bitter sweet




「バレンタインデーってのは、もともと男が愛する女に花を送ったことがルーツなんだよ」
 野に咲く花のみ、細いリボンで束ねられただけの花束の香りを嗅ぎながら、しいなは小さく「へえ」と感嘆の声を上げた。それを見てゼロスは不服そうな顔になる。
「…鈍い女だな」
「え?」
「愛の告白のつもりだったんだけど?」
 軽い口調に、しいなはかっとなって花束を投げ返しそうになった。そう、この花束はゼロスにもらったばかりのものだったのだ。
 しかし花に罪はない。ぐっと堪えたしいなに、ゼロスは笑った。
「女の子から野郎にチョコレートを送るってのは、菓子業界の戦略らしいぜ。まあ、それに乗せられちゃう女の子も可愛いと思うけどな」
 しいなは小さく唇を尖らせた。
「で、しいなから俺さまへのチョコは?」
「なっ…、なんであたしがあんたに!」
「あるんだろ? 解ってんだよ」
 黙り込むしいなに、ゼロスはにやりと笑う。
「ロイド君にチョコレートケーキ」
「…なっ!」
「がきんちょにはミルクチョコレート」
「……」
「リーガルの旦那にはチョコレートクッキー」
「…なんで知ってるのさ」
「本人たちに聞いた」
 しいなは溜息をつく。いよいよ観念せざるを得ないかと思いはじめた途端。
「俺さまが最後なのは本命だからだよな?」
「義理だよ、義理!!」
「あだっ!?」
 しいなの右手から放物線すら描かない剛速球が放たれ、ゼロスの顔面にヒットする。尻餅を着いた膝の上に、シンプルな生成のハンカチで出来た球が落ちた。
「…色気のねえ包み」
「うるさいよ! あんたに振り撒く色気なんかあるか!!」
 それについて反論をする気はなかった。ゼロスは左手で痛む鼻を撫でながら、右手で包みを開く。雫型のチョコレートが7・8個入っていた。がっくりとうなだれる。
「チョコの形まで色気のねえ…あだっ」
「殴るよ!」
「殴ってから言うな、アホしいな!」
「うるさいこのアホ神子!!」
 口喧嘩しながらゼロスはひとつを口に放り入れる。しいなは少し不安そうに紅い頭を見下ろした。しばし味わってから口端を持ち上げる。
「なるほどね。食い意地の張ったロイド君にはでっかいチョコレートケーキ、お子様ながきんちょにはミルクチョコレート、紅茶好きなリーガルの旦那にはチョコレートクッキー。そして、旅続きで最近酒をゆっくり飲んでない俺さまには、チョコレートボンボン、ね」
 しいなは顔を赤くした。全員に違うチョコレートをプレゼントした理由まで見抜かれている。
「おまえらしいじゃねーか。相手のことまで考えて、よ」
 ゼロスは左手にしっかりチョコレートを持って立ち上がる。しいなの左手にはまだ花束があった。
「…でも、苦過ぎる」
「…え?」
「にげーよ。中にリキュールとか甘い酒が入ってるならまだしもよ」
「…文句言うなら返し…なっ!?」
 唇にチョコレートを押し付けられ、しいなは言葉を止めた。絶句したしいなを見て、ゼロスはにやりと笑う。
 そして、そのままそのチョコレートを口に放った。
「あっ!」
 しいながしっかりと唇を当てたチョコレートを。
「ん〜、甘くなったな」
 語尾にハートマークを付けて、ゼロスはご満悦そうだった。しかし。
「なっ…なんてことするんだい、この変態!」
「いでっ! 殴るこたねーだろ、この妖怪暴力鬼女!!」
 言い捨てて脱兎の如く逃げた。
「待てえっ!!」
「誰が待つかよっ!」
 いつもの鬼ごっこ。
 いつもと違うのは、ゼロスはしいなからもらったチョコレートをしっかり持っていたし、しいなはゼロスからもらった花束を決して手放さないこと。
 ゼロスが好きなお酒の入ったチョコレート、しいなが好きな花。お互いの好みを知り尽くした、腐れ縁。それは、ただ甘いだけの関係では、ない。



 END.


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