はるさめさんのところのキッチンスタッフ紅くんをお借りしています!
──明日の夜、良かったら飯に行きませんか。
スターレスで顔を合わせれば、何とは無しに飯を食わせてやっている男からのメッセージだった。
ヤクザと食事に行くだなんて、今流行りのコンプライアンスだの黒い付き合いだのと言われそうなものだが、一般人の紅には関係ないような話だ。
それに何より連日連夜卵かけご飯しか食べていないという不健康な春千賀が、どんな店に連れて行ってくれるのかというのも紅は興味があった。
任侠映画でよく観るのは飯を食うには広すぎる料亭だとか、チャイナドレスの女性が給仕する赤い回転テーブルの中華料理屋の個室といったところか。
ガスの元栓をきっちり締め、厨房の電気を消して紅は地上への階段を上がった。蒸し暑い熱気と蝉の声に包まれる。空は目が痛くなるような夕焼けで、思わず目元を覆う。
「お疲れ様です」
黒のレクサスに寄りかかっていた春千賀が、真っ直ぐに紅を見ていた。ヤクザは手持ち無沙汰でスマホを弄るとかしないのだろうかと疑問に思ったが、いつ相手が現れても良いように警戒を怠らないというのは彼らしい。
「どうも。今日はいつもの車じゃないんですね」
童顔の春千賀がヤクザというのは、なんとなく現実味がないなと思っていた紅は密かに感心する。
埃一つなく執拗なまでにピカピカに磨き上げられたレクサスとスーツ姿の春千賀は、どこからどう見ても絵に描いたような極道の男だ。
春千賀は助手席のドアを開け紅を促す。
「いつもの……あのベンツは桃さんのお車でして。こっちは俺の車です。すみません」
「いや。なんか、こっちの方がヤクザっぽいなと思って。アウトレイジで観ました」
「ふ」
小さく漏れた声に振り向くと、春千賀はいつもの鉄面皮で正面を向いている。
「そうかもしれないですね。最近はどこの組も、乗ってるのは国産車です」
「そうなんですか?」
「はい。極道者が手当たり次第贅沢できる時代は終わりました」
春千賀の口調は穏やかだった。
運転に荒いところは一つもなく、一つ一つ基本に忠実で運転慣れしているのがわかる。
多くを語らないが、紅にとってのスターレスのように、春千賀にとって組は家族のようなものなのだろう。
***
車をコインパーキングに入れた春千賀が向かったのは、近代的なビルとビルの間に建つ一軒のラーメン屋だった。時代に忘れ去られたような外観で、お世辞にも食欲をそそるとは言い難い。
店内に下げられたカレンダーは十数年前のもので、壁際には焼酎の段ボールやらガラクタやらが積み重ねられていた。キッチンに立つことを生業としている紅にとっては、このずさんな衛生管理は背筋がゾワゾワする。
「ラーメン二つ」
店主は春千賀の注文の声に返事を返さない。
「……あの。今日はどうして誘ってくれたんですか?」
「…………」
ベタつくカウンターが気にならないのか、春千賀は真っ白なシャツに包まれた肘を置く。
しばらく春千賀は指先で顎に触れ、それからいつものフレーズで話を始めた。
「桃さんが……人と仲良くなりたいなら、一緒に美味いものを食べにいくのが一番だと」
「へえ」
「はい、ラーメン二つ」
カウンターの上から空気を読まない店主が丼を置く。ここに来るまでに溢れたらしいスープのせいで、丼はヌルヌルしている。
「いただきます」
話が気になったが、できたてで出された料理をおしゃべりに夢中になって放置するのはポリシーに反するので、紅は割り箸をラーメンの中に差し入れる。どんなものが出てくるかと思ったが、想像以上にしっかりとした──いや、それ以上のラーメンだ。
なんの変哲も無い食材たちで作りましたといった見た目をしているが、ぷつぷつと油の浮いた澄んだ醤油スープが一目見ただけでおいしいと分かった。黄金のたまご麺はゆるく波打ち、たっぷりとスープを絡めている。
隣の春千賀はぎょっとする量の麺を一掴みし、ズルズルと啜り上げている。それに倣うと、紅は思わず声を漏らした。
「うまい!」
ひとかじりした味玉はオレンジの黄身がほっくりと割れ出て、スープと一緒に噛むとより深みがある。肉厚のチャーシューもあっさりしていて、もう一枚欲しいと思わせた。
「気に入ってもらえてよかったです」
「はい、これ…………春千賀さん、もう食べ終わったんですか?」
空っぽになった器を前にした春千賀が、気まずげに頬をかく。
「桃さんにもよく注意されるんですが……美味いとどうしても早食いしてしまうんです。すみません」
紅がスターレスで食わせてやっている時も、春千賀はかっこみ喰いだった。
職業柄ゆっくりものを食べないタイプの人間なのかと思っていたが、そうか──美味いとどうしても、ときたか。
「っふ……くくっ……」
「え。どうして笑うんですか」
「いや……っふふ、今日は随分、嬉しいことばかり言ってもらえる日だな、と……」
「そうなんですか?」
いつもの無表情で真っ直ぐこちらを見てくる春千賀に、紅は堪えきれずもう一度吹き出した。
MOKUJI