長編 小説 | ナノ
八話 名前


願えば、それはいつか叶うだろう――。

― 八話 名前 ―

前から思っていた。
何故実体のない者には”名前”というものがないのだろうか。
実体のない我にとってそれは良い事なのか、悪いことなのか。そんなことすら分からない。
だが、人や生き物―どんなものにも名前があった。
草にも動物にも人にも―。
だが実体の持たないもの。影、光、闇、空、海、山、風――。
他にもある。たくさんたくさんある。でも、それには名前がない。
一つしかない。
世界の者には名前を二つ持つ。
”人”という者。それにもう一つの名。我が主ならば”アキラ=R=ヴァフォリーシュ”という名が。
”影”という者。それにもう一つの名。そんな名はない。
”闇”とも呼ばれるが、そんな一人一人が持つ名など持っていない。
名前を持つ。
それは良い事。
主に入ってから気づいた。
名前とは必要だ。
人を呼ぶ。
ある人を呼ぶ。
そんな時に使う。
そして、名は大事なものだと。
我にも欲しいのか。
影、としか呼ばれたことのない我。
我々に名、というものが得られるのだろうか―――。


影が彼女の中に入ってから少しの時間がたった。
ただ見守るアキラ。
もしかしたらこの少女は死ぬかもしれない。
闇が光になれるなど出来ない。
そんな方法は一切見つかっていないからだ。
見つかっているのならば、とっくに行っているだろう。
ではあの影はどうしようというのだ。
不可能なことを可能にしようとでもしているのか。
そんなことはなにがあっても不可能だ。
ではもう可能になっているのか。
瞳には感情がなく、しゃがみ込みっぱなしのララを凝視する。
大きく瞳が揺れる。
心配だ。
なんせあの影だ。何を行うかわからない。
そして久し振りの外だ。暴れだす確立もある。
その時は何があっても止めなくては。
ララの瞼が少し動く。
アキラは近づかず、ただ見守っているだけだ。
ララ自身はアキラに近寄ってもらいたくないのだろう。
一番大事だった家族のナナを殺されたのだから当たり前だ。
一度瞬きしたララの瞳にはあの赤黒い色が戻っていた。
今の瞳には何か不安を抱えていた。
アキラは眉を寄せるがすぐに後ろを振り返る。
その子には、塊となった影がいた。
こちらを凝視している。
さきよりも形が違う。
もう少し生き物に近づいた形へと変形している。
そして、なにより目がある。鋭く此方に凍り付いているような瞳で見ている。
《主よ》
彼はただ影を見ていた。
《こ奴は光を望んでいる》
アキラの瞳が見開かられる。
光。
闇が光になれるのか。
まだそんなことは出来ないはず。
だが、この影には出来る。
あの一つの方法を使ってしまえば、誰にだって出来る。
この影はそれを行おうとでもしているのか―。
ララは影を凝視している。願いを叶えてくれる。と信じた瞳で。
影が嘲笑する。
表情には出ていないがアキラにはわかった。
《主よ。我が願い、聞いてくれぬか》
「え?」
この影に願いなどあったのか。
そこに驚くアキラ。
《我ら実体を持たぬものは、実体を得たいと思う》
アキラは黙って影を凝視していた。あの影にしては珍しい。
《実体を持たぬものが必要なもの。それは何なのか、知っているか》
「私は……知らない」
影はララに視線を向ける。
彼女も横に首を振る。影は視線を戻した。
《名だ》
「名?」
アキラとララが声を合わせる。
その途端にララが冷たい視線をアキラに向けるが、それに気づかず影を見つめていた。
《我は実体を得る為に名が欲しいのだ》
「……」
少しの沈黙が続いた。
そこで口を開いたのは影だ。
《くれぬ、のか?》
「私は」
「私があげる!!」
ララが影に叫ぶ。アキラは黙る。
きっと光にしてくれる変わりに、という意味でだろう。
刹那―。
影の瞳が苛烈に輝き、爪らしきものでララの頬を引っ掻く。
《貴様に聞いておらんわ!!》
少女は少し怯えながら、頬に手を当てた。指の隙間から血が流れ出た。
影がララから目を離し、アキラに向ける。
答えを待っているようだ。
アキラはゆっくりと口を開けた。
「私は…、あげても良い」
影がその言葉で安堵しているように見える。
だが、ただの勘でもあるが。
「その代わり」
《なんだ》
「ララの願いを叶えてあげて」
《……承知》
ララの瞳が見開かれる。
何故。
何故だろうか。
彼はナナを殺した。
そして、私は憎んだ。
なのに、何故。
ああ…私は闇だ。
そう、闇。
彼も闇。
闇同士なのだから彼は私を助けるんだ。
そうなんだ。そう。私としてではなくて。
アキラが彼女に視線を向ける。
ララは思いっきり睥睨した。
だが、彼はララに微笑んだ。その笑みには優しさが入っているように感じる。
どうして――?
アキラが影に向き直し、少し俯き唸っていた。
影の名を考えているのだろう。
名、とは大事なものだ。
いい加減につけることはよくない。
影には名前はない。
影、という名前以外なにも。
そして、名を得た時、実体を現せる様になる。
彼がゆっくりと頭をあげた。
そして、のろのろと口を開く。
影、闇。
この者は影、闇。
そう。
「黒獄闇影(こくごくあんよう)」
闇のような黒い影。彼は闇の地獄へと引きずり込む。
「黒影(こくえい)。君の名は、黒影」
その瞬間だった。
影―黒獄闇影の姿が変わり果てていく。
黒影の体躯は、巨大な狼のようだ。その毛は、真っ黒で瞳には感情のない黒い双眸に少し真紅が混ざっていた。耳をぴんっと立てているが、形がうまく見えない。この場所だから余計見えないのだろう。体全体が真っ黒な黒影は満足そうに笑みを浮かべる。その顔にはしっかりと現されていた。
《良い、体だ。我には丁度良い》
黒い双眸がアキラに向けられる。
黒影が微笑んだ。その顔は初めて見る。少し愕然としていたが、すぐに我に返る。
《感謝するぞ、主》
主。
そういえば、黒影にはそう呼ばれていた。
アキラは苦笑する。
「アキラでいい」
《だが、主は主だ。名で呼ぶことは許されない》
「私はそれで良いと言ったんだ。アキラと呼んで欲しい」
《……主が、それを望むのならば》
彼は微笑を見せる。
狼の容姿をした黒影がララに向き直る。そして、嘲笑した。
《そういえば、光になりたかったのだろう?》
ララの表情に光が宿ったようだ。
ぱあっと微笑みだす。
ついに夢が叶う。
《貴様の夢、我が叶えてやろうか》
「叶えられるなら……!」
黒影が主を一瞥する。
アキラは暗い、悲しい顔をしながら頷く。
結果は分かっている。
この後、この少女がどうなるか。
光になれるか。
なれないか。
それも、アキラには見えていた。
《貴様の夢、叶えてやろうぞ》
ララの瞳に光が宿った瞬間のことだった。
アキラの目の前からララが消えた。否、消された。
影がゆっくりとこちらに振り返る。そして――。

守りたいとも思った。
自分のせいでこんなことになってしまったから。
悔やんだ。
悔やんで、悔やんで。
でも、やっぱり守れなかった。
また。
また、守れなかった。
あの人も、この人も。
あの赤黒い、とても心配で臆病な家族思いの少女。
そして、いつもいつも…どんな時でも振り返って微笑んで、何度も何度も自分を呼んだ。
自分もあの人を呼んだ。
何度も。
何度も。
あの人は―お兄様、と。
自分は―アキコ、と。
赤紫と青の双眸をむけ、にっこりと微笑んでいた。
そして、いつもいつも心配してくれた。
でも、彼女は――。

彼女は、目の前にいる影、黒獄闇影―黒影により闇底へ落ちた。

影がこちらを凝視した時、口には小さな足が出ていた。
口から、さらに赤い赤い朱色のものが流れ出た。口を染めていく。赤に。
ぽたっ、と地面に血を流す。
真っ赤の口で、黒影は口を開いた。
《そういえば、言い忘れたことがある》
「言い忘れた、こと…?」
自分の口元を舐め、すたすたとアキラに向かって歩き出す。
アキラの目の前で止まり、その場でちょこんと座る。
影の瞳に何か不愉快そうな感情がこもられている。
そして、口を開く。
二度と聞けぬ、と思っていた言葉。
そう。
聞きたくても、聞けない。
願ったこと。
叶ったのか。そうとも言えるのか。
それとも。
アキラは瞠目した。

《アキコは生きている》



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