雪が降っていた。地面に降り積もるほどの雪ではなかったけれど、空はどんよりとした雲に覆われ、暗かった。まるであたしの心だ――しいなは息を吐く。 白い息。寒い。でも、なんとなく精霊研究所に戻りたくはなかった。 闘技場のほうから声が聞こえてきた。静かな黄昏時の街に響く怒号や歓声。そちらに向かいかけて、やめた。下町が見下ろせる陸橋の手摺りに身を預ける。 はー、と、ちいさな手に息を吐きかける。温かさは一瞬で消えた。 ひとりぼっち。 ミズホの大事故はそれなりに有名な話となってしまったが、精霊研究所の研究員は知らないようだった。研究に没頭しているからか、ハーフエルフだからと研究所に閉じ込められているからかは解らない。 召喚士の適性試験のときから面識はあるものの、突然王家の命で預かれと言われ、その少女がなんなのか気にならないはずがない。答える以前に、聞かれることが嫌だった。 ひとりぼっちだ。里に帰れば、たくさんの命を奪った殺人者。この街ではあたしを知る人はいない。城では憐憫と蔑み。研究所では…珍獣扱い。 居場所がない。ぎゅうっと自分の身体を抱きしめた。 …寒い。 「どうしたの?」 小さな雪だるまに話し掛けられて、しいなは肩を揺らした。 「…びっ…くりした…」 よくよく見ると、小さな雪だるまは少年の手の平にあった。彼はふふっと得意げに笑う。 「大成功」 赤い髪に、少しくすんだ青の目。睫毛が長く、整った顔をしている。歳はふたつみっつ上くらいだろうか。 屈託のない笑顔で、雪だるまを手摺りに置いた。バケツの帽子はミニチュアのおもちゃ、目はボタン、腕は枯れ枝。11・2歳ほどの少年の手にすっぽりおさまる大きさ。 「可愛いでしょ?」 しいなは苦笑いした。全く見も知らぬ相手から、こんなふうに馴れ馴れしく話し掛けられるのは苦手だった。 「きみ、メルトキオの子じゃないね。初めて見る」 「え…。う、うん…」 どこまで自分の素性を明かしていいか解らず、曖昧に返す。利発そうな少年は目を細めた。 「寒くない?」 マフラーを外しながらそう言われ、しいなは慌てて止める。 「いらないよ!」 「そう?」 首を傾げはしたが、あっさりと引き下がる。マフラーを巻き直し、今度はしいなの手を掴んだ。前触れなどなく、突然に。 「…え、えっ?」 「おいでよ」 無邪気な笑みだった。 雪だるまを置き去りに、強引に手を引かれた。不思議と嫌ではなかった。寂しかったから――しいなは、そう解釈することにする。 紅の髪が揺れる。寒々しい空の中に映えるその色は、暗闇を照らす灯のようだった。引かれた右手が暖かい。 サラサラの髪、仕立てのよいマフラーやコート、どこか気品すら感じる顔立ち。育ちの良さそうな風貌は貴族の証だった。 「…あの…」 「なに?」 「どこに…行くの?」 ああ、と少年は柔らかく微笑む。 「寒いから、あったかいところ」 「……」 どう応えたらいいものか。しいなは戸惑ったまま、それでもおとなしく従った。頬がなんとなく熱いな、と感じて、恐る恐る視線を上げる。前を向いている彼の顔を見ることは出来なかったけれど、その微かに赤い頬は笑っているのか軽く上がっていた。 「おやまあ、ゼロス様」 青果物店の恰幅のいいおばさんが驚いたように駆け寄ってきて、少年の雪を払い落とす。それからしいなを見た。 「お友達ですか?」 「うん」 「セバスチャンさんは…」 へへ、と笑って頭を掻く。 「まったく…。またお屋敷を抜け出して来たんですね? ダメですよ、心配をかけては」 咎めるというよりは呆れたような口調。いつものことらしい。案外、やんちゃさも持っているようだ。 「ちょっとだけだよ。ね?」 ちらりと上目遣いにおばさんを見やる。おばさんはふっと息を吐いて笑った。 「仕方ないですね。今あったかいココアでもお持ちしますよ。もちろん、お友達の分もね」 しいなは慌てて頭を下げた。 「あ、す、すみません」 「いいのよ。寒くないかい? そっちの椅子に座っていていいからね」 店の隅に4つ並んだ椅子を示し、おばさんは奥に引っ込んだ。 |