長編 小説 | ナノ
六話 影


王にも弱点はある――。

― 六話 影 ―

何度も呼んだ。
あの名を。
守りたかった、あの存在を。
呼んだら、振り向いて笑顔を見せてくれた、あの顔をもう一度。
けれど、呼んでも呼んでも、答える者はいない。
何度も、何度も呼んでいるのに。
答えてくれない。
自分のせいか。あの時、闇に飲まれたあの子を助けられなかった自分のせいなのか。
ああ、そうか。
助けられなかった。
救い出せなかった。
きっと、恨んでいるだろう。自分を。
きっと、憎んでいるだろう。自分を。
闇へと引きずり込ませた自分を。
闇は言ったんだ。
助けると。君だけは助けてくれると言ったのだ。
けれど……。
憎むなら、憎んで欲しい。
それで、罪が償えるのならば―――。


はっと、眼を開く。
冷や汗をかきながら、肩を上下させる。
「……夢…」
昔の夢。何故、今こんな夢を見たのだろう。
思い出したくなかった。
自分のせいで失ってしまった彼女を。
「アキコ……」
「”アキコ”って誰なの?」
ぼそっと呟くアキラの上から声が聴こえた。
ばっと上を向くと、見下(みお)ろすように凝視している少女がいる。
公園で泣いていた少女に似ていた。赤紫の短髪に、紅の瞳を持っている。
「君は……?」
腕を動かすとじゃら、と音が響く。
アキラの腕は鎖で繋がれていた。
その部屋は、見た事も無い場所。
周りにはいろいろな鎖が散らばっていて、薄暗い。窓が一つもなく、地下とも言える場所のようだ。
「私?私は”ナナ=カルヴァーナ”。そして私の妹、”ララ=カルヴァーナ”よ」
そっと手で示すと、その先には紅の髪が地面で汚れていて、赤黒い瞳は濁ってよく見えなくなっている。頬には何かで叩かれたような痕の傷がある。
愕然として、泣き崩れたような少女を凝視する。少女の元へ行こうとしたが、鎖により阻まれた。
「貴方、綺麗だったから捕まえてみただけよ。だってララと親しく話してるんだもの。ララと話していたら、貴方……穢れるわ」
「それは、どういう意味?」
軽く睨むように見やると、くすくすと笑い出す。
眼を細めたその瞳は感情などという”色”を持っていなかった。
「だってあの子……。闇持ちだもの」
「っ?!」
闇持ち。
それは、今まで自分が受けてきたものと似ている―否、同じ。
闇を持つ者は、この世界の者全てを敵とし、殺されるが運命とされてしまっている。
「闇……持ち…?」
「そうよ…。だから、貴方が近づいたら闇が移されてしまうわ。近寄ってはいけないわ」
違う。
闇持ちだからといって近づいても近づかなくても変わりはない。
移す。ということはできない。
アキラも闇持ちとして嫌われ続けてきた。あの少女の気持ちもよくわかる。
少女、ララはさっきから鳴き続けている。何も出来ない彼は唇を噛む。
こういう時、助ける事が出来ず無力だと。
「お、お姉ちゃん……っ」
途切れ途切れでナナを呼ぶララ。
ゆっくりと感情のない眼で妹を見下(みくだ)す。
「何?」
びくっと肩を大きく震わせ、かたかたと歯が音を鳴らす。
「おっ……お兄ちゃんが…かわいそう……っ…」
自分のせいで彼を此処までつれてきてしまった。
そう…自分のせいで。
「は?何を言っているの」
鼻で笑う彼女を見上げる。その時に透明な粒が廻りに飛ぶ。
「この人の事、思うのなら今すぐ死になさいよ」
アキラの頬に手を当てる。
「ララが死んだら、この人を解放してあげるわ」
「え……っ?」
自分の命を犠牲にしてまで、彼を助けるのか。
否、もともとこの命はもうすぐ消える。この街に住む人たちによって…。
なら、ここでこの人を助けても……。
「ほら……、死ぬ道具なら貸してあげるわ」
ララの目の前にまで届くように短剣を投げる。
からん、と音を立てて回転しながらララの手元まで飛んできた。
短剣からゆっくりと遠ざかっていく。
「さあ…死になさい」
その顔は、たとえララ自身が自分を刺そうとしなくとも、刺すつもりでいるようだ。
「や……っ」
怖い。死ぬのが怖い。
「ダメだ」
ナナの後ろから呟くような声がした。
ばっとナナは後ろを振り向く。
そこには、ナナを凝視しているアキラがいる。
「どうしてよ…」
震えた声でアキラにゆっくりと近づいていく。
「彼女は闇だから」
そして自分も闇だから。
闇は闇へ還す。
光は光へ帰す。
今、この世界に光は縮み、闇が広がっている。
還す場所ならある。闇を還す場所なら…城がある。
「貴方、どうして闇を助けるの?!闇は敵でしょ?!」
アキラの胸倉を掴み、怒鳴りつけてきた。
彼は、その彼女からへの問いの答えは簡単なものだ。
「私も闇…だから」
ナナは驚愕する。
ゆっくりと腕を震わせて、力が緩まっていく。
「貴方が……闇…?」
声が震えている。
当たり前だ。光だと思われていた人物が闇だと言うことを知ったからだ。
「どうして……」
アキラは答えない。
答えられないからだ。
何故闇なのか。
何故光なのか。
その問いは、誰も答える事は出来ない。
答えるとしても、その答えは――運命としかいえない。
「――えて」
声が途切れてうまく聞き取れなかった。
ナナはアキラから少し遠ざかっている位置にいる。
拳を握り締め、そこから血が流れ出ている。
「消えて。消えて!!闇は消えなさい!!」
ずき、と胸が痛む。
古傷、とでも言うべき傷だ。
アキラは俯く。

『そいつは闇だ!!悪だ!!死ななければならない存在だ!!』

頭に声が響く。
昔、自分が殺してしまった者。
もし、昔のようになってしまったら――。
はっと我に返る。ばっと顔を上げる。
アキラの予想は的中だ。
ナナの後ろから大きな闇が広がっていた。大きくナナを包み込もうとあぎとを開く。
恐怖で怯えたナナは、避けきれず闇に飲まれかかった。
アキラはすぐにナナの足を引っ掛け、転ばせた。その衝撃でナナは頭をうったが、闇から逃れる事が出来た。
「あ……ああ…」
ゆっくりとアキラの影から遠ざかっていく。
がくがく、と大きく体を震わせていた。
ララは瞠目している。
「今……のは…?」
震えた声でアキラに問う。
だが、アキラ自身も愕然としていた。
「あれ……は…」
ずきっ、と頭に痛みが走る。
少し顔を歪めた。
《言ったろう?我と貴様は契約した。我は自由なのだ。貴様の身の中ではな》
「ッ?!」
背中に冷たいものが駆け抜ける。
ナナは未だに影に対して、愕然としながら凝視している。
ララは…、アキラを瞠目して凝視している。
《ほう?貴様、我がなかなか出てこずにいたから消えたかと思ったか。あれは、ただ貴様を乗っ取ろうとしていただけのことだ。運悪く、うまく乗っ取る事は出来なかったがな》
くつくつと嘲笑う。
「貴方は……っ、誰…?」
アキラに向かってララは怯えながら口を開いた。
ララの方を向き、今の言葉は明らかに自分―否、この影に言っているのだろう。
「名前…は……?」
もう一度、ゆっくりと口を開くララ。
影は沈黙している。
この影と話す事が出来るのは、その契約した者だけだと思っていた。今まで、騰麗雅もトキも気づかず、過ごしていた。なのに、何故ララはきこえたのだろう。あの影の声を…。
黙り続けていた影がようやく声が響く。
《名などない》
「え……?」
ララとアキラ、同時に呟いた。
ナナは二人の様子を気にしている暇などないように、影を睨んでいるようだ。
《我は元々、実体を持たぬ存在だ。実体を持たぬ我はこのように人間に乗っ取り、契約を行い、その者を自分で操る事意外不可能だ》
「操る…?」
だが、実際アキラは操られていない。
それは何故なのか。
《貴様は操れないのだ。強い力により阻まれる》
「強い、力…」
アキラにそんな力はない。それに、きっと自分の意思ならばこの身などあの影に与えるだろう。
《その強い力は……貴様の妹のようだな。取り付かれないようにしておるぞ》
ちっと舌打ちをする影。
ララがぽつりと呟く。
「妹…?」
アキラは愕然としている。これ以上開かないほど眼を瞠目している。
「アキコ……が……?」
恨んでいるのではないのか。
あの時、彼のせいで。
自分のせいで妹を闇へと落とした。
そんなことをした自分を、憎んでいるのではないのか。
唐突に声が部屋に響く。
「へえ……”アキコ”って妹だったのね」
ナナだ。
影から眼を離したようだ。影には何も殺気を感じない。
それは、今さっき彼女を襲ったあの影は彼と話しているからだ。
「貴方の、名前は?」
まだ名前を聞いてないわ、と呟く。
ララは不安そうな顔をしている。
もし、ここで名を教えたら、彼女たちの命はない。
あの時言われたのだ。騰麗雅に――。

ケイルを逃がした、と苦笑しながらはいたアキラに対して、怒りを持っていた。
『何故殺さなかったのだ!!』
『べ、別に騰麗雅だって殺さなくても良いって言ったじゃないか』
『よくはないわ!!しかも名を教えたのだろう?!王の名を教えるとは貴様は一体何を考えておるのだ!』
うっ、と押し黙るアキラ。
『もし、名を教えたらそ奴は殺せ。絶対にだ』
黙っているアキラを睨みつける。
『え、あ……はい…』

冷や汗を流しながらナナから目線を外し、影のほうへ向ける。
「教えてくれないの?」
沈黙でかえす。
ナナの眼が細められていく。
「教えて」
返答はない。
顔が段々と歪んでゆくナナ。苛立ちを隠せないのだろう。
「教えなさい」
無言。
ナナは苛立ちの勢いで彼の胸倉を思い切り掴む。
「早く教えなさいよ」
だが、アキラは何も言わない。
彼女はアキラの頬を深く抉(えぐ)るように爪で肉を裂く。頬に三本の爪傷がつき、血が頬から流れる。それでも彼は無言でいた。
「どうして教えてくれないのよ」
アキラの口は開く様子もない。
ナナはアキラを壁に叩きつけ、手を放す。
そして、目標を変更したかのようにララのほうへ視線を向け、足を進めていく。
その時、ようやくアキラがナナとララのほうに視線を戻した。
ナナはそれに気づかず、ララの頬を力任せに叩く。
いきなりの攻撃に対し、唖然として自分の姉を凝視する。
軽く鼻で笑う。
バカにしているのではない。苛立ちとともに出た笑いだろう。
くるり、と向きを変え、アキラに向き直ったナナの瞳は感情がうまく感じられない。
アキラは諦めたかのように、淡々と溜息をつく。そして口をようやく開く。
「教えて欲しいなら…言うよ。名前……」
「なら、言いなさい」
ナナの返答は早かった。どうしてそこまで人の名を知りたがるのだろうか。
だが、今のアキラにはそんなことを考えていることは出来なかった。
騰麗雅の言葉が脳裏に過ぎる。

『もし、名を教えたらそ奴は殺せ。絶対にだ』

ナナは死ぬ。ララは死なない。
ララは闇。ナナは光。
闇は仲間だ。殺す必要もない。なら、光は。
アキラの体の中にいる影が疼いているようだった。
《早く殺(や)らせろ》
だが、アキラの返答は。
ダメだ。
ナナは自分で殺す。ララはもともと殺してはいけない。
影が舌打ちをしたようだ。
アキラは少し安堵して肩の力を抜く。
ゆっくりとナナに向きなおす。
「私の名前は―――」
ナナは死ぬ。
それはもう決まってしまった事だ。
どうしようもない。
もう決まってしまった事なのだ――。
「アキラ=R=ヴァフォリーシュ」
刹那、鎖が千切れる。
アキラとララの腕についていた鎖も、地面に散らばっていた鎖も鈍い音を立てて、千切れた。
「な、なに?!」
アキラは自分の影に手を伸ばし、ずぶずぶと入っていく。
何かを掴むと、腕をすぐに抜く。
その手には、刀を持っていた。
「ゴメン…ね?」
ナナは恐怖と混乱で、足に力が入らず座り込む。
《食わせろ》
声が響く。
「殺りおわったらね」
背筋に冷たいものが駆け下りる。
彼の視線が冷たい。
ナナは動くことすら出来ず、ただそのアキラを見ていた。恐れた視線で。
ゆっくりと近づいていく。それにあわせてナナは後ずさんでいく。
「お、お姉ちゃん……」
横から妹の声がきこえた。
手をさし伸ばしている。
助けるつもりなのか。
今のナナには迷いはなかった。ただただ必死に生きたい、と願うばかりだ。
ナナの後ろから光る鋭い刀が迫ってくる。
妹の手との距離がまだ遠い。間に合わないかもしれない。
ナナは唇を噛み、なにか決心したような眼をしていた。
ナナとアキラの距離が迫っていく。たとえララのもとへ行ったとしてもその後は何も変わらないだろう。
ならば、最後にこの”アキラ=R=ヴァフォリーシュ”に苦痛を与えたい。
どんなものでもいい。
「”罪に囚われし者。光に弱き、闇の者。我が深き傷にて、その者に呪縛を与えよ。我の命が朽ち果てた時――」
途中なのか、それとも終わったのか、ナナの声が途切れた。
アキラが刀を振った瞬間、ナナの首が宙を舞う。ごと、という音を立てて地面に転がり落ちる。体は均衡を崩し、人形のように崩れ倒れた。
首やもともと首があった場所から朱色の液が流れ出る。薄暗い暗闇の中、その液はさらに黒く染めていた。
ララは愕然とし、眼を見開く。
その時、アキラの顔には、喜びや嬉々の顔ではなかった。
辛く、苦しみ、哀しみを持った瞳でナナの遺体を凝視していた――。
ああ。騰麗雅…。
君に言われたとおりやったよ。

これで、いいんだよね……?



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