついている。
「ちがう、はるぴこがかわいいからなの! こないだ翠といたときは、言われなかったもん」
翠はおっきくてかわいくないから……。
唇を尖らせているので、ちょっと指でパイ生地を取ってあげる。なんだか妹ができたみたいだ。忍くんにもよく手を焼かされるのだが、妹がいたらこんな感じだろう。
「翠って、高峯くん」
「そう! えっと、はるぴこも流星隊だよね」
「はい。高峯くん、いっつも花園先輩のおはなししてますよ」
同じユニットに所属していて同学年の高峯翠は、桃の大ファンだったらしい。スマホのロック画面もホーム画面も、果ては学院の校内SNSでのアイコンまで彼女にしているぐらいである。ふとした出来事で桃の名前が飛び込んでくるので、そうとう心酔しているらしい。
それを聞いて桃は「もう! 翠のバカ!」と怒った声を出したが、顔は嬉しそうに緩んでいる。
「あ、そだ……はるぴこ、その……花園先輩とか、呼ばなくていいからね! えと、呼ばれ慣れてないから、照れちゃう」
「え? ええと……桃さん?」
「『さん』もイヤ!」
「……桃ちゃん?」
高峯に倣ってそう呼んでみると、桃はぱぁっと満面の笑みをうかべた。心からの純粋な笑顔が眩しくて、その眩しさで街路樹に花が咲きそうな勢いだ。
「うん、うん」
桃がニコニコしながら頷いていると、膝に乗せていたスマホがむーっとバイブ音をあげる。画面にはハートの絵文字で囲まれた『凛月』の文字が表示されていた。
はるぴこがぺこっと頭を下げて、凛月が私の手を握った。凛月の手はひんやりしてるけど、おっきくてだいすき。
「ありがと、助かった」
「いえ、ぜんぜん、こちらこそ……」
困ったように首を振ると、はるぴこの女の子みたいに細い髪の毛がさらさら音を立てた。夕焼けと同じ目の色をしてて、すごくきれい。本当に女の子みたい。
「凛月、はるぴこと知り合いだったの?」
「ちがうけど」
「? じゃあなんではるぴこに……?」
凛月がふああ、と猫みたいにあくびをする。
「それは、この子がおんなムグッ……」
血相を変えたはるぴこが凛月の口を思いっきり押さえる。なんでもないですよ! と微笑んだはるぴこはやっぱり女の子みたいにかわいくてきれいだった。
夕暮れ時の商店街からはたくさんのおいしそうな食べ物のにおいがし始める。あーあ、あのアップルパイ、やっぱり二十個食べればよかったなあ……。
MOKUJI