長編 小説 | ナノ
九話 傷


浅い傷は、いつか深い傷となる――。

― 九話 傷 ―

アキコが生きている。
それは、今までで一番ききたい言葉だった。
アキが死んだのはこの目の前にいる影のせい。
影があの時飲み込んだ。
そう。
あの状態でどうやってアキは生きたのだろうか。
どうやって―?

「と、いうよりも何故黒影がアキコの事をその名で呼んでるの?」
《…何?》
少し沈黙が続いた。
《も、もう一度言ってもらいたい》
「え、だからアキの事を何でアキコって呼んでるのかなって」
《…アキコ、という名が本名なのではないのか?》
「あ、そうか」
ぽん、と手を叩く。
黒影はアキラの中にいる闇だ。いつもアキラが”アキコ”と呼んでいるから本名だと思ったのだろう。
《主の妹は”アキ”というのか》
こくり、と頷く。
もし、ここにアキがいたら絶対にこの影に「アキコって呼んでいいのはお兄様だけだもの」といいそうだ。
《アキが生きている、と言ったが事実だ。我の中から出て行き、去っていった》
「どういうこと?」
アキコが自力で黒影の体から出ていったってこと?
黒影が険しい顔をする。
沈黙が続く。
会話のない中、最初に口を開いたのは黒影だった。
《少しの間だけ語ってやろう――》

◇  ◇
泣き崩れた少年。
その少年の中で、形を持たずに何かを食べている影。
少年が泣き崩れる前の事だ。
アキ=K=ヴァフォリーシュ。
この少年、アキラ=R=ヴァフォリーシュの妹だ。
先ほど、アキラとアキの再会で喜んでいた二人だったが、影がその間を食らいついた。
主が自分の相手をしてくれなかったから。
つまらない。
つまらない。
何もかも。
この世界に来て楽しい事はあるか、と思ったが予想外のようだ。
つまらない世界だ。
暗く、暗黒な世界。
光がどこにもない世界。
最高に思えたが、面白くない者ばかりだ。
脆く、儚い。
もう少し手ごたえがあるかと思ったが…。
この主の妹も手ごたえがない。
面白くない。
面白くないな。
もっと面白い事はないのか。
その時だった。
少年の体の中に潜む影の体から光が漏れた。
《何?!》
―…きたい
《こ奴は…主の妹か!》
愕然とする影。
有り得なかったからだ。
この体を破るだなど、きいたことがない。
―生きたい…!!
影から大きな光が放たれる。
その中から一人の少女が飛び出す。
そして、ゆっくりと顔を上げ、赤紫と青の鋭い尖った瞳で睥睨している。
『お前が……お兄様を…』
《ほう……その状態で未だに喋るか》
こ奴は面白い。
我が理屈を覆すとは。
面白い奴もいたようだ。
くつくつと嘲笑う。
《来い。すぐに食らってやるわ》
だが、少女は来る様子などない。
『今の…私では敵わない。また来るわ。私は、お兄様を救う為に――』
お前を殺す。
《我を殺す、だと?》
影は低く嘲笑した。
《そんな事、貴様風情に出来るか?》
『やってみないと分からないわ』
《貴様、此処がどこの空間だか分かってその台詞を言っておるのだろうな》
此処は影の作った空間。
少年の心の中でもある。
出る事など、不可能に近いはずだ。
『そうね。でも、忘れていない?私は光…。お兄様とは違う者なんだからこんな空間……』
カンタンよ。
彼女から光が迸る。
それは影の作った空間を木っ端微塵(こっぱみじん)にしてしまった。
硝子(がらす)が割れたような音が響く。
アキの体がアキラの外から出る。
外は前と変わらず血の海状態だ。
だが、アキの体は透けていた。
『私は今、力を使ってしまった。だからお兄様に顔を出す事はできない……』
《貴様、主より幼児だが何故力が使える》
彼女はくすりと薄く笑った。
『貴方の作った空間で、よ。それでは感謝するわ』
それじゃあね。
言い残すと目の前にいた少女は一瞬で光に包まれはじけるようにして消えた。
輝く光が巻かれる。
《あ奴、我が空間を破壊したついでに我の力も破壊していきおったわ―》
それは力が使えない。影として現すことが出来ない。主、アキラに何も出来なくなる、ということだ。
ちっと舌打ちをし、そのまま黒と化して赤黒く染まった地の中に消えていった。
◇  ◇

《ということだ》
「アキコ……生きて、たんだ…」
安堵したように全身の力を大きな息とともに吐き出した。
《だが今、アキが生きているかどうかという保障はない。それに、貴様の敵だ。あ奴はもう》
胸にずきっと痛みが走る。
確かにそうだ。
アキは光。アキラは闇なのだ。敵以外なんでもない。
だが、アキラはアキに会いたいのだ。何年も経って死んだと思っていた存在が生きていたのだ。
会いたい以外思う者など少ないだろう。
《それに、今の問題はそれだな――》
「それ?」
影がいうそれとは一体。
その時だ。彼の頬に激痛が走った。
顔を歪め、痛みを堪える。
「っ……」
《今頃になってきたのか…。まさかとは思ったが…》
「これって…っ」
《ナナがつけた傷だ。最後にあ奴、呪文を唱えていた》
呪文?
聞き返すアキラ。
影は周りを見渡しながら続ける。
《貴様がナナを殺す少し前だ。呪文を唱え、貴様につけた傷に呪縛をかけたのだろう。それに―》
「それに?」
《仲間を呼びよった。ララが呼んだのだ。自分以外に闇がいる、と》
「でも、ララは闇なんだから通じないんじゃ…」
《いや、我が声と貴様の声が仲間に通じている。何か力を使って光と通信を行ったのだろう。我々に気づかれずに》
もうすぐ仲間がつくころだろう。
黒影の予想は的中だ。
暗い部屋の扉が勢いよく開かれる。
「なっなんだ!」
「キャ―ッ!!し、死体があるわ!」
「こ、これは…ナナじゃないか!」
「ララはどこにいるの?!」
「お前達は誰だ?!」
街の者の手には刀やら剣やらいろいろと武器を持っている。
それにこちらを睨みつけている瞳は苛烈に輝いている。とても恐ろしく。
「自己紹介とかって……必要かな?」
「とにかく、お前達は闇なんだろ?!」
「はやく殺せ!」
一人の街の者が刀を振る。
だが、その武器は目の前にいた黒い狼により食われた。
ばきばきっと音を立てて、刀は砕け散る。
街の者は諦めず、素手でアキラに殴りかかる。けれど、彼には通用せず、そのまま流され背負い投げをされる。
手を軽く払うと、アキラは街の者たちに向き直った。
「一応してあげる。自己紹介」
部屋が一気に圧力がかけられる。
それは街の者には耐えられぬほど強い力だ。
「私は―”アキラ=R=ヴァフォリーシュ”。この世界、闇の世界の王だよ」
満面の笑みでララの仲間を凝視する。
ララの仲間たちは一瞬にして顔色が真っ青になり、後ろへ引き下がる。
悲鳴を上げて、逃げていく。
アキラはその後を追っていく。此処は暗く、殺りづらい。外が一番だろう。

ナナの家から飛び出した街の者たちは何か教会らしき場所に向かって走り出す。
アキラはその後を追わず、ただその背中を見つめていた。
「敵に背を向けるだなんて……」
自殺行為に近い。背中を見せるなど、スキをつくるだけだ。
だが、そんな彼らをアキラは殺さずに見ていた。
遅れて黒影がアキラの横に歩きよる。
その黒影の姿は少し薄かった。当たり前だろう。今、この場所は光に包まれている。
黒影の表情が歪む。
《そろそろこの場所も光から開放されるべきだ》
ぼそりと呟く。
黒影にとって光は一番の天敵だ。闇は光に弱く、光は闇に弱い。だが、黒影は闇にも光にも強いと言われる。普通、影は光によって現れるものだが、黒獄闇影が出ているのは、影ではなく自分で造りだした影なのだ。普通の影とは違う。その為、光に当たると薄くなってしまう。
息をついた黒い狼は教会を一瞥し、アキラに向き直る。
《アキラ……行くぞ》
「え?」
《あの場所に、な》
狼が示したのは街の者たちが悲鳴を上げながら逃げていく教会のような場所だ。
教会、にしてはぼろすぎる。
一部一部の瓦礫が落ちていて、ヒビも入っていた。
《あ奴らを殺さぬと気が済まぬわ……!》
顔を歪め―否、嘲笑い、妖力を放つ。
「どうしてそこまで…」
《言ったろう。我は主の妹により力を消費しすぎてしまった、と。だから我は光を憎んでおるのだ》
あの恨みを晴らす為に。誰でもいい。とにかく晴らせればそれでいいのだ。
影にとってはそうなのだろう。
きっとアキをやりたいのだろうが、アキラがそれを許さない、という事を理解しているようだ。
アキラの傍から離れ、ゆっくりと壊れた教会に向かう。
アキラがその後を追う。
(……?なんだろう……)
懐かしい、感じがする。
あの教会ではなく、その中にある何かに――。

悲鳴を上げながら逃げてくる者たち。
「た、助けてくれ……!」
つまずきながら歩きよる。
よたよた、と恐怖を覚えた者。
「や、闇が……!」
「闇の王がいる…!」
「殺されるぞ…!」
この闇の地には闇の者が現れ、王が現れる。
王と会わないため、光がまだあるこの地に来た者が多くいる。
王は恐ろしい。
強大な力を持ち、どんな者でも凌駕している。その力に勝てた者など一人もいない。
王に逆らった者は全て死に絶えている。―否、死んでいった。殺されていったのだ。
殺された者は普通に殺されず、腹を抉り肉を引き千切り、血が飛び散った状態に持ちいらせる。
支離滅裂状態にする時がある。
それにより、人は闇の王を恐れた。
とても。
「助けてくれ!」
「怖いわ!」
「助けてよ!」
恐れる者たちに一つの声が割り込む。
「――静まれ」
それは低く、男性の声ととれる。
その一言に静まり返る。
沈黙の中、高い声が響いた。
「―――闇の王を、恐れて逃げてきたのか」
さきに比べて差がありすぎるほどの声の高さ。
女性とみられる。
割れたガラスから涼しい風が入り込み、ひびの入ったピアノの上に足を組んだ女性の髪が翻った。
その髪の隙間から見えた唇は笑っている。怒りを見せた、笑みに。
霊圧が街の者たちにぶつけられた。
地面にめり込んだ足が縺(もつ)れ、倒れこむ者もいた。
「なっ……!」
驚愕した者が前にいる女性を見上げる。
女性は見下すような冷酷な瞳を彼らに直撃させた。
一気に息が詰まった。
女性の笑みが一瞬にして消えて、ピアノから降りた時のことだ。
一人の者から血飛沫が飛び散った。
それは、女性の目の前にいた男の首が飛んだのだ。
悲鳴が響く。
その場で立っていた女性の手が血で染まっている。
にやり、と嘲笑を見せた。
「王に恐れず行かぬ者は皆死ね―」
刹那。
教会の壁に音を立てて飛沫がつく。
女性の髪に血がついてゆく。そして、血の染まった手をゆっくりと舐める。
目を細め、死体を凝視した。
女性の後ろにいる男性はその光景を辛そうに見つめている。
静かになった教会に一つの笑いが轟いた。
「アハハハハ……!」
そう。死ねば良い。
役立たずは死ねば良い。
否、死ななければならない。
そうだ。
そう、決まっている。
決まり。
そう決まりごと。
私の中の、決まりごと。
あの人にあるならば、私にもあって可笑しくない。
そう――。
女性の髪が風で遊ばれる。
血で染まりつくしたような赤をした髪。
その瞳は…。

空のような濃い青、花のような赤紫の双眸を砕けた天井を越し、白い雲のない空を眺めていた。



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