大王の白いその指が優しく鬼の頬に触れた。褐色に馴染むその白さがひやりとしているのは鬼だけが知っている温度。

「閻魔大王?」
指が鬼の瞳を捉えた。慈しむように瞼を撫ぜる。
「鬼男くん、鬼男くんの目は本当に綺麗だね」
金の双眸、輝くようなその瞳

「鬼男くん知ってる?金の瞳はね。許されない罪の色なんだよ」
何処までも罪深いその色はひどく美しい。
「許されないなんて僕はどんな大罪を犯したんですか」
くつくつと可笑しそうに笑った大王の紅玉の瞳は笑ってなど居なかった


「閻魔大王を愛した罪。」







それは一人の神と一人の絵師の物語


人は未だ天国と地獄の存在を知りはしない時代。裁きの間で初めて自らの罪を知り、そして阿鼻叫喚の世界へと堕ちて行く。
その壮絶な光景を目の当たりにして初めて一人、また一人と生前自分の犯した罪を大王の前で嘆き許しを乞う。全てが手遅れだと死んだ後、愚かにも気付くのだ。

ところがある日の死者は地獄という存在を口にした。恐ろしい罰が待ち受けるその場所を知り、恐れていた。これは大王が大王であった中で初めての事であった。
「お前、何故地獄の存在を知っている」
「それは見たからです」
「見た?地獄をか」

話を聞くには何でも人界で地獄絵図というものを描く絵師がいるという。その死者は生前到底信じられない絵図を馬鹿にしていたが死ぬ間際になりとても恐ろしくなったという。
「本当に在るとは思いもせんでした…」
これは不思議、大王はすぐさまその日の裁きを中断、人界へと自らの足で訪ねていくことにした。



寂れた汚らしい藁小屋にその絵師は住んでいるという。村八分、死んだ後には極楽にいけると信じていた人々からは苛められ迫害されこのような場所に住んでいるらしい。
家の中には蝋燭の小さな灯りだけがちらちらと揺れていた。床一面に散らばる和紙には成る程、閻魔自身も良く知っている地獄が事細やかに描かれている。まるで見てきたかのような描写、否、そうでなければこのようなもの描けるわけなどない。

「お前、一体何者だ」



びくりとそのか細い灯りの中の肩が跳ねた。何か事前に声を掛ければ良かったか、と思ったが閻魔大王が人間に思慮するなど可笑しいな、と自ら苦笑した。
絵師は恐怖してこちらを向くかと思ったが思ったより落ち着いて大王へと振り向いた。


そして、振り向く絵師をみてただ、大王は言葉を失った。




「あ……、」
色素の薄い髪、褐色の肌、そして黒々とした漆黒の双眸
それは、忘れる事など出来ない大王自身の、…



「貴方は…もしや閻魔大王…?」

そして大王は我に返った。何を驚くことがあろうか。


「そうだ」
すると絵師は目を輝かせた。
「本物の閻魔大王!そこに立っていてください今すぐ描くんで」
と、墨をたっぷりと付けた筆でさらさらと描いていく。跳ねる心臓が久しい。これは痛みなのか、それとも。


「どうして地獄の絵が描ける?」
「それは頭に浮かぶからです」
物心ついた時からその図が浮かんでいた。泣き叫ぶ亡者の声、血の池、針の山、猛火…
「それをただ絵にしてきただけだ」
「…よく気が狂わなかったな」
「どうしてでしょうね」

地獄で罪を償った後にはその記憶は一切消されまた輪廻の輪に加わることが許される。でなければ狂ってしまうような記憶ばかりだからだ。

「ただ、このような地獄でも私は一つも辛くなかった気がするんです」もっと辛くて、悲しい事があったような気がすると絵師は言った。大王は知っていた。


『閻魔、僕は地獄など一つも怖くない。ただもう二度と閻魔に会えない事だけが怖いのだ』



「長い間地獄を描いてきたけれど、どうしても閻魔大王の姿だけが思い出せなくて」
こうして描けるとやっとこの絵が完成する、と絵師は笑った。ああこれが私への罰か、そう大王は笑った。



「出来た!」
絵師の手元のそれは審判の瞬間の絵であった。恐ろしい顔をした鬼に囲まれた小さな亡者が震えて審判を待つ、そしてその審判を下す閻魔大王は…


「ちっさ!!!!!!」

ぽつんとひょろっこい大王イカ、もとい閻魔自身が迫力の欠片もない判決を下していた。
「ちょっとこれどういうこと!?もっと威厳とかそういうのあるじゃん、ほら」
「いや、だって閻魔大王私より小さいしなんか生っ白いし弱そうだし」
「弱そうって言うな!もっと怖く描いてよ!これじゃ死ぬ前から馬鹿にされるのがオチだよ!」
「えー…私は本当の事しか描けません」
「…辛辣だ…」

そうして可笑しな事に大王は絵師に迫力のある閻魔大王を描かせようと毎日絵師を訪ねることになった。


「もしもーし、ちゃんと威厳のある閻魔大王はかけましたかー?」
「気のせいか日が経つに連れてどんどん弱くなっていきますよね語尾とか」
「違うよ!絵師くんがちゃんと描いてくれないから…」
「だから、私は本当の事しか描けません」
「威厳あるから!もはや最近の絵は大王イカにしかみえなくなってきてるし…」


それは大王も、絵師にも幸せな時間だった。そんな儚い時間。





「閻魔大王、」
「ん?」
「貴方はいつか冥界に還ってしまうのですか」
「…どういうこと?」
「私と共に生きてはくれないのですか」
「…私は閻魔大王だよ」
「なら私を貴方の側においてください」
「それも無理だよ。だって君は人で私は神だから」

もしもこの絵が完成してしまったらきっと冥界に還ってしまう。そう、羽衣を返した天女のように。
「好きです」
「駄目だよ。言わないで」
「愛しています、閻魔大王」

口付けを拒めなかったのは過去の因果か、それとも他の感情か、大王にはわからなかった。
ただ、とても悲しかった。


もうあの絵師の元に行くことは許されなかった。これ以上彼を苦しめてどうするのだと大王は思った。彼はあの地獄で罪を許されたのに。また地獄になど送りたくはなかった。こんな思いをするのは自分だけで充分だと。






「はい、次の人」
「閻魔大王」

嗚呼、駄目だった。

「やっぱり来ちゃったんだね」
「私には貴方が必要でした」

あの時から。絵師はそう言った。
「思い出しちゃったの」
「えぇ。閻魔大王、私は…」
絵師が次の言葉を発する前にその唇を塞いだ。
「その先は言っちゃ駄目」
また二人が出会うのは何時になるだろうか。それは絵師も大王も知らなかった。だから重なった唇を離す事が怖くて仕方がなかった。悲しい、悲しいと心臓が鳴いた。

さようなら、小さく呟いて大王は瞳を閉じた。



「神を愛す事、これ重罪なり。よって、地獄」





幾度だって出会うだろう、これを罰だと言わずしてなんと言おう。


絵師の置いていった最後の地獄絵図は審判を下す閻魔大王の隣に居る一人の鬼が描かれていた。










今、大王の傍らには金目の鬼が居る。嗚呼どれだけ待ち侘びた事か。
「ね、鬼男くん。どうする?」
俺から離れれば君は罪人じゃあなくなるんだよ?
鬼はため息をついて大王の白い喉に噛み付いた。
「どうやら僕は一生罪深いままですね」
貴方に囚われたまま僕は永遠と廻り続けるのだろう。それが僕の業なのだから。
「あーあ知らないよ」
やはり笑った大王の紅玉は笑ってなどいなかった。


ふ、と鬼は気になった。この金が重罪なのは判った。ならば大王のその紅の瞳は何なのかと。


「この色?これはねぇ、」

大王はくつり、笑った。紅玉の瞳も同じく、笑った。










(さて、罪深いのはどっち?)









絞殺するのは赤い糸












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